Go! Go! 後藤光雄

鈴鹿市議会議員 後藤光雄。鈴鹿に生まれて鈴鹿に住んで鈴鹿にやってきて「本当に良かった」といえる、まちづくりをともに!

授業で育てる

2008-10-27 00:37:48 | 教育
10月24日金曜日 鈴鹿市立鼓ヶ浦小学校で行われた教育研究会に出席。

国語の研究主題「自分の言葉で表現し、つながり合える子」に取り組んでみえました。

各学年ごとに、しっかり取り組んでいる様子が見て取れました。

私が気になったことは、
深緑色の黒板への板書に、赤いチョークで文字を書く(かなり多く)先生が
2名みえたこと。
・・・色覚に異常を持つ子供がいないと把握していればいいのかもしれませんが、色覚検査を実施しない今、もしも緑と赤の識別が十分にできにくい子がいたら、強調する意味の赤が、ぼけた言葉になってしまうかも・・・

もうひとつ、
比較的少人数教室で、(1年3年が1学級。その他は2学級)
コの字型に机を並べて(V字型は、スペース上無理かな?)
子どもたちが意見を出し合う体形を作ってありましたが、
先生が黒板に文字を書くときに身体を90度以上ひねらなければみえない子供が数人いたこと。
・・・私の体育教師的見方からすると、黒板を使うのならば子どもの目の動線を考えた机の並び方があるはずだ・・・と。もしかすると見学者の為に机を詰めすぎたのかもしれませんが、優先するのは子どもでいいはず。

それと、
各クラス、子どもに発言させる努力はみえましたが、子どもの発言にリアクションしない先生が数名みえたこと。
研究授業で、よその先生方がたくさん見えるところで勇気をもって発言した子どもの言葉を、聞き流す場面は心に痛みが走りました。

学校が一丸となって取り組んでいることが大きな成果だと、感想を述べて見えました。確かにいい取り組みの様子が随所に見られて、ありがたいことだと素直に思いました。
が、全体会の後に行われた講演に、教師としてもっと必要なことを述べてくださった「吉田正彦、元一志町立高岡小学校校長の言葉」をお疲れか聞き逃してみえた先生方がいたことが残念でした。


「吉田正彦、元一志町立高岡小学校校長の言葉」
☆言葉は、文化を創っている。伝えていくもの。
  言葉に敏感な子、言葉を豊かにしていく戸を育ててほしい。
  外来語や造語を使いすぎる現代は日本語が痩せていく危機的な状況にある。

☆子どもにとって学校は、間違いができるところ。絶えず間違えて、正しいことを 身につけていくところ。
  「間違っているかもしれないけど…」と発言するように用心させてはいけな   い。自分の意見を言って、人の意見を聞いて、考える子を育てよう。

☆授業は、川を渡っていくようなもの。真っ直ぐ横切れない、流されることもあ  る。しかし大切なのは対岸に渡ること。その本質は、対話です。いい対話は自然 に流れる。1対1ですが、1対多です。
  …まさに授業のあるべき姿だと思います。教え込みでなく、気づかせる(身に  つけさせる)には事前の準備がとても大切だともおっしゃっていました。

☆本当の楽しさは、苦しみを通り抜けなければ味わえない。
  学校は、子どもに恥をかかせる場所だともおっしゃいました。しかしそれは、  かかせてはならない恥は、絶対にかかせてはならない。ということが絶対で、  「耐えるということを教え」「存在を無視したりバカにしてはいけない」

☆師弟同行。掃除は、大変なところを率先して行うのが教師。
  見回りはしない。大変なところに張り付いて率先して掃除することが育てるこ  とにつながる。子どもが順番で回ってくるのだから、一緒にすることで伝える  ことができる。見回ることは同行ではない。…信じる心、信じられる実感。し  っかり掃除することが伝わるんだろうなあ…

☆ビング・クロスビーの逸話から…この歌をピアノで弾ける人はいますか?の問い かけに誰も返事がなかったとき「YES!」と答えて、「ギターなら弾ける」「ではギターで演奏してください」という経験が現在の彼を生んだ…
  「自分を出せる」子供を育てることの大切さを学んだと。


教師が、教育のプロになることを90分余り、静かに熱く語ってくださいました。

教師がプロになり、教育を任すことが必要だと感じました。
教師が教えることと、親が教えることは違うということです。
今の結果にこだわりすぎている教師・教育・親の意識・・・

