東浩紀の『訂正する力』(朝日新書)を読んだ。
これは、政治や経済など、様々な分野で行き詰まりが見られる現代の日本では、すべてをチャラにするリセット願望が高まりつつあるが、それとは違う道筋として「訂正」というありかたを、東が哲学者の立場から提唱した、提言の書である。東の言う訂正とは、おもに過去を読み換えること(解釈を変えること)であり、その読み換えによって、より良き未来を目指すための指針とする、というものである。そのひとつの例として、小説家の司馬遼太郎の功績が挙げられている。
幻想と言えば、いわゆる司馬史観と呼ばれるものがあります。作家の司馬遼太郎によって提示され、広く普及している歴史観のことです。ひとことで言えば「明治の日本はよかったが、昭和に入ってだめになった」という歴史観です。
その司馬が有名にした人物のひとりに、坂本竜馬がいます。竜馬の一般的なイメージは、対立する人間をなだめて結びつける平和主義者であり、開国主義者です。ところが今日では、これは司馬によって創作されたものだと指摘されています。
最近の研究によれば、竜馬は船中八策も書いていないし、亀山社中もつくっていないし、勝海舟と会って弟子になったという有名なエピソードも誇張ということになっているようです。(中略)
となってくると、考えるべきは、なぜそんな竜馬のイメージがここまで広がったのかということです。
ぼくが推測するに、それは昭和の人々が、そこに彼ら自身の理想像を見出したからではないでしょうか。司馬が描いた竜馬は商人でもありました。海援隊を結成して物資を運び、貿易で利益を出して敵対勢力を結びつけ、平和を築いていく。それはまさに、武力を放棄し、経済力による平和の達成を夢見た戦後の理想に一致します。
司馬は、そういう人々の無意識を敏感に感じ取り、起源を維新の志士に求めるというアクロバットをやってのけたのではないか。竜馬がいることで、戦後日本の商業国家路線は、じつは明治維新のときに可能性として胚胎していたものだという歴史がつくられる。占領軍に押しつけられたものではなくなる。
その歴史は幻想ですが、単純に非難されるべきものではありません。司馬はそのような作業を通して、近代日本の自画像そのものをアップデートしようとしたのです。(中略)それはまさに昭和の日本人が必要としていたことでした。
なんだか「プロジェクトX」を彷彿とさせる話だ。中島みゆきが聴こえてくる。
年配の男性の中には熱狂的な竜馬ファンがいて、その心酔ぶりは原理主義者のようでもある。著名人では武田鉄矢がまさにそうだが、その入れ込みようが、僕には不思議であった。なぜそれほど高く持ち上げるのかと。武田鉄矢は以前ソフトバンクのCMに出演した際、「男はみんな竜馬好きです」と言っており、いくらCMのセリフとはいえ、よくもそこまで断言できるものだと呆れた記憶がある。
だが、昭和の一時期、高度経済成長を担ってきた男たちが、精神的支柱とするために竜馬を自分と重ね合わせてきた、ということなら頷ける。戦後復興を成し遂げたことを慰撫する意味合いもあったのかもしれない。(以下、昭和と記す場合、『竜馬がゆく』が発表された38年(1963年)以降の昭和を指し、それより前は含まないものとする)
最近では竜馬の功績の見直しが進み、これまで称賛されてきたほどの人物ではないという評価が定まりつつあり、歴史教科書の記述からも外されているそうだが、それが正しい人物評価なのだろう。これまでが神格化されすぎていたのだ。
僕も子供の頃は、それこそ武田鉄矢が原作者を務める小山ゆうのマンガ『お~い!竜馬』を愛読していたのだが、あまりにも理想化されたその竜馬像に、鼻白んでもいた。マンガの竜馬は、あまりにもカッコよすぎで、完全無欠の人物として描かれていたのだ。一応「クモが苦手」という描写はあったものの、それだって「弱点もある愛すべき男」という、親しみを持たせるための短所であって、優れた人物像をなんら毀損するものではなかった。
