読書など徒然に

歴史、宗教、言語などの随筆を読み、そのなかで発見した事を書き留めておく自分流の読書メモ。

意外に多い五輪選手のメダル紛失

2012-07-27 09:24:29 | 新聞
wsj日本版から

オランダのボート競技のメダリスト、ディエデリック・シモン選手が2004年のアテネ五輪中、ビーチでの祝賀パーティーに到着した際、ポケットから何かがなくなっていることに気づいた。それは獲得したばかりの銀メダルだった。「パニックになって、誰にも言わなかった」とシモン選手は振り返る。

 シモン選手はメダルを探しながら静かに祝賀パーティーを過ごした。しかし夜中の12時前にシモン選手はあきらめ、警察に届けた。遺失物届けに記入している最中、警官はシモン選手に「失くした物の色は? ああ、そうだった、銀色だ」と言ったという。


 まもなく始まるロンドン五輪では約3000個のメダルが選手に渡る。それぞれが数年にわたる厳しい練習の成果だ。そして不注意の瞬間に、そのうちのいくつかがなくなってしまう。おそらく、メダルを獲得した直後に。

 1988年のソウル五輪で金メダルを獲得したボート競技のイタリア代表ダビデ・ティツァーノ選手は勝利を祝って水に飛び込んだ。そこへチームメートがティツァーノ選手の上に飛び込み、手に持っていたメダルが落ちた。メダルは漢江の泥の中に沈んだ。

 「まるで昨日のことにように覚えている。メダルが下へ、下へと沈んでいく感じを」とティツァーノ選手は言う。チームで撮影する際は、同じく金メダルをとったほかのイタリア代表ボート選手のメダルを借りたという。ティツァーノ選手のメダルは、ダイバーでもあったセキュリティーガードが最終的に見つけてくれた。

 メダルを作成するのは五輪開催国の役割で、たいてい合金でできている。ロンドン五輪の主催者によると、金メダルの重さは1ポンド(約453グラム)弱で、実際は92.5%が銀で、わずか1.34%が金だという。残りは銅でできている。

 メダルの紛失は人が考える以上に多いようだ。スノーボーダーのショーン・ホワイト選手は金メダルの1つが、母親の車のシートポケットに入っていたことがあったと言う。また別のときには、母親がリボンが汚れていたメダルをクリーニング店に持っていき、そのまま忘れてしまったことがあったと言う。ホワイト選手はメダルを何度か置き忘れたことがあると認めている。

 いくつものメダルを持っていれば、1つひとつのメダルの所在を把握するのはより困難になり得る。競泳のマイケル・フェルプス選手は16個のメダルのうち、1つのメダルがどこにあるか定かではないことを最近認めた。「何カ所かありそうな場所はあるが、移動中に誰かが預かっていたと思う」とインタビュー番組で明かした。

 警察がメダルの行方を見つける場合もある。2002年ソルトレークシティー冬季五輪のスケルトン競技で優勝したトリスタン・ゲール選手は昨年、金メダルを盗まれた。ゲール選手はサンディエゴ地域の質屋を何軒か訪れ、「オリンピックの金メダルを探している」と聞いて回った。警察がメダルを見つけるまで1週間を要した。3人の窃盗犯が逮捕され、有罪になった。

 シモン選手は母国オランダのベアトリクス女王との撮影会の日程が迫るにつれ、日に日にナーバスになっていった。「メダルなしでそこに立ちたくはなかった」とシモン選手は言う。

 シモン選手のメダルを見つけたのはタクシーの運転手だった。運転手は車の中にメダルを見つけ、メダルと一緒に写真を撮った後、警察に届けた。アテネ市の職員らは運転手に記念切手セットを進呈した。

 窃盗犯がメダルを質屋に入れるのは難しい。正規の所有者が容易に特定できるためだ。アスリートは自分のメダルを売ることはできる。しかし、オリンピック関係者はその考えに眉をひそめる。米ダラスのオークションハウス、ヘリテージオークションで2010年に出品されたのは1980年のレークプラシッド冬季五輪で「氷上の奇跡」と言われ優勝した米ホッケーチームの金メダルだった。価格は31万700ドル(約2432万円)をつけた。

