ワグナーのタンホイザーを聴いて感じた事

2011-10-16 10:21:26 | 音楽の思い出

人間って複雑にできている・・・・・そんな思いが最近、強くなっています。

経年で変わる態度、行動、表情。体の中身も勿論変わりますが、

ここでいいたいのは精神的、気持ちや価値観の部分です。

人それぞれDNAがあり、複雑な構成で生まれてきた個人ですから、

当たり前なのかもしれませんね。幼少期と老年期(この2期は身体の

変化のほうが大きく、心や価値観の変化は少ないのでは?)を除いては、

誰しもかなり変化を遂げるところが多いのではないでしょうか?

ですから何十年して久しぶりに会うと、その人は過去のものでは

なくなっている!? と感じたことはありませんか?

もちろん、何年経ってもあまり変わらない方もいるでしょうが(笑)。・・・・

そんなことを考えながら、ワグナーの「タンホイザー」を聴いていました。

感覚的に、夜明け寸前のシーンが思い浮かんでくる曲です。

空が白み始めたと思ったら、野鳥が少しづつ池のほとりから飛び立っていく

情景が私にはイメージできるんです。

でも、このワグナーの曲は、ただそういう情景だけではありません。

まさに、人間の内面を手繰り寄せた深遠さも想起させてくれます。

自然界の光景と、人間の中の鬱屈とした精神状態でのもがきや不安、そして

希望などがない交ぜになり、そのカップリングが、めくるめく音で

表現されているような気がしました。

特に、ホルンがゆるぎない精神状態を曲のベースで表現しているとしたら、

その周りで、弦楽器群が渦を巻くような音の連鎖で、その上にのっかってくる。

そんな音の表現が、深遠さを増しています。ここに強弱がつくので、

心の中の揺れが見事に表現されているように感じるのです。

だからといって、重苦しさは感じません。むしろ、自然界と人間の中の

自然(nature)を十分に感じることができます。だから、聴いた後の

余韻がすがしいのです。

音の流れは、ドラマチックです。映画のワンシーンに使ってもいいような

気がします(とういうか、実際に使われているかもしれません)。

文学の世界であてはめるとしたら、トルストイ(ロシア文学)の「アンナ・カレーニナ」

のワンシーンを思い浮かべます。

~アンナ(公爵夫人、ヒロイン)は、カレーニンという夫がありながら、

ブロンスキーという若い騎手に激しく恋をし、不倫の関係になります。

その激しい恋を止められなくなったアンナは、ついに意を決して自分に

どんな災いや罰が起ころうとも、夫に向かって「私はあの人(ブロンスキー)を

愛しています」と決然と告げるシーンです。この後、アンナはわっと泣き崩れます。

身を引き裂かれるような思いで、自分の本心を夫に告げる場面です。

ここからどんなつらいことが起こるのか予期できないけど、必ず、不幸が

訪れるとアンナは予感します。~

渦を巻くようなワグナーのドラマチックな音の連続が、このシーンと重なって

聴こえてくるのです。人間の複雑な思いを音で見事なまでに

表現しているように思うのです。

くしくも、ワグナーを寵愛したバイエルン王国(今の南ドイツ)のルードヴィヒも

ハプスブルク家(今のオーストリア中心)の王妃、エリザベートに不倫の恋を

し、密会を重ねます。それで、最後は悲劇が待っているのですが・・・・・・。

映画「ルードヴィヒ」をご覧になった方は、ご存知だと思います。

結局、アンナもルードヴィヒも最後は命を絶つことになるのですが、あまりにも

この2つのストーリーが似ているところが多いので、書き加えてみました。

これらは、悲劇の人生なのですが、ワグナーのこの曲を別に悲観論者に

なって聴く必要はないと思います。ひとりひとりの胸の内に感受性は

宿っているのですから、ご自身の五感を研ぎ澄まして聴かれると、

豊かな気持ちになれるかもしれません。