北の旅人

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2013「にっぽん丸」で、GW日本一周④ー平戸

2013-06-11 09:26:57 | Weblog

4日目。長崎県平戸市。
早くに西洋文化が入ってきただけに、異国情緒が漂う 。

平戸城は、別名亀岡城と呼ばれる。 第29代天祥鎮信は、平戸古城の再築(日の岳城を1599年築城、1613年焼く)を図り、山鹿素行と共に設計を行い、1704年、30代雄香棟が着工、1718年(享保3)31代松英篤信の時、亀岡城として落成した。 現在の城は1962年(昭和37)復元(天守閣三層五階建)された



フランシスコ・ザビエル記念聖堂をめざす。
この周辺には、寺院も多くあり寺院と教会が同居する平戸独特の風景がある。 

1402年(応永9)の創立された、曹洞宗の寺。鎖国により、母と平戸に想いを馳せながら国外に追放された、オランダ商館長の娘コルネリアの供養塔がある。



平戸殉教者顕彰慰霊之碑

「フランシスコ・ザビエル記念聖堂」

平戸港の西の小高い丘の上にある薄いグリーン色の教会。この協会は天文19年(1550年)に平戸を訪れたフランシスコ・ザビエルを記念して、昭和6年に建てられた聖堂。

小高い丘から、平戸湾内を望む

街中にには、フランシスコ・ザビエル、ジャック・スペックス(オランダ商館長)、三浦按針などの像がある。

街の通りには、平戸出身の作詞家・詩人・藤浦洸の碑がある。
NHKラジオ「20の扉」「私の秘密」などが懐かしい。大ヒット作「別れのブルース」(淡谷のりこ)などヒット曲多数。「ラジオ体操の唄」も。

松浦資料博物館。明治26年(1893)に、旧平戸藩主・松浦家の指定としてたてられた鶴ヶ峯邸及び松浦家に代々伝わる資料を、松浦家から寄贈を受け昭和30年(1955)に設立。この敷地は、江戸時代初期、オランダ、イギリス貿易当時、平戸藩主の屋敷があったところ。収蔵資料約3万点、展示資料約300点。(重文や県指定の有形文化財を含む)

ちなみに、江戸時代初期に徳川家康に外交顧問として仕えたイギリス人、ウィリアム・アダムス(航海士・水先案内人・貿易家。日本名の三浦 按針(みうら あんじん)としても知られる。

そのウィリアム・アダムスの尽力もあって、イギリス商館が出来て(1613年)400年になるという。



松浦家に々伝わる「ひな人形」



江戸時代の浮世絵師二代目歌川豊国が描いた、平戸藩出身の日本一の長身力士『生月鯨太左衛門』の絵。生月鯨太左衛門は江戸時代後期の力士で、身長2m27cm、体重180kgの長身であった。

 

当時の古地図

 

 

 

 

 

 



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