Go! Go! 後藤光雄

鈴鹿市議会議員 後藤光雄。鈴鹿に生まれて鈴鹿に住んで鈴鹿にやってきて「本当に良かった」といえる、まちづくりをともに!

2017年鈴鹿市成人式において議長挨拶しました。

2017-01-16 04:17:33 | 出来事
<strong>平成29年度 鈴鹿市 成人式  鈴鹿市議会議長祝辞
とき  平成29年1月8日(日)午前10時から
ところ 鈴鹿市民会館

ただ今 ご紹介いただきました
鈴鹿市議会 議長の 後藤 光雄でございます

成人の日を 迎えられました皆さん
本日は 誠に おめでとうございます
鈴鹿市議会を代表いたしまして 一言 
お祝いを申し上げます

まずは 皆さんが
心身ともに健やかに成長され、成人式を迎えられたこと を
心からお喜び申し上げます。
また、これまで皆さんを、深い愛情をもって、育て上げられました ご家族の皆様にもお喜びを申し上げます。

さて、子どもが、大人になるうえで、ぜひ経験をしておいてほしい 四つのことがあります
それは
幼稚園、保育園では、一つの おもちゃの 取り合いを
小学校では、団体で 力を合わせて やり遂げる 経験
中学、高校時代には、見返りを求めない ボランティア活動などの 無償の奉仕をする経験
20歳を迎える頃 今の皆さん達ですが、
人は どう生きるべきか、
世の中は、どうあるべきか、を 語り明かす経験
この四つの体験をして 親の保護下から 大人として 
独り立ち(ひとりだち)を してほしいと思います。

成人するということは 自分で責任を 
負わなければ ならないということです。
一人の社会人として、責任と義務を果たすために
周りの人たちと 共に生きる必要があります
そのためには
他人を理解する前に、自分を理解していなければ、
いい関係は生まれません。
自分は事に及んで、どう判断して、どう行動する人間なのか。
落ちているごみを拾う人間なのか、ごみを捨てる人間なのか。
そんな自分に対して、他人はどうアプローチしてくるのか
それを意識できて、コミュニケーションは、深まります。

先人の教えに、「結果は、些細なことの積み重ね」という
言葉があります。つまり すべての答えは自分の中にある
ということです。

事に際して、何を感じて、どうしたいのか。
何のため、誰のために、何をするのか。

いままで、学んできたことを生かすのも、これから学んでいくのも、皆さん一人ひとりが決めることです。

英語を苦手とする日本人が多いと言われていますが、原因は勉強の仕方にあるのではない。という
雑誌のコラムを読んだことがあります。

ある日本の空港のロビーで、外国の女性が
おなかを抱えて座り込んでいた。
その横を人が通り過ぎていく。やっとある人が立ち止まって、その女性をカウンターへ連れて行ってくれるのに、20分以上が過ぎていた。

言葉が通じるだろうか、うまくできるだろうか、と
自分がどう 評価されるかの教育を受けてきた。
失敗を恐れる子供を 作ってきた
間違うと恥ずかしい、恥をかいた子を笑う、
そんな日本人の心が

おなかが痛くて困っている人に 
手を差し伸べることを 邪魔してしまう。
それが英語を使ってみるということに
ブレーキを かけているというのです。
若い あなた達には 失敗を恐れないでほしい

自分の人生を決めるのは自分自身です。
大いに挑戦し、失敗したら また挑戦して、
自分の花を、たった一つの 自分の花を咲かせてください。

できることならば、この鈴鹿に 大きな花を咲かせて、
豊かな人生を送ってください。
そして 税金 をたくさん払ってください。

その税金を みんなのために使って 
より良い街にするのが、
市長や、市の職員、議会の 役割です。

皆さんも これからは税金を納められる、
発言権 を 持った 市民です。
一緒に 鈴鹿を いい街にしていきましょう。
皆様の健康と、ご多幸を祈念して 祝辞といたします。


2015年鈴鹿市の成人式に参加して

2015-01-17 03:45:32 | 出来事
1月11日鈴鹿市の成人式に出席した

ホールの中には着飾った女性の姿が目立ち、市民会館の外には男性陣が陣取っている。
でもこれは市民会館のキャパを考えると、女性陣を中に入れる男の優しさだったのかも・・・

