枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

早退・・・

2018年07月26日 | Weblog

 何時もなら、蒲団からすっと起きれるのが、何だか変だな?と感じる。それでも早出なので、AM5時過ぎには台所に立った。弁当を詰めながら、激痛に顔が歪む。左足が弱いために右に負担がかかる。それを習慣づけているのが良くない。右足に痺れと痛みが走る。勤務変更が出来ないので出勤。

 業務がこなせない程の痛みに、早退の申し出をする。遅出勤務が来た時点で帰宅。枇杷葉の生葉を数枚採り、軸と先を切って、腰に当て、蒟蒻を温めて足の裏に置く。腰の痛みがある内には、冷やすか常温がいいので。立ってもおれず、座ると立てないので、これは業務が出来ないので仕方ない。

 これまでは老体に鞭打って遣っていたが、重労働の一端でもあるので、今後は見守り中心にさせてもらおう。年齢を重ねると言うことは、無理が出来なくなることと実感。30代の、40代の頃とは比べものにならない。それでも働かねば暮らしは困難。諦めはしないが、生きていくのはしんどい。

 枇杷葉の生葉を腰に当て、右足には蒟蒻をしていたが、少し痛みがなくなったので眠っていた。数回だが効果はあったようで、立ち上がろうとしたら右足に痛みが。まるで人魚姫の心境で、おそるおそる歩く。水遣りだけは、と何とかし終え、行水をして着替える。腰に枇杷葉温圧療法を施行。

 明日の勤務は怪しいものの、歩行出来ないのは困るのだ。医者に等行きたくも無しで、自分でやるしかない。そういう気迫の想いには必死さも含まれるのと、蒟蒻の効果もあって、少しではあるが痛みが消える。心で願えば適う不思議さだ。と言うと聞こえはいいが、単なる医者嫌いなだけだ。

 人間の身体は、自然の神に祈ることによって、枇杷葉の力を借り、ひたすらに施行を繰り返す。誰も援けてはくれないが、自然への信じる想いは強く持ちたい。蒟蒻の温かさが心地よい。十代の時の打撲が原因だが、無理をすると出る。事故に因る不注意だが、避けられない事態でもあったよ。

 冷房は無くても、暑さを凌げるのはあり難い。最高気温が少し低くなって、気分的にほっとした。枇杷葉があればこそで、生きられるのだから、物言わぬからとそのままにはできない。水も肥料も自然に豊富であれば良いが、天からの恵みには、自然の力が左右する。人智の及ばないことだが。

 自然が創り出す魔法かもしれない。でも、何とやさしい色だろう。まるで妖精が棲んでいるいるよう。

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