人間って複雑にできている・・・・・そんな思いが最近、強くなっています。
経年で変わる態度、行動、表情。体の中身も勿論変わりますが、
ここでいいたいのは精神的、気持ちや価値観の部分です。
人それぞれDNAがあり、複雑な構成で生まれてきた個人ですから、
当たり前なのかもしれませんね。幼少期と老年期(この2期は身体の
変化のほうが大きく、心や価値観の変化は少ないのでは?)を除いては、
誰しもかなり変化を遂げるところが多いのではないでしょうか?
ですから何十年して久しぶりに会うと、その人は過去のものでは
なくなっている!? と感じたことはありませんか?
もちろん、何年経ってもあまり変わらない方もいるでしょうが(笑)。・・・・
そんなことを考えながら、ワグナーの「タンホイザー」を聴いていました。
感覚的に、夜明け寸前のシーンが思い浮かんでくる曲です。
空が白み始めたと思ったら、野鳥が少しづつ池のほとりから飛び立っていく
情景が私にはイメージできるんです。
でも、このワグナーの曲は、ただそういう情景だけではありません。
まさに、人間の内面を手繰り寄せた深遠さも想起させてくれます。
自然界の光景と、人間の中の鬱屈とした精神状態でのもがきや不安、そして
希望などがない交ぜになり、そのカップリングが、めくるめく音で
表現されているような気がしました。
特に、ホルンがゆるぎない精神状態を曲のベースで表現しているとしたら、
その周りで、弦楽器群が渦を巻くような音の連鎖で、その上にのっかってくる。
そんな音の表現が、深遠さを増しています。ここに強弱がつくので、
心の中の揺れが見事に表現されているように感じるのです。
だからといって、重苦しさは感じません。むしろ、自然界と人間の中の
自然(nature)を十分に感じることができます。だから、聴いた後の
余韻がすがしいのです。
音の流れは、ドラマチックです。映画のワンシーンに使ってもいいような
気がします(とういうか、実際に使われているかもしれません)。
文学の世界であてはめるとしたら、トルストイ(ロシア文学)の「アンナ・カレーニナ」
のワンシーンを思い浮かべます。
~アンナ(公爵夫人、ヒロイン)は、カレーニンという夫がありながら、
ブロンスキーという若い騎手に激しく恋をし、不倫の関係になります。
その激しい恋を止められなくなったアンナは、ついに意を決して自分に
どんな災いや罰が起ころうとも、夫に向かって「私はあの人(ブロンスキー)を
愛しています」と決然と告げるシーンです。この後、アンナはわっと泣き崩れます。
身を引き裂かれるような思いで、自分の本心を夫に告げる場面です。
ここからどんなつらいことが起こるのか予期できないけど、必ず、不幸が
訪れるとアンナは予感します。~
渦を巻くようなワグナーのドラマチックな音の連続が、このシーンと重なって
聴こえてくるのです。人間の複雑な思いを音で見事なまでに
表現しているように思うのです。
くしくも、ワグナーを寵愛したバイエルン王国(今の南ドイツ)のルードヴィヒも
ハプスブルク家(今のオーストリア中心)の王妃、エリザベートに不倫の恋を
し、密会を重ねます。それで、最後は悲劇が待っているのですが・・・・・・。
映画「ルードヴィヒ」をご覧になった方は、ご存知だと思います。
結局、アンナもルードヴィヒも最後は命を絶つことになるのですが、あまりにも
この2つのストーリーが似ているところが多いので、書き加えてみました。
これらは、悲劇の人生なのですが、ワグナーのこの曲を別に悲観論者に
なって聴く必要はないと思います。ひとりひとりの胸の内に感受性は
宿っているのですから、ご自身の五感を研ぎ澄まして聴かれると、
豊かな気持ちになれるかもしれません。
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