中国地方のなまりが・・・
映画終わって、主人とどこ出身だろうねと話してたら、
パンフレットの年表に、広島県から炭鉱契約移民とあった。
1896年には湖東水害によって、
滋賀県東部からの移民が増加したと。
言葉や習慣の違いは言うまでもなく、
差別や過酷な肉体労働、貧困といった厳しい現実だったらしい。
この映画観て、
を思い出した。
この言葉、大好き。
幸、不幸は自分が決める。
ならば、どんな状況に直面してもポジティブにと。
「野球やれるんだったら、
この国に生まれてきて良かった」と言わせるほど、
好きな野球を続けることで、前向きに生き、
日本人街の人々も生きる希望になったと思う。
本当に、映画って、その時々で、
生きる糧になる。
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