牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

笑いが奇跡を

2018-12-20 08:46:44 | Weblog
笑う門には福来たると言いますが、単なる楽観主義ではなく、長寿の方は前向きで,日常生活でも良く笑ったり,笑顔が多いそうです。
笑顔と笑いは健康の秘訣出そうです。
独り暮しになり5年。テレビもなくインターネットで笑点を時々見たり、落語を聞いたりです。最近は牧師で落語をしたり、教会でもクリスマス落語会を案内したり、若竹牧師は朗読落語を生駒聖書学院出もしてくれました。
笑いの効果は,免疫力=笑いによって免疫細胞が活性化するそうです。また,ストレスホルモンを低下させ,脳や自律神経に作用するそうです。
同時に,過剰に免疫反応が起っているアレルギーや関節リュウマチなどでは、笑うことによって免疫力が押さえられます。
笑いは免疫細胞をちょうど良い状態に保つための秘訣です。長寿と健康の秘訣は,余り細かいことにこだわらずに、おおらかに笑って生きることです。
聖書には、いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことに感謝しなさい。とあります。
クリスマスのこの時、イエス様の回りには,喜びの笑いがあふれていたのではと思いつつです。とくにその誕生の時、馬小屋で生まれたイエス様に誰も気がつかなかったが、大天使の群れが、真夜中の荒野を天の光で輝かしました。2:10 御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。
きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。
あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」
すると、たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現われて、神を賛美して言った。
「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」
ルカの福音書2:9-14


マスキール

2018-12-20 08:17:52 | Weblog
詩篇142篇
ダビデのマスキール。彼が洞窟にいたときに。祈り
私は主に向かい、声をあげて叫びます。声をあげ、主にあわれみを請います。
私は御前に自分の嘆きを注ぎ出し、私の苦しみを御前に言い表わします。
私の霊が私のうちで衰え果てたとき、あなたこそ、私の道を知っておられる方です。私が歩く、その道に、彼らは、私に、わなを仕掛けているのです。
私の右のほうに目を注いで、見てください。私を顧みる者もなく、私の逃げる所もなくなり、私のたましいに気を配る者もいません。
主よ。私はあなたに叫んで、言いました。「あなたは私の避け所、生ける者の地で、私の分の土地です。
私の叫びに耳を留めてください。私はひどく、おとしめられていますから。どうか、私を迫害する者から救い出してください。彼らは私よりも強いのです。
私のたましいを、牢獄から連れ出し、私があなたの御名に感謝するようにしてください。正しい者たちが私の回りに集まることでしょう。あなたが私に良くしてくださるからです。」
マスキール=教えの歌?詩篇に13篇ある。

祈りが香りとして

2018-12-19 07:53:46 | Weblog
詩篇141篇
ダビデの賛歌
主よ。私はあなたを呼び求めます。私のところに急いでください。私があなたに呼ばわるとき、私の声を聞いてください。
私の祈りが、御前への香として、私が手を上げることが、夕べのささげ物として立ち上りますように。
主よ。私の口に見張りを置き、私のくちびるの戸を守ってください。
私の心を悪いことに向けさせず、不法を行なう者どもとともに、悪い行ないに携わらないようにしてください。私が彼らのうまい物を食べないようにしてください。
正しい者が愛情をもって私を打ち、私を責めますように。それは頭にそそがれる油です。私の頭がそれを拒まないようにしてください。彼らが悪行を重ねても、なおも私は祈ります。
彼らのさばきづかさらが岩のかたわらに投げ落とされたとき、彼らは私のいかにも喜ばしいことばを聞くことでしょう。
人が地を掘り起こして砕くときのように、私たちの骨はよみの入口にまき散らされました。
私の主、神よ。まことに、私の目はあなたに向いています。私はあなたに身を避けます。私を放り出さないでください。
どうか、彼らが私に仕掛けたわなから、不法を行なう者の落とし穴から、私を守ってください。
私が通り過ぎるそのときに、悪者はおのれ自身の網に落ち込みますように。

