Saas-Feeの風さんは次に文化のみち「双葉館」を案内してくれた。
(左はSaas-Feeの風さん、右はma_kunさん)
大正時代に「日本の女優第1号」と云われた川上貞奴の居住した邸だ。
東京・日本橋の両替商・越後屋の12番目の子供で名は小山貞。
生家の没落で7歳の時に芳町の芸妓置屋「浜田屋」の養女となり
伝統ある名「貞奴」を襲名し芸妓としてお座敷にあがる。
日舞の技芸に秀で、才色兼備の誉れが高かった貞奴は、
総理・伊藤博文や西園寺公望など名立たる元勲から
贔屓にされ、名実共に日本一の芸妓となった。
自由民権運動の活動家で書生芝居をしていた川上音二郎と結婚した。
歌詞の一例は「権利幸福嫌ひな人に、自由湯をば飲ましたい、
オツペケペーオツペケペツポーペツポーポー、
固い上下の角取れて、マンテルズボンに人力車、意気な束髪ボンネット、
貴女に紳士のいでたちで、うはべの飾りは好いけれど、
政治の思想が欠乏だ、天地の真理が分らない、
心に自由の種を蒔け、オツペケペオツペケペツポーペツポーポー」
子供の頃、ラジオか蓄音機?でメロディーを聞いたと思う。
貞奴は苦労も多く、音二郎の2度もの衆院選挙落選により資金難に陥る。
福澤諭吉の娘婿で「電力王」と云われた実業家・福澤桃介との関係が出来た。
女優を引退した後の貞奴は、再び悲恋の相手だった桃介と結ばれる。
事業面でも実生活でも桃介を支え、仲睦まじく一生を添い遂げた。
1920年頃、2人は同居を始めた。
2人が名古屋市内で住んだ邸宅は「二葉御殿」。
政財界など各方面の著名人が集うサロンとなった。
現在は復元・移築され、「文化のみち二葉館」として再生している。
丹念に見ていると、もう昼を過ぎていた。
食堂太閤本店に入ったのは 13時を過ぎていた。
。
うまかった!
拡大地図表示をクリックして文化のみち双葉館を見物してください。
地図右下の矢印をクリックしてください。
しりませんでした、時代を駆け抜けた一人だったんですね。
我が家のボロ家とは雲泥の差です
急がなくては成らないです。
二葉館は和洋折衷の素敵な建物でしたね。
明日あたり、この“二葉館”に到着予定です(^^♪
今日は暑いくらいの陽気になっていますよ。
いい時代の明治がそこのありますね。
彼女が後に再婚をした話は初めて聞きました。
再婚した相手の人と仲睦ましく一生を添い遂げられた
お話は胸を打ちますね。
天地の真理が分らない‥‥
何時の時代の政治も、同じですね!!!
貞奴の名前は知っていましたが
日舞の技芸に秀で、才色兼備の誉れが高かったことは
ここにきて知りました。
素晴らしい女性ですね。
お互い様ですよ。
日本にもこんな場所が有って目の保養になりました。
疲れが取れました。
週3回のペースに戻れそうです。
楽しく過ごした旅を何度も何度も思い出しています。