白子高校吹奏楽部の演奏でオープニング
続いて、国歌独唱・・・斉唱でよかったのにと思いながら、歌った
ここが長野県なら続いて「信濃の国」を唄うのかなぁ・・・
鈴鹿の歌があればいいのにと思った

市長の式辞「鈴鹿が心のよりどころである『故郷』となってほしい」
「鈴鹿のgoodsをPRしてほしい」
「世の中を変えていくのは、自分たちの力だ。と自覚を持ってほしい」・・・
“ふるさとは、遠くにありて思うもの”遠くにありて思える生き方をしてほしい
成人として、受け伝ええていくものと、変えていくことの判断ができる大人になってほしいものだ

議長の祝辞「成人式の起源の話」「育ててくれた人々に『ありがとう』と言える最高の機会」
「成人としての責任を持って・・・」
成人の責任とは何だろう。果たすべき義務に対する意識はどこまで持っているのだろうか
投票の義務も、納税の義務もどれほど意識しているのだろうか


来賓紹介。国会議員3名を紹介したが、座っていたのは秘書3人
秘書の名前を紹介するか、出席している県会議員全員に登壇してもらったほうが意味がある気がした。秘書と本人との違いにきづいていたのかなぁなんて・・・

誓いの言葉「支えてくれた人に、育ててくれた人に感謝して・・・」「未熟な私たちが自立していく姿を見てもらうことが恩返し」「鈴鹿という故郷で育った誇りを胸に新成人として自覚と感謝の気持ちを忘れずに歩んでいく・・」
義務を果たし、次の世代に受け伝える街にしていく気概が欲しいものだ
成人の日は、感謝することに気づく日ではなくて、まちづくりに参加する自覚を持ってもらう日であるはずなのになぁ・・・

閉会して、昨年も配布資料が散乱していたトイレに寄ってみた。持ち帰ってもらうために袋に入れて配布した今年も、その袋のまま多くが置き去られていた
使えば資源、捨てればゴミ。ゴミを片付けるにも経費が発生していることに気づくことがまちづくりへの参加の一つなのになぁ・・・

と、ブツブツ思いながら、舞台上で主催者として座っていた教育委員の人たちや、成人式の開催に協力している職員の皆さんは、どう思っているのかなぁと、考えながら帰途に就いた2015年の成人式でした

平成26年鈴鹿市 新成人を祝う会

2014-01-15 18:57:27 | 出来事
2014年鈴鹿市の新成人を祝う会が1月12日市民会館で行われた

鈴鹿太鼓でのオープニング、その中心には成人式実行委員長の姿

荘厳な響きの中に、奏者の気持ちも加わり成人式の門出にはよかった

しかし、演奏中に入場してくる者が口も閉ざさず、ベラベラ声が聞こえるという
人としてのレベルの低さはどこからきているのだろう

自分の姿を、自分で外から見られないままに、
主張のみ大切にされてしまうようだと社会秩序も崩されてしまう

仙台の常盤木学園の校訓「自由と芸術」の中の「自由」について語られている事
我々には自由が与えられている。
しかし、自由といえどもしてはならないことがある
それは、他人の自由を奪うことだ

聴きたい、聴こうとする人の自由を奪う行為を
おいらの勝手だとしている事に、気付かせる教育がなされていないということ

ステージの上の教育委員会のメンバー、教育長、市長はどう考えているのだろう

高校の倫理社会でソクラテスの「無知の知」を教わったことを思い出す
自分が知らないということを知ることから始まるのだということを

20歳になれば、税金を納める義務も生じ、
犯罪を起こせば、少年法でなく、保護者の責任でもなく
当人が裁かれるようになるということも
新成人たちに、どれだけ伝わっているのだろう

ただ、二十歳を祝うだけの会ではなく、
自覚してもらう会のはず
でなければ、市費を投じる必要もない

2075名の新成人の、今後の成長を強く望みながら、考えていた


平成25年 鈴鹿市成人式

2013-02-03 08:51:33 | 出来事
1月13日 市民会館で成人式が行われた
駐車場問題等で会場を鈴鹿サーキット、スポーツガーデン水泳場に移して開催されていたが、元に戻った感じでやはり市民会館で行うべきだと感じたのは、私だけだっただろうか。

1,300余のキャパの市民会館で1,985名の新成人を祝福するのを問題にする人もいるが、式典会場に入ろうとしない人たちがいるのは、どこで行っても同じだった様にみえた。

