北の旅人

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2014GW「にっぽん丸」日本一周クルーズ➉-松前の桜

2014-06-13 13:59:10 | Weblog

  5月3日 江差からバスで松前へ。日本海沿いを走って、およそ90分くらい。 


            松前町一の老舗旅館で昼食。(HPより)

          ☆松前ならではの藩主料理、美味かった。(HPより)

  あわび飯

(松前の名産蝦夷アワビを使った炊き込みごはん)

 煮物

(当時から油揚げなどは保存食として食されていました)

 クジラ汁

(松前では今でも正月はどこの家庭でも作ります)

 寄せ豆腐

(北前船で運ばれてきた上方地方の食文化)

 けいらん

(昔でいうデザート。東北の南部地方から伝わった料理)

 にしんと数の子

(子孫繁栄を祈って)

 松前漬け

(女将の作った自家製でするめ。こんぶはもちろん松前産、お水は大沼横津岳の天然水、お塩は熊石産海洋深層水使用)

いくらのしょうゆ漬け

 

 果物

(その時代は大変貴重な果物)

 にごり酒

 

 

  予想通り、桜は満開だった!


  松前の桜は、250種1万本といわれ、長い期間、桜を楽しめる。あちこちから
  「わぁ、綺麗!」の歓声が上がっていた。高校生たちが、一生懸命にボランティアガイ
  ドを務めていた。

松前家の初代藩主・松前慶広がこの地に築城したのは、1606(慶長11)年のこと。
その後の火災や修築などを経て、十七世藩主・松前崇広は1849(嘉永2)年7月10日、外国船の出没に備え津軽海峡の警備強化を図るため、幕府から築城を命ぜられ、城主大名になった。

設計は当時の三大兵学者の一人である高崎藩の市川一学に一任。
一学は海防上から福山は無理であり、箱館後方の桔梗野にある庄司山付近に築城するよう上申しますが、藩士たちは移転を好まず福山館を拡大して築城することになった。
5年の歳月をかけ、1854(安政元)年9月に完成した松前福山城は、旧式築城では日本最後のもの。後に、国宝に指定されたが、火事で焼失した。

現在の城は、1961年(昭和36)に再建されたもの。(松前町観光奉行HPより)


  椿も同時に咲く。

  桜史料館もある。

  北国では、色々な花が一斉に咲き始める。

  お城に桜も良く似合う。改めて感動した。

 松前の桜は本数も品種も多く、城内の広さと相まって素晴らしい風景が広がっていた。

 

 

  

 

 

 



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