なんでも、竜馬は剣の達人ではなかった、という説もある。『お~い!竜馬』では、江戸の千葉道場に入門し、北辰一刀流の免許皆伝を得たことになっているのだが、それは事実ではない、という説だ。竜馬は、武士だから帯刀してはいたものの、その人生で一度も人を斬ったことがないらしい。それはどうやら史実のようで、武田鉄矢はそのことを、「人命を尊重した博愛精神の表れ」と評している。だが、竜馬が剣の達人ではなかったのだとすると、「人を斬らなかった」のではなく、「そもそも斬る腕がなかった」ということになる。このような細部にも、竜馬を盲目的に崇拝する人の陥穽が潜んでいる。
ちなみに、共に文芸評論家の坪内祐三と福田和也は、対談本『革命的飲酒主義宣言――ノンストップ時評50選!』(扶桑社)の中で、竜馬について、次のように語っている(初出は2009年11月)。
坪内 そういえばさ、来年のNHK大河ドラマは『龍馬伝』なんでしょ。原作は特にないらしいけど、司馬遼太郎が『竜馬がゆく』(’63~’66年)を書くまで、坂本龍馬って別に人気者じゃなかったよね。地味な存在だった。
福田 『竜馬がゆく』は、ほぼ全部、フィクションだからね。あれは、伊藤痴遊(明治~昭和初期の講談師、政治家)が面白おかしく作った坂本龍馬の講談が元ネタでしょう。
(中略)
福田 要するに、龍馬の手柄とされていることの9割9分は、本当は、横井小楠(熊本藩士。私塾「四時軒」を開き、龍馬など維新の志士が出入りしていた)のアイデアでしょう。船中八策とか海援隊とか。横井小楠の偉さに比べれば、龍馬なんて微々たるもんですよ。勝海舟が、自分が会ってデカいと思ったのは、西郷隆盛と横井小楠の二人だけだと言っている。飛鳥井雅道とか本筋の学者はちゃんと横井小楠の研究をしてるけど、一般の書き手は誰も書かない。
(中略)
福田 夏に『週刊文春』で歴史上の偉人を選ぶ読者3000人アンケートがあって、坂本龍馬は3位に入ってたね。結果を見ながら半藤一利さんたちと鼎談したんだけど、半藤さんが言うには――「『竜馬がゆく』と違うことを言うと、読者から文句が来る」と。「あれは史実と違う、小説だ」と説明してもダメなんだって。しかもそのアンケート、坂本龍馬を尊敬する理由として読者が挙げるのが、「饅頭屋で饅頭をたくさん食ったのが偉かった」みたいな。
坪内 それは司馬さんの作り話じゃん。
福田 もう本当に、今やジジィも何も、全然教養がないよ。まぁ、それだけ信じ込ませる司馬さんは偉いんだけど。
坪内 伊藤痴遊の講談があったり、「立川文庫」(大正時代の講談本)があったりして、いわゆる講談的素養が大衆文学を生み出し、それが司馬さんに続いていくわけだけど――その種の素養というか教養が断絶したのに、今になって、また司馬さん人気が復活しているのが、不思議だな。例えば、坂本龍馬と中岡慎太郎って、土佐藩士で同レベルの知名度で、伊藤痴遊も「慎太郎と龍馬」って講談をやってたでしょ。もし司馬さんが慎太郎にスポットを当ててたら、慎太郎が英雄になってたよ。
つまり、世の竜馬好きは、過去に実在していた本物の坂本竜馬ではなく、過度に装飾された虚像の坂本竜馬のほうに熱視線を送っていたということである。そして恐らくは、虚像を虚像と認識することができないほどの強固な思い込みが、時代の力として働いていたのだ。昭和の男たちには、その思い込みが必要だったわけだ。歴史教科書のような、実証性を旨とする媒体ですら「虚像の竜馬」を取り扱ってきたという事実は、その思い込みがいかに集団的、かつ広範的であったかの表れと言えよう。
また、東の解釈の通りだとすると、竜馬は男性人気は高いものの、女性のファンが少ない理由もよくわかる。昭和の男たちは、「プロジェクトX」に象徴されるように、家庭を顧みず、身を粉にして働いてきた。そんな男たちこそが竜馬の支持者だった。対して、顧みられない家庭を守っていた女たちは、竜馬に憧れなかった。モデルにはならないし、自分と同一視もできないからだ。昭和の女たちは、竜馬を、家庭を顧みない夫と重ね合わせ、冷やかな目で眺めていたのかもしれない。