悩む者の訴え

2018-12-18 07:22:15 | Weblog
詩篇140篇
指揮者のために。ダビデの賛歌

主よ。私をよこしまな人から助け出し、暴虐の者から、私を守ってください。
彼らは心の中で悪をたくらみ、日ごとに戦いを仕掛けています。
蛇のように、その舌を鋭くし、そのくちびるの下には、まむしの毒があります。セラ
主よ。私を悪者の手から守り、暴虐の者から、私を守ってください。彼らは私の足を押し倒そうとたくらんでいます。
高ぶる者は、私にわなと綱を仕掛け、道ばたに網を広げ、私に落とし穴を設けました。セラ
私は主に申し上げます。「あなたは私の神。主よ。私の願いの声を聞いてください。
私の主、神、わが救いの力よ。あなたは私が武器をとる日に、私の頭をおおわれました。
主よ。悪者の願いをかなえさせないでください。そのたくらみを遂げさせないでください。彼らは高ぶっています。セラ
私を取り囲んでいる者の頭。これを彼のくちびるの害毒がおおいますように。
燃えている炭火が彼らの上にふりかかりますように。彼らが火の中に、また、深い淵に落とされ、彼らが立ち上がれないようにしてください。
そしる者が地上で栄えないように。わざわいが暴虐の者を急いで捕えるようにしてください。」
私は知っています。主は悩む者の訴えを支持し、貧しい者に、さばきを行なわれることを。
まことに、正しい者はあなたの御名に感謝し、直ぐな人はあなたの御前に住むでしょう。

夜も昼のように明るい

2018-12-17 07:08:35 | Weblog
詩篇139篇
指揮者のために。ダビデの賛歌
主よ。あなたは私を探り、私を知っておられます。
あなたこそは私のすわるのも、立つのも知っておられ、私の思いを遠くから読み取られます。
あなたは私の歩みと私の伏すのを見守り、私の道をことごとく知っておられます。
ことばが私の舌にのぼる前に、なんと主よ、あなたはそれをことごとく知っておられます。
あなたは前からうしろから私を取り囲み、御手を私の上に置かれました。
そのような知識は私にとってあまりにも不思議、あまりにも高くて、及びもつきません。
私はあなたの御霊から離れて、どこへ行けましょう。私はあなたの御前を離れて、どこへのがれましょう。
たとい、私が天に上っても、そこにあなたはおられ、私がよみに床を設けても、そこにあなたはおられます。
私が暁の翼をかって、海の果てに住んでも、
そこでも、あなたの御手が私を導き、あなたの右の手が私を捕えます。
たとい私が「おお、やみよ。私をおおえ。私の回りの光よ。夜となれ。」と言っても、
あなたにとっては、やみも暗くなく夜は昼のように明るいのです。暗やみも光も同じことです。
それはあなたが私の内臓を造り、母の胎のうちで私を組み立てられたからです。
私は感謝します。あなたは私に、奇しいことをなさって恐ろしいほどです。私のたましいは、それをよく知っています。
私がひそかに造られ、地の深い所で仕組まれたとき、私の骨組みはあなたに隠れてはいませんでした。
あなたの目は胎児の私を見られ、あなたの書物にすべてが、書きしるされました。私のために作られた日々が、しかも、その一日もないうちに。
神よ。あなたの御思いを知るのはなんとむずかしいことでしょう。その総計は、なんと多いことでしょう。
それを数えようとしても、それは砂よりも数多いのです。私が目ざめるとき、私はなおも、あなたとともにいます。

