2014年鈴鹿市の新成人を祝う会が1月12日市民会館で行われた
鈴鹿太鼓でのオープニング、その中心には成人式実行委員長の姿
荘厳な響きの中に、奏者の気持ちも加わり成人式の門出にはよかった
しかし、演奏中に入場してくる者が口も閉ざさず、ベラベラ声が聞こえるという
人としてのレベルの低さはどこからきているのだろう
自分の姿を、自分で外から見られないままに、
主張のみ大切にされてしまうようだと社会秩序も崩されてしまう
仙台の常盤木学園の校訓「自由と芸術」の中の「自由」について語られている事
我々には自由が与えられている。
しかし、自由といえどもしてはならないことがある
それは、他人の自由を奪うことだ
聴きたい、聴こうとする人の自由を奪う行為を
おいらの勝手だとしている事に、気付かせる教育がなされていないということ
ステージの上の教育委員会のメンバー、教育長、市長はどう考えているのだろう
高校の倫理社会でソクラテスの「無知の知」を教わったことを思い出す
自分が知らないということを知ることから始まるのだということを
20歳になれば、税金を納める義務も生じ、
犯罪を起こせば、少年法でなく、保護者の責任でもなく
当人が裁かれるようになるということも
新成人たちに、どれだけ伝わっているのだろう
ただ、二十歳を祝うだけの会ではなく、
自覚してもらう会のはず
でなければ、市費を投じる必要もない
2075名の新成人の、今後の成長を強く望みながら、考えていた
鈴鹿太鼓でのオープニング、その中心には成人式実行委員長の姿
荘厳な響きの中に、奏者の気持ちも加わり成人式の門出にはよかった
しかし、演奏中に入場してくる者が口も閉ざさず、ベラベラ声が聞こえるという
人としてのレベルの低さはどこからきているのだろう
自分の姿を、自分で外から見られないままに、
主張のみ大切にされてしまうようだと社会秩序も崩されてしまう
仙台の常盤木学園の校訓「自由と芸術」の中の「自由」について語られている事
我々には自由が与えられている。
しかし、自由といえどもしてはならないことがある
それは、他人の自由を奪うことだ
聴きたい、聴こうとする人の自由を奪う行為を
おいらの勝手だとしている事に、気付かせる教育がなされていないということ
ステージの上の教育委員会のメンバー、教育長、市長はどう考えているのだろう
高校の倫理社会でソクラテスの「無知の知」を教わったことを思い出す
自分が知らないということを知ることから始まるのだということを
20歳になれば、税金を納める義務も生じ、
犯罪を起こせば、少年法でなく、保護者の責任でもなく
当人が裁かれるようになるということも
新成人たちに、どれだけ伝わっているのだろう
ただ、二十歳を祝うだけの会ではなく、
自覚してもらう会のはず
でなければ、市費を投じる必要もない
2075名の新成人の、今後の成長を強く望みながら、考えていた
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