Go! Go! 後藤光雄

鈴鹿市議会議員 後藤光雄。鈴鹿に生まれて鈴鹿に住んで鈴鹿にやってきて「本当に良かった」といえる、まちづくりをともに!

これでいいのか!と考えさせられた出来事

2017-03-16 04:42:01 | 教育
 2月27日月曜日、晴天に恵まれた鼓ヶ浦海岸で、白砂青松100選に選ばれていながらここ2年間で250本余の松がマツクイムシの被害で枯れてしまった松林を再生しようという鈴鹿市、ベイロータリークラブ、鼓ヶ浦観光協会の共催事業のプロジェクトに白子小学校6年生約100名と鼓ヶ浦中学校3年生約170名が、卒業記念として参加してくれた。
主催者挨拶ののち、樹木医さんからのマツクイムシによる松枯れの仕組みの説明、松の苗木の植え方の説明があり、小学生のブロックと中学生のブロックに分かれて海岸林再生のために300本の黒松を植樹した。

 大きく育った松を、自分が植えた松が大きく育った姿を見に来てほしい。という思いはどうやら中学校の先生方には伝わらなかったようだ。

 30㎝ほどの穴を掘り、藁を敷き、根を広げ下方に伸びるように苗木を置いて砂を戻し、添え木を刺してゴムで苗木を固定する作業をしてもらった。が、明らかに大人が付き添ったとはいえ小学生の植え方の方が上手であった。つまり、中学生は、何故そうしなければならないのか、とりあえず松を砂浜に差し込んだらこのイベントは終わり、松が根付くかどうかには興味もない。という風にみえた。一生懸命してくれた子には申し訳ないが、先生たちが何も言わず(整列時だけは命令口調だったが)何もせずに時間の経過を過ごしている姿からは、子どもの自立という義務教育の最大の使命を果たそうとする気配は皆無であった。

 彫る深さは、苗木の長さや土壌の状況によって変わるものだし、藁を敷くのも保水性の問題を考えたものだし、根を上向きに押し込んだのでは根付くはずもなく、根が機能を発揮し続けるために幹が風に動かされないように添え木をするわけだし、止めゴムを使うのもゴムの寿命や根付く時間を考えたものであるという事をいったいどのくらいの子どもたちが考えたのであろう。
 学校で植え方のプリントを配布していただいて会場に来てもらっているので事前に説明があったのか、配られただけだったのかはわからないが、少なくとも、卒業記念に植えた松を数年後に見に来てほしいという気持ちが先生方にあれば子どもたちの動きが違ったであろうし、見守る先生たちの態度も変わったでしょう。校長先生が「小学生より植え方が下手だ」といった言葉がむなしい。

 義務教育が終わって、巣立っていくという事は、高校への進学を選ばない生き方も可能なわけで、守られた環境での義務教育の世界から子どもが巣立つために、何を子どもに伝えようとしているのかが、先生たちの態度からはうかがえなかった。時間を過ごせば給与がもらえる、どうしようもない公務員の姿でしかない姿を子どもたちに見せつけている状況で、学力向上も生徒たちの自立も望めない。今現在の子どもたちの立ち位置を気づかしてあげなければ、指示待ち人間で大切な青春時代を送ってしまいかねないことに考えが回らないのだろうか。

 たった2時間の作業で松が命を受け継いだとしたら有意義な時間だったといえるけれど,根付かなくても、懸命に行えば次につながる時間であったと思うけれど、意味も狙いも考えずに過ごした2時間は全く無意味になってしまうことを、教師として見過ごしていいのだろうか。

 植えた状況をチェックし、手を加えながら近くの生徒たちにも確認とやり直しをさせている主催者側の大人たちの姿をどんな気持ちで見ていたのだろう。

 今日一日を生きていることに感謝することや、残り少ない時間を懸命に生きている人の存在なども子どもに気づかせられる立場の教員の意識を聞いてみたいなぁと思わされた松林再生プロジェクトでした。

 もちろん一生懸命自分の与えられた場所で、教師の使命に燃えて闘っている先生の存在を否定しているわけではありません。
 親が我が子を思うように、クラス、学校の子どもを見てほしいと願っているのです。





