何も考えないで、気儘に過ごして来た時が、取り返せるならとも思うが、失った時間は元には戻らないものだ。沢田研二さんのDVD ロイヤル・ストレート・フラッシュを観ていて、タイガースから30年の歳月を、懐かしさと淋しさを同時に感じた。時間だけは、何を於いても止まらない。
枇杷葉の効能には、細胞の活性化を促す働きが大きいが、それだって時を遡れる訳ではない。偶然か、不自然の影響下は知らず、偶に大きな力が働くこともあるが、病は自分の思考にも依って、差が出て来るのではないか。何よりも自然治癒能力の及ぼす力にもあろう。過大評価は禁物なのだが。
激務を終えて帰宅し、庭の水遣りをする。時間も掛かるが、物言わぬ相手であれば、枯れてからでは遅いのだ。たっぷりと葉にも遣り、家に入ると蒸し暑い。暫くしたら気持ち涼しくなった。枇杷湯の行水を済ませて、晩御飯を戴く。塩で身体を擦るので、さっぱりとして汗が引く。疲れたなぁ。
冷房をつけ過ぎて、体調を狂わせることが起きる。皆、高齢なので注意が必要なのだが、職員の温度で寒いくらいに設定してしまう。こちらは業務なので動くが、相手は今まで働き、此処に来てのんびりしたい。体温の差も無論だが、南極か北極になる。これでは血液が凍ってしまい作動しなくなる。
冷房をがんがん点けて、冷たい飲み物を飲み、じっとして動かないでいると、肉体は衰えはしても、活動しようとしない。加えて病の元になる。冷たく寒い身体が好きなので、気づいたら手遅れだ。これも日頃の自分を知っておき、過信しないことにも依る。予防的な措置を講じるのも、方法でもある。
月の満ち欠けや、潮の満干潮に関心を抱き、或いは旧暦を知っていれば、いざと言う時に役立つことにもなる。子ども頃に、祖母がしていたことの数々に、知識の多さと知恵を知る。学校では教えてくれなかったことも、興味があれば学べるのだ。介護の業務も、たくさんの知識を持っていたいものだ。
明後日は、土用の丑の日だが、四季を通じての土用は、ちゃんと春夏秋冬にある。食べ物屋の陰謀から、夏が印象に大きいが、日捲りをよく見れば、ちゃんと記されている。昔は、土用餅を作って食べていた。鰻は、川に行って、魚籠を仕掛けておき、入り込んだのを捌いた。うにょうにょいたんだよ。
十何年も、初夏になったら咲き出す。名前の書いた札があったが、幾年月の風で飛んだか。