近年になって竜馬像が見直され、その評価が下落しつつあるということ。それは、すでに竜馬は、日本人男性が理想とすべき人物ではなくなっている、ということである。言い換えれば、今までは理想であったから竜馬の人物像は聖化され、評価を下げる歴史研究は受け付けられなかったのだ。その手の研究は、あったとしても、無視されてきた。今はもう理想像ではないから、これまでの評価を下げる(と言うより、正確な評価を与えるということだが)歴史研究が受け入れられるようになってきたのだ。
恐らく時代はもう戻らない。高度経済成長と同様、もしくはそれに類する時代は、もう訪れない。だから竜馬も、再び理想像とされることは、多分ない。
昭和の男たちは、さぞや寂しいことだろう。高知の空港に竜馬の名前が冠されたことを喜び、一万円札に竜馬の肖像の起用を呼びかけていた男たち。だが、彼らの時代はもう戻らない。竜馬を神聖視する時代もまた、戻ることはない。
せめて彼らに、感謝を述べよう。彼らの献身的な努力によって、現在の繁栄がある。今の日本の経済的豊かさは、彼らの働きのおかげだ。
彼らが社会の中心として活躍した時代も、竜馬が英雄として崇めたてられた時代も、もう過去のものだ。もはや現代は、あなたたちを必要としてはいない。でも、あなたたちがあって、今がある。
だから、昭和の男たちよ、ありがとう。昭和の男を支えてくれた竜馬よ、ありがとう。高度経済成長が2度と訪れないように、「坂の上」も、もう存在しない。そこに立っていた、我々が仰ぎ見ていた偉人は、もういない。歴史的役目を終え、どこかへ行ってしまったのだ。
さようなら、竜馬。あなたがもたらした繁栄は、今もこの国を支えている。
これは、政治や経済など、様々な分野で行き詰まりが見られる現代の日本では、すべてをチャラにするリセット願望が高まりつつあるが、それとは違う道筋として「訂正」というありかたを、東が哲学者の立場から提唱した、提言の書である。東の言う訂正とは、おもに過去を読み換えること(解釈を変えること)であり、その読み換えによって、より良き未来を目指すための指針とする、というものである。そのひとつの例として、小説家の司馬遼太郎の功績が挙げられている。
幻想と言えば、いわゆる司馬史観と呼ばれるものがあります。作家の司馬遼太郎によって提示され、広く普及している歴史観のことです。ひとことで言えば「明治の日本はよかったが、昭和に入ってだめになった」という歴史観です。
その司馬が有名にした人物のひとりに、坂本竜馬がいます。竜馬の一般的なイメージは、対立する人間をなだめて結びつける平和主義者であり、開国主義者です。ところが今日では、これは司馬によって創作されたものだと指摘されています。
最近の研究によれば、竜馬は船中八策も書いていないし、亀山社中もつくっていないし、勝海舟と会って弟子になったという有名なエピソードも誇張ということになっているようです。(中略)
となってくると、考えるべきは、なぜそんな竜馬のイメージがここまで広がったのかということです。
ぼくが推測するに、それは昭和の人々が、そこに彼ら自身の理想像を見出したからではないでしょうか。司馬が描いた竜馬は商人でもありました。海援隊を結成して物資を運び、貿易で利益を出して敵対勢力を結びつけ、平和を築いていく。それはまさに、武力を放棄し、経済力による平和の達成を夢見た戦後の理想に一致します。
司馬は、そういう人々の無意識を敏感に感じ取り、起源を維新の志士に求めるというアクロバットをやってのけたのではないか。竜馬がいることで、戦後日本の商業国家路線は、じつは明治維新のときに可能性として胚胎していたものだという歴史がつくられる。占領軍に押しつけられたものではなくなる。