寄稿文 「子どもたちのために」

2016-02-22 03:29:31 | 教育
幼年教育 2016年1月号への寄稿文です



「子どもたちのために」

 昨年末の事です。三重から群馬まで車で出かけました。
国道23号線、伊勢湾岸道、名二環、中央高速、上信越道、国道144号線を使って5時間ほどのドライブでした。

 菅平ICから国道144号線の道は、逆向きには走ったことのある道でしたが、クルマのナビゲーションの存在に安心と感謝をしたものです。こんな狭い所に入って大丈夫かなと思いきや、国道をショートカットした形で近道を選択していたのです。目的地までの距離も、到着予想時間も、そして右折左折の指示までも頂いて目的地に到着できたのですが、あまりの便利さに考えさせられました。

 車載のナビなどなかった時代、三重から群馬まで車を走らせようと思ったら、地図を開いて、国道何号線から何号線を利用して…と、事前に通る道を頭に叩き込んで、なおかつ地図帳を持参して、確認しながら、天候や道路事情の変化に対応すべく準備をしたものです。

 そういう運転は、結果的に、風景や道路網、目印を覚えたものでした。しかし、正確に詳しく案内をしてくれるナビの出現のおかげで、景色も特徴のある建物なども、観ているけれど覚えようとしていない自分に気がつきました。
ふと、「子育てに共通しているぞ!」と気がつきました。便利さを追求した家電の力を無意識に使用し、危険だからと外遊びもしなくなり、かくれんぼをしたり、秘密基地を創ったりする場所さえなくなってしまった環境で育つ現代の子どもたちは、まさにナビゲーションで案内され続ける中で生活をしているのでなないだろうかと。

 自分で道を選んだ時代は、結果は自分のせいだと思えたものです。他の選択が近道だったかも…と考えたところで、体は一つ、同時に二つの道は歩けません。今歩いている道を、しっかり歩くしかできないのです。しかし、他人の、機械の選択では、恨みや、疑いさえも生まれる事があります。「あいつのせいで」とか、「おかしいんじゃないか」って気持ちが生まれてくる。

 人類は、よりよいものを追求した先人たちの成功と失敗の繰り返しの積み重ねで進歩を続けてきたはずです。その先人たちの努力から受ける便利さも使い方を誤ると、自己責任のとれない人間を生み出すことになってしまう事があるのではないでしょうか。

 幼児教育にかかわって32年が経ちました、子どものうちだからこそ、全身でぶつかって、痛い思いも嬉しい気持ちも体験してほしいものだと思ってきました。
その為には、大人が何でも用意したり、先に手を出したり、ナビのごとく指示することが、子どもの成長を阻害しているということを、意識しながら大人としての配慮をしていく必要があるということを、改めて考えさせられたドライブでした。

 目標や目的を自分の力で見つけ出せるような、成功と失敗の経験を体験する機会を与えてあげる事、奪わない事こそ、「活きる力」を身につけた子どもたちに育てるための大人の責任だと思いませんか。

平成28年1月
                         学校法人 宣真学園 
理事長 後藤 光雄 

新しい世界に飛び込むお子さんをお持ちのお父さんお母さんへ

2010-02-18 00:15:08 | 教育
新しい世界に飛び込むお子さんをお持ちのお父さん・お母さんへ

 子どもを育てるのに、どんどんと知識・経験を詰め込んであげるという考え方と、子どもの中から、引き出してあげるという考え方があります。
どちらがいいとは簡単に言えることではありませんが、子どもという器の口が子どもの意思によって閉じようとしていると、詰め込むことも、引き出すことも困難になります。
器の口が大きく開かれて、なんでも吸収し、何に対しても興味を持つのが子どもの生きる力の表れだと思います。

 ヒトには、生まれてすぐ母乳を吸うことができるというような本能的な能力と、経験から身につけていく学習という能力がある。
その能力をより多く、より高くという、より上質を求めるという生きる力が、ヒトという生き物には身についているのではないだろうかと感じています。

とすると大人の役目は、何をすることなのでしょう。

 小学校に入る前に、ひらがなを読める子もいます。小学校で初めて習う子もいます。
一緒に教えることは大変ですが、それをするのが教師というプロの仕事。
親としてしてはいけないことは、先生の話を聞こうとしない、器の口をつぼめてしまう子どもにしてしまうことではないでしょうか。

