日刊イオ

月刊イオがおくる日刊編集後記

いつもと違うことがしたくて

2015-09-30 09:00:00 | (理)のブログ


 お寺で一泊してきた。いわゆる宿坊というやつである。思い立ったのはシルバーウィークに入る少し前で、せっかくの連休なのだから何か…何かいつもと違うことをしようと考えた末に修行とかいいかもなあと思い、「修行 体験 関東」と検索してその存在を知った。

 関東には宿坊体験ができるお寺が結構ある。その中で値段が安く、かつ比較的アクセスのいいところを選んだ。最寄り駅からバスに乗って15分も走ると、あっという間に自然の中。川をいくつか越えて、乗客もほぼいなくなり、ザ・山奥!という場所でバスを降りた。

 お寺につくと、駄菓子屋をしていそうな佇まいの初老の女性が出迎えてくれた。わざわざ一度表に出されて、下の文章を割と大きな声で読むよう促される。恥ずかしさをこらえて朗読すると、「はい」と気のない返事で先に中へ入っていった。読む意味…。



 さて、以下が宿坊の一泊二日スケジュール。

【1日目】16:30までに入山
17:00~座禅
18:00~夕食
19:30~風呂
21:00~就寝

【2日目】
5:30 起床
6:00~お勤め
6:30~座禅
7:10~住職による法話
8:00~朝食
8:30~掃除 ※希望者は掃除後、写経
10:00 下山

 健康的である。

 私は「入山」よりも早く来てしまったため、周辺を一時間ほど散歩。紅葉の季節はまだだったが、葉っぱが陽の光に透けて金色に見えるのがとても綺麗だった。



 散歩から帰ってきて少しすると、3人の女性がやってきた。見たところ友人同士ではなく、それぞれ一人で来たようだ。(ああ、やっぱり同じような考えする人もいるんだ)となんだか安心。

 お茶を飲みながら自己紹介をする。22歳、27歳、32歳、自分が25歳となかなかバランスがいい。宿坊に来た動機は程度の差はあれ、ざっくり言うとみな「自分を見つめなおしたい」というものだった。

 話の途中でおもむろに住職が登場。言われるがままに本堂の方へ移動しあぐらをかいて、いつの間にか座禅がスタートしていた。もっと心の準備とか、ウォーミングアップみたいなものがあると思っていた。

 庭の緑が揺れている。池の音と、呼吸だけが聞こえる。よく「無になる」と言うが、それはいまいち分からなかった。最初は色々なことが頭に浮かんだし、それに飽きると自然と頭の中が静かになった。

 ただ、途中から慣れないあぐらに足、特にふくらはぎが痛くてたまらず、せっかく静かになった頭の中は、「痛い」という言葉と、足をずらすか我慢するかの葛藤でいっぱいになった。最後まで耐えることができたのは、住職がテレビなどでよく見る「肩パシン」をしてくれたことと、(ここで崩したらせっかく7000円も払ってここまで来た意味がない)というもったいない精神のおかげだと思う。

 どうにか終えて時計を見るとなんと40分も経過していた。普段の生活で、40分も意識的に喋らず、姿勢を正し、自分の頭の中を意識することなんて(限界まで足の痺れを我慢することも)ほとんどない。これだけでもなかなか面白かったと言えるかなと思うと同時に、明日も同じ足の痛みが待っていると思うと小さな憂鬱も覚えた。

 そしてお待ちかねの夕食。机の前に正座をして「いただきます」を言う。質素というか、つつましい感じの献立だ。ご飯に味噌汁、漬物、麩を揚げたもの、小さなごま豆腐、かぼちゃの煮つけに小豆をかけたもの。しかも住職は「食事中、一言も喋らないように」と言う。もらった箸袋には5つの教えが書いてある。食べることのありがたみを感じるとか、欲を抑えるとか、色んな意味があるらしい。座禅だけでなく、食事、睡眠も、生きることすべてが修行なのだそう。



 味噌汁をすする「ずずっ」とか、漬物を食べる「しゃくしゃく」という音が気になる。しかし慣れるとなんだか新鮮な気持ちだった。むしろ味が染み込んでくるような気がして美味しかった。最後は白飯が入っていた茶碗にお湯を少し注いで、一切れだけ残しておいた漬物でご飯粒を綺麗にこそげ落としすべて飲み干す。ああ精進している気分。

 お風呂に入り、きちんと21時に消灯。座禅の時のようにゆっくりと色んなことを考えていたらいつの間にか眠っていた。翌朝は5時半前にすっきり目が覚めた。

 顔を洗って本堂へ。座禅をすると、最初から頭がクリアになっていることに少し驚いた。やっぱり足の痛みは襲ってきたものの昨日ほどではなく、「肩パシン」をもらって無事終了。

