言葉を学びにおく日本語 リマインダーの設定で1年前の記事を送ってくる。あれこれと書き、2013年7月12日には言語観、日本語観を書いているらしい。日本語は言語系統論で祖語を特定するのは言語資料のよるところで、それは困難なことであり、ほかに系統をもつ言語と比べると、いわば孤独な言語であるからして、言語観は記録に現われてからの日本語となる。それが由来して言語観は地理的にも日本の列島を四周の海に囲まれて、独自の記録を持ち始める、その言語に、ほかの言語を取り入れ続けた日本語となる。言語日本語は古代漢語の影響にあって言語を形成し言語観を構成していると言ってよい。日本語には、はじめに言葉ありき、文字ありきであったのである。ロゴスは漢字文字にあり、はじめに漢字があって、その漢字を日本語に学びはじめるのである。 . . . 本文を読む
やじ発言者を声紋分析で特定するため、業者と相談しながら音源を精査する意向を固めたという。早く結婚した方がいい、という声は明瞭に残っていたが、ほかの、産めないのか、などのやじは、一部だけ聞こえたり、ほかの音でかき消されたりしている。NHKニュースで、音響分析の研究をして、それを説明していた。すくなくとも二人は認められるようだ。野次は野次馬の略である。野次馬根性という語もある。この野次の説明を辞書で見ると、おやじ馬、やんちゃ馬などとある。すると、議員は関係のないことで発言をしていたわけではない、自らのブログで、職場で女性が働く環境と少子高齢化について謳う。品位、品格を、野次であるがゆえに、それを言うこともないが、冷やかしという日本語があるが、どうも悪意にみちた物言いである。いったん、しらを切りかけて、態度を翻し、それでことがすんだ、のような、さらに、幕引きをはかるといったこともあって、やはり、野次馬は喧嘩だけにして、議会にはいてほしくない。 . . . 本文を読む
日本語の新現象をとらえていた。その書目が世に問われてからひさしい。問題にちがいないのでとくに意見があるわけではない。問題な、というべきか、問題の、というべきか、それはかつてふれたことがある。形容詞性を文法的に見て限定修飾とするかどうかで、日本語そのものに問題が潜むならば、問題な日本語であり、日本語の現象に問題があるならばそれは問題の日本語である、というべきであって、そういえないならば、それよりは、日本語そのものの全体に起こりつつあることとして日本語の問題となるであろう。名詞に形容詞性をもとめて、問題という名詞が形容詞になるとしたら、問題なこと、問題な事件、あえてまた、問題な人、というように表現することはできる。いずれにしても、問題になる日本語、問題のある日本語、問題である日本語の使い方、というようなことである。問題な日本語を検索すると関連するキーワードには、言葉の乱れ、ことばの揺れ、ことばの誤用、ことばのまちがい、などなどがある。 . . . 本文を読む
きっかけをくださって感謝いたします こうして始まったブログであった。
当初は日本「誤」百科について、これは日本語珍百科だと思ったことだった。
それでしばらくしてコラムは日本語珍百科には違いないが、現代日本語百科のコーナーの一つに、日本語新百科とした。
爾来、およそ300回にわたる連載を読み、日本「誤」百科の誤であるゆえんを捉えてきた。
さらに用例をもとに解説すべきであると語例を検索してその実例を求めるようになった。
多く取り上げられたコラムの語例は日本語で使われていたものであるから、さまざま解釈を加えることになる。
論理を立ててそれを是とする範囲での議論と、実際の言語の使用例は必ずしも一致しないのが、文化現象であるゆえんである。
それはもうすこしすすめると、言語の使い手によって言葉というものが、確かめられて、正しく使われる、つまりは人々にある規範に収まるのである。
このコーナーはいままでと同じく、言語の現象を実例に照らして見ていきたいと思う。 . . . 本文を読む
現代日本語「誤」百科 1000完 意識が戻られています を例題にしている。日本語動詞の自他における議論となる。コラムの解説は、戻る動詞を敬語に使うことができるが、その主語は人間でなければならないとする。意識そのものが人間でないから、意識を取り戻されています と言い換えを説明している。例題の正誤の判定はコラムのする論理で言えば、言いかえは表現できると認めてよい。しかし、日本語の用例で、意識を戻す と、意識が戻る、という自他動詞についての議論が必要になり、その言いかえは、つまり、意識を戻す 意識が戻る というのは、それぞれ言いうる。したがって、意識を戻される、意識が戻られる、このふたつは正しい。その用法でふたつを使う例が検索しているとあったので、紹介をしておこう。この場合に、いずれも日本語表現として理解される。 . . . 本文を読む