 新しいことにぶつかったときの子どもの判断基準は、日ごろの家庭の中の会話、親の考え方がベースです。そしてその結果から学習していくのは子ども自身です。

 新しい世界に飛び込んだ子どもは、初めておもちゃの取合いをするというような経験から、他人と一緒に生きる力(社会性)が身についていきます。
新しい世界に飛び込むということは、驚きの体験が成長につながっていくのだと信じてあげることです。子どもの成長に必要なのは、家に戻ったら、安心してぐっすりと休めるという環境を与えてあげることでしょう。
ゆったりと安心した環境で充分眠ることが、脳が一日の活動を整理して子どもの能力に変えていく作業を助けることなのですから。
                                 

・・・学年末を迎え、新学期を前にした親御さんにあてたメッセージを依頼された際に書いた文章です。

鈴鹿市議会議員 後藤光雄

学級委員長がいない

2009-02-13 08:42:14 | 教育
 鳥取県の公立小学校には「学級委員長」がいないそうだ。1校を除いて。
リーダーを決めれば差別につながる。との人権団体などからの抗議に自粛した結果だそうだ…

 運動会の徒競争でも全員が同時にゴールできるように、走るのが遅い子に対しては、コースをショートカットしたり、スタートラインを他の生徒より前にしたりする学校もあるそうだ。

 08年に小中一貫校の指定を受けた1校のみが、子どもの保護者などから自分の意見を大勢の前でも堂々と表現できるような子供を育ててほしい、という要望が多くあり「指導要領を見ても、子どもに自主、自立という言葉が盛んに使われている。さらに、みんなをまとめていくような人材、リーダーを育てていかなければならないとも考えている」と、復活を決めたそうだが他校の追随はなさそう!だそうだ。

 愛媛県も半数の小学校に「学級委員長」がいないそうだ。
どう思いますか?

 子ども(人間)にはそれぞれ違った能力があり、役割もあり、皆がたがいに関係しながら社会を築いているし、そもそも50m走と40m走が同時にゴールすることが差別ではないという発想が信じられない。

 学力テストでも問題のショートカットや、ヒントで結果を横並びにしているのでしょうか?!

 日本の子どもを取り巻く環境の悪さを感じている今日この頃。
メディアに汚染され過ぎてる教育者が多すぎるのかなあ…
社会から独立している学校では、子どもに理想を教えてほしい。
実際に社会に出てぶつかる荒波を乗り越えるために、希望や理想を持たせてほしい。大人の目で、どうせ世の中に出ても…の発想で子供に接してほしくはないと願っているのですが。

 みなさんどう思われますか?

授業で育てる

2008-10-27 00:37:48 | 教育
10月24日金曜日 鈴鹿市立鼓ヶ浦小学校で行われた教育研究会に出席。

国語の研究主題「自分の言葉で表現し、つながり合える子」に取り組んでみえました。

各学年ごとに、しっかり取り組んでいる様子が見て取れました。

私が気になったことは、
深緑色の黒板への板書に、赤いチョークで文字を書く(かなり多く)先生が
2名みえたこと。
・・・色覚に異常を持つ子供がいないと把握していればいいのかもしれませんが、色覚検査を実施しない今、もしも緑と赤の識別が十分にできにくい子がいたら、強調する意味の赤が、ぼけた言葉になってしまうかも・・・

もうひとつ、
比較的少人数教室で、(1年3年が1学級。その他は2学級)
コの字型に机を並べて(V字型は、スペース上無理かな?)
子どもたちが意見を出し合う体形を作ってありましたが、
先生が黒板に文字を書くときに身体を90度以上ひねらなければみえない子供が数人いたこと。
・・・私の体育教師的見方からすると、黒板を使うのならば子どもの目の動線を考えた机の並び方があるはずだ・・・と。もしかすると見学者の為に机を詰めすぎたのかもしれませんが、優先するのは子どもでいいはず。

それと、
各クラス、子どもに発言させる努力はみえましたが、子どもの発言にリアクションしない先生が数名みえたこと。
研究授業で、よその先生方がたくさん見えるところで勇気をもって発言した子どもの言葉を、聞き流す場面は心に痛みが走りました。

学校が一丸となって取り組んでいることが大きな成果だと、感想を述べて見えました。確かにいい取り組みの様子が随所に見られて、ありがたいことだと素直に思いました。
が、全体会の後に行われた講演に、教師としてもっと必要なことを述べてくださった「吉田正彦、元一志町立高岡小学校校長の言葉」をお疲れか聞き逃してみえた先生方がいたことが残念でした。