 自分のメダルを見つけられなかったアスリートには、国際オリンピック委員会(IOC)がレプリカを提供する。

 IOCの広報担当者によると、IOCはスイスのローザンヌにあるオリンピック博物館にメダルの鋳型を保存している。IOCには3万4237人のメダリストのデータが保存されているが、毎年1つか2つ、メダルの代替品を求めるリクエストを受ける、と同広報担当者は明かす。代替品にはたいてい小さな文字で下の端に「レプリカ」の表示がある。

 米オリンピック委員会によると、レプリカを作成するにはデザインの複雑さによって500~1200ドルの料金がかかるという。レプリカにはリボンはつかない。

 またレプリカができるまでには数カ月を要する。2004年に優勝したキューバの野球チームで活躍し、現在は米大リーグ(MLB)シカゴ・ホワイトソックスの遊撃手であるアレクセイ・ラミレス選手は、妻と一緒に米国に移住した際、メダルを盗まれたという。ホワイトソックスはこの春、IOCに警察の報告書と料金を送付した。2カ月後、チームは新しいメダルを運送業者のDHLを通じて受け取った。ホワイトソックスはフィールド上でメダルを披露しラミレス選手を驚かせた。

 ラミレス選手はレプリカを安全な場所に保管していると言う。しかし正確な場所を言うつもりはない。「それは秘密だ。また盗まれることがないように、誰にも言わない」と話す。

 五輪代表選手のなかには、メダルを失くした瞬間について話したがらない選手もいる。北京五輪で金メダルをとったクレー射撃のグレン・エラー選手は、2008年の終わりにテキサス州フォートワースで同僚らと出かけた際に、誰かが盗んだとだけ話す。「あまり望ましくない状況に自分の身を置いてしまい、誰かがポケットから(メダルを)盗んだ」とエラー選手は言う。「そのことは忘れて先へ進もうとしている」と同選手は続ける。その後、エラー選手はレプリカを受け取った。

 オリンピック関係者は金属以外の成分を含むメダルはレプリカを作成するのが難しいこともあると警告する。2008年北京五輪の水球競技で銀メダルに輝いたゴールキーパーのメリル・モーゼス選手は両親の家でメダルを盗まれレプリカをもらった。しかしそのレプリカのヒスイはメダルの裏に埋め込んであるのではなく、絵の具で描かれているように見えたという。

 モーゼス選手はその後、オリンピック関係者がもっと良いレプリカを作る方法がわかったと伝えてきたため、そのレプリカを返した。その間に、モーゼス選手は他の方法を見つけた。ネット通信販売のeBay(イーベイ)で75ドルの偽物の銀メダルを購入したのだ。「数多くのキャンプやクリニックを開催しているが、子どもたちがメダルを見たがる」とモーゼス選手は話す。ただ本物ではないと子どもたちには伝えると、同選手は述べた。

 レプリカのメダルを手に入れる公式な手続きができる以前は、アスリートらは間に合わせのメダルでしのいできた。オリンピック歴史家のデービッド・ワレチンスキー氏によると、1932年に金メダルを受賞した走り高跳びのカナダ代表ダンカン・マクノートン選手がメダルを紛失した際、友人でたまたま歯科医だった走り高跳びの銀メダリスト、ボブ・バンオスデル選手が自分のメダルから鋳型をとり、金で満たしたレプリカをマクノートン選手に送ったという。

 北京五輪のクレー射撃で銅メダルをとったコリー・コッジェル選手は運を試すようなことはしない。コッジェル選手はたいてい、銅メタルを服の前ポケットに入れて移動する。イベントでは、観客がメダルを手にする前に、コッジェル選手は観客に向かって「メダルが自分に戻るまで、誰もここからは出られない」と警告するのだ。

記者: Stu Woo、Geoffrey A. Fowler