Go! Go! 後藤光雄

鈴鹿市議会議員 後藤光雄。鈴鹿に生まれて鈴鹿に住んで鈴鹿にやってきて「本当に良かった」といえる、まちづくりをともに!

寄稿文 大学OB会報 白門 みえ

2016-10-26 17:39:25 | サッカー
白門 みえ 寄稿文  
            
「おかげさまで・・・」
後藤 光雄
(昭和54年 経済学部 卒業)

私の中大生活は経済学部経済学科で学び、サッカー部で汗を流した4年間でした。
出身校である長野県立蘇南高校は妻籠宿のある南木曾町にあり、木曽路の北端である奈良井宿から約60キロを通っておりました。
それはサッカーで全国大会へ出場する夢を果たすための選択でしたが、高校1年秋の新人戦県大会で優勝。2年次は高校総体県予選、北信越大会で優勝。三重の全国大会(昭和48年開催)千葉国体に出場。3年次は高校総体県予選で優勝、北信越大会3位、長崎の全国大会に出場し、正月の高校サッカー選手権(大阪開催)では優秀選手賞をいただき、大学サッカーへの夢を描いていたところ、この年の関東大学サッカーリーグで優勝した名門の中央大学への進学がかないました。

目標を全国大会出場と決めていると、それ以上の結果をつかむことが難しくなるという事を学びました。あくまでも全国優勝を目指すべきであったと。
大学でのサッカーは、練馬のグランド横の運動部寮に3年の夏まで、その後は南平寮に住み、八王子校舎の天然芝のグランドで汗を流し、4年時には関東大学サッカーリーグでの1部優勝をつかむことができました。

練馬で始まった大学生活は、運動部寮独特の空気の中でフォア・ザ・チームの精神を磨き上げ、駿河台の伝統ある校舎では東京の大学で学ぶ自分と、伝統ある大学の諸先輩方の活躍に自分の夢を重ねておりました。
今でも駿河台の中央大学会館で毎年開かれるサッカー部の納会に行くと、学生時代が懐かしく、体内を流れる同窓の血を感じています。

その後、中京大学の体育学部で教員免許を取得し、鈴鹿での生活がスタートし33年が過ぎました。
子安観音寺が母体のさくら幼稚園で毎日幼児たちと体を動かし、健康であることのすばらしさ、運動することで自分の体を知り、心を自律できるようになってほしいと願ってきました。

青年会議所活動から地元の青少年育成活動にもかかわり、英国へ青少年指導者研修に行けたのも、自分の殻を割っていただいた出来事でした。
14年前に地元に請われ市議会議員となり、今年は鈴鹿市第74代の議長を務めさせていただいております。
また、東海3県の運動部卒業生の懇親を図る学員体育会中部懇話会の副会長をさせていただいております。

木曽で生まれた山猿が、海を知り、山を思い、無いことを嘆くのではなく、有るものを生かす工夫を常に考え、己の意識をより高所に置くことで、遠くまで、幅広い視野を持って生きる姿勢に気づかせていただけたのは、出会えた多くの人たちのおかげであると感謝し、特に日本を代表する選手を輩出していた中央大学サッカー部の一員であったことが、どれ程気づきを与えてくれたかを感謝し、そんな気持ちを伝えられる日々を過ごしたいと考えております。

今後ともよろしくお願いします。