北の旅人

旅行や、ちょっといい話などを。そして、時には言いたいことを、ひとこと。

「1956」-14歳の心象風景<26>

2009-08-07 14:39:50 | Weblog

作文

             家の子ネコ・チーコ

                              (N・E)

私の家にいるチーコは、二毛です。でもストーブのそばから、いつもはなれないので横腹がこげて三毛みたいです。私が一番大事にするので、いつも私のそばから離れません。

寝る時も、私が父や母に「おやすみなさい」をすると、ちゃんと私のそばに来て戸を閉めると、ふとんへもぐりこんできます。私はいつも「チーコちゃん、こたつがあるからあたたかいよ」といって、足でおつけています。するとチーコは、ゴロゴロと鳴らしています。

私は父が「よそのおじさんに家のチーコをやってしまう」と大きな声で、家にやって来た時、チーコを抱いて、かくす場所をさがしてうろたえました。

チーコがよそへいったら、しあわせにくらせるとよいが、もしまちがって投げられ(捨てられ)でもするとチーコは目がわるいので、一昼夜外にいると死んでしまうかもしれないから、このことを考えるとチーコをだいてかくし場所をさがして泣いて考えました。

すると父は笑顔で「A子がそんなに可愛がっているチーコをよそのおじさんにやらないぞ」といったので、私ははじめて「父さんほんとにやらないでしょう」というと、父は「ほう、泣いたA子が話した」と、又もおかしそうに笑いました。

それからは、チーコは父や母、弟などに大事にされ、いつも父が仕事から帰ってくると横になっている父のこしに上がって、バンドやシャツをじゃれます。すると父は「やらんで、よかったなぁA子」と、私の顔を見ました。

チーコは、こじけて太りません。でも私はチーコが外へ出ている時に学校から帰ると淋しくて、淋しくてたまりません。母に「チーコは」と聞くと「母さんはチーコの、ばんぺいではありません」とからかわれます。私はチーコをだいて、ごはんをたべます。勉強する時は机の下にねています。いつでもいつでもチーコといっしょにくらしています。

今では、なんぼ私が食べたいものがあってもチーコがニャーンとなくと、それをわけて上げます。ほんとうに可愛い、可愛いチーコちゃん。      

                ☆       ☆ 

私は、どちらかというとイヌ派だが、ネコを可愛がる気持ちは良く分かる。子どものころ家で犬を飼っていたからだ。

名前は「マリ」。13年ぐらい餌やりや散歩に連れ出したりして可愛がっていたが、老衰で死んでしまった。埋葬したのだが、大変悲しい思いをしたことを記憶している。

人と犬の交流を描いた物語は沢山ある。先日も、あのタロ、ジロが登場する「南極物語」(1983年=昭和58年)が放映されていたが、泣けてきた。それというのも、後年、はく製になり、別々になっている「タロとジロを同居させる会」ができ、運動の中心となっていた作家の先生に頼まれ、事務局長役を引き受けた経緯があったからだ。

常時一緒にさせることは出来なかったが、平成9年、稚内市開基120年、市制施行50年、開港50年のメインゲストとして里帰りを果たすことができた。タロ・ジロには、もう一頭兄弟がいたが、稚内で訓練中に死んだのだという。

明日から、忠犬ハチ公をハリウッドで映画化した「HACHI約束の犬」が全国ロードショーだというから、観てみようかなと思っているところだ。



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