「吉田正彦、元一志町立高岡小学校校長の言葉」
☆言葉は、文化を創っている。伝えていくもの。
  言葉に敏感な子、言葉を豊かにしていく戸を育ててほしい。
  外来語や造語を使いすぎる現代は日本語が痩せていく危機的な状況にある。

☆子どもにとって学校は、間違いができるところ。絶えず間違えて、正しいことを 身につけていくところ。
  「間違っているかもしれないけど…」と発言するように用心させてはいけな   い。自分の意見を言って、人の意見を聞いて、考える子を育てよう。

☆授業は、川を渡っていくようなもの。真っ直ぐ横切れない、流されることもあ  る。しかし大切なのは対岸に渡ること。その本質は、対話です。いい対話は自然 に流れる。1対1ですが、1対多です。
  …まさに授業のあるべき姿だと思います。教え込みでなく、気づかせる(身に  つけさせる)には事前の準備がとても大切だともおっしゃっていました。

☆本当の楽しさは、苦しみを通り抜けなければ味わえない。
  学校は、子どもに恥をかかせる場所だともおっしゃいました。しかしそれは、  かかせてはならない恥は、絶対にかかせてはならない。ということが絶対で、  「耐えるということを教え」「存在を無視したりバカにしてはいけない」

☆師弟同行。掃除は、大変なところを率先して行うのが教師。
  見回りはしない。大変なところに張り付いて率先して掃除することが育てるこ  とにつながる。子どもが順番で回ってくるのだから、一緒にすることで伝える  ことができる。見回ることは同行ではない。…信じる心、信じられる実感。し  っかり掃除することが伝わるんだろうなあ…

☆ビング・クロスビーの逸話から…この歌をピアノで弾ける人はいますか?の問い かけに誰も返事がなかったとき「YES!」と答えて、「ギターなら弾ける」「ではギターで演奏してください」という経験が現在の彼を生んだ…
  「自分を出せる」子供を育てることの大切さを学んだと。


教師が、教育のプロになることを90分余り、静かに熱く語ってくださいました。

教師がプロになり、教育を任すことが必要だと感じました。
教師が教えることと、親が教えることは違うということです。
今の結果にこだわりすぎている教師・教育・親の意識・・・

教育は国力です。
人が国力です。

青春って・・・

2008-09-21 18:55:03 | 教育
太陽と海の教室 第9回 9/15放送分を観た

助けた命
助けられた命
失われた命
受け継がれた命・・・

生きた証を受け継ぐこと・・・
失われた命の分まで生きること。


物には命があるということを実感するのはいつのことだろう?

見失うのではなく
存在がゼロになるということを実感すること

・・・まだ小さい頃
祖母、祖父が亡くなり「焼き場」で骨を拾ったこと
・・・大学生の時
中学時代に心臓の手術をしたサッカー仲間が、自ら命を絶ったこと

私の中には、あの時の姿のままあるけれど・・・


セミやカブトムシを飼っては死なせてしまったり、
花火遊びに昆虫を使ったり、
多くの命を頂いて育ってきました。

青春ってなんでしょう
青春時代っていつのことでしょう

・・・人のことで涙を流せること。又その頃・・・かな!?

すると、
異性を好きになり、自分の人生を、将来を考えたりする
高校時代の過ごし方は、とても大切なことだと思う。

太陽と海の教室のように
高校時代は正に「青春」でなければならない。

受験勉強も青春の一部だけれど、高校は予備校ではない。

とりあえず、人生の設計を遅らせるための大学生活が何を生み出すのだろうか。
中学生のころ、大学進学か技術系学校への進学かを決めるけれども
どちらからでもコース変更が認められているドイツの教育システムのように

学びたいと思った時に学びたいことを学べるシステムと
学んだことを、能力として認めることのできるシステム

何よりも、学歴のみで判断するのでなく、学力や人物で判断する価値観
つまりは教育の在り方全てを、国全体のレベルで検証しなければ

それぞれの幸せをつかむことが
夢物語の国になってしまいそうだ

食料自給率が40%台だというのに
何とかなるとは思っても、何とかしなければと思う国民がどれだけいるのでしょう

自分のことでなく、人のことで涙を流すような経験
青春時代に青春することができる

そんな国にしたいと思いませんか。

学校の顧客は・・・

2008-06-30 14:47:55 | 教育
 学校は、子どもの未来の幸せを約束してあげるところ。
学校は、自分で未来を切り開く力を身につけさせるところ。

そうです。高校を卒業したら親のすねをかじらなくててもいいように、
自分の生き方を見つける努力をするところ。
そのために先生たちがいる。

「楽しくなければ学校じゃない。」
「面白くなければ授業じゃない。」
仙台の常盤木学園高校のように、掲げてほしい言葉です。


新しい言葉に出会いました。

学校の顧客は?

