まぬ家ごめ助

姓はまぬけ、名はごめすけ、合わせて、「まぬ家ごめ助」と申します。どうぞお見知りおきを。

クリスティン・マクヴィーの10曲

2013-03-27 22:34:31 | 日記
クリスティン・マクヴィー(Christine McVie)、旧姓はクリスティン・パーフェクト(Christine Perfect)。

彼女に対する評価が低すぎるように感じています。

私にとっては、唯一無二の存在なのに!

私は彼女に対して、あらゆる称賛を惜しみません。

ご存知でしょうか?

彼女は基本的にブルース系の人です。

少なくとも出発点はそこにありました。

BBキング、リトル・ウォーター、ソニー・ボーイ・ウィリアムスン・・・、彼女はそんな音楽にどっぷりつかって育ちました。

なにしろ、最初に組んだ相手が、スペンサー・デイヴィスなのです。

スティーヴ・ウィンウッドなどが参加して、「スペンサー・デイヴィス・グループ」になる前の話です。

その後1968年にチキン・シャックに加わって、1970年にいよいよフリートウッド・マックに参加するわけです。

むろん、当時のフリートウッド・マックはバリバリのブルースバンドだったわけで、まだピーター・グリーンがギターヒーローだった頃の話です。

後に彼女はそのポップセンスに磨きをかけて、独自の世界を築きあげますが、とにもかくにも筋金入りのブルース・ウーマンなわけで、それが基本だと思います。

「No Road Is The Right Road」from「Christine Perfect」1970
☆「Remember Me」from「Penguin」1973
☆「Warm Ways」from「Fleetwood Mac」1975
☆「Sugar Daddy」from「Fleetwood Mac」1975
☆「Songbird」from「Rumours」1977
☆「Over & Over」from「Fleetwood Mac Live」1980
「Hold Me」from「Mirage」1982
「Isn't It Midnight」from「Tango In The Night」Live video 1987
「Temporary One」from「The Dance」1997
「Don't Stop」from「The Dance」1997

☆の5曲は、中でも特に好きな曲です。

「When You Say」「Heroes Are Hard to Find」「Wish You Were Here」「Got A Hold On Me」「As Long as You Follow」「Hollywood」「Friend」・・・

他にもいい曲がたくさんありますよね!
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cafeひよこ豆

2013-03-27 13:21:46 | 日記
国立の「cafeひよこ豆」にいます!

「フードムード」に行く途中に見つけました。

先日、ひよこまめさんからコメントを頂いたことを思い出し、これも何かの縁だと思い、入ってみました。

日替わりランチ、とっても美味しい!よかったよかった(笑)
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国立の思い出

2013-03-27 05:18:10 | 日記
今日は国立に行ってきます。

「フードムード」というお店にクッキーを買いに行きます。


私にとって、国立といえば、先ずは、忌野清志郎です(むろん、山口瞳の街でもありますが・・・)。

「国立市中区3-1(返事をおくれよ)」なんて曲もありますが、ファンの間で特に有名なのは「多摩蘭坂」です。

国立・国分寺 きよしくんマップ」にも、<ファンの聖地>と記載されています。

でも、個人的には、断然この曲が好きです。


「ぼくの自転車のうしろに乗りなよ」

私は、この曲の関しては、どれだけ絶賛の言葉を重ねても、語り尽くせないような気がします。

清志郎って、自転車が似合ったし、最後の最後まで自転車が大好きな方でしたよね。お遍路をしたり。

さらに、「日隅くんの自転車のうしろに乗りなよ」という曲もあります。

この曲は、作詞こそ清志郎ですが、作曲はリンコさんとケンチさんです。

日隅くん=日隅権座。

正規メンバーではなかったものの、清志郎の幼馴染であり、この2曲が含まれている「楽しい夕に」という超名盤に、しっかりクレジットされています。

ちなみに、「ぼくの自転車のうしろに乗りなよ」の映像でボンゴを叩いているのが、日隅くんのようです。

笑顔が素敵な、ナイーブそうな青年ですよね。

日隅くんについての極めつけは、何と言っても、「君はそのうち死ぬだろう」でしょう。

鬱状態にに陥ってしまった日隅くんを救うべく、逆説的な意味で再起を促したのに、彼はその後、本当に鉄道自殺しまったのだそうです。

そして清志郎は、例えば「ヒッピーに捧ぐ」や「まぼろし」など、日隅くんの影響が濃いと思われる曲をつくり、歌い、追悼し続けたのだと私は理解しています。

もしかしたら、、自転車に乗り続けるという行為そのものにも、追悼の意味があったのかもしれません。そんな気さえします。


もうひとつ、個人的な思い出を。

市町村でいえば立川市になりますが、西国立に大学時代の友人が住んでいました。

同じサークルに2つ入っていたし、仲良くさせて頂いていました。

彼の実家に遊びに行き、近所の飲み屋で呑んだこともありました。

機嫌よく飲んだり歌ったりして、お店のお客さんと一緒に盛り上がりました。

で、その後、その友人が教えてくれました。

会計してくれたあの人、立川のヤクザの親分なんだぞ、なんて。

懐かしいなぁ。

彼の実家は、ハンコ屋さんだったので、私の実印も、三文判も、彼にお願いしました。

今でも、大事に大切に使っています。

とても気に入っています。

後年、再度そのハンコ屋さんに行ったことがあります。

結婚するって時に、彼女の実印を彫ってもうらおうと思って。

でも、あの時、喧嘩しちゃったんですよね。

その時彼女は、もっともなことを言っていました。

「息子さんの友人です、って、しっかりと伝えてきてね」と。

でも、どういうわけか、本当にどういうわけか、その時私は、それが嫌だったのです。

どうしてそんなに頑なだったのか、自分でもよくわかりません。

とにかく当時は、恥ずかしかったからなのか、あるいは照れがあったのか、そんなことが出来そうになかったのです。

それで喧嘩して、結局ハンコは、彼女が別のお店でつくりました。

ちょっと、というか、かなり悲しい思い出です。

今となっては、ね。

そうそう、彼には、もうひとつ恩があります。

私は、彼と勝知世さんに連れられて、初めて競馬場に行った(場外馬券売場には行ったことがあったものの)のです。

第10回ジャパンカップ!

しかも、私、ビギナーズラック?で当たりました(笑)

もしかしたら、その時が、その後の長い長い競馬人生の始まりだったのかもしれません。


彼は、本当に残念なことに、事故で早世してしまいました。

1度だけですが、仲間たちと一緒に、お墓参りをしたこともあります(仲間たちは何度も訪れているようですが)。

彼のために、仲間で追悼文集をつくったのですが、その時の私もどういうわけか、書くだけ書いたのに、提出はしませんでした。

これもまた、今となっては、全く意味不明で、自分のことながら、理解不能です。

その後勝知世さんに原稿を見せたのですが、それがせめてもの罪滅ぼしだったのかどうか、それすらも今となってはよくわかりません。

彼の実家は、まだ商売を続けているのでしょうか。

わかりませんが、はっきり言えるのは、もし私が再婚するような機会に恵まれて、相手の了解が得られたら、今度こそ、彼の実家で彫ってもらいたい。

「息子さんの友人です」

胸を張って、そう言いたいのです。


ああ、雨が降ってきたなぁ。

きっと、雨の国立なんだろうなぁ。
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