 朝食も、みなすんなりと席について無言で食べ始めた。人間の順応力はすごい。

 味のないお粥に漬物、なすのおひたし、えんどうのなにか、黒ごまと塩昆布が少々。ふと、こういう生活を、例えば1週間だけでも毎日続けてみたらどうなるのかなと興味がわいた。

 宿坊の最後は写経。足の痺れと格闘しながら二百数十文字のお経を半紙に写す。

 もし、「これをやる自分なりの意義をのべよ」と誰かに聞かれても、うまく言葉で言い表すことはできないだろう。ただなんとなく、実生活には直接的になんの利にもならないことを黙々とするのもたまにはいいことのように感じられた。

 バスと電車で自宅へ。街へ近づくにつれ、お寺でしたことの現実感がどんどん薄れていった。でも約1週間が過ぎた今も振り返ると面白いし、結構いい経験をしたと思っている。(理)

ビー玉びーすけ

2015-09-29 09:00:00 | (愛)のブログ
ある日、テレビで「ピタゴラ装置 大解説スペシャル」をやっていた。
ピタゴラスイッチという番組内で流れるピタゴラ装置の理を徹底的に解説するというもの。
内容的にも秀逸で、大人がみていても「へーなるほどwすごい!」ととっても勉強になった。
意外にこういった理が、日常的に応用され、使われていることに感動した。

ピタゴラスイッチは好きでよく見ている。
中でも「ビー玉びーすけの大冒険」を初めて見たときの衝撃は忘れられない。
すごいっ!!を何度連発してしまったことか。
「ビー玉びーすけの大冒険」とは、ピタゴラ装置が物語仕立てになっているもので、ビー玉びーすけが、悪者に捕らわれたきょうだいを救うという内容。
歌もテンポがよく、おもしろく、子どもも大声でいつも歌っている。
終わったあとにすぐに「びーすけもっとみたいー」と泣くので、録画までしてしまった。

おかげで家ではびーすけフィーバーのようで、
家の中には簡易びーすけの装置が作られ、段ボールがそこかしこに落ちている。
捨てると怒られそうなので、捨てられずにいるが、
何にせよ、自分で考えて作り出す、そういう思考を育てるのに、ピタゴラスイッチはよくできているな、と感心してしまった。(愛)


出張先での思いがけない出会い

2015-09-28 09:00:00 | (S)のブログ
今、初出張で関西に来ています。
朝鮮関連の図書を多く置いている図書館を訪ねたり、民族教育に携わってきた1世のハラボジ、ハルモニに話しを伺ったり、またイオを毎月愛読してくださっている日本の方にもお会いできたり、本当にたくさんの方とお会いました。

私の父が大阪出身というのもあって、人との意外なつながりを発見することも少なくなく、おなじみの「同胞社会は狭いね~」という会話を何度かしましたが、中でも1つ、特別な出会いがありました。著者インタビューの企画で取材をさせていただいた、大阪市立大学教授の伊地知紀子さんです。

伊地知さんが今年5月に社会評論社から「消されたマッコリ。」を出版され、そのインタビューに伺ったのですが、それともうひとつ、伊地知さんが研究されている済州島の生活史についてもお話を聞いてみたいと考えていました。私の祖父が済州島出身で「4.3事件」も経験されていてとても興味があったからです。

私の本籍が済州島だと話すと、済州島の地図を広げて熱心に探してくれ、伊地知さんが済州島に住んでいたとき現地で撮った写真も見せてくれました。話しているうちに、伊地知さんが聞き取りを行った「4.3事件」経験者たちの中に私の祖父も含まれていることが分かり、本当にびっくりしました。私以上に伊地知さんが驚かれていましたが(笑)。

伊地知さんは「家族の方は絶対に読んだほうがいい」と言って記録のデータをくださいました。以前祖父から聞いたことのあるものもあれば、初めて知るものもありました。いくら想像してもしきれない、耳を疑うような内容です。何よりも、これまで簡略的に、大体のイメージでしか知らなかった当時の体験談が活字になっていることに感激でした。貴重な資料を残してくださったことに感謝の気持ちでいっぱいです。次に祖父に会ったときに、もっと話を聞いてみようと思うきっかけにもなりました。(S)

東京無償化裁判に、全国のオモニたちが

2015-09-25 09:00:00 | (瑛)のブログ


 62人の東京朝鮮高校生たちが高校無償化への差別なき適用を求めた、東京無償化裁判第7回口頭弁論が9月18日、東京地裁で行われた。

この日は、被告・国側から第4準備書面が提出された。国は朝鮮高校を不指定処分にした主な理由を、「規程13条に適合すると認めるに至らなかった」と主張しているが、毎度のように、高校無償化法の趣旨や、原告が主張する差別性への正面きった反論はなかった。