もちろん、親でも生徒でもありません。

「学校の顧客は、企業であり、社会である。」というのです。

親から預かった子どもたちを、企業、社会に送り出す。
いい製品にして出荷するように・・・
社会の一員として、税を納めて、人のためになる人材に仕上げるところが学校だというのです。

つまり、家庭は出荷元、仕入先ですね。
そして学校で、琢磨して社会に出る。

学校、先生方はこの任務に自覚と自信を持って邁進していただきたいものです。
磨かれる人材を甘えさせるためのクレームには毅然とした態度で臨めるように自覚してほしいと思います。
「お宅のお子さんを、社会の一員として世の中に出すためには!!」

少々きつい言い回しになりましたが、
昨今の少年事件、家庭崩壊の報道(報道を信じているわけではありません。)
学校の様子、教育委員会の態度なども見て感じていたことに
フィットするフレーズとして飛び込んできた言葉でしたので・・・

甘えだらけの世界では、人は育ちません。
学校の在り方、教育の在り方を真剣に考えなければならない「時」になっているというのに、先進国では、最も教育予算の少ない国と言われる日本の未来。

国も、県も、市町村も、真剣に取り組む姿勢を持ってほしい。
次の世代の為に、生きるのが大人の役目責任だと思います。
皆さん一緒に声を上げましょう。


父親参観日のメッセージ

2008-06-13 03:41:14 | 教育
                
 本日は参観ありがとうございます。
 さくら幼稚園をお選びいただいて、大切なお子様をお預けいただいているご家庭の皆さんに、書面での挨拶をさせていただきます。
 私も結婚して25年、先輩父親として3つの面から感じていることをお伝えさせていただきたいと思います。
---夫婦について---
 女性は出産という大きな事業を越えて「母」になります。男は自ら進んで父になるために学ばなければなりません。
 子にとって、母の声は安らぎ、癒し、安全なのですが、父の声は、緊張させてしまうそうです。だからこそ、お互いの役割を考えて子育てをしてほしいと願います。
 口うるさいけど、安心の母。叱るときは厳しい、生き方の規範、目標の父親になっていただきたい。
父親は外敵からの壁、成長して乗り越える壁になっていただきたい。
 男は、女性の母への変化についていけない部分があることを、女性側にも理解していただいて、帰宅したらすぐ子供の話で攻め立てるのではなく、男の頭のモードを仕事から家庭に切り替える「おかえりなさい、ご苦労様」の一言の思いやりが、お互いの関係を良くすることを伝えてください。
---子どもについて---
 こどもは、夜寝ている間に一日の活動のバランス(修復と、準備)を取っています。 しっかりと寝かせてください。つまり「早寝」です。
 朝日を浴びることが、人間の体内時計25時間が、地球の時間24時間への切り替え調節になっているそうです。つまり「早起き」です
 人間の思考は、脳の働きに依存しています。朝、何も食べないと10時頃には、脳が酸素不足を起こし働きが悪くなります。朝ごはんを食べることは、ブドウ糖が脳を活性することだそうです。大切な「朝ごはん」です。
 幼稚園生活では、喜びや驚き、気持ちよさを体験してもらうことを目的にしています。
 心が動けば、脳に刺激が伝わり活性します。どんどん発想が豊かになります。右手の動きは左脳が支配していて、理論的思考の助けをしているそうです。左手の動きは右脳が支配していて、直観、芸術的思考の助けをしているそうです。
 楽しく動くことが、身体のベースを作ることにつながっていると考えています。
---教育(子育て)が目指すもの---
 学校の役割は、ひとり立ちすることの手助けをすること。つまり親のすねをかじる生活からの卒業だと考えています。自立することはすべてのことに自分の意見を持つことだと思います。必要な情報と要らない情報を見分ける力が本当に必要な世の中になってしまいました。
 知識を多く詰め込むことに目を向けるより、知らないということを知ること。つまり知ることの喜び、知りたいという意欲を持つことが、生きる知恵につながる大切なことだと思います。
 学校教育は「入れた知識を、正しく出せるか」を評価する部分があります。どうしても減点式の評価になってしまいがちです。それを、やる気に変えてあげるのが大人の役目だと思います。
 体験して、感動して、心が動くことが自分を創っていくことだと思います。それが親の大きな仕事ではないでしょうか。きれいな花をみて、絵を描きたい思う子もいます。花を育てたいと思う子もいるでしょう。そんな花を売りたい、多くの人に見てほしいと思う子も、違う色の花にならないかと品種改良をしたいと思う子もいるかもしれません。これが個性です。この個性を育てるのが日々の生活です。
 子の成長を見守ることを通じて、ヒト一人ひとりが持つ能力、才能を如何に汲み出して共に生きるかを考えることが、親や地域の役目だとも思います。そういう意味で、親が地域活動に参加すること、子どもに体験させることが、自分や子供の世界観や、可能性を広げてくれるものだと信じています。