成人式は白子高校の吹奏楽部の15分の演奏で幕開け

続いての、祝辞は市長と議長のみ。
新成人代表の誓いの言葉で20分ほどの式典が終了。

癒詩作家の伊藤一樹さんの(大垣在住)「志」書き下ろしパフォーマンスとお話が15分ほど

最後は、よさこい演舞「勝山組」の舞が10分ほどの全体で1時間強の成人式でした

参加させていただいた感想は・・・
式典の後の伊藤さんの書き下ろしパフォーマンス

準備をしているときの静かな姿勢と、書き始めの強烈な動への変化は、心の動きが伝わるとてもいいパフォーマンスでした。が、
式典が終わって席を立った成人が2・300人ほどいたのは残念でした。

伊藤さんの書は、「志」の横に「ゆれてもいい 志があるならば」というもので
その字よりも、彼の話がとてもいいものでした。

いろんな仕事を体験しながらも、行き詰った彼に、ある社長が『何もかも失って、更地になったら、新しい芽が出るのを待つだけだ』といってくださって、癒詩作家の人生が始まったこと。

大垣で「約束の木」というギャラリーを開設していること。
彼からのメッセージ「目の前の人に何が出来るか」「人の役に立てるか」「才能とか能力があるかではなくて、その気があるかどうかだ」「心に響くこと、人との出会いは、自分との出会いだ」などと、短くも深いいい話でした。が

会場のどれ程の新成人が聴いていた事か・・・・

実行委員が白子高校で伊藤さんの話を聞いた経験があっての招待だったようです。
同年の新成人の実行委員会の準備に対する敬意、講師に対する敬意をもって会場入りしてほしいものだ。

人の話から何かを得ようともしないで、「自分をわかってくれない」などと言いそうな若者の面倒を社会が負うのは甘やかしすぎの気がする

20歳。成人に与えられる権利と義務と責任。
高校までの12年間の学校教育や、家庭教育で教えられているのだろうか・・・

実行委員会の10名の努力、大人が新成人の門出を祝う式を開催していることに対する意識を聞いてみたいものだ

立ち寄った男子トイレには配布されたパンフレットがあちらこちらに投げ捨てられていた。
中学時代の恩師のメッセージが載っているというのに・・・・
人に迷惑をかけないできれいに会場を使おうと、アナウンスしていたのに・・・

これも、「教育力の衰退が今を作る」とすると、教育体制が生み出した当然の結果か・・・

ステージの上に顔をそろえた教育長・教育委員会皆さんの考えを聞きたいものだ

御在所サービスエリアの伊勢型紙

2012-03-01 15:38:06 | 出来事

東名阪自動車道の下り、名古屋から大阪方面に向かうサービスエリアの土産物売り場の写真です。何度か立ち寄っていたのですが、ここに鈴鹿の伝統文化の伊勢型紙の匠が活かされている事に気がつきませんでした。
拡大すると、なんと御在所の漢字を彫り並べてあるのです。

サービスエリアごとに、その地名の漢字を彫り並べて壁紙に使えば・・・などと勝手な期待を持ちながら、いやいや、鈴鹿だけでも「SUZUKA」でも「すずか」「スズカ」「鈴鹿」をデザインしたら、使える場所はたくさんあるのにな~などと感心して見てきました

「ものを見、ものを聴くのは、目や耳ではなく その人の心だ」

という、日本サッカーの父デットマール・クラマーの言葉を思い出しながら
気付かずに見過ごしていた自分に気付かせていただいた事に感謝しています

是非、お立ち寄りの際には目を向けてください。

大きなビジネスになる事を、少し期待しています。


鈴鹿市議会議員 後藤光雄

スペインの新聞

2012-01-25 13:32:05 | 出来事
長女の史がスペインの新聞に載りました。


友人に訳してもらいました。

AS 2012年1月13日
後藤 史(ごとう ふみ)
2012年ロンドンオリンピックに出場する為にラジョで邁進する!
インタビュアー (イサベル ロルダン)

-あなたは、私たちのリーグにおいて最初の日本人であり、未だ唯一の存在ですが、ラジョの何に引き付けられましたか。―

いつも、私は海外でプレイしたいと願っていました。当時在籍していたジェフ ユナイテッド 千葉の2番目のトレーナーが私を推してくれて、2010年の夏、ラジョへ来ました。
このチームはとても理想的でした。過去にチャンピオンになっていますし、今もチャンピオンを目指していたからです。試験を受け、残りました。