コーヒー

2018-12-16 09:13:56 | Weblog
コーヒーについて
コーヒーの歴史は,13世紀頃にアラビアからと言われたり、もと古くエチオピアが発祥の地とも言われたり、その地域にによって,いくつあるようです。
77歳までコーヒーを家では飲まず、南アフリカ産のルイボスティを40年近く愛飲していました。
誕生日過ぎてから,コーヒーを飲もうと思い、今は毎日自宅で飲んでいます。
エチオピアのヤギ羊飼いの少年カルディが、ヤギが野生の赤い実を食べて元気になったのを見て,その赤い実を食べたことが、コーヒー発見の始りとする話もあるそうです。
また、アラビアの僧オマールは、領主に町からつ法され、イエメンのオリーブ山に逃げ込み、飢えて死にそうになったとき、Ⅰ羽の鳥が赤い実を啄んで入るのを見ました。
その赤い実を口にすると、飢えが癒やされたばかりか、疲れ切った体から、疲労がサッと消えて,気分も爽快になりました。
追放された町に,病が猛威をふるい,人々が苦しめられ、オマールは町の人たちに,赤い実の煮汁を飲ませると、病は治り町は助かったと言うアラビア伝説もあります。
全世界では毎日22億杯ものコーヒーが飲まれているそうです。一日4杯までは大丈夫だが、午後3時まででそれ以降での飲み過ぎは要注意だそうです。
コーヒー豆のおいしく飲める期間は1ヶ月というのが、最も大切なことだそうです。
Ⅰコリントこういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現わすためにしなさい。

みことばを高く

2018-12-16 08:36:49 | Weblog
詩篇138篇
ダビデによる

私は心を尽くしてあなたに感謝します。天使たちの前であなたをほめ歌います。
私はあなたの聖なる宮に向かってひれ伏し、あなたの恵みとまことをあなたの御名に感謝します。あなたは、ご自分のすべての御名のゆえに、あなたのみことばを高く上げられたからです。
私が呼んだその日に、あなたは私に答え、私のたましいに力を与えて強くされました。
主よ。地のすべての王たちは、あなたに感謝しましょう。彼らがあなたの口のみことばを聞いたからです。
彼らは主の道について歌うでしょう。主の栄光が大きいからです。
まことに、主は高くあられるが、低い者を顧みてくださいます。しかし、高ぶる者を遠くから見抜かれます。
私が苦しみの中を歩いても、あなたは私を生かしてくださいます。私の敵の怒りに向かって御手を伸ばし、あなたの右の手が私を救ってくださいます。
主は私にかかわるすべてのことを、成し遂げてくださいます。主よ。あなたの恵みはとこしえにあります。あなたの御手のわざを捨てないでください。


良い羊飼い

2018-12-15 08:34:30 | Weblog
ルカの福音書15:4-7 「あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。
見つけたら、大喜びでその羊をかついで、
帰って来て、友だちや近所の人たちを呼び集め、『いなくなった羊を見つけましたから、いっしょに喜んでください。』と言うでしょう。
あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。

100匹の羊を飼っていても,一匹がいなくなりました。迷ってしまったのです。この迷った子羊を捜すために,羊飼いは,99匹いるから1匹くらいは放っておくでしょうか。
いいえ。良い羊飼いのイエス様は,小さな迷える羊=力の弱い窮乏した人を、救うために十字架に命を捨てました。
復活して,見よ。わたしは世の終りまで共にいる。見捨てることなく、み離すこともない。その約束は真実です
詩篇23篇
主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。
主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。
主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。
たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。
私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。
まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。

イザヤ書40:11 主は羊飼いのように、その群れを飼い、御腕に子羊を引き寄せ、ふところに抱き、乳を飲ませる羊を優しく導く。
エゼキエル書34:15-16わたしがわたしの羊を飼い、わたしが彼らをいこわせる。――神である主の御告げ。――わたしは失われたものを捜し、迷い出たものを連れ戻し、傷ついたものを包み、病気のものを力づける。わたしは、肥えたものと強いものを滅ぼす。わたしは正しいさばきをもって彼らを養う。
ヨハネ伝10:10-16 盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。
わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。
牧者でなく、また、羊の所有者でない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして、逃げて行きます。それで、狼は羊を奪い、また散らすのです。
それは、彼が雇い人であって、羊のことを心にかけていないからです。
わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っています。また、わたしのものは、わたしを知っています。
それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同様です。また、わたしは羊のためにわたしのいのちを捨てます。
わたしにはまた、この囲いに属さないほかの羊があります。わたしはそれをも導かなければなりません。彼らはわたしの声に聞き従い、一つの群れ、ひとりの牧者となるのです。