 皆様のお子様が、自分で幸せをつかんでいける成長を願って、職員一同力を合わせて保育をさせていただきます。園との連携をよろしくお願いいたします。

子は育つ!

2008-02-19 11:57:44 | 教育
鈴鹿市議会議員 後藤光雄 三重県教育委員会の家庭の教育力向上支援会議に参画させていただいています。
小中学生の親向けプログラム「親なびワーク」~ただいま子育て中!編~の原稿が昨日の会議でまとまりました。

親なびワークは、高校生を対象にした~未来の親となる世代 編~との2本立てです。
子どもはみんなの財産です。よりよく生きられる様に、どこかで少しでもお役に立てたらと思っています。

~ただいま子育て中!編の「子育てで大事にしたいこと」のワークシートにミニ・コラムを寄稿しました。

『子は育つ!』
子どもの成長、幸せを望まない親はいないでしょう。
いい子であろうと、親に認めて欲しいと思わない子どももいないでしょう。

でも親子関係は日々変化します。
親の言うことをよく聞いたいい子でもやがては口答えするようになる。自分もそうだったように。

子どもにとって、目にする、肌に感じる日々の判断・行動(価値観)が人格形成にかかわっていることは至極当然のこと。
親の生き方が子どもに受け継がれていくのです。

だとすると、子どもへの過干渉は自発性の芽を摘むだけでなく、大人としての生き方の手本を示していないことになるのではないでしょうか。

大切なのは、本当に伝えなければならないことは、学校とか、職場とか、周りからの評価にこだわることではなく、自分の生き方、活かし方ではないでしょうか。

子どもの姿を見て、危険がないか『目をかける』励まし・褒める『声をかける』時には援助の『手をかける』ことが親の責任で、その元で子どもは自由に、自発的に動けるように育ててあげようではありませんか。

『だめじゃないか!』の言葉を飲み込んで、自分だって転んだじゃないかって。そうでしょ、だって子どもは自分の鏡だもの!




覚えることより感じること

2008-02-11 17:32:53 | 教育
鈴鹿市議会議員 後藤光雄 子どもたちが育っていく上で、多くの知識・知恵が必要であることに異論はないでしょう。
子どもが大人になって身につけた知識・知恵を生かしてゆくためには、覚えることより、感じることが大切であることにも異論はないでしょう。

忘れたことは、もう一度学べばいい。
必要な知識。必要と判ったなら掴めばいい。

子どものうちに身につけて欲しいのは、今何が必要か、自分は何をすべきか、あなたはどう感じているのか、行った後の気分のいいこと、悪いこと・・・・

いろんなことを感じて、自分の人生を歩んで欲しい。

仙台の常盤木学園にお世話になっている次女が、毎日新聞のインタビューに答えている文章を見て、少々成績が悪かろうが、きっと自分の人生を生きてくれるであろうと、感謝至極です。

…サッカーが好きだったから、苦しかった思い出はないという。常盤木学園進学を決めた2年前の11月、鈴鹿市市民会館で作家の倉本聰さんが主宰する『富良野塾』の演劇を見た。劇が終わると大道具だと思っていた木々の中から次々と人が出てきてあいさつした。いつの間にか感動に震える心に誓っていた。

「一人ひとりが自分の仕事をしていたからこんなすごい劇ができたんだ。いつか自分も人の心を動かせるようなサッカー選手になりたい」
http://mainichi.jp/area/miyagi/news/20080209ddlk04050334000c.html