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現代日本語百科   けふも  お元気ですか

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感動を届ける

2014-06-04 | 日本語新百科
現代日本語「誤」百科 994 感動を客席に届ける を例題にしている。はて、どこがおかしいか。コラムの解説では、演者が感動を届ける というのは、演者がまず感動し、その感動が観客へ移動すること、のように説明する。だから、感動するのは観客であれば、演者の感動は演者から移動しない、とか。この説明は意味が理解できないので、感動のとらえ方にコラムの解説が誤っているのか、とどける という動詞を、荷物だけに限ったようなことなのか、いずれにしても、説明そのものがわからないことである。このコラムは、いよいよ、終了のときを迎えているのかと思わせるので、表現の内容に理解の出来ない説明が現れてきて、この例題についても、日本語表現で、なにを誤りだというのか、わからなくなってきたことだ。そう思い、そう感想を持つことが、そうさせることが、コラムの論理であるらしい。 . . . 本文を読む

未来時

2014-06-03 | 日本語新百科
日本語「誤」百科 993 開けつつある未来 を例題にしている。コラムの解説は、未来が時の経過で開けるのは当然だという説明で、いまより良くなると言いたいなら、開けつつある時代 と言い換えると好いとするが、果たして、どうか。未来についての語義を、過去、現在というように時間の継続でとらえるのはその通りのことである。それを辞書義に照らしても、時間だけに捉えるものでもない。未来時、未来世、そして、未来にかかわる、たとえば都市デザインなど、そこには文脈、場面による用法がある。この語の用例検索すると、開ける未来のとらえ方が時代、時間だけではない意味内容を含むものが多く見られて、例題が言うような時間に捉えた上での用法を見出すのがかえって限られたものであることを知ると、コラムの限られた理論であることをあらためて思う。 . . . 本文を読む

可愛さ余って

2014-06-02 | 日本語新百科
現代日本語「誤」百科 992 こどもへのかわいさがあまって甘やかす を例題にしている。コラムの解説は、可愛さ余って憎さ百倍 については触れるが、その慣用句を正しく使わないという論法をよくコラムで行ってきているが、その例の一つだろう。そしてまた、その文脈を示さないのであるが、その文脈は慣用表現をもじることで言おうとしたことがあるのである。ことばはもと自由なものであるから、慣用句、故事成語としてそれを受け止めたできごとなどはそのまま表現に受け継がれている。可愛さ余って憎さ百倍と用いることを現実社会で経験するなかで、それをまた、かわいくて甘やかす、という状況に、慣用表現をもじることで、そう言うことがあるのを報せよう、気づかせようとすることである。また、可愛さ余って、と言いさすことで、その表現を表わそうとするので、さまざま、憎さ百倍だけのことにならないことがあるようである。 . . . 本文を読む

可能性が強い、か

2014-05-28 | 日本語新百科
現代日本語「誤」百科  990可能性が強い を例題にしている。コラムの解説は可能性を数値化するだけのことに捉えて、いつもの論法によって、コラム内の理由だけで正誤をとらえるが、可能性が高い、可能性が大きい、可能性が強い、可能性のあること、可能性を持つ このどれも表現として正しい。数量のとらえ方に、それをもとにして、見込み、期待、この逆であっても、わたしたちが思うことなどの表現があるからである。そのデータ結果から傾向を述べることもあるとして、表現の取る許容性が認められる。そこで、可能性は翻訳概念としての可否もありそうで、蓋然性を用語としておるべきかどうかについても議論があるので付け加えておこう。 . . . 本文を読む

友人を酔いつぶす

2014-05-26 | 日本語新百科
日本語「誤」百科 989 友人を酔いつぶす を例題にしている。コラムの解説は、友人を酔いつぶれさせる とすべきだとする。その説明は、酔いつぶれる という語を用いて、自分がつぶれることを表わす動詞の意味内容を良い表現とするので、その使役を用いる、つまり、酔いつぶれさせる のが正しいという。コラムが説明する複合動詞の理解と使役形の扱いであるから、この表現の、酔いつぶす 酔いつぶれさせる という語の成立について問うのは、いつもコラムが起こしている日本語のとらえ方の不足である。友人を酔いつぶす というこの表現において、人を酔いつぶすことなどありえない、と説明するのは、日本語を理解しないどころか、その表現内容が表わしている事態の悲惨さが起こることをも予想していない。  . . . 本文を読む

