歯磨きしていると、彼女がきて、パステルカラーのグリーンぽいホワイトは珍しいという花
水木がとても美しくさいているからデジカメで撮ってという。上下違いのパジャマ姿のまま
じゃ恥ずかしいからと、むずがる僕を、なおも催促するので、雨が降り止んだばかりの玄関
先の花水木に近寄り、渋々シャッターを切る。さて、夜に編集作業となると、ひとつも良いものが
ない。それでも、ビートルズの「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」をヘッドフォ
ンで聴きながら、数枚チョイスし、そこから3枚、ブログ掲載した。さて、お気に召されたか?ねぇ~そ
この君(二階で就眠中)!
●こまった隣国、遅刻してきた帝国主義
日本の尖閣諸島(沖縄県石垣市)をめぐって、米国と中国が火花を散らしたという(2014.0
4.19 J-CASTニュース)。それによると、中国を訪問しているチャック・ヘーゲル米国防長官は中国
の常万全国防相と会談し、中国が東シナ海上空で防空識別圏を設定したことを批判した。日中間の
係争においては日米安全保障条約に基づき、日本への防衛義務を果たす考えを表明。ヘーゲル国
防長官と常万全国防相は2014年4月8日、北京で会談し、東シナ海や南シナ海、朝鮮半島情
勢などで意見交換した。AP通信によると、会談の中でヘーゲル国防長官は「事前の協議もな
しに、係争となっている島の上空に、一方的に防空識別圏を設定する権利は、中国にはない」
と非難した。中国は2013年末、日本と領有権を争っている東シナ海の尖閣諸島上に防空識別
圏を一方的に設定した。また、南シナ海では中国による領有権の主張が違法としてフィリピ
ンが14年1月に国連海洋法条約に基づく仲裁裁判所に仲裁を請求している。米国はこうした領
有権をめぐるトラブルに対して、中国をけん制。東シナ海での防空識別圏の設定については
「こうした行動は結果的に危険な紛争につながる」と危機感をあらわにした。米国はこれま
で、尖閣諸島が「日米安保条約の適用範囲」との立場を示してきたが、「領土問題の解決は
当事者同士で行うべき」と主張する中国に配慮し、日本や、南シナ海でのフィリピンの支持
を明確に示すことを避けてきた。ヘーゲル国防長官は「米国は日中が衝突すれば、日本を保
護するだろう」とも述べたという。これに対して、中国の常国防相は「中国は他国の主権や
領土保全を決して侵害しない」と述べたうえで、「領有権については妥協も譲歩も取引もし
ない。一寸の侵入も許さない」と強調。「自ら日本との争いをかき回すようなことはしない。
しかし中国政府は領土を保護する必要があれば、武力を使用する準備はできている」と反論
したとのことだ。さらに、尖閣諸島(沖縄県石垣市)周辺海域での中国の挑発が執拗(しつ
よう)さを増しているという(2014.04.20 産経新聞)。2月以降、日本の接続水域(領海の
外側約22キロ)で中国海警局の船が撤収することなく10日以上連続して航行する事態が
相次ぎ、海上保安庁は警戒感を強める。海保は映像提供などの「積極広報」を控えているが
、尖閣周辺で漁を行う漁業関係者は激白する。「海保と中国海警の船が数メートルほどまで
接近するケースはざらだ。一触即発という場面を何度も目撃した」という。
武力を背景に他国の領土を侵害し領土拡張支配する行為は、典型的な「帝国主義的行動」で
あることは言うに及ばず。フルシチョフを修正主義と批判した毛沢東のスターリン原理主義
回帰に端を発した「社会帝国主義論争」で旧ソ連の戦車による蹂躙危機が迫る体験を中国共
産党は忘れることはないが、それを忘れたかのように、ベトナム、フィリピンに武力行使と
いうあきれ果てた蛮行をとっている。
●沖ノ鳥島桟橋工事は「極秘計画」だった
ところで、東京都小笠原村の沖ノ鳥島で2014年3月30日に起った桟橋工事の事故にからんで
この工事が「極秘計画」として進められていた、国家プロジェクトだったことが分かったと
いう(2014.04.14 J-CASTニュース)。それにいうと、国土交通省関東地方整備局は、第三者
による事故調査委員会を設置して原因を調べているが、桟橋が小さくて重心が高くなったこ
とが転覆につながった可能性があるとみている。それにしても重心のが高いことがこの工法
の特徴ではないかと考える-(意図して)重心を高くすることで反転力を利用、回転させ設
