GOODLUCK'S WORLD

<共感>を大切に、一人の男のスタンスをニュース・映画・本・音楽を通して綴っていきたい

「父と残された時を想う」

2009年04月10日 | Weblog
 若い頃は時の流れから老いを想像することなどできませんでした。しかし、年々老いが進む父を見ていると老いが込み上げてきます。昔、飼っていた愛犬を連れて近くの住吉公園によく散歩に行きました。ある年から彼は走り回らなくなり、風呂で洗ってあげてもスピッツ犬の白い毛並みが戻らなくなり、階段も上がれなくなりました。最後は目に白内障が見えました。私が名付けたハッピーという名の愛犬は、幼かった私に自分の一生をかけて老いを教えてくれました。父を見ているとそのことが思い出されて仕方がありません。

 昨年、父を連れて奈良吉野の花見に行きましたが、今年はあれからまる1年経った4月1日に姫路城まで花見に行ってきました。桜は3,4分咲きでしたが中には満開の木もあり、多くの人が来られていました。<城に桜>はとても風情があって日本の美を感じます。大阪城の桜や和歌山城の桜が好きですが、まだまだ全国にはたくさんそんな城と桜があるようです。

 中学生になって信長や秀吉や家康の一生、平家の栄枯盛衰を様々な本で読み始め、映画やテレビドラマで物語を観てきました。今では彼らのどんな一生も真似たいとは思いません。平家にしても、戦国大名にしても晩年は非業の最期か、とても辛くて切なくなります。母の晩年も、最近の父を見ていても<生き続ける難しさ>を痛感せずにはいられません。若い時のように体力や気力がないとはいえ、それを自分で受け止めることが難しいのだと思います。しかし、年輩者には若者にはない見識や洞察力や信念があります。何をすべきかは見えているのです。できない自分が切なくて虚しくて哀しいのです。父をみているとそう感じます。


 3月25日の夜中12時に父の携帯から電話があり、急いで耳を近づけると女性の声が飛び込んできました。話を聞くと酔っぱらってこけて頭から血を流しているというのです。救急車を呼ぶほどではないことを確認し、私は10分でカラオケスナックに急行し、父を家まで連れて布団に寝かせました。兄も自転車で来ていて、「又か」という顔を見せながらも布団の準備するためにすぐに帰りました。父を寝かすとき、酔っぱらいながら「もう死んでもええねん!」と云うので、私が初めてきつい言葉で言い返しました。

「何云うてんねん! 商店街で60年近くも2軒も店舗を構えてきて、
 最後は酔っぱらって頭を打って死んでもいいなんて云うなよ! 
 頭を打って死んだなんて近所の人が聞いたらどう思うねん! 
 男の誇りはないのか! 
 酔っぱらって家に帰れないから迎えにきてくれ、
 そんなことなら何度も来るけど、
 病院や警察から連絡を受けて駆けつけるなんて俺はいやだよ!」

 最近の父の状況は一緒に住む兄から何度も聞かされていたので、機会があれば云うべき事は云わなくてはと思っていました。しかし、云った後、自宅までの車の中で<人間の老い>が、哀しくて哀しくて泣けてきました。

 昔尋ねたことがあるのですが、父は秀吉が好きです。何故かと聞くと「よくぞ男に生まれけり」、そんな人生だと思うからと語っていました。そう言われれば、貧しい育ちの男が一国一城の主となり初めて日本全土を統一したのです。最後は若い茶々を愛人にして、わがまま放題に生きたのですから。

 父が泉州の田舎から牛一頭を打った金、2万円を手に住吉大社の近くの商店街で店を開いたのは19歳の時でした。それから私が生まれた時、またも大きな借金をして今住んでいる店と家を買い、兄と私を大学まで卒業させたのです。その間には胃潰瘍で血を吐き、病院に運び込まれたり、胆石で大きな手術もしています。道楽もありましたが、見事な人生と云うほかありません。だからこそ云ったのです。「誇りはないのか!」と。

 あのとき父はとても哀しそうな顔をしました。そして「そんな強く云うなよ…」と弱々しい声で嘆きました。それを聞いて胸を締め付けられる思いになりました。度重なる怪我や失態を繰り返す父の話を兄夫婦から聞かされていたので云ってしまったのです。父が元気な頃は、毎月のように商店街のゴルフコンペ開催し、私も幹事の一人として兄の変わりに参加しました(大阪で最も長く続いているゴルフコンペとしてサンケイスポーツ新聞で記事に取り上げられたことがあります)。

 残念ながら兄とはほとんど行ったことはありません。最近では3年前、父と私と息子の三代で回りました。兄とは波長が合わず、グチはいつも私が聞いているので父の想いはよく分かっています。そんな関係だったので父に対する初めての辛辣な言葉は、とてもきつく突き刺さったようです。

「残された時をいかに生き切るか!」

 この命題は老人達にとってとても困難な課題だと思っています。まだ現役の私は父の現状を見る前から歴史上の人物や本や映画から学んでします。映画「七人の侍」の志村喬が演じた勘兵衛、「セント・オブ・ウーマン 夢の香り」でアル・パチーノが演じた盲目の退役軍人、「ミリオン・ダラー・ベイビー」のクリント・イーストウッド演じたフランキー。これらの映画には、誇り高きもの達が死に際に苦しむ姿が描かれています。見識や洞察力や信念がある彼らでさえ死に際に苦心しているのです。凡人の母や父、そして私のような煩悩の塊のような輩にはきっと難しいに違いありません。

 私に読書を最初、強制したのは父でした。その本は『ああ、無情』(『レ・ミゼラブル』)でした。兄と私(小4)を正座させ、毎日数ページを声を出させて読ませました。私も必死に読もうとして努力しましたが、声を出して読んでも、ただそれだけで内容やストーリーは全く頭に残りませんでした。しかしその訓練があったおかげで、中学に上がってから吉川英治の『宮本武蔵』を読破することができました。それから家にあった山岡荘八の大作『徳川家康』や『織田信長』を貪るように読みふけりました。

 花見の帰りに、クリント・イーストウッドの新作映画「グラン・トリノ」を見に行こうと誘いました。頑固な老人の最後の生き様を描いたこの作品は、C・イーストウッドが過去に出演・監督したすべての映画を上回る大ヒットをした話題作です。今の父には少し辛い内容かもしれませんが、まだ気力と体力を失ったわけではありません。私もまたその二つが十分なうちに父と共に死に対しての心構えだけは少しずつ考えていきたいと思います。