平和とくらし  #茨木市議会議員 #山下けいきの日々是好日

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こんな校歌を歌っていました。万世小学校、万世中学校、加世田高校

2010年04月01日 |  #自分史 #茨木市議会議員
万世小学校 

 今日から4月、桜満開を前に市の桜祭りも週末から始まります。残念なのはこのところの雨の多さ、いつもの年はもっとお天気に恵まれていると思うのですが・・・。

 入学式の季節。私は万世小学校の出身ですが、その入学式当日、桜が咲き誇っていたのを今でも鮮明に覚えています。当時は講堂、校舎全て木造で、鉄筋校舎ができたのは上級生になってからでした。校舎は高台にあり、緑の中に家屋が見え隠れする万世の街並みや、万世中学校、吹上浜、東シナ海が眺望できました。時には桜島の噴煙すら見ることができたものです。それは今でも変わりません。運動場の背後には松林が広がり、うさぎを追ったこともあります。西の崖には防空壕があり、格好の遊び場になっていました。

私が歌ってきたそれぞれの校歌です。

万世小学校校歌

開闢跡(かいびゃくあと)は 遠けれど
天孫のゆかり 尊しや            
浜松続く 真砂路の     
波に千古の 余韻(ひびき)あり

敬愛の誠 義にあつく
剛健の徳 責を知り
望に燃えて 一筋の
道を行手に 幸まてり

この校歌を6年間歌っていました。開闢は天地開闢(てんちかいびゃく-天地に代表される世界が初めて生まれたときのことを示す)で、神話の世界です。三番目の歌詞もあったようですが、軍国調で禁止され歌わなくなったと聞いています。それでも一番、二番と小学生には難しい歌詞には間違いありません。この校歌は現在も一緒です。

万世小学校ホームページ

 なお、万世中学校、加世田高校の校歌は以下の通りですがだんだんと平易で分かりやすくなっていきます。なお高校の校歌の三番に「かおる自由の花も咲け」とありますが、加世田高校のどこに自由があるんだと私は反発していたものです。

 万世中学校校歌

朝日子の
光あふるる この庭に
希望は湧きて
浜松の
調べ聞くなり
万世の名の

眉あげて
我等は誓う ひたすらに
誠たづねて
国おこる
基とならむ
万世の名の

現在は新しい校歌になっていて、金峰山、吹上浜、万之瀬川が歌詞に出てきます。

万世中学校ホームページ


加世田高校校歌

一、
万瀬の岸に若草の       
あしたの空に動くとき
あおぐ真理の門ひらく
おお加世田 加世田 加世田
樗の下につどえ若人

ニ、
長屋の嶺に朝あけの
光もゆれて輝けば
若き希望の胸にわく
おお加世田 加世田 加世田
樗の下につどえ若人

三、
新潮よする吹上の
なぎさに白きそよ風に
かおる自由の花も咲け
おお加世田 加世田 加世田
樗の下につどえ若人

樗(おうち)の木は加世田高校の正面に植えられていて学校のシンボルでした。

加世田高校ホームページ

 小、中、高と過ごした日々が今の私をはぐくんでくれました。ほんとに感謝です。
昔話になりましたが、この春、入学や就職される皆さんにとってスムーズなスタートになることを祈っています。

 なお小学校、中学校の名称で地名となっている「万世」は1925年東加世田村が町制をしく時、南薩摩を流れる万之瀬川(まのせがわ)の万と加世田(かせだ)の世の字をとったもので、「萬世不易(ばんせいふえき)―永遠に変わらないこと」の意味も込められています。

 私の出身はこの万世の「唐仁原」ですが、字の通り中国からの渡来人による由来といわれています。一帯は万之瀬川の河口港として中国や南方からの船でにぎわった歴史があり、唐仁塚川という名称の川が流れ、ふなを取っては遊んだものです。

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