-どうしてスペインを選んだのですか。―

いつも、スペインのサッカーが好きでした。なぜなら、日本でたくさんスペインリーグが見られるからです。私が小さい時、レアルマドリードが、トヨタカップ(現在クラブワールドカップに変更)で日本に来た時、ロベルトカルロス選手が大好きでした。なぜなら私と同じポジションだったからです。それに、ジダン、ラウール・・・・いつもレアルマドリードのユニフォームを着て夢見ていたのですが、女子チームがないことを知ってとても悲しかったです。理解できませんでした。

-そして、ラジョに来ましたが、簡単ではなかったと思います。どのように、困難な事を乗り越えてきましたか。― 

一番大変だったことは、言葉です。スペイン語は全くわかりませんでしたし、それは、前に進もうとすることを妨げました。とてもつらかったです。しばらく、毎日泣きながらプレイしました。その後、給与が受けられなくなり、何があったのかわかりませんでした。私のチームメイトは、いろいろ助けてくれました。最終的には乗り越えられ、今シーズン私は、プレイに専念できています。

-2011年スペインリーグを制し、チャンピオンになりました。どうですか。―

チャンピオンになることは日本ではとても名誉なことです。今年は、やっと試合に出ることができました。これは、私の目標でした。アーセナルとの一戦で引き分けたバジェカでの試合は一生忘れません。ナタリアは、出場前に「あなたはチームのために仕事できるわ。いつも通り走りなさい」と、言ってくれました。心のままに90分間試合に出ました。

-スペインでは、サッカーで生活していますか。―
 
ラジョから少し支援を貰っていますが、生活費は、ヤマハ発動機スポーツ振興財団からのアマチュア選手へのスポーツ奨学金を頂き賄っています。私は、日本人女子サッカー選手の中で唯一この環境を楽しみ、私の目標は、ロンドンオリンピックに駆けつけることです。 スペインでは、スペイン語を勉強し、サッカーをします。しかし日本では、プロリーグではないため、仕事をしなければなりませんでした。澤 穂希選手と他5名の選手以外は、サッカーだけでは生活ができていません。日本で私は、事務所で朝9時から夕方6時まで働き、その後練習に行っていました。

-どのようにサッカーを始めたのですか。―

私の町には、女性チームがありませんでしたので、男の子に交じって始めました。15歳の時、勉強とサッカーの練習が両立できる学校に入るために、その町を出ました。

-日本がワールドカップで優勝したことをどう思いますか。―

女子サッカーを国民にとって身近にし、地震という困難な年に明るい話題ができたと思います。

-地震があった日ラジョのメンバーは、あなたのことを心配しましたか。―

その日は、大阪に向けて飛んでいましたので、心配してもらいました。到着してテレビを見たとき地震の映像が途絶えなく流れていましたので衝撃を受けました。向こうで両親が私を待っていてくれたことは幸いでした。私たちは、南の方に住んでいるので影響はありませんでしたが、何人かの友人はすべてを失ってしまいました。

-国際舞台で活躍することで日本に何を伝えたいですか。―

すべてです。私の夢は、ロンドンオリンピックに行くことです。そのためにラジョで一生懸命頑張ります。今までにいくつかの大会で選抜メンバーでしたので、世界的な大会での優勝メンバーを知っています。彼女たちは、「いつ選抜に行くの」と訊ねてきます。私は、「もう行く準備は、できているよ」と答えています。

-澤 穂希選手が、世界最優秀選手に輝いたことは、驚きましたか。―

いいえ。その価値があると思います。彼女はとても良い人であり、代表に必要とされています。彼女抜きでは、ワールドカップで日本が勝つことはできなかったでしょう。

―日本とスペインのサッカーの違いはなんでしょうか。―

 精神面ですね。スペインでは、サッカーをしているととても楽しいです。日本では、すべてがもっと固いです。何か1つでもミスをしてしまうと、コーチが怒り、罰として私たちを走らせます。



