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総合学習 「田植え」

2011-06-17 09:54:00 | 村の活動
堀川小学校、西小学校の総合学習のお手伝いを毎年やっています。
今年も 旧甘柿橋体験場 の田んぼは5年生8クラス(堀川3、西5クラス)の子供たちの元気な歓声が響き、「田植え」が終わりました。
今年“四十八瀬川自然村”では 初めての試みとして この田んぼで“アイガモ農法”を実施します。
そのアイガモ君たちが今か今かと出番を待っています。

     みんなで「田植え」 ・・・ 広報担当のお母さんも取材に ・・・

生まれて3日目暖かい所で一固まり ⇒ 今では自分で 餌を突っついて

  出番待ちですよー。 早く、田んぼで泳ぎたーいよ!!!

竹田 散策 Ⅳ

2011-06-12 09:16:00 | ふるさと訪問
5:竹田小学校・・・大先輩 楽聖“瀧廉太郎”
 今年で 
創立137年になります。
「荒城の月」を作曲した楽聖“瀧廉太郎”は明治27年高等小学校卒の大先輩です。
さらに溯れば 岡藩藩学「由学館」は その前身です。
南画家“田能村竹田”は「由学館」で学び、その師の時代もあったようです。



明治27年 高等小学校卒業 “いい男”だったんですね

昭和31年3月 私の卒業写真(中列右から3番目)前列の女の子3人は下駄ばきです。
・・・・・予告通り古い話でした。・・・・・

竹田 散策 Ⅲ

2011-06-11 10:50:00 | ふるさと訪問
4:岡城 ⇒ 小学校へ
大手門の石垣の下の山の中を 左にしばらく歩くと水場に出ます。
お城のすぐ下ですが、昨秋以来の水不足でも全く枯れていませんでした。
ここを水源とした谷を下るとすぐ小学校(現在は水害回避のため?移転))の裏に下りることができます。この谷は「近戸谷」を言います。


「近戸谷」お城に登る沢道、両側に石垣。そして、枯れない水場。

竹田盆地。四方が山。トンネルの必要性がよく解かります。

古い話で恐縮ですが、大正14年小学校舎の落成式の写真。この校舎で 私も学び?昭和31年卒業しました。ほんとうに古い話で 済みませ~ん。

次回はもっと古い写真をアップします。・・・つづく・・・

竹田 散策 Ⅱ

2011-06-05 20:52:00 | ふるさと訪問
3:高校の裏山
小学校3年生まで竹田高校の真ん前に住んでいました。
竹高のグランドの後ろの山は“私の庭”で、毎日駆け回っていました。
藤づるにぶら下がり、ターザンごっこ。夏の夕方はチチブ(蝉の幼虫)を探して真っ暗になるまで遊びました。

私の遊び場。左は講堂。写真の木は紅葉。秋はきれいでした。

紅葉の後ろには祠があり、おそらく⇒隠れキリシタンの遺跡?。周りは「イワタバコ」がびっしり
(・・・続く・・・)

竹田 散策

2011-06-02 10:24:00 | ふるさと訪問
前々回「JR竹田駅」を紹介しました。
今回は我が母校「大分県立竹田高校」⇒「岡城(臥牛城)」⇒「竹田小学校へ」を紹介します。
1:竹田市街 ⇒「竹田高校」へ


竹田市街は四方を山に囲まれた町。どこへ行くにも“トンネル”をくぐらなければ外に出ることができません。別名「蓮根町」とも言われています。
高校は 小さめなトンネルの一つを抜けると校舎が見えてきます。

傍の溝(下水)には“シラン(紫蘭)”があちこち自生しています。白花もあります。
下水と言えども湧水の豊富さを実感できます。

2:「竹田高校」 ⇒岡城(臥牛城」へ
高校のグランドの奥の谷を登りつめると山の頂上にお城の石垣が見えてきます。瀧廉太郎が「荒城の月」を作曲したことで知られています。
ここで一つ、“全国でも珍しい“竹田の高校生”をご紹介します。
いつでもどこでも高校生とすれ違うと観光で初めて訪れた方々が「驚いた」後に、すごーく「いい気分になる」こと・・・それは生徒の皆さんが必ず「こんにちわ!!!」と大きな声であいさつをしてくれること。“
だれにでもいつでも

グランドに私の姿が見えた途端、野球部の全員が 帽子を脱いで「こんにちわ!」。 これには私もびっくり!!!

(・・・続く・・・)