徳丸無明のブログ

雑文、マンガ、イラスト、その他

父なる神と母なる神――神様の見分け方

2019-02-01 21:38:45 | 雑文
神様の見分け方、その大まかな分類について書きます。
まず、神様は大別して「父なる神」と「母なる神」に二分されます。一神教の神は「父なる神」で、多神教の神は(おもに)「母なる神」です。
一神教というのは、神様がひとりしかいない宗教のことですね。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教のことです。多神教は神様がたくさんいる宗教。八百万の神様がいる日本の神道なんかのことです。アミニズムもここに加えていいでしょう。多神教なので神様はいっぱいいて、当然その中には男の神様も含まれるのですが、重要な役目を担っているのは「母なる神」のほうです。
一神教の神は「父なる神」、多神教は(おもに)「母なる神」。それぞれの神を父と母として表象しているわけです。父なる神は厳しい。律し、罰します。対して、母なる神は優しい。包み込んで受け入れ、許します。
父なる神は、天にいますが、母なる神は地にいます。天と地の違いは何かというと、ひとつは「移動できるかどうか」です。
母なる神は土地に縛られているため、その場を離れては信仰されることはありません。対して、父なる神は天にいて、大地に縛られてはいないので、どこにでも移動できます。つまり、世界中どこでも信仰されるのです。
ユダヤ人はイスラエルを追われて以降、世界中を放浪し、流浪の民と呼ばれることになりました。もし彼らが移り住んだ土地に同化してしまえば、それは信仰を捨てることになるので、ユダヤ人ではなくなってしまいます。つまり、「ユダヤ人は世界を放浪した」という言明が成立しているということが、彼らが信仰を捨てなかったという史実の証明になっているのです。
キリスト教はご存知の通り、宣教師を世界中に派遣して積極的に布教を行いました。その成功の度合いは地域によってまちまちですが、今や世界中に信者がいるのは、どの土地であっても信仰できるという証拠です。
それからイスラム教。イスラムの人達は熱心に布教したりしませんが、紛争で亡命したり、働き口を求めて移民となったりした場合、イスラム同士でコミュニティを作り、モスクなんかも建てて礼拝を行い、けして信仰を捨てることはありません。
ちなみに、世界中で信仰されている宗教といえば仏教もありますが、仏教には神がいないので、ここでの分類には当てはまりません。
母なる神は土地に縛られているため、その土地でしか信仰されることはありません。ローカルな神様なのです。なぜ母なる神が地にいるのかというと、大地は生命の源であることから、「産む側の性」である女=母との連想によって結びついたからですね。そのため、母なる神は繁殖・豊穣をつかさどっています。それに対し、父なる神は天候・気候をつかさどっています。「創世記」なんかじゃ、よく異常気象や災害を起こして人間に罰を与えていますね。
余談ですが、北米先住民の中には農耕をいっさい行わない部族があるそうです。なぜ農耕をしないのかというと、大地に手を加えるということは、母なる神を傷つけることになるから、だそうです。いい話だと思いませんか?
ついでに言いますと、アメリカのサウスダコタ州にラシュモア山っていう山がありますよね。ジョージ・ワシントン、トーマス・ジェファーソン、セオドア・ルーズベルト、エイブラハム・リンカーンら4人の大統領の胸像が彫られてる所です。ヒッチコックの『北北西に進路を取れ』の舞台としても知られてますね。あの山は、元々先住民にとっての聖地なのです。わざわざ聖地を選んで像を彫っているんですね。それはつまり、白人の人達が、「ここは我々の土地であり、先住民のものではない」という宣言のために、あえてあの山を彫刻の対象にしたということなのです。おそらく、大地に手を加えてはいけない、という先住民の宗教観も知りぬいたうえでやっているのでしょう。
それと、天と地という位置は、人間との関係性とも関連してきます。父なる神は天にいるので、人間とはタテ・垂直の関係にあります。神のほうが上であることから、上下関係がキッチリしており、神が一方的に人間に命令やメッセージをくだすばかりで、人間のほうから神にコンタクトを取れることはほとんどありません。神と人間の距離は遠く離れていて、神が用事のある時だけ地上に降りてくる、という感じですね。
ちょうど今読んでいる中沢新一の『虎山に入る』(角川書店)の中に関連する記述が出ていたので引用します。


インド・ヨーロッパ語的な文明のいちばん大きな特徴は、「超越性」の概念のとらえ方に、明確にあらわれている。彼らは神と人間との間に、越えがたい溝をおいた。そして、神は天上の領域に、人間は地上の領域に、画然と分離しようとした。その特徴は、インド・ヨーロッパ語的な文明すべての、一種の潜在構造となって、言語表現の仕組みから、宗教にいたるまで、そこでつくりだされる文明のすべてに、深い影響をおよぼしてきたが、これを立証するものとしては、エミール・バンヴェニストによるつぎのような証言にまさるものはないだろう。「したがって(インド・ヨーロッパ語には)、宗教自体や祭祀、祭司はおろか、個人的な神を示す共通の語彙などは何らみられそうにない。結局、共通性という点から考えるならば、おそらく「神」概念そのものしか残らないのだ。この概念はdeinosという形態で現れている。本来の意味は「光り輝く」および「天上の」で、まさにこうした性質において、神は「地上の」ものである人間(たとえばラテン語のhomoの意味)と対立する」(『インド・ヨーロッパ諸制度語彙集』)。


それに対して、母なる神は地にいるので、人間とはヨコ・水平の関係にあります。人間と神は横並びなのでごく近い位置におり、お互い気楽にコミュニケーションを取ることができます。お隣さんといった具合です。

以上をまとめますと次のようになります。

〈父なる神=一神教=厳しい=律し、罰する=天にいる=天候・気候をつかさどる=世界中どこでも移動可能=タテの関係=人間から遠い〉

〈母なる神=おもに多神教とアミニズム=優しい=受け入れ、許す=地にいる=豊穣・繁殖をつかさどる=土地に縛られていて移動不能=ヨコの関係=人間から近い〉

最初に申し上げた通り、これはあくまで大まかな分類です。宗教によってはこれに当てはまらない神様もいるでしょう。しかし基本的にはこの二分法である程度理解できるはずです。ご参考になさってください。


オススメ関連本 ケン・スミス『誰も教えてくれない聖書の読み方』晶文社


最新の画像もっと見る

コメントを投稿