置する工法ではと考えていたが-港湾施設は、縦に並んだ3つの桟橋の中央横に、荷さばき
施設がつながる構造で、桟橋や荷さばき施設の四隅にそれぞれ4本の鋼製の脚を立てた状態
で海底に沈め、脚を地盤に打ち込んで固定。その後、桟橋などを海面に引き上げる工法で進
めていた。すでに13年に1基(長さ30メートル、幅40メートル、重さ 966トンの荷さばき施
設)を完成しており、「島の西側にあたる場所に建設。1基目に接続して、岸壁をつくる計
画です」(関東地方整備局)と話しているとのこと。ところが、そんな港湾整備計画が事故
の発覚で、「極秘」で進められている国家プロジェクトだったことが発覚してしまった国交
省は、「特秘性があり、情報保全の確保の観点から伏せていました」と、認めている。この
桟橋工事は13年8月からはじまり、14年9月には終了する予定だった。完成すれば、数千ト
ンクラスの海洋調査船の着岸が可能になるはずだったが、現在、作業再開のメドは立ってい
ない。そして、この記事は、事故の結果、中国、韓国の反発招くと危惧している。しかし、
事故分析と対策さらには、そのスケジュールを明らかにするのことは中央政府の責任である
ことは変わらない。それは「人命は地球より重し」は揺るがせないからだ。
配達された本を開封し、早速『イエスタディ』から読み出したが、スケジュールの都合一
気に了読するにはいろいろと障害になり、二度目の読書をはじめて、ふと「まえがき」に目
がとまる。これは読み飛ばすにはいけないと直感する。案の上、起稿から出版依頼に到る事
細かなことが書かれてあった。
長編小説にせよ短編小説集にせよ、自分の小説にまえがきやあとがきをつけるのがあ
まり好きではなく(偉そうになるか、言い訳がましくなるか、そのどちらかの可能性が
大きい)、そういうものをできるだけ書かないように心がけてきたのだが、この『女の
いない男たち』という短編小説集に関しては、成立の過程に関していくらか説明を加え
ておいた方がいいような気がするので、あるいは余計なことかもしれないが、いくつか
の事実を「業務報告」的に記させていただきたいと思う。偉そうにもならず、言い訳が
ましくもなく、邪魔にならないようにできるかぎり努めるつもりだが、結果には今ひと
つ自信が持てない。
僕がこの前に出した短編小説集は『東京奇譚集』で、それが2005年のことだから、
9年ぶりの短編集刊行ということになる。そのあいだ断続的に何冊かの長編小説にかか
りきりになっていて、短編小説を書こうという気持ちはなぜか起きなかった。でも去年
(2013年)の春に必要に迫られて、短編小説をひとつずいぶん久方ぶりに書き(『
恋するザムザ』)、その作業を思いのほか楽しむことができた(書き方を忘れていなか
ったのは何よりだった)。それで夏ごろに、「長編小説もさすがに書き疲れたし、そろ
そろまとめて短編小説を書いてみようかな」と考えるようになった。
僕は短編小説をだいたいいつも一気にまとめ書きしてしまう。いろんな媒体に散発的
に短編を書くという方式は、まだ執筆システムが定まっていなかったキャリアの本当の
初期はべつにして、ほとんどとったことがない。長編小説を書き下ろしで書くのが本来、
体質に向いているらしく、あちこちに切れ切れに短編小説を書いていると、調子がなか
なか出てこないというか、力の配分がうまくいかない。だから短編6、7本くらいを一
度に集中して書くことにしている。するとちょうど「本1冊分」の仕事量になり、水泳
で言えば、息継ぎの感覚がつかみやすい。
『神の子どもたちはみな踊る』も『東京奇譚集』もそういう書き方をした。だいたい2
週間に1本、3ケ月か4ケ月で単行本1冊分というペースで書いていく。そういう書き
方をして都合の良い点は、作品のグループにそれなりの一貫性や繋がりを与えられるこ
とだ。ばらばらに書かれたものをただ集めてひとつのバスケットに詰め込むというので
はなく、特定のテーマなりモチーフを設定し、コンセプチュアルに作品群を並べていく
ことができる。『神の子どもたちはみな踊る』の場合のモチーフは「1995年の神戸
の震災」だったし、『東京奇譚集』の場合は「都市生活者を巡る怪異譚」だった。そう
いう「縛り」がひとつあった方が話を作っていきやすいということもある。
本書のモチーフはタイトルどおり「女のいない男たち」だ。最初の一作(『ドライブ・
