茨城から発信しますⅡ

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   茨城から発信します  東海村村松虚空蔵尊

2015-01-26 07:00:00 | 茨城紹介

村松山虚空蔵堂は茨城県那珂郡東海村にある真言宗豊山派の寺院。

正月の混雑を避け先日参拝してきた。

 

正月の雰囲気は十分残っていた。

 大神宮を参拝して坂道を上って行くと村松晴嵐の歌碑を見た。

ゆっくり坂道を下りる。

三重塔が輝いている。

本尊は空海(弘法大師)作の伝承をもつ虚空蔵菩薩であり

三重県伊勢市の伊勢朝熊山金剛證寺及び福島県河沼郡柳津町の

圓蔵寺とともに日本三大虚空蔵堂の一つとされる。

地元では村松山の虚空蔵さんと呼ばれ親しまれているほか、

茨城県北部や栃木県下では虚空蔵さんと言えば概して当寺を指す。

縁起等によれば807年に空海(弘法大師)によって創建されたとされ

空海が真言密教を日本全土に広めるために各地を巡化した際に、

この地で海の彼方に光る物ありとの話を聞き、それを引き上げさせると

大きな老木であったので、それを等身大の虚空蔵菩薩像に刻み

この地に安置したのが始まりとの伝説がある。

創建の際、平城天皇から「村松山神宮寺」の勅額を賜わった。

鎌倉時代末期から安土桃山時代にかけて常陸国を治めた佐竹氏の

庇護を受け隆盛を極めたが、1485年戦火により勅額も含め焼失した。

その後、1488年に白頭上人により再建され、

名称を「村松山神宮寺」から「村松山日高寺」に改められた。


江戸時代にはいり、徳川家康から朱印50石を寄進された。

水戸藩2代藩主・徳川光圀は寺を竜蔵院、竜光院の二院に分け、

宗派を修験道に改め、虚空蔵菩薩を修飾しその台座に

「日域三虚空蔵之一而霊応日新」と刻んだ。

狛犬が対になって魔除けとして神社の守りを司り

右側の口を開いた角なしの像が、「阿像」の獅子を意味し、

左側の口を閉じた角ありの像が「吽像」の狛犬を意味すると言われている。

ここでは「寅」と「丑」が守り神となっている。

阪神の方々はここへお参りすると本願成就できると思われる。

 

 Google map は左下の航空写真で見てください。