ミレネからフミ ラジョは、外国人にチャンスを与えた!
スペインサッカー女性リーグが外国人女性サッカープレイヤーに扉を開いたのは、ミレネドミンゲスが、2002年にラジョに来てからだ。スペインに彼女が来たのはその時の夫であるロナウドがレアルマドリードと契約をしたからだ。二人の間に生まれた子どもも連れてきていた。最初の年は、試合に出られなかった。それは、スペインサッカー連盟の規約があったからで、そこには、外国人プレイヤーの参入不可が書かれていた。
しかし、彼女は、なんとかその扉をこじ開け、翌年には、禁止条項が取り払われた。ミレネの後、後藤 史が来るまでの間に来た外国人はブラジル人2人しかいない。2004-2005シーズンのシモネ ゴメスと、タニア ロドリゲスだ。
後藤 史は、スペイン女子サッカーリーグに来た初めての日本人だ。2009年夏にラジョに加わろうとし、2010年に再度挑戦し入団できた。彼女のトレーナーであるホセラ エルナンデスは、初めて彼女がチームに合流した時の衝撃を覚えている。「彼女は全くスペイン語が分からなかった。しかしすぐに私にチームの穴をふさいでみせると伝えてきました。私は間違っていなかったです。彼女の練習を見ているとサッカーの能力の高さ、献身さ、苦しんでいる姿はなにか見せ物を見ている様でした。」
史は、サッカーによって、また、サッカーのために生きている。昨年は言葉が障壁となり、悪いシーズンだった。しかし、スペイン語力が高まったとき、彼女の成長は目を見張るものがある。信じられないほど、すべての行動に情熱をかけている。ロッカールームでは、すべてのメンバーが彼女に代表で1分でもいいので、プレイしてほしいと願っている。彼女にはその値打ちがある、そして、勝ち取ってほしい。 I.Loldan


 親として、サッカーマンとしてとてもうれしい記事でした。

育てていただいている事に、感謝しています。

鈴鹿市議会議員 後藤光雄

娘からのメール

2011-11-24 16:03:23 | 出来事
スペインの女子サッカーリーグに参戦している長女の史からメールがきました。
2年連続でスペインチャンピオンになっているラーヨ・バジェカーノというチームで、
女子のヨーロッパチャンピオンリーグに参戦しています。

昨年は、イングランドのアーセナルに敗れましたが、出場の機会はありませんでした。
今年は、第1戦(ホーム)は史の頑張りから得点が生まれて引き分け、第2戦(アウェイ)で敗れベスト16で敗退でした。

長女のプレーがご覧いただけます。
https://picasaweb.google.com/santaolajadelavarga/RAYOFEMENINO1ARSENAL1


その娘から届いたメールの中に・・・
「・・・何よりラージョが、自分の居場所であると、自分のチームだと感じている事を嬉しく思います。
去年は、雲一つない、果てしなく高く、毎日晴れ渡るスペインの空が、大嫌いでした。
毎日、自分が、とても小さく、ちっぽけで、情けない存在に感じたからです。

