しはる について、方言の一つとして解説がある。>ここでは、敬語の「~しはる」について考えてみます。
同じ関西弁でも、大阪と京都その他の地方によって微妙に違ってきますが、身近な大阪での使い方を中心にまとめてみました。
「~しはる」の語源はおそらく、
「~なさる」→「~なはる」→「~はる」に変化したものと思われる。
実際、「食べなはるか。」「だれがそんなこと言いなはんのや。」のように「~なはる」を使う場合もある。
後述するように、命令形では「~しなはれ」になる。
「はる」単独で使うことはなく、必ず動詞の後に付けて使うので、補助動詞である。 . . . 本文を読む
この語を使わない、という、その言語意識にあるときに、方言かと問われれば、方言かなとも思ってしまう。また、自分が方言を話していると思えば、その方言はあるかないかとなる。カタスと聞いて、その語を聞いたことがない日本国語調査をネットで自らの思い込みを正すためにしているというサイトがあって、そこでカタスを使う、使わないの結果集計をしていた。調査結果に加えることに、子供時代を過ごした地域:現在お住まいの地域:年代:性別とあって、簡便な試みである。回答者の一人に加わるならば、子供時代は京阪神で育ち、現在は東海地方、名古屋にいて、60代男性である。子供時代は阪神間西宮にいて使ったことがない、聞いたこともない。神戸、大阪、京都と走り回っていたが、聞かなかったのは同様だ。カタスとウチを、なぜかセットにしてのことがあって、ウチはよく使っていた、ウチンチとなると、そうだったと思い出す。これは母の出身地が東京であることと関係しそうだが、カタスについては記憶がない。 . . . 本文を読む
ウチナーグチは沖縄方言をさす。沖縄語と認定したのはユネスコの調査による。日本語に対して調査の基準に照らし独立言語とし、消滅の危機のある言語とした。ユネスコは、世界で2,500に上る言語が消滅の危機にあると指摘しており、日本国内では、8言語、方言がその中に含まれ、消滅の危機にあると認定した。Atlas of the World's Languages in Danger それは、次のとおり、極めて深刻な、アイヌ語、重大な危機にある、八重山語、与那国語、危険に、八丈語、奄美語、国頭語、沖縄語、宮古語としている。その危険にあるのがウチナーグチである。そして方言である島言葉がこの指摘に名を並べている。問いの消滅するかについて、推測の域を出ない、消滅するかどうか、その言語の継承による。地域、国家、民族、そして文化が消滅するとその言語も同じ運命をたどる。話し手がいなくなると推測することは、沖縄方言の、沖縄語についていえば、歴史的経緯に照らしても起こり得ないと考えられる。沖縄語は消滅しない。 . . . 本文を読む
沖縄語というのを検索してみると、琉球語、琉球方言と見出しにある。沖縄語、これ自体の呼称が沖縄方言を意味するかどうか、近年の動きに、ユネスコの認定があった。それは消滅の危機にある言語として調査し、沖縄方言は、国頭方言、宮古方言、奄美方言、八重山方言、与那国方言とともに一個の言語としたことである。ユネスコの調査は言語調査には違いないが、方言を言語とする場合も含まれるようで、その基準のとらえ方には議論があるだろう。詳しくするところではないが、国、民族、文化について、また行政区画と地域の関連もある。あらためて日本語と、沖縄語と言われれば、その言語関係をみることになって、国語の方言調査でも日本地域の日本語として方言としている。 . . . 本文を読む
関西の言葉と関東の言葉とが別れたとする問いは、もとひとつであったことを前提にするのだろうか。そうすると、別れたということが成り立つ。しかし、もともとひとつではなくて、分かれていたとするなら、この問いは成立しない。したがって、この関西方言と、関東方言の、その別を由来とすることを考えることになる。日本の中央語は関西方言である京都のことばであった。その中央語が東京方言にうつったのは、東京遷都による。中央政府の行政府が京都から東京になった。それによって生じるのは中央語の別である。そのような社会的情勢に合わせるならば、政府の所在によって言語の別が作られることがあるので、歴史には、朝廷と幕府のことになる。そうすると、関東の言葉はそのときにすでに坂東言葉としてあった。このような現象は日本列島内で騒乱が起きるたびに繰り返されたことであり、関西の言葉と関東の言葉とは混淆していく。ほかにも、文化の伝播による区分けも可能だろう。それは上方文化と江戸文化のとらえ方による。 . . . 本文を読む
アイヌ語は一つの言語である。日本語との親戚関係を問うことは、言語系統論の扱いで言えば、親戚関係にないとされている。日本語も一つの言語であり、アイヌ語は日本語との系統を明らかにしえない言語の一つである。ウイキペディアより。