東京弁護団の主張は、無償化法はすべての子どもを対象にしているし、朝鮮高校は、指定基準を満たしている、という点に尽きる。それに対して、国側は他の外国人学校には適用すらしない「規程13条」を持ち出して、朝鮮高校は適正な学校運営がなされていない、と主張する。

規程13条は、「…指定教育施設は、高等学校等就学支援金の授業に係る債権の弁済への確実な充当など、法令に基づく学校の運営を適正に行わなければならない」というもの。
この13条は、各学校に支給された支援金を生徒たちの授業料に確実に充てるための「管理の適正」と「関係法令の遵守」を定めたもので、就学支援金を生徒の授業料にきちんと充てるよう管理し、関係する法律を守りなさい、というものだ。

国は、朝鮮高校は朝鮮総聯の「不当な支配」を受けていて、朝鮮総聯が朝高を利用して資金を集める疑いがあるから、朝高が就学支援金を授業料の支払いに充てない可能性がある、と言っている。つまり、朝鮮高校の排除には政治的、外交的な判断が、加わっている。しかし、それを言うと違法になるため、国は「13条」を持ち出しているのだ。この裁判の勝敗は、裁判官が高校無償化法の趣旨に立ち戻って判断できるかどうかにかかっていると言えるだろう。

 参考までに、今回、出された国の反論は以下のようなものだった。

◆高校無償化法はいかなる場合でも、どのような教育機関に在学する生徒であっても、すべて対象としているものではない

◆規程13条の適合性に係る審査として、関係法令に基づく学校運営の適正性を審査することは当然できるのであり、原告らが主張するような形式的な審査や事務的な事項についての最低限の審査等に限られない

 ◆(朝高の不指定処分が審査会の意見を聴かずになされた、という原告の主張については)審査会の設置が同法によって要請されている、とする原告らの主張は失当である。

◆(東京朝高が、規程13条の要件を満たしているとの原告の主張に関しては)
 朝鮮総聯が朝鮮高校を利用して資金を集めていると疑われる事情がある、という疑いを根拠に正当化。

 裁判である以上、法律に基づいた反論がなされるべきだが、国の反論は、国や文部科学大臣の「裁量」、つまり、さじ加減ひとつで、どうにでもできると、言わんばかりの反論だった。憲法を都合よく解釈して、安保法案を成立させた方法とまったく同じだと言える。

 安保法案が成立された日、ある専門家が、「日本では三権分立が崩れた」、と話していたが、裁判のたびに同様の感想を抱く。高校無償化法は、学べない子どもをなくすために生まれた法律だし、その学校が高校レベルかどうかだけが判断基準のはずなのに、根拠のない疑いを持って支給対象にしない、ということを裁判所は通すのか、と。


 閉廷後の報告集会では、李春熙弁護士による裁判の解説が行われた後、弁護団の弁護士による、裁判の解説があった。

その席で、師岡康子弁護士は法廷で裁判官が原告側弁護団に「反論しますか?」と聞いていたことに言及し、「これは珍しい。国側の反論が反論する中味ではない、その程度のものと理解しているのではないか」と分析していた。裁判は最終段階に入っている、との予想も示された。今後は、原告の訴えがよりストレートに伝わるよう、証人尋問、意見書などを準備していくことが課題となるだろう。

次回期日は12月8日、11時から103号法廷で行われる。





 この日はなんと、日本各地の朝鮮高校からオモニ会会長らが東京に集結。安保法案が成立される、という状況の中で、20数人のオモニたちが、午前中から議員会館を分刻みに回り、国会議員とも面談しては、無償化差別を訴えていた。その後、オモニ会会長たちは、参議院議員会館内で行われた東京無償化裁判の報告集会にも参加し、連帯を表明。

その足で文部科学省に向かい、9月12日に行われた第10回中央オモニ大会参加者一同の名前で、下村博文・文部科学大臣宛てに朝鮮高校への「高校無償化」制度即時適用を求める要望書を提出した。



オモニたちは、文科省前の金曜行動も主催。約300名の参加者とともに、省内で働く職員や道行く人たちに、子どもたちに教育の平等を、と訴えた。



 京都朝鮮中高級学校オモニ会の金由美会長(56)は、「私たちの子どもが差別され、ないものにされてきたことを、ガマンできない。差別され、しんどいこと、むずかしいことに慣れてしまうこともあるが、今日、闘う意志を持った全国のオモニたちとともに、文科省に来たことが力になった」と力強く語った。また、東大阪朝鮮中級学校オモニ会の金菊江会長(48)は、「ひとつ、ふたつ、仕事をしながら、おかずをひとつ、減らしながらも、子どもたちが胸を張って生きれるよう、学校に送っている。後輩たちのために朝鮮大学生たちが一丸となって続けている金曜行動がいつまで続くんですか」と差別の根絶を訴えた。



