病弱な家定でも5年間の将軍在職期間が有った。そしてその中に、将軍らしい行動を見せたことが2回有った。
その最初は、アメリカとの外交について。
アメリカの初代駐日公使タウンゼント・ハリスは、安政4年(1857年)
10月21日、家定に謁見している。
その席上での事は史上有名で、家定は言葉を発する前に頭を後方に反らし、足を踏み鳴らす
という行動と言うか、症状を見せた。これが将軍らしい態度かどうかわからないが。
これは脳性麻痺の典型的な症状と言われている。
しかし、家定はハリスに対して「遠い国からきてごくろうであった。満足
に思う。我が国と米国の関係は永遠に続くであろう。」と告げ、将軍らしい
態度を見せたと言う。
今一つは将軍後継者問題についてです。
家定はこの問題でも、表舞台に出ることはほとんど無かったが、安
政5年(1858年)6月25日、諸大名を招集して、『南紀派』の推す徳
川慶福を後継者にするという意向を伝えている。
同年7月5日には、『一橋派』の諸大名の処分を発表するという異例の行
動を見せた。
その最初は、アメリカとの外交について。
アメリカの初代駐日公使タウンゼント・ハリスは、安政4年(1857年)
10月21日、家定に謁見している。
その席上での事は史上有名で、家定は言葉を発する前に頭を後方に反らし、足を踏み鳴らす
という行動と言うか、症状を見せた。これが将軍らしい態度かどうかわからないが。
これは脳性麻痺の典型的な症状と言われている。
しかし、家定はハリスに対して「遠い国からきてごくろうであった。満足
に思う。我が国と米国の関係は永遠に続くであろう。」と告げ、将軍らしい
態度を見せたと言う。
今一つは将軍後継者問題についてです。
家定はこの問題でも、表舞台に出ることはほとんど無かったが、安
政5年(1858年)6月25日、諸大名を招集して、『南紀派』の推す徳
川慶福を後継者にするという意向を伝えている。
同年7月5日には、『一橋派』の諸大名の処分を発表するという異例の行
動を見せた。