脱原発のぼりサイクルアピールで約3時間市内を走りました。自転車はレインボー号で東海道ツアーに使ったもの。軽くてスピードも出ます。市内4駅はもちろんですが、西は白川3丁目、北は総持寺2丁目、南は蔵垣内、丑寅、沢良宜西4丁目、真砂、摂津、西は中穂積まで回ることができました。
白川でОさん、Fさんとお会いしました。総持寺では散歩中のSさんと出会い、昔の解放運動、労働運動の話。運動内部におけるインテリ層の差別意識、また組合よりも自らの出世志向の強さを幾度も味わってきた経験を話されていました。癌との闘病が話の最後でしたが、ご健康を祈りたいものです。
話の中で出てきたのが「しあわせの歌」。Sさんは電気産業労働組合の組合員でもあり、この歌のことを細かく覚えていました。
「しあわせの歌」
1 しあわせはおいらの願い 仕事はとっても苦しいが
流れる汗に未来を込めて 明るい社会を作ること
みんなと歌おう しあわせの歌を
ひびくこだまを 追って行こう
2 しあわせはわたしの願い あまい思いや夢でなく
今の今をより美しく つらぬき通して生きること
みんなと歌おう しあわせの歌を
ひびくこだまを 追って行こう
3 しあわせはみんなの願い 朝やけの山河を守り
働くものの平和の心を 世界の人にしめすこと
みんなと歌おう しあわせの歌を
ひびくこだまを 追って行こう
以下はうた新「歌の小箱」91(08/01/24)から
■1955年、電気産業労働組合が公募した組合歌入選曲(同労組は応募作品の選評等で毎号の機関紙を埋めるとりくみ)。この歌は労組の枠を越え商業雑誌「平凡」「明星」等でも紹介され、フランキー堺・左幸子主演映画「しあわせは俺らのねがい」ともなった。
作詞者・石原健治は広島の被爆で母親と姉弟を失い組合に支えられて生きてきたという。入選した時、職場の同僚たちは、楽譜が読めなくとも家族、知人の協力や、もよりの合唱団に持ち込む等で、すぐ覚えてくれた。この歌の年に原水爆禁止世界大会・広島に参加した石原は「この仲間たちが『しあわせの歌』を創り出した」「『原爆を許すまじ』の木下先生が私の詩に作曲して戴いたのは偶然とは思わない」とうた新に述懐している(55年10/15号)。
ここまで引用
以下は 昭和歌謡曲 あの時 あの歌 心に残る昭和歌謡を訪ねて
「流れる汗に未来を込めて 明るい社会を作ること」と歌うこの楽天性は、失うものを持たない人の強さである。その強さは「今の今をより美しく つらぬき通して生きること」として信念となる。人は、本来、こういう風に生きることができる。生きるべきである。この心情は一体どこへ行ってしまったのだろうと思う。恐らくは希望をを持って働く人々がいなくなったのではない。が、希望を持って生きることを、今の社会は非情にも打ち砕く。働いても働いても報われない。株価をパソコンの画面で見ながら投資をする。それによって巨万と富を得る。そしてそれがもてはやされる。このこと自体、悪いことではない。だが、多くの人は額に汗して働いているはずである。そしてその尊さが報われない。巨万の富が欲しいわけではない。ただ、日々の糧とわずかばかりの希望という名の貯蓄をしたいだけである。
普通に働き普通に生活できる、それが人生の喜びとなる、そういう当り前のことを、あらためて振り返って見るときが来ているようである。
ここまで引用
夕方はサポートユニオンwith YOUの土曜シアターで「黒い太陽 731」を見ました。見るに堪えない日本帝国軍隊の中国人、ロシア人に対する人体実験を描いたもので、原題「THE DEVIL」そのもの。侵略の中で繰り返された蛮行を反省しないまま、今日に至っている日本の罪深さに声も出ません。
【今日のネット情報】
放射性廃棄物保管列島・日本!日本中何処に避難しても、放射能だらけ!