 無償化排除から6年目の秋。

 この日の報告集会や金曜行動には、日本の国会議員や日本の友人の参加も多かった。

 各地のオモニたちの強い意志で進められた国会と文科省要請、金曜行動に、勇気をもらったのは私一人ではないだろう。(瑛)

70年ぶりに故郷へ戻った遺骨

2015-09-24 09:00:00 | (相)のブログ
 北海道各地に保管されていた朝鮮人強制徴用犠牲者115人の遺骨がこのたび韓国へ奉還された。
 115体の遺骨は、太平洋戦争中に朝鮮半島で徴用され、北海道で炭鉱労働やダム建設工事などに動員される中で死亡した人々だ。朝鮮半島が日本の植民地支配から解放されて70年を経て、やっと帰国の途についた。
 遺骨の奉還は、韓国と日本の市民らで作る「強制労働犠牲者追悼・遺骨奉還委員会」が計画したもの。同委員会の共同代表を務める浄土真宗本願寺派一乗寺(北海道深川市)の殿平善彦住職ら一行は今月11日に北海道深川市を出発して東京、京都、広島、山口などを経て、18日に下関港からのフェリーで韓国南部の釜山に到着。このルートは植民地時代に朝鮮人労働者が釜山で関釜連絡船に乗って下関に到着した後、日本を縦断して北海道に渡ったルートを逆にたどったものだ。総行程は約3500kmにおよび、一行が寄った各地では犠牲者の追悼集会が行われた。 
 そして20日、ソウルで合同葬儀が行われた後、遺骨は天安市にある望郷の丘に埋葬された。現地からの報道によると、葬儀には遺族約50人のほか朴元淳ソウル市長と市民、両国の宗教関係者ら約1000人が参列したという。
 遺骨奉還委員会によると、このたび故郷に戻った朝鮮半島南半部出身者の遺骨は、
・本願寺札幌別院に残されてきた遺骨のうち71体
・旧三菱美唄炭鉱犠牲者のうち常光寺に安置されてきた6体
・朱鞠内雨竜ダム建設工事犠牲者で、旧光顕寺に安置されてきた4体
・旧浅茅野日本陸軍飛行場建設犠牲者で、浜頓別天祐寺に安置されてきた34体の計115体。

 北海道には戦時下の動員により過酷な労働を強いられ亡くなった朝鮮人、中国人らの遺骨が仏教寺院や埋葬地に残されてきた。 1970年代から市民有志らの手によって犠牲者の遺骨発掘が始まり、遺骨を遺族に手渡す取り組みが続けられてきた。しかし、21世紀の現在も多くの朝鮮半島出身者の遺骨が日本各地に残され、故郷に帰る日を待ち続けている。今回、南半部出身者の遺骨は韓国に戻ったが、東京の祐天寺にある遺骨をはじめ北半部出身者の遺骨返還は手つかずのままだ。(相)

イオ10月号完成!

2015-09-18 09:00:00 | (麗)のブログ
イオ10月号が完成しました!

今月号の表紙は、ジェフ千葉の安柄俊選手です!
今年7月から川崎フロンターレからジェフ千葉に期限付移籍をしてから、8月末の天皇杯でゴールを決めるなど出だしは好調。
同胞サッカー界の新星・大型フォワードとして活躍が期待できる選手です!
撮影日は朝から小雨が降り気温も低いという、自称・雨女の本領発揮か…?と不安が過ぎるほどの天候の悪さでしたが、そんな中でも安選手は爽やかな笑顔で対応してくれました。すらっとした長身がとても印象的です!

そして、特集は「起業家に学べ!」
飲食、IT、出版などビジネスのさまざまな分野で存在感を増す同胞起業家たちを30~40代を中心に取り上げました。かれらの姿から、混沌とした現代を生き抜くヒントが見つかるかもしれません。

このほか、青商会結成20周年記念式典・祝賀宴、9月6日に行われた青商会結成20周年記念ウリ民族ツアーステージ「世代を繋いで~未来への扉~」の開幕初日の様子、康成銀×愼蒼宇×李柄輝による座談会「戦後70年談話と朝鮮植民地支配」、ジャーナリスト・伊藤孝司さんによるフォトエッセイ「性奴隷被害者問題 解放70周年の北と南で見る」、東大阪中級がベスト16となった第46回全国中学校サッカー選手権大会などが掲載されています。

今月号も盛りだくさんの内容となっていますので、是非ご愛読ください!(麗)

安世鴻さんの写真展に行って

2015-09-17 09:00:00 | (S)のブログ





9月4~13日に神楽坂セッションハウスで開催された、安世鴻さんの写真展「重重 消せない痕跡 アジアの日本軍性奴隷被害女性たち」に行ってきた。2014年に安さんが新たに撮影した、フィリピン、インドネシア、東ティモール、中国、韓国の約60人の日本軍性奴隷被害者たちの写真を展示した写真展だ。
 
