現代日本語「誤」百科 923 終身雇用 を例題にする。雇用において、終身 を文字通り解釈して、死ぬまで雇用となるから、そのような終身雇用制を、あり得ないとする、というようなことだ。それが、終身刑と対比されて解釈されている。無期雇用とは何かと問う。コラムは、したがって、非有期雇用 が、提案する言い方らしい。なんとも、終身雇用は定年まで雇用でよいのである。そういう考え方であるから、永年雇用とか連想できる。そも、刑の終身と、雇用の終身と、その終身の意味が異なるではないか。終身をそのまま使えば、命の限りを言うが、刑に服して終わる。また、会社にやとわれして、そのいうところの、終身雇用とは、同一企業で定年まで雇用され続けるという、日本の正社員雇用においての慣行である、というふうに解説があるもので、長期雇用慣行ともいうそうだ。定年は、かつてはそれで企業には務めることが終わりを意味し、その語の用法をもって定着しているから、おかしくもなんともないではないか、非有期雇用という言い回しは、なにやら、非正規社員という言い回しに似て、その実態を覆い隠すようである。 . . . 本文を読む
現代日本語「誤」百科 922 いろいろな状況を忖度する を例題にしている。忖度は、呉音で、じゅん、と読む。じゅん は、忖 の呉音、他人の心をおしはかること。*文明本節用集〔室町中〕「忖度 シュント 推量義也 この日本国語大辞典の用例では、
そん‐たく 【忖度】
〔名〕
(「忖」も「度」もはかる意)
他人の心中やその考えなどを推しはかること。推量。推測。推察。
*菅家後集〔903頃〕叙意一百韻「舂韲由〓造化〓忖度委〓陶〓〓」
*東京新繁昌記〔1874~76〕〈服部誠一〉初・人力車「盖し人の行く所を忖度(〈注〉ハカル)して而して何れの帰りと唱ふ者は」
*文明論之概略〔1875〕〈福沢諭吉〉二・四「他人の心を忖度す可らざるは固より論を俟たず」
*浮雲〔1887~89〕〈二葉亭四迷〉一・一一「文三の感情、思想を忖度し得ないのも勿論の事では有るが」
*近代絵画〔1954~58〕〈小林秀雄〉ピカソ「ピカソの真意を忖度(ソンタク)しようとすると」
*詩経‐小雅・巧言「他人有心、予忖度之」
と見える。用例を検索すると、 >しかしながら時間軸を念頭におけば、やがて彼らが若い研究者たちと連帯して研究所を率いてゆく体制へ移行することが抗し難い必然であります。この状況を忖度(そんたく)しますと、この方針は苦渋の選択という他に言葉はありませんが、新研究所が長期に亘って大きく発展していくためには、組織運営に携わる人材の育成もまた不可避であると思われます。 と、ヒットして、文脈上で状況が他者また研究者を想定していることが分かる。 . . . 本文を読む
日本語「誤」百科 921 給料を全額受け取っていない を例題にしている。給料をまったくもらわなかったか、給料を一部もらったか、その2通りの意味内容を持つ表現であるから、このように使うかどうか、その文脈によることがある。この解釈がわかれるようなことがあるので、その意味区別の紛らわしさを避けるために、例題を、給料を全額は受け取っていない というように言って、全額は、と協調をすることで、いわば全否定と部分否定を知ることができる。全部ない、全部はない、となる。用例を検索してみると、実際の使用例では、お金をまだ全額受け取っていない、とあったので、見てみると文脈によってさらに具体的な表現であることが分かる。いわば契約マネーのやり取りのことであるから、曖昧な事実であるわけではない。例題のような表現であれば、このケースのようなときに用いられると理解すべきである。 . . . 本文を読む
日本語「誤」百科 920 コンクリートの残骸 を例題にしている。コンクリートを建築資材に認めないコラムの解説だ。建物が壊れてそこに残った残骸と言っているのだから、破壊されて原形をとどめない残骸に、その前に一定の形をもった建築物である必要があるとか、撞着をを起こすような説明している。だから、それをコンクリートは物質で特定の形があるわけでないとか、、コンクリートから残骸が生じることはないとか、何を言おうとしているか不明である。それこそ同語反復の苦しい言い分けになっている。すなわち、残骸は残骸であるとかコンクリートの残骸は残骸でない、コンクリートだとか言っているようなもの、ほかに例を挙げている、氷の残骸、岩の残骸にしても、これはおそらく説明方法で言えば、氷で作られた造形物、また、岩に作られた歴史遺物だとか、それが壊されたときに、それぞれを残骸と表現していることは、上述の説明の論理と同じである。もっとも、氷は解けてしまい、岩は細かく砕かれてしまうかもしれない。 . . . 本文を読む
日本語「誤」百科 919 出かけてからぼちぼち一時間だ を例題にしている。この ぼちぼち の用法を俗語辞書で見て、その解説用例のあるように、この使い方は、そろそろ と同じ用法だと考えてよい。日本国語大辞典、辞書義では、ある行為にゆっくりととりかかるさま、また、ある事態に近づくさまを表わす語、とあって、ぼつぼつ、とも言う。たぶんに話しことば的であるのは、使い方によって、出かけてからそろそろ1時間だ 出かけてからぼちぼち1時間だ 同じ用法である。 . . . 本文を読む
