国営ひたち海浜公園には四季折々の綺麗な花が咲き
大勢の人が訪れて今は平和を象徴する場所となった。
広大な公園が出来る前の1938年、
この場所に水戸陸軍飛行学校、陸軍水戸飛行場が建設された。
第2次世界大戦後には米軍水戸射爆撃場として利用されていた。
私が茨城に着任したのは1958年で職場は射爆場から数Kmの所だった。
大洗や阿字ヶ浦へ海水浴へ行く途中に米空軍の低空飛行で
耳をつんざく轟音に恐怖を感じた。
(記念の森レストハウスと歴史ギャラリー)
その広大な射爆練習場は1973年に日本政府に返還され
「首都圏整備計画」の一環として1979年に事業着手、
1984年に工事が開始され、1991年に約70haが公園として開業した。
公園の総面積は350haで東京ディズニーランドの約5倍に相当する。
実際に公園として利用されているのは南側の191.9haで
全体の約55%にとどまっている。
国営ひたち海浜公園が出来るまでの歴史的記念物が展示されている。
その中には米軍の不発弾や武器などが展示されている。
この公園を訪れる人たちは飛行場の事、米空軍の射爆場の事を
知らない人が多いと思う。
この公園に来ると改めて平和の尊さを感じる。
(上の2枚の写真は国営ひたち海浜公園管理センター
広報 担当の方より提供お受け掲載しました。)
現在は四季を通じて花々が咲き訪れる方が楽しめるように
すてきな公園になってますね。
このような歴史があったのですね。
今年は、行きそこねました。(笑)
元気なうちに行けるといいなと、それまではGolfunさん情報で勉強しておきましょう。
飛行場の跡地だったのですね。戦争はもう絶対嫌ですね
これまでのご紹介でなんとまあ広い公園と思っていましたよ。
米軍射爆場だったとは知りませんでした。
遺物が埋まっているのでしょうね。
若い方達は知らないままなのでしょうね。
此方にも戦争に関するものが、結構有ります。
特に瀬戸内の島などに、多く残ってます。
まだ足が丈夫な頃に、見て回りましたが、出来たらもう一度行きたいです。
でも島には乗り物がないので、全て歩きです(^^ゞ
毒ガス島も、うさぎの島として有名ですね(^^)
市民が憩える公園になって良かったですね。
不発弾が埋まってるかも知れないですね。
公園が米軍の射爆場だったのを知っていたので
こんなに綺麗な公園が出来るとは信じられなかったです。
年2~3回はここに来ています。
風景としては公園の周辺の海岸が綺麗です。
白亜紀層の盛り上がった断層岩や直ぐ傍の
常陸那珂港なども写材には満足できると思います。
東京から日帰りでは時間が足らないでしょう。
来るときには連絡してください。
平和な事は、有難い事です‥‥ が
最近、世界中で小さな紛争が絶えません!
陰では、急に大国になったおごりが
見え隠れしています (._.")
この広い松林に飛行場や射爆場がありました。
今は公園になって四季の花がたくさん咲いてとても綺麗です。
平和は良いですね。
世界中がそうあって欲しいです。