これまでの安さんの写真展と大きく異なるのは、写真が全てカラーという点。「現在の問題」ということを伝えるため、過去を連想させる白黒ではなくカラー写真を選んだという。写真には、被害女性たちのあらゆる表情と皮膚感、しわ1本1本が鮮明に写し出されていた。また、被害女性たちを囲む生活環境も捉えられている。「顔、身体、生活環境すべてに痛みが残っているはず。昔から使ってくすんでいく被害女性たちの身の回りの物たちと、しわが刻み込まれていくかのじょらの姿をひとつの作品にした」と説明した。
 
これまで安さんは「日本軍『慰安婦』」という言葉を使って写真展を開いてきたが、加害者側の視点から付けられたこの言葉を「性奴隷被害者」に改めた。「どう表記するかについて以前から迷っていたが、取材を重ねる過程で確信した」と話す。
 
聞き取り調査を行った被害者たちの範囲も広まった。「韓日の問題にくくってしまうと解決は難しい。アジアの問題として捉えたい」との思いで、これまで可視化されてこなかったアジア各国の被害者たちにスポットをあてた。さらに、作品たちは国別ではなく、「生(Living)」「被(Surviving)」「抱(Suffering)」「解と残(Releasing & Leaving)」とテーマごとに集められていた。国家間で政治的に語られるだけでは汲み取れない、「被害者」自身の姿を浮き彫りにしていた。
 
安さんは「戦争が起きれば、また同じことが繰り返される。歴史を記憶することで抵抗していかなくてはいけない。被害者たちの証言は未来へのメッセージだ」と、今回の写真展に込めた思いを語っていた。
 
開催中に2回、ゲストを招いてのトークショーが行われ、作品についてはもちろん、「表現の自由」などについても議論が交わされた。2012年の新宿ニコンサロン元日本軍「慰安婦」写真展中止事件。安さんは「『写真に写る人』と『撮影する人』、そして『写真を見る人』は、直線ではなく三角の関係にあり疎通し合っていると考えている。この繋がりを権力や企業が切ってしまうと、自分だけでなく、三角関係にある全ての人が被害を負うことになる」と話した。安さんは事件後に「表現の自由」への侵害と闘うために提訴。3年に渡る裁判の判決が今年10月に出る予定だ。
 
「表現」は、受け取る側がいて初めて成り立ち、価値が生まれる。一部の人たちだけではなくすべての人に、こういった問題に対しての責任があるということを考えさせられる展示会だった。安さんが今回出会った被害者たちの中の8人が、その後に亡くなられたという。関心を持ち、被害者たちを記憶していくことが、私たち一人ひとりにできることであり、決して小さくない大切なことだ感じた。(S)

朝の珍事件

2015-09-16 09:00:00 | (愛)のブログ
すっかり秋めいてきましたね。

私は早速風邪をひいてしまいました。
子どもの風邪がずっと治らず、咳のシャワーを浴びまくっていたので当然といえば当然ですが。

そんな中、珍事件が起きました。
子どもとふたり、朝の準備真最中に玄関の外で「ゴン、ゴトッ」など誰かいる気配がしました。
ガスのメーターを計りに来た人かな?と思い、さほど気にせずバタバタ準備をして、
さあ、保育園へ!と思い、ドアを開けると、なんと玄関の外に生ごみが散乱。。。
え、なにこれ?いたずら?と一瞬思ったけれど、すこし離れた先にはカラスが。。。

だれかが外に置いた生ごみをカラスが喰い散らかしていたのでした(;O;)
しかも自分たちの家の目の前にー!
このままゴミを放置すれば間違いなく、カラスがたむろする!!
片づけなければ。
しかし、私はカラスがだいきらい!
その理由は、母が昔カラスに頭をつつかれて泣いて逃げたという話を聞いていたので、
私にはカラスへの恐怖心しかなかったのです。

しかたなく常備してあったゴキジェットを取り出し、玄関をそっと開けながらその辺りにスプレー。
すると、それに感づいたかのようにカラスが遠くからカーカー鳴いていました。
玄関を開け閉めしながら外の様子を窺うと、
もうカラスの姿が見えなかったのでその隙に急いで散乱した生ごみをお片付け。

さあ、これで大丈夫かな、と安心して出る準備をし、またそっと玄関のドアを開けると、
廊下の手すりにカラスが! 
私とばっちり目が合ってしまい、ぎゃーと言いながら慌てて玄関を閉めました。
その音にびっくりしたのかカラスは飛び去っていて、
念のためもう一度辺り一面にゴキジェットを散布!!!

