村松山虚空蔵堂は茨城県那珂郡東海村にある真言宗豊山派の寺院。
正月の混雑を避け先日参拝してきた。
正月の雰囲気は十分残っていた。
大神宮を参拝して坂道を上って行くと村松晴嵐の歌碑を見た。
ゆっくり坂道を下りる。
三重塔が輝いている。
本尊は空海(弘法大師)作の伝承をもつ虚空蔵菩薩であり
三重県伊勢市の伊勢朝熊山金剛證寺及び福島県河沼郡柳津町の
圓蔵寺とともに日本三大虚空蔵堂の一つとされる。
地元では村松山の虚空蔵さんと呼ばれ親しまれているほか、
茨城県北部や栃木県下では虚空蔵さんと言えば概して当寺を指す。
縁起等によれば807年に空海(弘法大師)によって創建されたとされ
空海が真言密教を日本全土に広めるために各地を巡化した際に、
この地で海の彼方に光る物ありとの話を聞き、それを引き上げさせると
大きな老木であったので、それを等身大の虚空蔵菩薩像に刻み
この地に安置したのが始まりとの伝説がある。
創建の際、平城天皇から「村松山神宮寺」の勅額を賜わった。
鎌倉時代末期から安土桃山時代にかけて常陸国を治めた佐竹氏の
庇護を受け隆盛を極めたが、1485年戦火により勅額も含め焼失した。
その後、1488年に白頭上人により再建され、
名称を「村松山神宮寺」から「村松山日高寺」に改められた。
江戸時代にはいり、徳川家康から朱印50石を寄進された。
水戸藩2代藩主・徳川光圀は寺を竜蔵院、竜光院の二院に分け、
宗派を修験道に改め、虚空蔵菩薩を修飾しその台座に
「日域三虚空蔵之一而霊応日新」と刻んだ。
狛犬が対になって魔除けとして神社の守りを司り
右側の口を開いた角なしの像が、「阿像」の獅子を意味し、
左側の口を閉じた角ありの像が「吽像」の狛犬を意味すると言われている。
ここでは「寅」と「丑」が守り神となっている。
阪神の方々はここへお参りすると本願成就できると思われる。
Google map は左下の航空写真で見てください。