ひもとく 手を切らす

2014-05-22 | 日本語新百科
日本語「誤」百科 988 手を切らさなければならない を例題にしている。手を切らす という表現をもとにした、きらさなければならない を、取り上げて解説する。この表現がどのような文脈で使われたものか、きらさない としての用例は、集中力を切らさない、ネタを切らさない のように使う例がある。ついて、手を切らす は、語の変化形として、手を切らせる とする用法と同じであるなら、使うことがある。しびれをきらす しびれをきらせる という言い方がある。これはまた、超す について、超させる となるところ、超さす となるか、あるいはまた、足す について、足させる となるところ、足さす となるかどうか、使役形と使役動詞との関係でもある。 . . . 本文を読む

ひもとく 命に別条なし

2014-05-21 | 日本語新百科
日本語「誤」百科 987 早期に治療して命に別条がなかった を例題にしている。コラムの解説は、早期に治療して大事に至らなかった というべきだとする。その説明は、命に別状はない という表現が使われるためには、死んでもおかしくないという条件が必要だ と述べていて、意味内容を持つとらえ方に、転んだりとか、指を切ったりとか、例を挙げる。この説明があたらないとして考えることはたやすいことであるだろう。つまり、何をもってこんなふうに言えるのか、コラム子の想像力の及ばないところに事実や現実があるので、例題のような言い方はいくらでも起こり得ることであると言えば良いのだろうか。コラムの限られた文章で書ききれないという制約があるにせよ、書きようがあるので、このような日本語表現を誤りだと言い続けるのは、テレビで取り上げてくれた、曖昧な日本語の範疇で語句を説明しようとしているからだ。  . . . 本文を読む

ひもとく 人生の主役

2014-05-20 | 日本語新百科
現代日本誤「誤」百科 986 人生の主役たれ を例題にしている。人生の主役であるに違いない人生を歩むものが人生の主役であることは当然であると認めているのだから、この表現は何も、言うことはないにもかかわらず、はなで影、足で歩けと同じような表現法だとするような、この説明の不足は何とも言いようがない。そして、さらには、人類や、社会のような人間の集団でなければならない、というような、これまた何を説明しようとしているのだろう、ね。  > 全国ネットでは流していないらしいが、子供のころに出会った教師の言葉に従い成長していった生徒が人生の主役として成功を収めるストーリーで展開される2分弱のテレビCMである。 . . . 本文を読む

ひもとく のどの渇きを潤す

2014-05-19 | 日本語新百科
現代日本語「誤」百科 985 のどの渇きを潤す を例題にしている。この表現を誤りとする。誤百科とするので、コラム内の記述では間違いとなる。この表現を誤りだとする理由をコラムの主張とするということで985回を数えている。もうすぐ1000回で誤百科は連載中止になるだろう。なぜなら、もはや間違いであるとする、その間違いは日本語の誤りと言えないような例題ばかりになってきたからである。そもそも誤りだとする、その説明が誤っているのだから、迷惑なことであった。学校現場で、日本語を学習する人たちが、それに携わる人々に、言語学者が仕掛ける論理の罠であるから、それがわからない人は、読者たちは中日新聞のこのコラムでただ日本語が誤っている、その表現が正しくないというようなことだけを伝え続けていることをうけとって、無用な議論に惑わされていることになって、多くの人が気づいて、この説明を受け止めなくなっているだろう。 . . . 本文を読む

有名、著名そして高名

2014-05-14 | 日本語新百科
現代日本語「誤」百科 983 その作品で著名な美術館 を例題にしている。著名 は、人物にしか使えないそうだ。有名な美術館 著名な美術館 高名な作品 これらの表現は、コラムの解説では、どれも言えないということだが、そのようなことはない。著名人、有名人、となると、それは人物についてであって、その言いかたと、著名な 有名な とを、コラムでは混同しているようである。*著名人な美術館 有名人な美術館 とでも思っているような書きぶりであるが、さらには、*高名人 となれば、その造語はさすがにないけれども、古典作品にも現れる用法であるので、ただし、こうみょう と読むことがあり、こうめい、となると、その場合の 名 という語の使い方があるから、意味のとらえ方は、人の名前のことばかりではないことを知ることになる。名がある、著しい名である、高い評判である、このそれぞれを意味内容として理解すれば使い分けも難しいことではない。  . . . 本文を読む