北の旅人

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「1956」-14歳の心象風景<27>

2009-08-12 15:04:02 | Weblog

<作文>

              46日間の病院生活 
                                (K・M)

私が目を悪くして北部・K市のF眼科へ入院したのは1月13日の事でした。体が人より丈夫な私にとって、学校を1ケ月あまりも欠席する等という事は本当に初めてであり、病院生活等と言うことも未経験でありました。

しかし、つきそいの母が10年位前に同じK市のF眼科へ目を悪くして1ケ月程入院した事があったので、あまりそういう方面では苦労をしませんでした。それに私も2、3日のうちでそれにも慣れ、一緒の入院患者さんや、つき添いの人達と雑談等をして時を過ごしました。

「物を見る」「書く・読む」と言う事を一切禁じられている私にとって、食べる・聞く・話す・は一番の楽しみであり、又それしかなかったのです。しかし、友達からの手紙の返事は必ず出しました。今、考えると、そんな事をして目をつかったのがいけないかと思います。

それに、私の目の病気は見かけは何ともないようなのですが、「両眼毛性眼瞼炎及皆部眼瞼炎」といって、とてもおそろしい病気で丁度「そこひ」のような病気なのです。だから、手術等と言う事もなく、じわりじわりと薬品による治療でなおしていくのです。

ですから、私の日課は、先ず8時起床。布とんは上げないのでベッドの上にしいたままです。なべを洗いに行きますが、わずか3つの蛇口からの水だし、水道のところも大変せまいので早くしなければ後までのこらなければなりません。しかし、そんな事は付き添いの母がやってくれました。

そんな頃、決まって聞こえてくるのが「水アメ屋」のラッパの音です。私達は1本10円の割りばしに巻いた水アメをよく買ってなめました。今では、これも病院生活の一つの思いでです。10時半、一緒の入院患者さんと治りょうに行く。治りょうが終ってから12時頃まで寝る。あと、午後はひま。

「目さえ良ければ勉強でも、すきな本でも読むんだけど」と何となくイライラしている。私に、私の洗たく物でもして終ったのか、ぬれた手で一生けん命に何かをほしながら、母の後ろ姿がいう。「そんな事をいう位なら、こんな所にいなくてもいいでしょう」と、苦笑しながらその手を休めた。

まだ、ひとしずく、ふたしずく洗たく物の水が残り、それが午後の日をあび不思議な位に美しかった。4時頃。明日の「まき」が、入院一人に一ぱずつ配給される。私達の部屋は私をくわえて4人だから4ぱである。それが終って5時半ごろ夕はん。後片づけをしたらねる。こんな具合で私達の日課はほとんどのんびり、ゆっくりであった。

しかし、その日一日が私にとっては重苦しい日であった。きっと私がこんなにしてくらしているのに対して、みんなは勉強に、クラブ活動にと一生けん命だろうと思ったり、学校の事がいろいろと頭の中をかけ回るからである。でも、私は沢山の友達の手紙になぐさめ力づけられた。

 Aさんからの手紙の本文。「もう三学期が始まっているというのにM子さんは病院での生活、きっと学校の事ばかり思うでしょう。でも、1ケ月や二カ月のしんぼうで一生楽しく勉強できるのですから頑張ってね。お体も大切にね」。まだまだ沢山あった。

私が病院生活で、すごく胸をうたれた事、その日記を拾いだして書いてみよう。

1月29日 火 天気はれ
「私が、この2、3日治りょうに行っていつも胸を打たれる事が一つあった。それは44、 5才の女の人と、その子供の6才ぐらいの女の子の話である。目のみえない母親の手を引くその女の子の姿をみ、その態度のかわいらしさ。

その女の子は、まゆ毛の濃い親によくにた大きな目、コールテンのズボンがやぶれんばかりである。そのやぶれを、つぎしてやることが出来ぬこの母親。今日も見た。その女の子が小さな手で母親を引いて治りょう室に入るのを」

こんなある日の日記である。後でわかった事であるが、その親子は一番おもい患者さんが入る、5号室に入っているとの事。私の部屋は15号室で2かいであった。白い壁で、ベッドが4つ、ならんでいた私の部屋。

無理に退院を許してもらった時の私のうれしさ。終れっしゃで家へ帰った2月27日の晩。しばらくぶりで、畳へねる事が出来たなつかしさ。今では46日間の病院生活も、かえってなつかしい気さえするのです。

       ☆         ☆

私も3年前、「神経鞘腫」(しんけいしょうしゅ)という、脊髄に腫瘍(良性)ができるという病気になり手術、1か月の入院生活を送った。

半年ほどのリハビリを経て完治したが、何せ首を自由に動かせないので、仰向けになったまま専らラジオを聴いていた。若い頃から「ながら族」だったので、ニュース、音楽、野球中継などを聴いていると、それほど退屈はしなかった。夜、眠れないときは、NHKの「ラジオ深夜便」をよく聴いていた。

入院してみて気がついたことがある。それは、同室の患者さんのところにお見舞いに来る人たちのことだ。私は、基本的には自分が具合悪いのだから、家族以外は誰にも来てもらいたくないので、たとえ親戚などにも入院していることは決して言わないことにしている。

ところが、隣のベッドの患者さんのところへ、やたらと見舞いの人たちが来るのだ。大人だけならまだいいのだが、小さい孫たちがきて、ワイワイガヤガヤというのが、何日かおきに繰り返されるのには参った。

談話室などまで歩ける患者さんなら問題ないのだが、そうでない場合は、見舞う方が、もっと他の患者たちに気配りするべきだ。妻が、ちょうど夏休み中に入院した時も、入院している子どもの兄弟がキャッキャッと病室内を走り回ったりしているのに、若い母親が注意しないのには驚いた。

妻は手術直後で高熱を出して苦しんでいたので、見かねて、「ここは遊園地じゃないぞ!」と、怒鳴ってやったことがある。病院にも、注意するよう要請した。当然のことだが、病院への見舞いには、そうした気遣いが必要だ。

なお、「神経鞘腫」という病気について、過去のブログ(2007・2・27セカンドオピニオン)に書いているので、首や肩の激痛などに悩まされている方は、ご参考にしていただければと思う。



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