教育は国力です。
人が国力です。

もったいない

2008-10-17 18:57:12 | 出来事
本日、鈴鹿工業高等専門学校に所用があり訪問しました。

明日から学園祭なのでしょうか、学生たちが一生懸命準備に追われている様子でした。
そういえば、恒例のウォーターボーイズの演技がみられるのはこの頃だったかな。

所用というのは、三重県社会人サッカーリーグの運営委員でもありますので、グラウンドの借用のお願いに伺ったのですが・・・

鈴鹿工業高等専門学校には見事な銀杏(イチョウ)並木があります。
その銀杏並木の根元には、たくさんの実が落ちているのです。
掃除の後でしょう。木の根元に集められた銀杏の実。実。実。

銀杏(ギンナン)を、酒のつまみにする私にとって「もったいない!」
「すごくもったいない」ほどたくさんの量でした。

集めて学園祭のバザーや販売品にしたらいいのに・・・なんておせっかいな発想をしながら歩いていました。
実を炒ってその場で食することもいいのになあ・・・なんて。

銀杏の実は、必ず実るものではなく雄・雌の木が必要だと聞いています。
また、木から落ちてくるときには、芳香豊かで、嫌われもするものかもしれませんが・・・

あの銀杏(ギンナン)はどうなるのでしょう・・・


もったいないと言えば、
鈴鹿には、NTT西日本の研修センタがあって、陸上競技場、体育館、50mプール、武道場、野球場などの運動施設がありました。
実は、過去形ではなく施設としてはあるのですが、研修センタが閉鎖されてから利用できない状態が続いているのです。

旧鈴鹿海軍航空隊の格納庫も残っており、文化財的要素も高いものなのですが数年前に映画撮影に利用されたものの、今後の保存、公開などの計画はありません。

鈴鹿市が、NTT西日本研修センタ跡地転換計画とやらを作成していて、エリアを決めて再開発をということなのですが・・・

私は、野球場とさくら並木のエリアのみの防災利用ではなく、鈴鹿医療科学大学薬学部に転売した土地以外はすべて、鈴鹿市の防災基地としての利用を考えるべきであると考えています。

平素の利用と有事の防災公園としての役割を持つ広場として利用すべきだと思うのです。
鈴鹿市民20万余の防災公園として・・・

雑草に覆われた姿を見ると、本当に「あ~あ、もったいない!」です。


ゲルマン魂と大和魂

2008-10-16 07:03:48 | 語呂・語録
日本サッカーを東京オリンピックでベスト8
メキシコオリンピックで銅メダルに導いた
ドイツのデットマール・クラマーさん

中日新聞夕刊の「この道」岡野俊一郎さんの自叙伝にクラマーさんとの出会いが語られています。

彼の部屋に飾られた額に書かれていたのは・・・

「目、それ自体は見ることができない。
耳、それ自体は聞くことができない。
ものを見るのは精神であり、
音を聞くのは精神である」(ギリシャの哲学者の言葉)


サッカーのワールドカップで幾度と奇跡の大逆転をしてきた
ドイツチームの強さはこの精神だ。

メキシコオリンピックで戦った日本選手に「私は大和魂を見た」
と言ったといわれるクラマーさん。


肉体がくたくたでも走らせてしまう、戦わせる
この「精神力」はどうやって身につけるのだろう・・・


日々のトレーニングとは、肉体の限界に精神的限界を近づけることだ
と聞いたことがあります。

「もうやめとこう」という時に「もう一度」「あの電信柱まで・・」
と、もう一歩足を出すことが、肉体の限界も引き上げてくれるのだろう。


もちろん技術の習得は必要です。
今の日本の教育に必要なのは、
この心を持たせることことなのではないだろうか。

風が吹く

2008-10-16 06:10:52 | 語呂・語録
10月5日付 朝日新聞32面TVダイアリーから・・・

「ネットカフェ難民」などのドキュメンタリー番組の制作をする水島宏明さんがドラマの雑用でクサっていた時に頂いた言葉だそうです。

「人にはいつかその身の丈に合った風が吹く。消してあきらめるな」と。

クサってはいたものの、ギラギラした目をしていたのでしょう。
まずは自分の目標を目指す気持ちが大切ですが、
今の作業にも目的達成のためのヒントがあることを見つけられたら
クサっている暇はなくなります。

高校時代、目標に向かって真っすぐ昇っていくのが大切だ。と
思い込んでいた私に、美術の蒲谷先生が
「山を登るにはルートがいくつもあるじゃないか」って言ってくださった。

目標を見失わなければ、真っすぐ昇ることにこだわらず、
回り道したり、アップダウンしながら登ったほうが
自分の幅は広がるような気がしました。

「吹く風」を感じられる様な心をもって
過ごしたいものです。