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アルキメデスのC写本

2009年08月07日 | Weblog
ブログで「よみがえる天才アルキメデス」(斎藤憲、岩波書店、2006年)が紹介されていて、興味をひいたので図書館で「解読!アルキメデス写本」(リヴィエル・ネッツ ウィリアム・ノエル、光文社、2008年)とともに借りてきた。アルキメデスの数学よりもC写本が作られてから再発見され解読されるまでの過程、いわばC写本が辿った歴史に関心があった。

アルキメデスのC写本というのは、ビザンツ帝国のコンスタンティノープルで9世紀か10世紀に書かれたテクストが12世紀に消されて、祈祷書が上書きされたパリンプセスト(重ね書きされた羊皮紙)である。表面をこするだけなので、もとのテクストは完全に消されていない。上書きするときは紙を90度回転するので古いテキストも読むことが可能である。
長い間、エルサレム南東の砂漠の中のマルサバ修道院にあったが、19世紀初めにイスタンブール(コンスタンティノープル)に移された。
この祈祷書の下に数学の著作が書かれているのに最初に気づいたのは聖書研究者ティッシェンドルフで1846年のことであった。デンマークのギリシア数学研究者ハイベアが1906年にイスタンブールの図書館に出向き閲覧した。C写本には「球と円柱について」「浮体について」「ストマキオン」についての論文もあったが、最大の発見は誰も存在すら知らなかった「エラトステネスに宛てた機械学的定理に関する方法」だった。
彼は、1908年に再度訪れ、「方法」のほぼ全体を解読、C写本に含まれる他の著作についても、C写本の読みを取り入れ校訂をやりなおし、アルキメデス著作集の改訂版を完成させた。
第一次世界大戦中、C写本はイスタンブールから姿を消した。その後、1971年にC写本から切り取られた一葉がケンブリッジ大学で発見された。ティッシェンドルフが切り取って、盗んだものとされている。1970年代にC写本はパリでみつかっていた。所有者がパリの国立図書館や大英博物館に売却をもちかけたが交渉は成立しなかった。
ついに1998年にニューヨークのクリスティーズで競売されることになる。状態は悪く、焼け焦げがあり、カビが生え、判読もままらなかった。東方正教会のエルサレム総主教庁が総主教庁の図書館から盗まれたものだということで競売の差し止めを求めてきた。競売にはギリシア政府も加わったが、米国人によって200万ドルで落札された。画像化技術によってハイベアが読めなかった20行ほどのテクストも解読された。

アルキメデスは、紀元前3世紀に、シチリアのギリシア植民都市シラクサで生まれ育った古代世界の最も偉大な数学者であった。円周率Πの近似値を見出し、重心の理論を展開し、微積分の基礎をつくった。
改めて、アルキメデスの偉大さを知った。

A写本:1564年にイタリアのとある人文主義者(15世紀の人)の蔵書として記載されていたのが最後。
B写本:ローマの北にあるヴィテルボの教皇の図書館で1311年に確認されたきり、行方がわからない。
この両写本とも写しや翻訳は残っている。

下記にアルキメデスのC写本

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