日本語「誤」百科 999 若い研究者の目を枯らせる を例題にしている。まずは、コラムの999回をお祝いしよう。記念すべき1000が明日訪れる。さて、枯らせる 複合した動詞をどう見るか、また派生動詞をどう認めるかが、コラムの解説のポイントであり、日本語の説明不足なところである。つまり、枯らせる という表現がないとするのは、枯らす という動詞を認めようとしないとしか思えない、いつもの説明である。枯らす 枯れさせる この動詞はいずれも文脈に応じた意味内容の使い分けを持つ場合がある。そして、説明は、芽を摘む に言及して、木を枯らせることはあっても芽を枯らせることはないとしたいようであるが、花を枯らせる、根を枯らせる、草を枯らせる、など、その表現は植物につかわれていて、何ら、おかしくはない。最近のニュースにある用例のようであるから、それを読んで違和感を感じたならば、それは、芽を摘むと言った場合でのことになる。 . . . 本文を読む
日本語「誤」百科 997 高速道路を歩くのは禁じ手 を例題にしている。禁じ手を文字通り解釈すれば、高速道路を歩く手段は選ぶべきでないとなる。車専用道路と決められているからである。それは使うことを禁じられているということなので、日本語表現として、将棋、囲碁、相撲などの用語を比喩に用いたことが分かる。コラムの解説は、それを、法律で禁止されている行為を禁じ手と呼ばないと説明しているので、この説明は法律違反と禁じ手を使い分けて、例題を誤表現だとする、と言いたいらしい。どうも、おかしなコラムの説である。高速道路を歩くのは、やってはいけないことである、安全性としてのことがらだからである。ゲームの禁じ手はそれを使う、つまり違反すると反則になり、規則違反の意味になるので、それならばそれで、例題はその表現として正しいのである。緊急避難のときにどうするか、その状況下では法律違反であるよりも、本来ならしてはならないことをその状況下で対策とすることがあるので、それは禁じ手を使うということである。 . . . 本文を読む
現代日本語「誤」百科 998 消費税が増税される を例題にしている。コラムの解説は同語反復だとする。言いかえには、消費税が上がる とするのが正しいと説明するが、表現の解釈はこれでよいだろう。しかし、消費税は名目である。消費と税にはわけられない普通名詞である。一つの税であるから、その税の名目における税金が増税となるのであるから、消費税増税と使われることになる。消費増税の説明をしているコラムが、言う通り、消費が税を増やす意味になるのだから、それは実際にその通りだから、この意味ではこの表現も何ら問題とならないのだけれど、つまり、消費すればするほど税が増えるのが消費税というもので、したがって消費税は設けられたのだから、消費税が8%に増税となるのをとらえて、消費税増税である。語構成をとらえて日本語を分析する場合に、語としての扱いと、意味内容の表現にあらわれる同語反復は避けるべきであるが、それが表現上も論理上も情報を得るための整合性があって、消費税増税はまさに日本語の言語である。 . . . 本文を読む
現代日本語「誤」百科 996 妹よ を例題にしている。いよいよ、このコラムの終焉を感じさせる。フォークソングの歌詞を持ち出し、人々に愛された歌に感懐があるのだろう。妹の名前で呼びかけるべきだった、とコラムが解説するのは、何をもって誤りとするかがわからない。お兄さん お姉さん 呼びかけることができて、妹、弟 と呼びかけることはないそうだが、そうコラムは説明するが、親が自分の子どもを、息子、娘、と呼ぶことがないのと同じように、というわけで、妹さん、弟さん、と言えないとするのが、まずもってわからないし、自分の家族に敬称をつけるかつけないかは、その家族によることで、わがむすこ、わがむすめ、息子がさぁ、娘がねぇ、といったふうに、日本語を使うことをこのコラムはどうしたいと言っているのか、その表現の是非について個人の価値観をもって主観を述べているに過ぎない。 . . . 本文を読む
現代日本語「誤」百科 995 携帯電話使用禁止にご協力ください を例題にしている。携帯電話の使用を禁止します という注意書きであろう。ここで携帯電話を使用している利用者がいれば、禁止であることを周知してその行為をやめさせることに、協力し合おうというもので、例題通りの意味である。この注意がいきわたるように、携帯電話の使用を自身はもちろん、他者の使用を見つけると協力するようにするというものだ。多くこの例が示す場面には、使用禁止を訴えるものには緊急かつその処置が必要な場面であって、事故や犯罪の発生につながることから、その防止のために市民協力を呼びかけるものである。 . . . 本文を読む