またカラスに来られると困るので、急いで外にでました。
もう当分、カラスの顔は見たくもないです。(愛)



半分の裁判記

2015-09-15 09:00:00 | (理)のブログ
 初めて裁判所に足を運んだのは2013年12月。愛知無償化裁判・第4回口頭弁論の時です。
 以来、第5回、第8回、第9回、第11回、第12回と取材に訪れました。昨日は名古屋地裁で同裁判の第14回口頭弁論があり、私はちょうど半分を、実際に現地で見てきたことになります。



 今回、原告側は主に、国際人権規約違反に関する準備書面<14>と、愛知県立大学の山本かほり先生による意見書を提出。法廷では、準備書面の要旨について、弁護団の中島万里弁護士が10分ほどの陳述をしました。



 原告側は、高校無償化から愛知朝鮮高校の子どもたちを排除した国の行為が、経済的、社会的および文化的権利に関する国際規約=社会権規約に違反すると指摘しました。
 具体的には社会権規約のうち、無償教育の機会均等について定められた<第13条>と、社会権規約に規定される権利の無差別平等・漸進的達成を保障する<第2条>に、国が違反しているというもの。
 その理由として、無償化制度からの朝鮮高校除外は「日本人拉致事件が未解決であることや、朝鮮民主主義人民共和国や朝鮮総連と朝鮮学校のつながりという外交的政治的理由により行われており、そのような高校無償化法の趣旨目的から完全に逸脱する曖昧な理由を、別異取扱いの目的とすることは、正当にはなりえ」ないからと強く主張しました。

 …長いですよね。しかし今回いろいろと大切な話があったので、まだまだ続きます。お時間あります時に読んで下さい。内容は月刊イオ11月号の「裁判記」でも紹介します。

 今回、傍聴券を求めて地裁前に並んだのは約140人。およそ50人ほどが抽選からもれてしまいました。報告集会の前には、そんな方々のためにミニ学習会も。USM(ウリハッキョサポートネットメンバーズ)の日本側共同代表・村田峻一さんは、8月末の訪朝体験を写真で報告していました。文化や生活様式は違っても、普通に生活を営む人たちがいる。自分が見た、朝鮮民主主義人民共和国のありのままの姿を、行ったことのない他の支援者たちに伝えたかったといいます。



 報告集会では、まず法廷での内容の報告があり、続いて山本かほり先生が執筆した意見書について発表がありました。本人が「私の研究者人生の中でたぶん一番心を込めたと思う」という意見書は、400字詰め原稿用紙で160枚を超える大作です。



 「朝鮮学校の子どもたちはなぜあんなに明るいの?」を問いのスタートにして、愛知朝鮮中高級学校に何度も足を運びながら数多くの人たちにインタビューし、また自身も朝鮮民主主義人民共和国を9回ほど訪朝しながら見てきたこと、考えたことをまとめたといいます。
 朝鮮民主主義人民共和国との関係についても触れながら、多方面から「子どもや保護者たちにとって朝鮮学校はどんな存在なのか」ということについて考察しています。笑いも交えた発表に、参加者たちは自然と身を乗り出して耳を傾けていました。

 報告後、内河惠一弁護団長は「山本先生にしか書けない内容で、裁判所にインパクトを与えられたと思う」と評価していました。
 私は、以前に北海道朝鮮初中高級学校の藤代隆介先生を取材した時もそうですが、私たち在日朝鮮人にとって「当たり前のこと、胸を張っていいこと」を改めて気づかせてくれる内容で、きっとみんな勇気というか、肯定感のようなものをもらえたのではないかなと感じました。

 また、この日は愛知朝高3年の生徒たちが傍聴にかけつけました。報告集会では2人の生徒が代表して発言しました。



 「自分たち高3が傍聴と報告集会に参加するのはおそらく今日が最後になるが、自分は朝鮮大学校に進学する。大学での4年間も無償化実現のための運動に捧げ、卒業後は愛知中高に教員として帰ってきて、裁判が続く限りここで闘っていきたい」という頼もしい発言に会場からは拍手喝采。
 「進路は様々でも、私たちの原点であるウリハッキョは変わらない。ずっとそこにあり続けるように、力を合わせて守っていきたい。いま、運動会の練習が始まっているが今年のテーマは『明るい未来』。当日、みなが胸を張って明るい未来に向かって走っていけるよう練習を頑張りたい」という決意には、温かい拍手が送られました。

 そして昨日は僭越ながら私も発言。月刊イオの紹介と、イオで出版した『高校無償化裁判』の紹介をさせていただきました。話しながら少しジーンとしてしまったのは、他の発言者や支援者たちの熱、というか気持ちがうつったからでしょうか。「私たちは常に現地にはいられない分、こういった書籍や記事、またブログなどを通して、少しでも多くの人に自分が見て感じたことを伝えることで支援運動に貢献していきたい」と、応援の気持ちを伝えました。

