徳川五代将軍綱吉が出した生類憐れみの令では綱吉が犬公方と呼ばれたように、最も大切にされたのは犬だった。庶民はその犬を叩いたり、蹴ったりするだけで厳罰に処せられた為、犬を恐れ、犬を飼わなくなった。餌をやることも無くなり犬は飢えた。そこで幕府は、江戸のはずれの中野に犬小屋を作り犬を保護した。その犬小屋は十六万坪と言う広大なものであった。大久保にもその犬小屋は作られ、最も多いときで八万二千匹の犬が飼われていたと言う。その時代、犬に避妊手術など行われなかったから犬の数は更に増えたであろう。これに係る費用は十万両に登ったと言い、税として江戸の町民に課せられたのである。
綱吉はこの令を死ぬまでやめなかった。それどころか遺言で次代の将軍にも続けさせようとした。それはさすがに無視され、続けられることは無かったが。
綱吉はこの令を死ぬまでやめなかった。それどころか遺言で次代の将軍にも続けさせようとした。それはさすがに無視され、続けられることは無かったが。