GOODLUCK'S WORLD

<共感>を大切に、一人の男のスタンスをニュース・映画・本・音楽を通して綴っていきたい

<子供たち>

2008年08月24日 | Weblog
『批判ばかりされた子どもは
 非難することをおぼえる

 殴られて大きくなった子どもは
 力にたよることをおぼえる

 笑いものにされた子どもは
 ものを言わずにいることをおぼえる

 皮肉にさらされた子どもは
 鈍い心のもちぬしとなる

 しかし、激励をうけた子どもは
 自信をおぼえる

 寛容にであった子どもは
 忍耐をおぼえる

 賞賛を受けた子どもは
 評価することをおぼえる

 フェアプレーを経験した子どもは
 公正をおぼえる

 友情を知る子どもは
 親切をおぼえる

 安心を経験した子どもは
 信頼をおぼえる

 可愛がられ抱きしめられた子どもは
 世の中の愛情を感じとることをおぼえる

              by ドロシー・ロー・ホルト』


 子供を育ててきた経験がある親にとって、この詩は心に突き刺さってきます。結婚当時、私は28歳、妻は23歳だった。その頃の自分を思い起こせば、この詩の内容を殆どを意識していなかったように感じます。ただ結婚直後の夜、妻にこんな話をしました。

 当時レストランの店長だった私は、妻にあるファミリーに感動した話をしました。一組のファミリー(若い夫婦と3歳くらいの男の子一人)が来店された時、混んでいた店内には空きブース席がなく、仕方なくテーブル席にご案内し、お子さまチェアーをご用意しました。そして、その可愛いお子さんを抱き上げて席に着かせました。ご夫婦は当たり前のようにメニューをのぞき込んでいました。

「アリガト」
 その子はたどたどしい言葉で、私に向かってお礼の言葉を発しました。しかも笑顔で。その後、ご夫婦も私に笑顔で礼を云った。

 私は今まで、親に礼を言われた経験は何度もありましたが、幼子自身からお礼の言葉を聞いたことがありませんでした。だから本当に驚き感動したことを妻に伝えました。

「いずれ生まれる私たちの子供も、自分が受けた厚意を素直にありがとうと云えるように育てたい。そして、お早う、おやすみ、行って来ます、お帰りなさいと笑顔で云える子に育てたい。その為には、子供が生まれる前から我が家、つまり私たち二人の習慣でなければ子供には伝わらないからね。これからお互いに注意していきましょう。」

 25年以上、子供と接して来ましたが、どうやらこの躾はうまく出来たように思います。その他は、どうかというと甚だ疑問ですが…。

 この詩を読み返しながら今の知識と経験を持って、子供を育てられたら、子供はどうのように育つのだろうか? とバカなことを考えてしまいました。

仕事柄20歳前後の若い世代と接することが多い私は、
挨拶も出来ず、
笑顔も表情も少なく、
ありがとうございますと素直に云えない、
厚意を感じない、
若者達が増えているのを杞憂しながらも、
我が子のようにその事を注意し続けています。

 きっと煙たがられているとは思いますが、そんな職場でも2,3年も継続して頑張ってくれた子達とは、最後はハグできるような関係でお別れができることをうれしく思っています。

 今年も、もうすぐ夏が過ぎ、残る子もいれば私の元を去っていく大勢の子ども達がいます。日本の飲食業界では、8月度の売上が最も高いという理由からです。卒業以来30年以上も同じようなことを繰り返していますが、応募してくる若者達の変化もさることながら、私の言動を随分変わってきたように感じます。それは店長という上司の立場から父親としてという意識が多く加わったことによるものでしょう。

 最近見た映画「ノーカントリー」(2007年度アカデミー賞■作品賞 ■助演男優賞 ■監督賞 ■脚色賞)の後半に、こんな会話があります。

荒廃していく人や悲惨な事件を嘆きながらトミー・リー・ジョーンズ演じる保安官と地元の老保安官の会話です。

「人が敬語を使わなくなった結果がこれだ」
「止められない」

■この映画はあまりにも絶望的なストーリーで、決してグッドラック感動のお奨め映画では推薦しにくい作品です。しかも、極め付きシリアスで緊張感一杯のバイオレンス映画です。今の米国だけでなく多くの国で直面している<荒廃していく人の心が止められない>が主題です。

 我が国でも同じような傾向を強く感じます。尊敬できる人が不在になり、敬語の使用頻度がどんどん少なくなってきています。


・ワザや規範や姿勢や基本を教える師弟と呼ばれる関係が希薄になってきたからでしょうか。

・因習と呼ばれるものから脱皮することが革新的なこと、
 進歩だと誰かに教わったのでしょうか。

・親と子の絆が希薄になってきたからでしょうか。

・先生と生徒の絆がか細くなってきたからでしょうか。

・進学の為スポーツ関係のクラブに入部する子供達が少なくなってきたからでしょうか。


様々な杞憂が脳裏をよぎりますが、
自分の足下だけでも、
一人でもできることを、
私にもできることを、
全体の1,000万分の1であろうと
それが私のできる100%だと信じて
今後も若い連中と話し耳を傾け、
決して絶望せず接して行こうと思っています。


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