 無償化裁判が続く限り、私もできるだけ現地に足を運んで、当事者と支援者の言葉や表情、思いを、これからも広く、強く発信していきたいと思います。



 無償化裁判の概要、朝鮮学校が排除されるまでの経緯、日本政府の主張の不当性、日本各地5ヵ所の裁判と支援運動の状況など、現時点での総まとめと言える『高校無償化裁判』。下の画像をクリックすると詳細も見られるので、ぜひチェックしてみて下さい。(理)
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イオ、のこれから

2015-09-14 09:00:00 | (瑛)のブログ
イオブログを読んでいただいている皆さん、アンニョンハシムニカ。

イオ編集部は、10月号の作成を終え、11月の完成に向け、動き出しました。今日は愛知で無償化裁判が行われるので、(理)さんは、現地入り。明日、このイオブログで現地発のレポートをアップする予定です。

 毎日をこうして、雑誌のことを考え、過ごしているのですが、この営みを続けられるのは、当たり前のようで、そうではない、と思います。

作る人がいても、梱包し、配り、そして、読んでくれる人がいないと、雑誌作りはそもそも成り立たたない。購読し、お金を払い、月々届いた雑誌のページを開き、感じた何かを届けてくれる人がいてこそ、雑誌を取り巻く人々の「動き」が生まれる。何より、意思なくして、雑誌は生まれない。

来年、創刊20周年を迎えるイオを巡って、この雑誌の将来について、考えることが増えました。

イオ編集部に配属されたのは、創刊8年目の春の日。最近、当時のオリジナルメンバーと会う機会に恵まれ、楽しく話を聞いたのですが、その頃、30代だった人が50代、60代に、その頃に生まれた人が10、20代になっている。皆さん、どんな日常を過ごしているのでしょうか。

 30、40代の頃は、付き合いで購読していただいた方でも、今は疎遠になっている人もいるだろうし、ずっと読み続け、バックナンバーをすべて保管してくれている方もいます。

作る側にいると、作っているという、「自己満足」にあぐらをかくことも出てくる。しかし、その気持ちを一度突き放して、「どう読まれているのか」「なぜ読まれないのか」という現実を知ることが、企画を考える出発点では、と思う今日この頃です。

 近々、2016年度の企画会議もスタートします。耳に痛い話もたくさん聞きながら、新企画を生み出す糧にしたいと思っています。(瑛)

互いを隔てる壁(あるいは塀)に架橋するということ

2015-09-11 09:00:00 | (相)のブログ
 最近、SNS上で見かけて関心を持ったイベントがある。
 「突然、目の前がひらけて」と題した朝鮮大学校美術科と武蔵野美術大学両校の学生による合同展で、11月13日から21日まで開催される。
 内容としては、壁を隔て隣り合う両校の2つのギャラリースペースで展覧会を開催し、両大学の学生たちで恊働して壁に橋をかけるという。展示期間中だけ、来場者なら誰でも渡ることができる。両校の卒業生、大学院生、教員ら6人が制作委員会を立ち上げた。
 壁一枚隔てた隣り合う関係だが、数年前までは表立った交流はなかった。2011 年に今回の合同展の企画者のひとりである武蔵野美大の灰原千晶さんが朝鮮大学校の寮に暮らす朝鮮大生との関係性をテーマにした作品「渡れるかもしれない橋」を制作したのをきっかけに、朝大美術科と武蔵野美大袴田京太朗ゼミとの交流が始まったという。翌12年には武蔵野美大の課外センターで有志展が行われ、13 年、14年にも展覧会が企画された。
 今回の展覧会には武蔵野美術大学ギャラリー FAL と朝鮮大学校美術科ギャラリーという2つの会場があり、それぞれ両校を隔てる塀越しに位置している。橋は、その2つの会場をつなぐ装置としてかけられるという。

 このたびリリースされた告知資料に、「本展の開催趣旨」と題した一文が掲載されている。
 https://drive.google.com/file/d/0B3ofnUWhtBWXM3p4cHJlSVBOcFU/view
 互いを隔てる壁(あるいは塀)とは何なのか、それに橋をかけるという行為が何を意味するのかを示唆してくれていて興味深かったので、以下に一部を引用して紹介する。

 橋は隔たりを越えていくものであると同時にその隔たりが「何」であるのかを問いかけます。
 垣根を取り払って話し合うという比喩表現がありますが、実際の塀というものが単に敷地を隔てるものではなく、双方の立場を明確にし、違いをあえて強調するものであるならば、それは取り払ってはいけないものです。武蔵野美術大学と朝鮮大学校の両校について考えるとき、しばしば象徴的に捉えられる両校の境界にある塀は、出展作家たちの間でさえ意味するところは違っています。あの塀はそれぞれにとっての「何か」として存在しているのです。
 みえない向こうの風景に対しての好奇心を刺激する塀。自分の生活圏を区切る行き止まりの塀。今はまだ気付けていないあやふやな自分の居るべき場所をとりあえずここだと示してくれる場所を守る塀。出展作家の一人である鄭梨愛は、「閉塞する『塀』がときには何かから守る『壁』にもなるように、反面その安心感から脱しなくてはならないと思うこともある」と言います。相手の言葉に耳をすまし、考えをめぐらせること。割り切れない複雑さごと展覧会でそれぞれにとっての壁越しの対話を提示しようとするものです。橋を渡ることで視界がひらけますが、その先になにが見えるかは私たちもまだわかりません。

