読書など徒然に

歴史、宗教、言語などの随筆を読み、そのなかで発見した事を書き留めておく自分流の読書メモ。

中江兆民の事

2010-08-08 10:44:47 | 歴史
中江 兆民,明治34年(1901年)は、江戸時代後期から明治の思想家、ジャー
ナリスト、政治家(衆議院議員)
フランスの思想家ジャン=ジャック・ルソーを日本へ紹介し、自由民権運動
の理論的指導者として知られ、「東洋のルソー」とも言われた。
第1回衆議院議員総選挙で当選した事もある。
兆民は号で、「億兆の民」の意味だと言う。「秋水」とも名乗っていたが、弟子の幸徳秋水
(伝次郎)にその名を譲り渡している。名は篤介(とくすけ、篤助)。幼名は竹馬。
高知城下の山田町に生まれる。文久元年(1861年)家督を相続して足軽身分となる。
明治になると、兆民は通訳を辞職して東京へ戻り学問を続ける。
明治政府が派遣した岩倉使節団には司法省9等出仕として採用された。
このとき、篤助は大久保利通に採用を直訴したと言う事である。横浜から出発し
アメリカから第三共和政時代のフランスへ渡る。
明治7年(1874年)6月に帰国し、帰国後は東京麹町に住み、8月には家塾の
仏蘭西学舎(のちに仏学塾)を開く。塾では語学や思想史のほか、漢学も
重視された。この漢字こそが西洋の文化を日本語化するのに役立ったと言う。
また、18世紀フランスの思想家ジャン=ジャック・ルソーの『社会契約
論』の部分訳である漢字カタカナ混じり文の『民約論』の校訂に携わってい
る。また民権論の教授に務めた。