月刊「イオ」を発行する朝鮮新報社主催の「꽃송이=コッソンイ(花房)」作文コンクール。
朝鮮学校に通う児童・生徒を対象に、1978年から毎年行われているもので、作品はすべてウリマル(朝鮮語)で書かれている。
社内では目下、その審査が行われている。
私は初級部3年生作品の1次審査を担当している。
学校での出来事、家族のこと。
彼ら彼女らの行動範囲はそれほど広くはないが、作品に描かれた精神世界は豊かだ。
初級部3年生という「低学年の最高学年」ということも関係してくるのか、作品のあちこちに「責任感」を持つことの大切もにじみ出ている。
幼い子どもながらに、自分たちよりも年下である1、2年生を慈しむ姿が目に浮かび、微笑ましくなると同時に、こういうところが朝鮮学校のいいところなんだろうな、と感じる。
中には、日本学校でいじめに合い編入してきたが、朝鮮学校の友達はみんな優しいという作品もあった。
そして作品たちを読みながらビックリするのは、ウリマルがうまいこと。
「この年の子どもって、こんなにウリマルうまいんだ」と一人感心している。
もちろん先生たちの手によって、ある程度の直しは入っているのだろうが、そういう次元でなく、言い回しというか、俗に言う「~イムニダ(です・ます)」型ではない、話し言葉のような語尾にも驚く。
「作文きらいだったなぁ」と当時を思い出しながら、子どもたちの素直な作品に、心癒される今日この頃。
担当の初級部3年生以外にも、応募作品すべてに目を通したいほどである(そんな時間も気力も忍耐力もないのであるが…)。
どの作品が入選するのかは、もっと上の人たちが決めるので私の知るところではないのだが、どの作品にも「コッソンイ」たちの笑顔、あふれてます。(茂)
朝鮮学校に通う児童・生徒を対象に、1978年から毎年行われているもので、作品はすべてウリマル(朝鮮語)で書かれている。
社内では目下、その審査が行われている。
私は初級部3年生作品の1次審査を担当している。
学校での出来事、家族のこと。
彼ら彼女らの行動範囲はそれほど広くはないが、作品に描かれた精神世界は豊かだ。
初級部3年生という「低学年の最高学年」ということも関係してくるのか、作品のあちこちに「責任感」を持つことの大切もにじみ出ている。
幼い子どもながらに、自分たちよりも年下である1、2年生を慈しむ姿が目に浮かび、微笑ましくなると同時に、こういうところが朝鮮学校のいいところなんだろうな、と感じる。
中には、日本学校でいじめに合い編入してきたが、朝鮮学校の友達はみんな優しいという作品もあった。
そして作品たちを読みながらビックリするのは、ウリマルがうまいこと。
「この年の子どもって、こんなにウリマルうまいんだ」と一人感心している。
もちろん先生たちの手によって、ある程度の直しは入っているのだろうが、そういう次元でなく、言い回しというか、俗に言う「~イムニダ(です・ます)」型ではない、話し言葉のような語尾にも驚く。
「作文きらいだったなぁ」と当時を思い出しながら、子どもたちの素直な作品に、心癒される今日この頃。
担当の初級部3年生以外にも、応募作品すべてに目を通したいほどである(そんな時間も気力も忍耐力もないのであるが…)。
どの作品が入選するのかは、もっと上の人たちが決めるので私の知るところではないのだが、どの作品にも「コッソンイ」たちの笑顔、あふれてます。(茂)