1526年の年末、安房の武将・里見実堯が鎌倉に乱入しました。時の玉縄城主・北条氏時は家臣や大船の甘粕氏・藤沢渡内の福原氏と共に数度の合戦で里見軍勢をここで追い払いましたが、両軍に多数の戦死者が出ました。戦後、北条氏時は敵味方の首を交換してここに埋め、塚を築いて敵味方双方の霊を供養しました。この首塚(画面中央の五輪塔)を甘粕塚(現在は玉縄首塚)といいます。そばにはエノキ(榎)の大木が植えられていて、前記のような首塚の由来を書いた石碑が立っています。現在はエノキが枯れて、イチョウとシイ(?)の木になっています。この玉縄首塚で昨日、玉縄首塚まつりが行われました。
JR大船駅西口から柏尾川の右岸沿に沿って藤沢方向に500メートルほど進んだところに、玉縄首塚があります。そこに「玉縄城築城500年祭」と書かれた横膜が掛かっていました。玉縄城は東相模の重要な拠点として1512年10月に、北条早雲が三浦半島の付け根に築城しました。1963年に清泉女学院が玉縄城跡に移転し、さらに近年は宅地化が進み、現在では隣接する住宅地や周辺地域に「早雲台」「城山」「城廻」「関谷」等の地名を残すのみとなっています。築城500年の今年11月には、「玉縄城築城500年祭」が企画されています(→こちら)。
1ヶ月余り前に、南方系チョウのツマグロヒョウモンが我が家の庭にいたことを書きました(→こちら)が、昨日の朝日新聞朝刊には『チョウ生息域が北へ 温暖化・ヒートアイランドが影響か』と題して、ツマグロヒョウモンの生息域が東海や関東に拡大しているという記事がありました(→こちら)。
1ヶ月余り前に、南方系チョウのツマグロヒョウモンが我が家の庭にいたことを書きました(→こちら)が、昨日の朝日新聞朝刊には『チョウ生息域が北へ 温暖化・ヒートアイランドが影響か』と題して、ツマグロヒョウモンの生息域が東海や関東に拡大しているという記事がありました(→こちら)。
8月17日は、鵠沼皇大神宮の例大祭でした。藤沢市重要有形民俗文化財の人形山車9基が三の鳥居前の広場に集結します。山車巡行の先頭ではひょっとこのお面を付けた子供が、ひょうきんな所作で観客を笑わせています。しかしこの暑さですから熱中症予防のため、ちょっと一服して水分を補給しなければなりません。ひょっとこ一服です。集結した9基の人形山車を見回す360°パノラマ写真は、こちらをご覧下さい。
鵠沼海岸に先月、津波避難タワーが完成しました。最上部のステージは海抜12.5メートルですので、1605年に起きた慶長地震の際の10.7メートルの津波でも大丈夫だそうです。最上部のステージは約50平方メートルで、100人ほどが収容できます。しかし、夏場の鵠沼海岸にはものすごい数の海水浴客がいますので、この津波避難タワーで100人も救えたというよりは100人しか救えなかったということになりそうです。津波避難タワーからのパノラマ写真は、こちらをご覧下さい。
県立湘南海岸公園は、境川と引地川の間の海岸一帯です。この公園で一番目立つ記念碑が、平和の像(難波孫次郎作、昭和40年)です。未来を象徴する若人が、高く掲げた右手に平和の鳩を受け止めて希望の空を見つめている、巨大な男性裸像です。実際の高さがどれくらいかは分かりませんが、この高さからスパイクを打ち込まれたら、オリンピック選手でもレシーブできないでしょう。
11日と12日は、ここで「ビーチバレー湘南」が開催されていました。これは、初心者向けの4人制ビーチバレーの大会でした。当然ラリーは続きませんが砂を巻き上げながら、皆さん暑い中を元気よくボールに飛びついていました。草野球ならぬ砂バレーです。ビーチバレーのパノラマ写真は、こちらをご覧下さい。
鵠沼海岸の海水浴場(海水浴場としては片瀬海岸西浜に含まれる)のすぐ西隣には、十数面(季節により異なる)のビーチバレーコートが常設されています。鵠沼海岸は、我が国におけるビーチバレーの発祥の地なのです。ビーチバレーのコートとボールは無料で貸し出しされています。
楼門から見下ろしますと、舞殿に灯りが灯っていました。立秋のこの日、鶴岡八幡宮では立秋祭が行われ、その後、西川流による日本舞踊の奉納が舞殿の舞台で行われていました。大石段から眺めますと、そこだけ明るく浮かび上がっている舞殿のはるか先に、若宮大路の灯りが小さく望まれました。
ここ数日、世間の話題はもっぱらオリンピックですが、今年のぼんぼりが作られたのはだいぶ前ですので、オリンピックを含めスポーツに関連する絵はこれ1点だけのようでした。この5人、誰だか分かりますか? 右下の選手はちょっと難しいかも知れませんね。分からない方は、コメント欄をご覧下さい。
間もなく、女子サッカーの決勝戦が始まります。なでしこ、頑張れっ!
アメリカ 2 ー 1 日本、残念(05:40、追記)
間もなく、女子サッカーの決勝戦が始まります。なでしこ、頑張れっ!
アメリカ 2 ー 1 日本、残念(05:40、追記)
ぼんぼりは参道、舞殿の周りの広場、大石段の両側と、本宮(上宮)楼門の前まで続いています。大イチョウは平成22年に倒伏しましたが、そのヒコバエである「子イチョウ」と倒伏した樹幹部分を移植した「親イチョウ」は、共に順調に育っています。
ぼんぼり祭は、立秋(今年は8月7日)の前日から源実朝の誕生日である8月9日までの3日間または4日間行われる、鎌倉の夏の風物詩です。戦後のものかと思っていましたが、昭和13年に始まった行事でした。近くのお店がぼんぼりを並べている段葛を通り抜けますと、鶴岡八幡宮の境内には有名人・無名人が書いたぼんぼりが数百基並んでいます。
藤沢駅北口の銀座通りで昨日、恒例の「世界一大きい金魚すくい」がありました。藤沢銀座土曜会の行事で、毎年数万人の来場があるそうです。2002年には全長100.8メートルで、世界一とギネスに認定された金魚すくいです。今年は全長63メートルで、金魚45,000匹、メダカ10,000匹、ドジョウ2,000匹が放されました。金魚は比較的小振りですので、ポイを何枚使ったかは分かりませんが、何十匹もすくっている人もいました。場所が空くのを待つのも、大変なようです。
龍口寺本堂の前、浄行堂の横には、日本一といわれる白ツバキの大木がありました。過去形です。近年、台湾リスの食害により樹勢が衰え、二股に分かれていた片方は先年折れてしまいました。龍口寺の竹灯籠を見に行った時、境内のあちらこちらに張り紙がありました。それによれば、片側だけかろうじて生き残っていたあの白ツバキが、先日の強風で倒れてしまいました。しかし、鶴岡八幡宮の大イチョウの倒木ほどのニュース性はなかったようで、張り紙を見るまで私はこの事を知りませんでした。白ツバキと浄行堂(の跡)の現在の様子は、こちらをご覧下さい。