マイ・カー』)を書いているあいだから、この言葉は僕の頭になぜかひっかかっていた。
何かの曲のメロディーが妙に頭を離れないということがあるが、それと同じように、そ
のフレーズは僕の頭を離れなかった。そしてその短編を書き終えたときには、この言葉
をひとつの柱として、その柱を囲むようなかたちで、一連の短編小説を書いてみたいと
いう気持ちになっていた。そういう意味では『ドライブ・マイ・カー』がこの本の出発
点になった。
「女のいない男たち」と聞いて、多くの読者はアーネスト・ヘミングウェイの素晴らし
い短編集を思い出されることだろう。僕ももちろん思い出した。でもヘミングウェイの
本のこのタイトル“Men Without Women"を、高見浩氏は『男だけの世界』と訳されてい
るし、僕の感覚としてもむしろ「女のいない男たち」よりは「女抜きの男たち」とでも
訳した方が原題の感覚に近いような気がする。しかし本書の場合はより即物的に、文字
通り「女のいない男たち」なのだ。いろんな事情で女性に去られてしまった男たち、あ
るいは去られようとしている男たち。
どうしてそんなモチーフに僕の創作意識が絡め取られてしまったのか(絡め取られた
というのがまさにぴったりの表現だ)、僕自身にもその理由はよくわからない。そうい
う具体的な出来事が最近、自分の身に実際に起こったわけではないし(ありかたいこと
に)、身近にそんな実例を目にしたというわけでもない。ただそういう男たちの姿や心
情を、どうしてもいくつかの異なった物語のかたちにパラフレーズし、数行してみたか
ったのだ。それは僕という人間の「現在」の、ひとつのメタファーであるのかもしれな
い。あるいは遠回しな予言みたいなものなのかもしれない。それとも僕はそのような「
悪魔払い」を個人的に必要としているのかもしれない。そのあたりは僕自身にも説明で
きない。しかしいずれにせよこの本のタイトルが『女のいない男たち』になることは最
初から決定されていたようだし、それが揺らぐことはなかった。言い換えるなら、僕は
おそらくこのような一連の物語を心のどこかで自然に求めていたのだろう。
まず最初に『ドライブ・マイ・カー』と『木野』の第一稿を書いた。そして「文藝春
秋」本誌に「短編小説を書いたのですが、掲載してもらえる可能性はありますか?」と
尋ねてみた。僕はもう長いあいだ、長編にせよ短編にせよ、依頼を受けて小説を書くと
いうことをしていない。とりあえず書いてしまってから、その作品が向いてそうな雑誌
なり出版社に持ち込む。依頼を受けて小説を書くと、どうしても容れ物や分量や期日の
制約があり、自分の表現者としての(というのも大仰な言い方だが、他にうまい言葉が
浮かばないので)自由が失われてしまうような気がするからだ。
現在文藝春秋の社長をされている平尾隆弘さんには、僕が以前雑誌「文藝春秋」に短
編小説を掲載したとき、担当編集者としてお世話になった。そういう縁がある。平尾さ
んがまず『ドライブ・マイ・カー』を読んでくれ、編集部と相談して、「本誌に掲載し
ましょう」ということになった。それから僕は『イエスタデイ』と『独立器官』という
小説を、「文藝春秋」に掲載することをとりあえず念頭に置いて書いた。どれも枚数は
400字詰め原稿用紙にして80枚と、短編小説にしてはかなり長い分量だった。でも
それくらいが、その時期の僕には「ぴったりくる」分量だったようだ。枚数をあらかじ
め決めて書いたわけではないが、どの作品も量ったように80枚前後になった。全体の
バランスを考えて、3本目に書いた『イエスタデイ』を、2本目に書いた『木野』の前
に掲載してもらうことにした。『木野』は推敲に思いのほか時間がかかったということ
もある。これは僕にとっては仕上げるのがとてもむずかしい小説だった。何度も何度も
細かく書き直した。ほかのものはだいたいすらすらと書けたのだけど。
その途中で畏友・柴田元幸さんの主宰する文芸誌「MONKEY」から、創刊第2号の
ための短編小説を依頼された。前にも書いたように、原則として小説執筆の依頼は受け
ないのだが、ちょうどうまい具合に短編小説を書くモードにすっぽり入っていたという
こともあり、「いいですよ。やりましょう」と返事をして、すぐに『シェエラザード』
を書きあげ、渡した。順番としては『イエスタデイ』と『独立器官』とのあいだに書い
たわけだが、この作品は「文語春秋」に書くのとはまったく違うスタンスで書くことが
