GOODLUCK'S WORLD

<共感>を大切に、一人の男のスタンスをニュース・映画・本・音楽を通して綴っていきたい

<真実とは?>

2009年04月03日 | Weblog
『真実の言葉を語れば、かならず周囲の古い世界と摩擦がおこるものです。できあがった体制や権勢は、そんな新しい考え方や言動に不安をおぼえることでしょう。わが国の仏法は異国から伝わってくる教えや知識を、必死でとり入れ、つけくわえ、つけくわえして大きく豊かに花開いた世界です。ところが上人様(法然)は、それらの教えや修行や、教説を一つ一つ捨てていこうとなさっておられます。知識も捨てる。学問も捨てる。難行苦行も。加持祈祷も、女人の穢れも、十悪五逆の悪の報いも、物忌みも、戒律も、何もかも捨てさって、あとにのこるただ一つものが念仏である、と説かれています。これまでそのような厳しい道に踏み込まれたかたは、だれ一人としておられません。それが真実だからこそ危ういのです。危うければこそ真実だと、私は思いました。ぜひ、この範宴(のちの親鸞)を門弟の末席にくわえてくださいませ』 (神戸新聞:3/28 『親鸞』より)

 これはまだ若い範宴(親鸞)が、念仏を唱えるだけで浄土に往生できると説いた法然(浄土宗の開祖)に弟子入りしたいと願った新聞連載小説の一文です。後に親鸞となって法然の教え(浄土宗)を継承発展させて浄土真宗を開きます。真宗とは「真の宗教である浄土宗の教え(法然の教え)」の意であり、親鸞自身は独立開宗の意思は無く、法然に師事できた事を生涯の喜びとしました。

 信長や島津家は最後までこの教団(=一向宗)と対峙しました。この事は歴史上の出来事として有名ですが、それでは何故、信長や島津家は浄土真宗を認めなかったのかは残念ながら学校では教わりません。ここに以前から興味がありました。過去に吉川英治の『親鸞』を高校時代に読みましたが、その疑問を答えられる記憶や印象は残っていません。敬愛する五木寛之氏の『親鸞』(神戸新聞連載)を読みながらその答えを探っていこうとしている最中です。

 さて、「真実は危うい」と云った法然に親鸞は共感したとここでは語られていますが、私は何故、<危うい>という異質にも思える言葉を五木氏が用いたのか、理解できずその謎を解こうと試みました。

<真実>
真実(しんじつ)とは、本当のこと。偽りでないこと。
歪曲や隠蔽や錯誤をすべて排したときに明らかにされる事をいう。

「真実は複数あるが、事実は1つしかない」と良く言われることがあります。多くの場合、真実は事実に対する人の評価(真偽)を伴います。そのためしばしば、「信念」や「信義」と関連し、例えばイスラム圏の厳格な宗教家からみれば、アメリカの市場経済や合理主義優先の思想は「悪魔の石臼」と呼ばれるのはその為のようです。法然がいう真実とは、歪曲や隠蔽や錯誤をすべて排して残った本当のことなのでしょう。


「人は生まれながらにして平等」
これはアメリカの独立宣言やカンジーの言葉やリンカーン言葉、福沢諭吉の言葉でも語られています。これは真実ですが、事実でも現実でもありません。

何故なのか?
まず、すべての人が肉体的に平等ではない事実が存在します。目が悪い人、足が遅い人、身体が弱い人、音痴の人など数え上げればいくらでもあります。これだけでも生まれながらにして平等ではありません。

では、権利だけでも平等なのでしょうか?
生まれてくる時代や国によって、家によって、子供達の権利は著しく異なってきます。人権も平等ではありません。

本当に平等なのは心の持ち方だけかもしれません。心は広大と云えば無限であり、狭い、窮屈と思い込めばそうなってしまいます。心(精神)は自分でもコントロール不能になったり、手の上に出すことも、他人が認識できないとても危ういものです。

<危うい?>
私は自ら偶然にこの言葉を使いましたが、自分の心こそ、自分だけが知る「真実」だと今気づきました。時間や角度という状況によって心は揺れ動くものです。善に動こうが、悪に動こうがそれはそれで「自分の真実」なのです。 その揺れ動く心のから歪曲や隠蔽や錯誤、嫉妬や邪な欲望をすべて排して、残った本当のことを見つけ極める作業が悟りへの道に違いありません。

私のような煩悩の塊のような男(ゴルフ、映画、本、音楽、そして女性)にはそんな道は歩めませんが、心の真実を極める作業は最近よく私が日記で語っている「自分の本質探し」とどこか似通っているような気がしてなりません。

「真実は危うい」という言葉に私は共感します。
そして、<心もまた危うい>


ショーン・ペンが主演した映画「ALL THE KING'S MEN」の製作者の一人マイク・メダヴォイはこんなふうにこの映画を伝えています。

「この映画は政治を枠組みとして使ってはいるが、本質的には、人生についての物語、我々全員に関する物語なんだ。我々は皆、腐敗する可能性があるし、愛することも憎むことも裏切ることもできる。それらは太古の昔から人間の原動力となってきたものだ。ウォーレンの小説は、人間の本質を描いている。善人でもなければ悪人でもない、その間のどこかにいる不完全な人々を描いている。彼らはもともと善意の人でありながら、権力に屈し悲劇的な結末を迎える。」


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