私は、強くなかった。ずっと強いと思ってたし、周りから言われてきたけど、強くなかった。
今も決して、強い人間なんかじゃないけど、強さって一体何なんでしょうね。

ただ、わかった事は、私は、この果てしなく広い世界にたった一人しかいない存在なんですね。
弱かろうが、情けなかろうが、私は私。

今は、スペインの空を好きだと言えるようになりました。
そう言えるようになった自分が、大好きです。・・・」

スペイン語が話せるようになった事に驚いている親ですが、
成長させてもらっている事に、感謝します。


チャレンジすることの大切さを、感じています。


鈴鹿市議会議員 後藤光雄

白子高校吹奏楽部に感動

2011-09-28 23:56:36 | 出来事
9月18日の日曜日、第一さくら幼稚園では地元寺家地区の敬老会「お年寄りふれあいの会」が開かれていました。

第一さくら幼稚園の子どもたちによる踊りの披露、プレゼントで心和やかな時間を過ごしていただいた後で、今年は「白子高校吹奏楽部」のみなさんが登場しました。

年間70回ほどの出前演奏をしているということでした。

その彼女らに、感動をいただきました。


前日の土曜日16:00楽器の搬入とリハーサルの為にやってきた彼らは

まるで体育会系のように、大きな声で挨拶をしながら楽器を搬入

そして、チューニングから本番さながらの音合わせ

指揮者のタクトを見つめる真剣な目、やり直しの声にこたえる緊張感あふれる顔・・・

生徒たちが帰宅したのは19:00頃


そして演奏当日

真剣な演奏が、笑顔と共に200人の心に元気を届けてくれました

懐かしい歌の演奏に、歌を口ずさむ姿も見られ

心の温まる「ふるさと」の演奏には、思わず熱いものがこみあげてきたり

奏でる楽器の紹介も交えた1時間余り

学生の真剣さが伝わり、聴く者に大きな元気を与えてくれた演奏会でした



「いい仕事をするためには、いい準備を!」

まさにその実践を見た演奏会

一生懸命さで感動を呼んだ「なでしこジャパン」のプレーのように

ひたむきにボールを追う姿からいただく感動と

同じ感動をいただきました



ありがとうございました

そして、もっともっと上質を求めて励んで下さい

私もジムに再入会。今一度身体の動きを取り戻すことに励みます


鈴鹿市議会議員 後藤光雄

先輩「勝野文夫さん」を偲んで

2011-09-15 06:59:05 | 出来事
どうして、の想いが巡っています
56の若さで逝ってしまうなんて

彼の存在は、田舎育ちの私達の意識を変えてくれました
センターフォワードの彼は、毎日の練習でも、いつも真剣でした
シュート練習も、練習の最後のダッシュ走さえも
力を抜いた仲間に、胸ぐらをつかむ勢いで向かって行きました
職員会議で練習に出てこられない顧問にまで文句を言ったくらいです

おかげで私達ディフェンスの能力も自然に高くなり
彼一人だった長野県の国体選抜の選手が、翌年には6人になり
県大会優勝だけでなく、北信越大会、全国大会へと引っ張ってくれました

東京教育大学を卒業して新任で赴任し、
校長に「努力すれば夢がかなうことを伝えてくれ」と言われた顧問の下

意識の持ち方で自分の周りの世界が違ってくることを
身をもって示してくれた彼でした

ペレを有するサントスと全日本のゲームを見に行き
ホテルのペレにワラジ等の土産を渡したり
その行動力は、田舎者の心をどんどん広げてくれました

ユース候補になり、大阪商科大学のサッカー部に進み
田辺製薬ではサッカー天皇杯の決勝の舞台でピッチを走りました

彼はいつも私たちのヒーローでした
その彼が、肺がんが脳に転移して
56の若さで逝ってしまったのです

病で苦しんでいることを誰にも告げずに
聞こえてきたときには、もう見舞える状況でなかった彼でした

力いっぱい生きてくれたと思うけど
もっともっと生きて欲しかった

苦しい練習中に、叱咤したり
鼓舞したりする姿が目に浮かびます

これからも彼は私達の心の中で生き続けて
力を与えてくれるでしょう

そんな彼と一緒にプレーできたことを
多くの出会いを下さったことに感謝して
「ありがとう」を言わせて下さい

本当にありがとうございました
鈴鹿市議会議員 後藤光雄

東日本大震災

2011-03-14 05:15:17 | 出来事
 鈴鹿市庁舎12階の監査委員会室で、その地震の揺れを感じました。
幼稚園に電話をして、緊急地震速報が告知したかを確認すると、「えっ地震ですか?」の返事。
震度2程度だったようですが、庁舎の12階ではゆっくり、大きく、しかも長い時間揺れた地震でした。

 津波警報が出て、市は、災害対策本部を立ち上げ、職員は待機状態になりました。

 監査委員会の業務を終え、自宅に向かう5時頃、海岸上空をヘリコプターが飛び、海岸からの避難を叫んでいました。

 その時の、東北地方、岩手、宮城、福島県の状況は、後で映像で見ることになりましたが、過去最大の地震の状況には目を覆いたくなる、一瞬にして失ってしまった虚脱感からの回復が本当に心配になる状況でした。

 娘がお世話になった、常盤木学園高校には、避難所でもないのに300人ほどが批難して泊まりこんでいるとのことでした。2日ぶりに電気が復旧したが、水が断たれているのでトイレの問題が大きいとのことでした。

 無事に逃げ延びた方々の、安全と一日も早い復帰を祈りながら、突然命を失った多くの方の冥福を祈りながら、私たちがまずしなければならないのは、この地震から少しでも多くを学ぶことだと思いました。

 この地震が、東海、東南海、南海地震の3連発だったら、どうなるのかを学ばなければなりません。

 鈴鹿には、避難を知らせる、津波の襲来を知らせるスピーカーすら(同報無線)ないのです。

 緊急地震速報が市内全小中学校に設置されることになりましたが、万全ではありません。

 ニュージーランドの出来事、東北の出来事だと、対岸の火事のように眺めているだけではいけません。

 市民の生命と財産を守ることが、市の最大の役目、そして議会にも追わされている役目なのですから。

鈴鹿市議会議員 後藤光雄