その歴史は幻想ですが、単純に非難されるべきものではありません。司馬はそのような作業を通して、近代日本の自画像そのものをアップデートしようとしたのです。(中略)それはまさに昭和の日本人が必要としていたことでした。
なんだか「プロジェクトX」を彷彿とさせる話だ。中島みゆきが聴こえてくる。
年配の男性の中には熱狂的な竜馬ファンがいて、その心酔ぶりは原理主義者のようでもある。著名人では武田鉄矢がまさにそうだが、その入れ込みようが、僕には不思議であった。なぜそれほど高く持ち上げるのかと。武田鉄矢は以前ソフトバンクのCMに出演した際、「男はみんな竜馬好きです」と言っており、いくらCMのセリフとはいえ、よくもそこまで断言できるものだと呆れた記憶がある。
だが、昭和の一時期、高度経済成長を担ってきた男たちが、精神的支柱とするために竜馬を自分と重ね合わせてきた、ということなら頷ける。戦後復興を成し遂げたことを慰撫する意味合いもあったのかもしれない。(以下、昭和と記す場合、『竜馬がゆく』が発表された38年(1963年)以降の昭和を指し、それより前は含まないものとする)
最近では竜馬の功績の見直しが進み、これまで称賛されてきたほどの人物ではないという評価が定まりつつあり、歴史教科書の記述からも外されているそうだが、それが正しい人物評価なのだろう。これまでが神格化されすぎていたのだ。
僕も子供の頃は、それこそ武田鉄矢が原作者を務める小山ゆうのマンガ『お~い!竜馬』を愛読していたのだが、あまりにも理想化されたその竜馬像に、鼻白んでもいた。マンガの竜馬は、あまりにもカッコよすぎで、完全無欠の人物として描かれていたのだ。一応「クモが苦手」という描写はあったものの、それだって「弱点もある愛すべき男」という、親しみを持たせるための短所であって、優れた人物像をなんら毀損するものではなかった。
なんでも、竜馬は剣の達人ではなかった、という説もある。『お~い!竜馬』では、江戸の千葉道場に入門し、北辰一刀流の免許皆伝を得たことになっているのだが、それは事実ではない、という説だ。竜馬は、武士だから帯刀してはいたものの、その人生で一度も人を斬ったことがないらしい。それはどうやら史実のようで、武田鉄矢はそのことを、「人命を尊重した博愛精神の表れ」と評している。だが、竜馬が剣の達人ではなかったのだとすると、「人を斬らなかった」のではなく、「そもそも斬る腕がなかった」ということになる。このような細部にも、竜馬を盲目的に崇拝する人の陥穽が潜んでいる。
ちなみに、共に文芸評論家の坪内祐三と福田和也は、対談本『革命的飲酒主義宣言――ノンストップ時評50選!』(扶桑社)の中で、竜馬について、次のように語っている(初出は2009年11月)。
坪内 そういえばさ、来年のNHK大河ドラマは『龍馬伝』なんでしょ。原作は特にないらしいけど、司馬遼太郎が『竜馬がゆく』(’63~’66年)を書くまで、坂本龍馬って別に人気者じゃなかったよね。地味な存在だった。
福田 『竜馬がゆく』は、ほぼ全部、フィクションだからね。あれは、伊藤痴遊(明治~昭和初期の講談師、政治家)が面白おかしく作った坂本龍馬の講談が元ネタでしょう。
(中略)
福田 要するに、龍馬の手柄とされていることの9割9分は、本当は、横井小楠(熊本藩士。私塾「四時軒」を開き、龍馬など維新の志士が出入りしていた)のアイデアでしょう。船中八策とか海援隊とか。横井小楠の偉さに比べれば、龍馬なんて微々たるもんですよ。勝海舟が、自分が会ってデカいと思ったのは、西郷隆盛と横井小楠の二人だけだと言っている。飛鳥井雅道とか本筋の学者はちゃんと横井小楠の研究をしてるけど、一般の書き手は誰も書かない。
(中略)