原発事故で捜索できず…津波遺族が賠償申し立て
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
◆山下HP・「お元気ですか」 今日も元気だ のぼりラン
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
◆全国の放射能(水道、雨の放射能)濃度一覧
◆山下HP反核・反原発サイト、放射能情報公開、反原発の歌
下記のblogランキングに参加しています。(←1日1クリックでできる山ちゃんへの励まし。みなさんの1クリックが山ちゃんの元気になります。
にほんブログ村
白川でОさん、Fさんとお会いしました。総持寺では散歩中のSさんと出会い、昔の解放運動、労働運動の話。運動内部におけるインテリ層の差別意識、また組合よりも自らの出世志向の強さを幾度も味わってきた経験を話されていました。癌との闘病が話の最後でしたが、ご健康を祈りたいものです。
話の中で出てきたのが「しあわせの歌」。Sさんは電気産業労働組合の組合員でもあり、この歌のことを細かく覚えていました。
「しあわせの歌」
1 しあわせはおいらの願い 仕事はとっても苦しいが
流れる汗に未来を込めて 明るい社会を作ること
みんなと歌おう しあわせの歌を
ひびくこだまを 追って行こう
2 しあわせはわたしの願い あまい思いや夢でなく
今の今をより美しく つらぬき通して生きること
みんなと歌おう しあわせの歌を
ひびくこだまを 追って行こう
3 しあわせはみんなの願い 朝やけの山河を守り
働くものの平和の心を 世界の人にしめすこと
みんなと歌おう しあわせの歌を
ひびくこだまを 追って行こう
以下はうた新「歌の小箱」91(08/01/24)から
■1955年、電気産業労働組合が公募した組合歌入選曲(同労組は応募作品の選評等で毎号の機関紙を埋めるとりくみ)。この歌は労組の枠を越え商業雑誌「平凡」「明星」等でも紹介され、フランキー堺・左幸子主演映画「しあわせは俺らのねがい」ともなった。
作詞者・石原健治は広島の被爆で母親と姉弟を失い組合に支えられて生きてきたという。入選した時、職場の同僚たちは、楽譜が読めなくとも家族、知人の協力や、もよりの合唱団に持ち込む等で、すぐ覚えてくれた。この歌の年に原水爆禁止世界大会・広島に参加した石原は「この仲間たちが『しあわせの歌』を創り出した」「『原爆を許すまじ』の木下先生が私の詩に作曲して戴いたのは偶然とは思わない」とうた新に述懐している(55年10/15号)。
ここまで引用
以下は 昭和歌謡曲 あの時 あの歌 心に残る昭和歌謡を訪ねて
「流れる汗に未来を込めて 明るい社会を作ること」と歌うこの楽天性は、失うものを持たない人の強さである。その強さは「今の今をより美しく つらぬき通して生きること」として信念となる。人は、本来、こういう風に生きることができる。生きるべきである。この心情は一体どこへ行ってしまったのだろうと思う。恐らくは希望をを持って働く人々がいなくなったのではない。が、希望を持って生きることを、今の社会は非情にも打ち砕く。働いても働いても報われない。株価をパソコンの画面で見ながら投資をする。それによって巨万と富を得る。そしてそれがもてはやされる。このこと自体、悪いことではない。だが、多くの人は額に汗して働いているはずである。そしてその尊さが報われない。巨万の富が欲しいわけではない。ただ、日々の糧とわずかばかりの希望という名の貯蓄をしたいだけである。
普通に働き普通に生活できる、それが人生の喜びとなる、そういう当り前のことを、あらためて振り返って見るときが来ているようである。
ここまで引用
夕方はサポートユニオンwith YOUの土曜シアターで「黒い太陽 731」を見ました。見るに堪えない日本帝国軍隊の中国人、ロシア人に対する人体実験を描いたもので、原題「THE DEVIL」そのもの。侵略の中で繰り返された蛮行を反省しないまま、今日に至っている日本の罪深さに声も出ません。
【今日のネット情報】
放射性廃棄物保管列島・日本!日本中何処に避難しても、放射能だらけ!
原発事故で捜索できず…津波遺族が賠償申し立て
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
◆山下HP・「お元気ですか」 今日も元気だ のぼりラン
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
◆全国の放射能(水道、雨の放射能)濃度一覧
◆山下HP反核・反原発サイト、放射能情報公開、反原発の歌
下記のblogランキングに参加しています。(←1日1クリックでできる山ちゃんへの励まし。みなさんの1クリックが山ちゃんの元気になります。
にほんブログ村