表記はその行動を議論する。
いま国名をどのように書くか、その表記を対象にする。
日本、にほん、ニッポン、Nipponn と、いずれも、書き分けることがある。
それは、やまと を、大和と書き、日本と書いたようなことである。
倭であるし、いっぽうで、山門である。
一つの語、ことについて、いくつにも書き分ける、言い分けることができるのは、日本語の学びである。
名辞でいえば、一つのこと、また、モノに . . . 本文を読む
ぎしょ、たわむれがき、ざれがき、と言葉を見る。
戯書を中国語としてはおかしい、日本語の造語と見る、というふうに、香坂順一氏の言及がある。
たわむれは、言葉の遊戯である。
ざれ書きは、てなぐさみである。
九九による表記が戯訓としての興味をもたせるが、それを中国伝来とした説明がある。
古代人に算数の知識があった、それをまた、言葉に応用したのである。
また、次のような和語の読みもある。
左右 二手 . . . 本文を読む
凡そ55年前の記憶である。長い時間の経過がある。未だそのころのことを覚えているか、心許ないことである。脳の記憶は上塗りされて自身の能力に、記憶違いを起こすこともありそうだが、それは正しい記憶によることのようで、ひとたび覚えれば、それは脳のどこかに仕舞い込んでしまっている。漱石の愛読は中学校2年生になる。夏目漱石全集を読んだ。全集読みを始めたのは、亀井勝一郎の影響だった。未だラジオで学ぶようなことで、その読書論に傾いた。それは小説から詩集、評論に至るまで、全集で読むことをした。さきの記憶という点では、それを取り出すのに時間がかかる。新聞の連載を読んで、やはりあの時の、吾輩に、坊ちゃんに、それをはじめとして、そしてこの期の、心にしても3部作にしても、思春期に這入る少年に小説が与えた影響は、いまも判然することがある。いまも、長い時間かかっての、漱石の用字と文体に馴染んでしまったこのかた、文章は替わり映えしないが、そのルビに、通行字体の漢字で奇妙さがあるものの、これで漢字をよく覚えたことだったと、懐かしい。 . . . 本文を読む
漢字を日本語でどう読むか。古代日本語で漢字に訓読みをあてた、その用字法である。ただし、正訓にしても漢字の字義に日本語の読みを正しく充てるのであるが、それははまた、漢字文字を日本語発音にしていたので、用字という捉え方になる。そこから、のちに草仮名の文字になる、まず万葉仮名が工夫されるようになる。義訓には、日本語と漢字の文字の意味が対応するが、正訓ではないものがあるので、その用字法を言った。正訓に対して義訓が現れるのは、万葉集の歌謡に文字についての意識があり、記録者に修辞として現れたと考えてよい。読み、訓み、詠み、というふうに、文字を充てて意味をとらえようとしたのである。漢字と日本語読み、漢語に相当する日本語、そのようなとらえ方をして、そのうちに、ことばの遊戯とした用字をする、戯書があった。 . . . 本文を読む
漢字の日本語読みを意味内容とする。字音は漢字音とする。字訓の関連キーワードに、> |仮借 |訓読 |転注 |音仮名 |音訓 |訓 |訓仮名 |訓義 |国音 |国訓 などを挙げる。白川静の漢字研究の成果に、書名として、字訓がある。日本大百科全書(ニッポニカ)の解説より。 >訓
くん 漢字の原義に対応する日本語で、それがある程度固定化したものをいう。本来は、漢字のもつ意味、字義をさし、字義を解釈すること「訓詁(くんこ)」をも訓と称したが、さらに転じて、日本における漢字の読み方のうちの一種をよぶようになった。たとえば「山」についていえば、「やま」がその固定化した日本語にあたる。漢字を中国語の原音(またはそれに近い音)で読んだもの、すなわち音(おん)(字音)と対立するもので、字訓、和訓ともよぶ。 . . . 本文を読む
訓読みは訓読によって生じた漢字の日本語読みである。訓読の訓読みは音読すなわち音読みに対する日本語の発音そのものであるが、漢字音を取り入れて工夫した仮名書きになり、日本語での和訓、和語としての展開を遂げる。訓はそもそも、>言いきかせてわからせる。教えさとす。おしえる。さとす。おしえ。 「訓化・訓育・訓導・訓戒・訓告・訓示・家訓・祖訓・古訓・教訓・校訓・社訓・遺訓・垂訓・庭訓(ていくん)(ていきん)・聖訓・処世訓」2.文章や文字の意味がわかるようにする。よむ。 「訓解・訓義・訓釈・訓詁(くんこ)」 というように捉えられる。 . . . 本文を読む
熟語に用法を生じたのは漢字を語構成とみるからである。熟語の意味は本来、一語になった語として認められるものを指している。日本語の和語の表現では、たとえば、おはようございます という挨拶は、この語の成立に、おはよう おはやく ござる と、わけてみて、おはやくござる という言い方が、音便によって一語となったものとみることができる。音便の現象については、日本語では音便形としてその語の独立また自立用法とすることがあるので、おはよう そのものがまた挨拶となった。おはよう が、おはようさん おはよーっす おざーす おっは など、話し言葉としての派生を生み出しはするが、いずれも、おはやくござる を語にしている。 . . . 本文を読む
熟字は、2字以上の漢字を合わせて一つのまとまった意味を表すものと、辞書にある。
また、それに用いる字であるとも。
デジタル大辞泉の解説。
一方で、大辞林 第三版の解説では、 熟語に同じ、と見えるので、それを見ると、熟語に、
>①二つ以上の単語が結合してできた語。合成語。複合語。「山鳩」「酒樽」「草分け」の類。②二つ以上の漢字の結合してできた語。「登山」「思想」の類。熟字。成語。
というふう . . . 本文を読む
当て字、宛字、充て字とは、字の本来の用法を無視して、当座の用のために異なる語の表記に転用した漢字などの文字、と解説する。ウイキペディアは、さらに、字を当てるのではなく、代わりとなる字を充てるので、充て字と表記されることもあると記す。当座の用というのは、即座、さしあたって、一時など、時間をとらえた意味内容と、その場で、その席で、歌会、句会など、その席で出される題としての用法がある。漢字の用法からすれ . . . 本文を読む
ハングルの日がある。ニュースによるとその日の記念に日本語を撤廃しようという運動があるそうだ。もとよりハングル発音では外来語をどうするかだけれど、日本語の外来語が標的らしい。ハングルの日は1韓国と北朝鮮の記念日で、韓国は10月9日、北朝鮮は1月15日とするようだ。ハングルの日、한글날、ハングルラル、李朝第4代王である世宗大王がハングルを創り、訓民正音として公 . . . 本文を読む