できた。「文藝春秋」本誌はいわばジェネラルな読者を対象にした総合雑誌だが、「M
ONKEY」はどちらかといえば尖った若い読者向けの、新しい感覚の文芸誌だ。超メ
ジャー・対「個人商店」といえばいいのか。そういう意味で、僕はそれらの媒体の性格
の差違を楽しみながら、少し違った意識で小説を書くことができた。こちらは60枚と
少しばかり小振りになっている(というか短編小説としては標準的な長さだが)。別の
雑誌のために書いたものだが、「女のいない男たち」というモチーフは同じであり、連
作のひとつと考えてもらっていい。
そして最後に雑誌のためではなく、単行本のための「書き下ろし」というかたちで短
編『女のいない男たち』を書いた。考えてみれば、この本のタイトルに対応する「表題
作」がなかったからだ。そういう、いわば象徴的な意味合いを持つ作品がひとつ最後に
あった方が、かたちとして落ち着きがいい。ちょうどコース料理のしめのような感じで。
この短い作品『女のいない男たち』を書くにあたってはささやかな個人的なきっかけ
があった。そのきっかけがあり、「そうだ、こういうものを書こう」というイメージが
自分の中に湧き上がり、ほとんど即興的に淀みなく書き上げてしまった。僕の人生には
時としてそういうことがある。何かが起こり、その一瞬の光がまるで照明弾のように、
普段は目に見えないまわりの風景を、細部までくっきりと浮かび上がらせる。そこにい
る生物、そこにある無生物。そしてその鮮やかな焼きつけを素早くスケッチするべく机
に向かい、そのまま一息で、骨格になる文章を書き上げてしまう。小説家にとってそう
いう体験を持てるのは何より嬉しいことだ。自分の中に本能的な物語の鉱脈がまだ変わ
らず存在しており、何かがやってきてそれをうまく掘り起こしてくれたのだと実感でき
ること、そういう根源的な照射の存在を信じられること。
短編小説をまとめて書くときはいつもそうだが、僕にとってもっとも大きな喜びは、
いろんな手法、いろんな文体、いろんなシチュエーションを短期間に次々に試していけ
ることにある。ひとつのモチーフを様々な角度から立体的に眺め、追求し、検証し、い
ろんな人物を、いろんな人称をつかって書くことができる。そういう意味では、この本
は音楽でいえば「コンセプト・アルバム」に対応するものになるかもしれない。実際に
これらの作品を書いているあいだ、僕はビートルズの『サージェント・ペパーズ』やビ
ーチ・ボーイズの『ペット・サウンズ』のことを緩く念頭に置いていた。そういう不朽
の名作と自分の作品集を同列に並べるのはいうまでもなくまことにおこがましいのだけ
れど、(あくまで)イメージとしては、つもりとしてはそういうものなのだと思って読
んでいただけると、作者としてはありかたい。
僕がこれまでの人生で巡り会ってきた多くのひそやかな柳の木と、しなやかな猫だち
と、美しい女性たちに感謝したい。そういう温もりと励ましがなければ、僕はまずこの
本を書き上げられなかったはずだ。
最後になるが『ドライブ・マイ・カー』と『イエスタデイ』は雑誌掲載時とは少し内
容が変更されている。『ドライブ・マイ・カー』は実際の地名について、地元の方から
苦情が寄せられ、それを受けて別の名前に差し替えた。『イエスタデイ』については、
歌詞の改作に関して著作権代理人から「示唆的要望」を受けた。僕の方にももちろん、
それなりの言い分はあるけれど(歌詞は訳詞ではなく、まったく無関係な僕の創作だか
ら)、ビートルズ・サイドとトラブルを起こすのはこちらの本意ではないので、思い切
って歌詞を大幅に削り、問題が起きないようにできるだけ工夫した。どちらも小説の本
質とはそれほど関係のない箇所なので、テクニカルな処理によって問題がまずは円満に
解消してよかったと思っている。ご了承いただきたい。
村上春樹 著『女のいない男のたち』/「まえがき」
「僕がこれまでの人生で巡り会ってきた多くのひそやかな柳の木と、しなやかな猫だちと、
美しい女性たちに感謝したい。そういう温もりと励ましがなければ、僕はまずこの本を書き
上げられなかったはずだ」と書いているが、特に「美しい女性たち」に関しては、激しく身
体を上下させ肯首するわけだが、それが"不純な動機"と見られようとも、咎められようとも、
萎縮することなく賛同?しているわたしがいる。それはそれとして、今夜はこの程度にして
おく。