>地理的に近い位置で話され、古くから互いに経済的、文化的な交流があったにも関わらず、大和民族の日本語との間には、語彙の借用(例、menoko)を除いてそれほど共通点(例、皮 kap ~ kapa)が見いだせない。
アイヌ語の系統や語族に関しては、学術的に確実なことはいえない状況であり、孤立した言語であると考えられている。
>アイヌ語(アイヌご、アイヌ語ラテン文字表記:Aynu itak、アイヌ語仮名表記:アイヌ・イタㇰ)は、現在、日本とロシア等に居住するアイヌ民族(アイヌ)の言語である。
話者は、アイヌ民族の主たる居住地域である北海道、樺太、千島列島に分布していたが、現在ではアイヌの移住に伴い日本の他の地方(主に首都圏)にも拡散している。「孤立した言語」とされている。ユネスコによって2009年2月に「極めて深刻」(critically endangered)な消滅の危機にあると分類された、危機に瀕する言語である。危険な状況にある日本の8言語のうち唯一最悪の「極めて深刻」に分類された。他の7言語は与那国語、八重山語が「重大な危険(severely endangered)」、宮古語沖縄語国頭(くにがみ)語奄美語八丈語が「危険(definitely endangered)」に分類されている。 . . . 本文を読む
アイヌの日本における民族としての歴史を見ると、この問いのもともとは、アイヌが住んでいた北海道の地域とアイヌ語を指すのか、基本的に考えなければならないことがある。この捉えかたは、アイヌ人とアイヌ語の例によらず、世界の地域の民族と言語の関係を考えることになる。そしてさらに、方言がどうしてでできるかを、その地域の民族の中で、方処の言語がどう使われるようになるか、それができる経緯を言語としてみることになる。北海道で、アイヌ語は継承された言語の一つとしてアイヌ語のままであり、日本語の方言ではない。そうして北海道の方言はどうやってできたかとすれば、この問いが背景に持つのは、その意味するところ、アイヌ人が住んでいたところへ、日本語の方言である北海道方言がどうやってできたかを問いにしていることになり、それは言語現象を地域と民族の言語問題と置き換えることになる。はたして、日本語の北海道方言はアイヌ語を駆逐したのであるから、その歴史を語ることになるだろう。いかがか。 . . . 本文を読む
方言は地方の言葉のことである。地方と中央とが相対すると考えれば中央語に対し地方語があるというとらえ方になる。それを地域によるとすれば、方処の言葉となり、方言は方処言でもある。地方と中央の考え方に対して、方処、方処の言葉となると、その方処の区画はどうなるか。方言数を方処ごとに数える、つまり地域があればその地域の数をもって方言の数とすることになる。中央もまた方処の一つであるから、その捉えかたには中央語をも数える一つの方言となる。地方の言葉について、いくつあるかと数えるのは、その地方の区切りかたによることになるので、その区切りの基準をどうするか、言語の現象に求めることになる。こうして方言はその地域地域を探査して、方言調査による地域区分ができる。その地域区分を方言の数として確認されるのはウイキペディアに一覧するものがある。 . . . 本文を読む
ネオ方言は、方言のとらえ方で、談話スタイルである。方言をスピーチのままに記述する。発案、提唱者の真田信治氏が自ら語るところで、関西方言の動態の追究に没頭していた頃だそうだが、標準語と方言との接触、相互干渉の過程で従来にはなかった新しい混交形式ができつつある状況、つまり地域の人々が、伝統的な方言スタイルから、また標準語のスタイルからも逸脱しようとする結果として、そこに中間的なローカルスピーチスタイルが創造されつつある様相をどう捉えるかである、と述べている。方言についてその特徴から音韻、語彙、文法を取り出して説明する、その記述資料は方言調査によるものであるから、ネオ方言そのものについてもその現象の表れるところで記述することになる。関西の方言が標準語と接触して変種を生み出している現象は関西地域にだけとどまるものでなく、日本語の各地域で起こしているだろうから、ネオ方言は方言地域によって規定される。 . . . 本文を読む
標準語の取り決めはあるか。ある民族、共同体、国家、組織、場などで標準としている言語とすれば、日本語の場合には、ある、あった、と言うべきだろう。東京方言、それを山の手方言として、下町の方言と区別する形で、標準語の制定が試みられたようである。いまでも標準的な日本語をその地域を発祥とする言語として意識する。問いのようにどうやって決まったかとなると、決めるプロセスのは、その後の、共通語という用語にとって代わって、時代の経緯のうちに標準語を決めなくなったと言ってよいので、現実に標準語は決められていない。 . . . 本文を読む