三国をふたたび。W(ダブリュー)の項 w (あざ)笑う だそうである。コラム子は意識したのかどうか。(笑) これと同じだと言っているから、どうもカッコ付きを解説していてわかっていないのか、この説明はおかしいが、辞書がそうなっているから、もっと、おかしいのではないか、つまり、あざ笑いではない、それを意味内容とするのは、よほどであるが、コラム子は、あざとく笑うことを解説してほしい、と思わず言いたくなる。動画を見ていて書き込み画面で流れる、この連発をなんだろうと、その現象を見ていると、これは日本のことだなのだろうか。 >しかしニコニコではそのようなコメントが流れるのも一興なようで、最近ではごく一般的に扱われている。コメントを素早く入力する必要がある中、「w」の文字のみで「面白い」「笑える」の意思表示ができることや、面白い箇所で「w」だらけの弾幕状態になってもそれはそれで楽しい光景になるなど、独特のコメントシステムとの相性が非常に良いことが、「w」がニコニコで普及した理由と考えられる。それどころか、ただ芝を生やすことだけを目的とした動画も存在する。最近では「笑わざるをえない」状況のことを「草不可避」といった表現もするようになっている。 . . . 本文を読む
さんこく 三省堂の国語辞典の呼び名だそうだ。第7版についての毎日新聞の記事である。ことばの鏡 脱・男目線 と、ニュース配信があって、おやと思った。世にもまれな美人 と言う用例が7版では消えて、世にも不思議な物語 となたそうだ。そして、>ほかにも「黒目がちの美人」「すごい美人だ」「すこぶる付きの美人」--など計7人が外れた ということだ。編集者か、出版部の人はこの用例を古めかしく感じ、男目線であった、として、代えたという。そこまではいいとして、愛について述べているところで、小説の指摘であったそうだが、異性の愛の用例を、同性の愛をも解釈できるような語釈に置き換えたかのごとくいながら、>7版では「恋を感じた相手を、たいせつに思う気持ち」 としているようであるから、おやと思ってしまった。いずれ、辞書でたしかにしなければわからないが、小説の議論もこの語釈も中途半端なことだ。 . . . 本文を読む
現代日本語「誤」百科 918 特急の通過を待ち合わせます を例題にしている。待ち合わせる という語義をコラムは解説する。表題の例を、列車がある駅で特急を停車して、特急が通過し終わるまで出発しない場合をとらえていると説明するのであるから、これはこの理解を可能にしている表現であることをコラムが書いていることになる。それに加えて、待ち合わせをする人の場合でも解釈はそのままでよい。つまり、何ら表現に誤りはないのであって、例題をどうとらえたかの理解に苦しむ。通過を待ち合わせると言っているアナウンスに、通過してしまう特急は待ち合わせにならないとは、表現を聞いてわかるのに、わかっている表現のことをわからないとしてしまうのは、通過を というところで、通過を待ちます と言い換えたところで、それを聞いた駅にいる人々は、駅で列車が待った後は通過した特急のことをただ待っていたわけではなく、次いで出発することを思うわけであるから、待ち合わせたことに変わらないのである。 . . . 本文を読む
現代日本語「誤」百科 917 事件を謎解く を例題にしている。謎解く についての語構成を指摘する。謎解き に語の成立を見て、謎解く とは、コラムの解説では言えないとする。酒のみ 水汲み この語について、酒飲む 水飲む といえないのと同様だと説明する。事件を謎を解く となると、を が繰り返されて間違っているとするのは、それでよいとしても、事件を謎を解く と使うことはない。謎解く となるのである。謎解き 謎解く いずれが日本語として使われて、いずれも正しい。検索してヒットする語の用例で、多く使われているのがわかる。 . . . 本文を読む
現代日本語「誤」百科 916 すべて一任した を例題にしている。すべて を、名詞と見るか、この例題では副詞と見るべきである。それでも、すべてを一任した、という言い方ができるので、これもやはり、一任 という語の意味内容を文脈で明らかにすると、用法が情報として理解できるだろう。コラムの解説は、同語反復の誤りを犯している、とするが、同語反復のとらえ方が違っているようだ。ただ同じ意味の語を繰り返し使っている現象を言おうとするようだが、そもそも論理で起こしている同語反復はその表現上の撞着によって意味がわからなくなってしまうことであって、表現上の綾で現われる語の用法では同語反復を指摘するのは簡単なことのようにもみえるが、それを濫用するのはおかしい。しかし、任務を一任した 責任を一任した といったような言い方に、おかしいと感じるのはまさに同語を見出すからであるが、それでも表現を読み取ろうとするときに、意味内容を撞着することもない。表現が間違っているというより、うまくない言い方か、それともこんなふうにしか言いようがない場合がある。
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