Go! Go! 後藤光雄

鈴鹿市議会議員 後藤光雄。鈴鹿に生まれて鈴鹿に住んで鈴鹿にやってきて「本当に良かった」といえる、まちづくりをともに!

父の思い出

2009-01-22 14:49:24 | 出来事
父の思い出

2009年1月9日19時53分。孫の手を握ったまま父が逝きました。
全国優勝の報告に来た孫のメダルを握って、あの世に旅立ちました。

父は、

車の運転が上手で
お酒を飲むと顔が真っ赤になって
4度の引っ越しの度に、家の周りに畑や倉庫を作ってしまう人でした。

朝早くから仕事に出かけ、夕方戻ると畑仕事に精をだし
雪の日には、いつもより早起きをして他人の通る道まで雪かきをした
愚痴や文句を言わないで、コツコツと体を動かす人でした。

気丈な母と漬物や、果樹酒、みそも作ってくれました
母が逝って7年目。
毎食、母の分も作って仏壇に供える父でした。

若いときから糖尿病を患い、母の食事療法で元気にしていた父でした、
引きつった顔で、脳溢血がわかり入院させた母が
ブドウ糖の点滴で様態が悪化するのを助けた時に
「愛が勝った」と言ったほど仲のよかった父と母

7年ぶりの再会を、何の話で過ごしているのやら・・・

足を怪我したときバイクで小学校まで送ってもらったこともありました。
凍てつく寒中に、一緒に家の基礎作りのバイトに行きました。
凍った地面を掘り起こしたよね
車の誘導の仕方も教えてくれたよね。

あなたの教えが私の中で生きている。
「なくなった!」という私に「同じ場所を7回捜してから言え!」
いまでも聴こえてきますよ。お父さん。
同じセリフを子どもにいう自分が、面白い。

食べたものが肺に入って肺炎を引き起こした父
酸素吸入が最後まで外せなかった父

若い頃、満州で肺炎にかかった話を聞きました。
戦争よりはと、満州鉄道に行った話はしてくれたよね。

「おじいちゃんとおばあちゃんが、お父さんを生んでくれて、そして私がいるんだよね。
おじいちゃんありがとう」という孫の声を聴いて、生きることを止めた父。

ありがとう。
本当に、ご苦労様でした。

あなたの子どもで、よかった。
ありがとう。

スポーツの考え方(岡野俊一郎)

2009-01-19 17:07:26 | 語呂・語録
中日新聞の夕刊「この道」に96回連載された日本サッカーの重鎮である岡野俊一郎さんが寄稿を終えるにあたって「スポーツについて」書かれていたものです。

 「スポーツは人間だけが持つ同質文化(ユニバーサル・カルチャー)で、文明が進めば進むほど、健やかな心と身体を育てあげる上で欠くことのできない身体活動」である。そしてスポーツと体育とは違うことを理解してほしい。
 スポーツは中世ヨーロッパで、生活にゆとりが出てきたときに「遊び心」から生まれた。しかし、スポーツは単なる遊びにとどまらなかった。スポーツは自然と向上心、闘争心、集中力など精神面を鍛えると同時に、持久力、敏捷性など身体能力を高める。このような教育的要素を抽出して教科にしたのが体育である。したがって、スポーツは自らの意思でやるもの、体育は与えられるものだ。
 文明が進むと、これまで人間がやってきたことを機会がやるようになる。そこでの問題は生活の中にあった身体的刺激の減少である。人体を構成する細胞の生命活動は適正な刺激が必要だ。それによって正常な発育・発達が可能になる。簡単に言うと「汗をかかない生活は快適だが、危険」であり、「字を読み書きし、顔を合わせて会話をしないと脳細胞は活性化しないし、本当の意味のコミュニケーションはできなくなる」のだ。
 中央教育審議会委員の時、私はコンピューターの義務教育導入に反対した。これは適時性からの反対で、当然だが、コンピューターに反対したわけではない。今日、パソコンや携帯電話は生活の必需品だが、子どもにとっては危険な道具でもある。座ったまま、一人でやれるので、汗をかくことがないし、仲間と共同で仕事をすることがない。単なる文字のやりとりをコミュニケーションと錯覚する。
 また、スポーツは老化現象を少しでも先延ばしするうえでも必要な身体活動であり、第一線から離れた人の交流の場にもなろう。
 21世紀、文明はますます進歩する。だからこそスポーツの重要性はより高くなることを認識してほしいと思う。
 
簡潔に述べられた文章ですが、子どもたちの健やかな心と身体を育て上げようとしている教育者の一人として忘れてはならない教えです。