読書など徒然に

歴史、宗教、言語などの随筆を読み、そのなかで発見した事を書き留めておく自分流の読書メモ。

脱藩街道

2007-02-18 18:18:47 | Weblog
梼はマンサク科の常緑樹だそうだ。梼原街道と言う歴史上、有名な街道が有る。司馬遼太郎が幕末の土佐名物に脱藩が有ると書いている。幕末の脱藩者の多くが郷士以下の身分の者で有ったと。彼らがこの梼原街道を通って脱藩した。土佐にこうした倒幕の気運をつくり上げた原因は「功名が辻」の山之内一豊が元は長曽我部が
支配していた土佐を同じ武士で有りながら上士と郷士にわけ厳しい身分差別を強いた事に始まると思っている。
 
 

阿弥陀如来って

2007-02-17 10:47:43 | Weblog

これも可なり前の話になるが司馬遼太郎の講演集
か何かだったと思う。阿弥陀如来はもともとは
インド土着の葬式を司る神でそれが何時の間にか
仏教の中に取り込まれたと言うことを読んだこと
が有った。仏教では人はこの世に嫌々、生まれて
来ると言う。従って人が死ぬ事は救われる事を
意味する。生有るものは全て死ぬ。阿弥陀如来は
全ての人を必ず救うと言える。そんな事をその本を
読んだ頃から考えている。

言葉の進歩

2007-02-16 11:24:29 | Weblog

外孫だが二歳の孫がいる。言葉の発達中と言う感が有る。
自分の子供がそんな歳の頃を思い出すと言葉を覚える
過程で意外な言葉や表現を聞く事が有る。
小鳥と鳩を一緒にした「ハトリ」、こどもと友達を
一緒にした「こどもだち」などなるほどと思う。
また或る夏の日、子供を自転車の前に乗せ山際を走って
いると山の木々の中から蝉の鳴き声がするが蝉は見えない
子供は「お父さん、木が泣いているよ。」と言う。
上手い表現だと思った。外孫もこの先、色々聞かせて
くれる事だろう。

何時までも竜馬?

2007-02-15 14:39:42 | Weblog

これも大分前の話だがテレビで武田鉄也が言っていた。
彼は若い頃、坂本竜馬に私淑し、海援隊なるバンドも
作っていた。或るとき、司馬遼太郎に逢う機会が有り
そのことを話したら司馬遼太郎に「何時までも竜馬や
おまへんで。」と言われたという。このことが私にも
何時までも記憶に残っていたがその意味がはっきり
と言葉になって整理がつかないままになっている。

信長は無神論者か

2007-02-14 13:56:38 | Weblog

司馬遼太郎は信長を「積極的な無神論者であった。」と書いている。
「逆説の日本史」の井沢元彦はそうではないと言っている。
自分が滅ぼした敵の頭骸骨を杯にして酒を飲んだり比叡山を焼き討ち
したり神仏を恐れない行為が有った反面、桶狭間で今川との戦の際
には熱田神宮に詣でている。尤もこのときの祈祷文などは残っていないし
ヤソ会など布教は認めたがこれは火薬に必要な硝石が欲しかった為とも
言う。安土城を建城したとき自身は神になりたがったと言うルイス
フロイスの「日本史」も偏見と誤謬が少なくなく全面的に信頼できるもの
ではないと言う。信長は現代人と同じく無神論者とは行かずとも信仰心
は薄いと言えるだろう。

阿弥陀如来と空

2007-02-13 15:46:30 | Weblog

司馬遼太郎の講演集の中に「日本仏教史小論」が
有ったと記憶している。講演の題名も正確に記憶
がないがその中で気になっていたのが阿弥陀如来は
空の別名だと言う意見が述べられていた。
空と言えば般若心経のテーマだがと
思っていたが未だにその意味が判らないで居る。
講演の中で何故なのか。それに触れられていたか
どうかも記憶が無く、また図書館で調べる必要が
有ると思っている。

「空海の風景」を大分前に読んだ。

2007-02-12 16:39:12 | Weblog

「空海の風景」を読んだ。文章の流れは「街道をゆく」
に似ていた。作者の司馬遼太郎は空海は余り好きでは
なかったらしい。空海の時代はただ茫漠とし過ぎている
と作者が言っているように資料で事実を調査し切れない事も
多く有った事も有ってか「この稿は小説である。」と
言う文が挿入されている。事実、この小説に出てくる
人物たちに多くの台詞を喋らせていない。三田誠広の
「空海」も読んだがこれと対象的だった。三田は「空海の
風景」を読んでから自分の「空海」を書いているが司馬
のその小説は漠とし過ぎているから自分の「空海」を
書いたと言うコメントをしていた。私は司馬の方が良い
と感じた。

国際人を育てると言う事

2007-02-11 13:42:36 | Weblog

前頭葉を活性化させると言う百ます計算で注目を浴びた
東北大学の川島隆太教授やベストセラーになった「国家
の品格」を著した藤原正彦氏は小学校で英語を教える事
に反対しておられる。人格が形成されるのは日本語で
国際人を育てる為には国語の時間を多くした方が良いと
言う意見だ。川島教授は立命館小学校でのカリキュラム
作成に関わる中でそうしたと書いておられた。藤原教授
も「この国のけじめ」と言う本の中でそんな事を書いて
おられたと記憶している。また同教授は他の本で日本の
商社マンが取引相手の家に夕食に招かれた折、縄文式
土器と弥生式のものとはどう違うのかなどと質問された
話を紹介している。国際人である為には日本の歴史や
古典を良く知っていた方が良いと言う意見だ。
そう言えば高校で世界史が必須になっているのは何故
だろうと思う。日本史が必須になって当然だし、世界史
もヨーロッパ中心でなく、アジア史に重点を置いた世界史
の方が良いのではと思った。

漢字の成り立ちを知りたい。

2007-02-10 15:51:01 | Weblog

新聞広告に「漢字の謎」を知ると言う通信講座の
宣伝が有った。興味が有ったが費用も掛かりそう
なので今まで通り図書館で借りてその種の本を
読む事にした。
漢字一文字が成立するのに長い時間が掛かる筈で
漢字が成立する過程はその時代の生活、思想など
の様式が深く関わりを持つ筈だ。白川 静さんの
漢字に関する書物を読むとそんな事が分かる。

盧山寺

2007-02-09 17:06:32 | Weblog
少し前、杉本苑子の随筆でタイトルははっきりと記憶にないが
「女人古寺巡礼」と言う本を図書館で借りて読んだ。
その中に盧山寺について書いてあった。紫式部の邸宅であった
ところでそこで源氏物語などが書かれたと言う事だった。
驚いたのは実はその寺の南隣に昔、立命館のキャンパスが有り
私は学生時代、そこに通っていた。今はそのキャンパスは無く
京都府立医科大学の看護科の建物が有る。盧山寺が紫式部の邸宅
であった事は昭和40年に判明したそうだが私は41年に卒業したが
まったく杉本苑子の本を最近になって読むまで知らずいて驚いている。