イエス様の愛は,最も弱い者、最も貧しい者、最もあわれな者、最も悲しんでいる者に向けられています。クリスマスはその愛が世界をつつむ日です。
一見幸せそうに見えても、心の中は妄想や不平不満でズタズタです。
クリスマスのこの時、神の愛を,十字架の救いの光を届けましょう。

柳の木々に

2018-12-15 07:54:15 | Weblog
詩篇137篇
バビロンの川のほとり、そこで、私たちはすわり、シオンを思い出して泣いた。
その柳の木々に私たちは立琴を掛けた。
それは、私たちを捕え移した者たちが、そこで、私たちに歌を求め、私たちを苦しめる者たちが、興を求めて、「シオンの歌を一つ歌え。」と言ったからだ。
私たちがどうして、異国の地にあって主の歌を歌えようか。
エルサレムよ。もしも、私がおまえを忘れたら、私の右手がその巧みさを忘れるように。
もしも、私がおまえを思い出さず、私がエルサレムを最上の喜びにもまさってたたえないなら、私の舌が上あごについてしまうように。
主よ。エルサレムの日に、「破壊せよ、破壊せよ、その基までも。」と言ったエドムの子らを思い出してください。
バビロンの娘よ。荒れ果てた者よ。おまえの私たちへの仕打ちを、おまえに仕返しする人は、なんと幸いなことよ。
おまえの子どもたちを捕え、岩に打ちつける人は、なんと幸いなことよ。

小さな種

2018-12-14 12:50:48 | Weblog
マタイの福音書13:31 イエスは、また別のたとえを彼らに示して言われた。「天の御国は、からし種のようなものです。それを取って、畑に蒔くと、
13:32 どんな種よりも小さいのですが、生長すると、どの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て、その枝に巣を作るほどの木になります。」
昨日は、「天の御国は、パン種のようなものです。女が、パン種を取って、三サトンの粉の中に入れると、全体がふくらんで来ます。」を書きました。
今日は、天の御国は。からし種のようなものです。
とっても小さい種です。イスラエルに行ったとき、捜しましたが、土産物店で見つけました。しばらくは聖地みやげはからし種の栞だけでした。
日本でも育ちます。からし種を庭に蒔いたら、伸びる伸びる二階の部屋まで大きくなり,着るのがました。
その特徴は。ものすごく小さい種ですが、すごく大きくなります。
どこへ蒔いても必ず芽を出し育ちます。
イエス様は信じることの大切さを,からし種で教えてくれました。
マタイ 17:20 イエスは言われた。「あなたがたの信仰が薄いからです。まことに、あなたがたに告げます。もし、からし種ほどの信仰があったら、この山に、『ここからあそこに移れ。』と言えば移るのです。どんなことでも、あなたがたにできないことはありません。
信じる信仰をしっかり保ち,自分の信仰は小さいなどと言わずに,信仰を告白しましょう。
イエス様のお名前でいのってください。山が動くような奇跡を体験できます。
ヨハネの福音書14:13-14 またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。
あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。
15:7 あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。
15:16 あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。
16:23-26 その日には、あなたがたはもはや、わたしに何も尋ねません。まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが父に求めることは何でも、父は、わたしの名によってそれをあなたがたにお与えになります。
あなたがたは今まで、何もわたしの名によって求めたことはありません。求めなさい。そうすれば受けるのです。それはあなたがたの喜びが満ち満ちたものとなるためです。
その日には、あなたがたはわたしの名によって求めるのです。わたしはあなたがたに代わって父に願ってあげようとは言いません。
マタイ28:18 イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。