福田 夏に『週刊文春』で歴史上の偉人を選ぶ読者3000人アンケートがあって、坂本龍馬は3位に入ってたね。結果を見ながら半藤一利さんたちと鼎談したんだけど、半藤さんが言うには――「『竜馬がゆく』と違うことを言うと、読者から文句が来る」と。「あれは史実と違う、小説だ」と説明してもダメなんだって。しかもそのアンケート、坂本龍馬を尊敬する理由として読者が挙げるのが、「饅頭屋で饅頭をたくさん食ったのが偉かった」みたいな。
坪内 それは司馬さんの作り話じゃん。
福田 もう本当に、今やジジィも何も、全然教養がないよ。まぁ、それだけ信じ込ませる司馬さんは偉いんだけど。
坪内 伊藤痴遊の講談があったり、「立川文庫」(大正時代の講談本)があったりして、いわゆる講談的素養が大衆文学を生み出し、それが司馬さんに続いていくわけだけど――その種の素養というか教養が断絶したのに、今になって、また司馬さん人気が復活しているのが、不思議だな。例えば、坂本龍馬と中岡慎太郎って、土佐藩士で同レベルの知名度で、伊藤痴遊も「慎太郎と龍馬」って講談をやってたでしょ。もし司馬さんが慎太郎にスポットを当ててたら、慎太郎が英雄になってたよ。
つまり、世の竜馬好きは、過去に実在していた本物の坂本竜馬ではなく、過度に装飾された虚像の坂本竜馬のほうに熱視線を送っていたということである。そして恐らくは、虚像を虚像と認識することができないほどの強固な思い込みが、時代の力として働いていたのだ。昭和の男たちには、その思い込みが必要だったわけだ。歴史教科書のような、実証性を旨とする媒体ですら「虚像の竜馬」を取り扱ってきたという事実は、その思い込みがいかに集団的、かつ広範的であったかの表れと言えよう。
また、東の解釈の通りだとすると、竜馬は男性人気は高いものの、女性のファンが少ない理由もよくわかる。昭和の男たちは、「プロジェクトX」に象徴されるように、家庭を顧みず、身を粉にして働いてきた。そんな男たちこそが竜馬の支持者だった。対して、顧みられない家庭を守っていた女たちは、竜馬に憧れなかった。モデルにはならないし、自分と同一視もできないからだ。昭和の女たちは、竜馬を、家庭を顧みない夫と重ね合わせ、冷やかな目で眺めていたのかもしれない。
近年になって竜馬像が見直され、その評価が下落しつつあるということ。それは、すでに竜馬は、日本人男性が理想とすべき人物ではなくなっている、ということである。言い換えれば、今までは理想であったから竜馬の人物像は聖化され、評価を下げる歴史研究は受け付けられなかったのだ。その手の研究は、あったとしても、無視されてきた。今はもう理想像ではないから、これまでの評価を下げる(と言うより、正確な評価を与えるということだが)歴史研究が受け入れられるようになってきたのだ。
恐らく時代はもう戻らない。高度経済成長と同様、もしくはそれに類する時代は、もう訪れない。だから竜馬も、再び理想像とされることは、多分ない。
昭和の男たちは、さぞや寂しいことだろう。高知の空港に竜馬の名前が冠されたことを喜び、一万円札に竜馬の肖像の起用を呼びかけていた男たち。だが、彼らの時代はもう戻らない。竜馬を神聖視する時代もまた、戻ることはない。
せめて彼らに、感謝を述べよう。彼らの献身的な努力によって、現在の繁栄がある。今の日本の経済的豊かさは、彼らの働きのおかげだ。
彼らが社会の中心として活躍した時代も、竜馬が英雄として崇めたてられた時代も、もう過去のものだ。もはや現代は、あなたたちを必要としてはいない。でも、あなたたちがあって、今がある。
だから、昭和の男たちよ、ありがとう。昭和の男を支えてくれた竜馬よ、ありがとう。高度経済成長が2度と訪れないように、「坂の上」も、もう存在しない。そこに立っていた、我々が仰ぎ見ていた偉人は、もういない。歴史的役目を終え、どこかへ行ってしまったのだ。
さようなら、竜馬。あなたがもたらした繁栄は、今もこの国を支えている。
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