「高知ファンクラブ」 の連載記事集1

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羽迫博己さんの、土佐人の銅像・・・ジョン万次郎(その1)

2011-01-18 | 羽迫博己さんの世界

羽迫博己さんの、土佐人の銅像・・・ジョン万次郎(その1)

所在地   土佐清水市足摺岬

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1827年1月1日(文政10年)、幡多郡中ノ浜村谷前
   (土佐清水市中浜)の漁師の次男として生れる。
 十四歳の時、宇佐浦(土佐市宇佐)から漁船に乗込み
   出漁中暴風に巻き込まれて「鳥島」に漂着、143日間の
   無人島生活の後、アメリカの捕鯨船に救出された。
 先輩漁師4人はハワイに残り、万次郎はウィリアム・H・
   ホイットフィールド船長に見込まれて、アメリカ本土の
   フェアセブンで学校教育を受け、測量術や航海術を学ん
   で、捕鯨船の乗組員となって世界の海を廻った。
 1849年には、ゴールドラッシュのカリフォルニアに行き、
   金山に入って資金を造り、上海行きの船に先輩漁師
   2名と便乗し、1月沖縄に上陸して保護された。
 8月には鹿児島に送られ、藩主島津斉彬に外国事情を説明
   するなど優遇されたが、9月に長崎で獄舎に繋がれた。
 1852年6月、土佐藩に引渡され、7月11日高知城下に
   帰着したあと、10月故郷中ノ浜に帰るも間もなく藩に
   呼び出され、定小者という軽格の武士の資格を与えられ
   藩校教授館に出仕していた。
 1853年6月ペリーが浦賀に来航したため、万次郎は幕府
   に呼びされ、旗本普請役格の待遇を受けて外国奉行の
   顧問役を務めた。
 1860年にはかいりん丸の渡米に通訳として同行し、以後
   鹿児島に迎えられ、教授を務めたり、数々の本を出版す
   るなど、44歳で健康を害するまで、多方面で活躍した。
 1898年(明治31年)没、72歳 墓は雑司ヶ谷霊園に
   あり、中浜の大覚寺に空墓がある。

 

  除 幕:昭和43年7月11日(高知城下 帰着を選んで)

総経費:2465万円(補助50万、他は寄付金)
  銅像建設実行委員:吉田茂元総理、八田一郎、県知事等

 

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