引用ここまで

 壁とは何なのか。
 ①建物の外周の部分。また、部屋などを仕切るもの
 ②前進を阻むもの。進展の妨げとなるもの。障害
 (デジタル大辞泉)
 シンプルな言葉だが、多義的で、比喩として用いられることも多い。古今東西、さまざまな文学や音楽作品にも用いられてきた。たとえば安部公房の小説「壁」、ピンクフロイドのアルバム「The Wall」、村上春樹のスピーチ「壁と卵」など。この3つだけをとっても、それぞれの「壁」に込められた意味、あるいはそれが指し示す対象は一様ではない。「橋」もまたしかり。
 壁を、壊すのか、取り払うのか、乗り越えるのか、それとも…。それぞれにとっての壁の持つ意味とは、その後に続く言葉によっても浮かび上がるのではないだろうか。

 合同展の制作費はクラウドファンディングサービスreadyforで募集している。つい先日、目標金額を100%を達成したとのアナウンスがあった。私も、少額ながら協力しようと思う。
 そして、展覧会開催のあかつきには、会場を訪れ、実際に橋を渡ってみたい。橋の上、両者を隔てる壁のちょうど真ん中に立ったとき、一体どのような景色が眼前に広がるのだろうか。たぶんそれを見ることができる機会は今回しかない。20年ほど前にその壁に隔てられた一方の敷地内で暮らしていた一人としても、今から楽しみでならない。(相)

 「武蔵美×朝鮮大 突然、目の前がひらけて」
 日時:2015 年 11 月 13 日 ( 金 ) 〜 11 月 21 日 ( 土 )10:00 ~18:00
 場所:武蔵野美術大学ギャラリーFAL  朝鮮大学校美術科ギャラリー

 詳細は、
 https://drive.google.com/file/d/0B3ofnUWhtBWXM3p4cHJlSVBOcFU/view
 フェイスブックページ
 http://www.facebook.com/totsume2015
 クラウドファンディング
 https://readyfor.jp/projects/4514

曲げわっぱ弁当箱で飯が美味い!

2015-09-10 09:00:00 | (麗)のブログ
ただいま編集部は締切真っ只中です。

以前、新しい事務所になってからお弁当生活をするようになったと書きました。
今もなるべく心掛けてはいますが、忙しさにかまけて作らない日もしばしば…。

眠さに負ける時もありますが、それでも気合で起きられた時はなんとか作っています。

お弁当関連の話を続けますと、盆休みに実家に帰った時に、母から「曲げわっぱ弁当箱」を貰ったので、最近はそれにおかずを詰めています。

イオでお弁当特集をした時も登場していたこのお弁当箱。
誌面で見た時も可愛い!美味しそう!という印象でした。

不思議と曲げわっぱにしてから、白米が美味しく感じるんです。何より木のいいにおいとぬくもりが素敵。
自分で作っておきながら、蓋を開ける時はテンションが格段と上がります。

値段はちょっとお高めですが、いい感じに年季が入って色が変わってくるのもまた楽しみのひとつかと。

曲げわっぱ弁当箱、是非!(麗)


巡回スタート!

2015-09-07 09:00:37 | (理)のブログ
 イオ9月号でも紹介している、青商会結成20周年記念ツアー公演「世代を継いで ~未来への扉~」の巡回がスタートしました!

 昨日は、東京・昭島のKOTORIホールで青商会プレミア公演が行われました。前日の青商会結成20周年記念式典に参加するため集まった青商会役員たちをはじめ、西東京に居住する同胞たちも公演を楽しみました。

 ミュージカル&ドキュメンタリーとあるように、本編は感動的な歌とともに進行していきます。楽曲はすべてこの公演のために作られたもの。1世、2世へのインタビューを通して民族教育の歴史を辿る映像も見応えがあります。他にも舞踊やサムルノリなど、一つの物語ながら盛りだくさんの内容でした。やはり生の舞台は迫力満点! 劇中歌が頭から離れず、帰りの電車の中で何度も鼻歌をうたってしまいそうになりました。

 「ウリハッキョの歴史は学生時代に何度も習ってきて知っているつもりだったけど、改めて自分たちが守っていかないと…そう思わせてくれる内容でした。私にも娘がいますが、この思いをしっかりと伝えていきたい」、そのように感想を話す方もいました。


 公演は今後、東京、愛知、大阪、広島で開催されます。お近くにお住まいの方はぜひ足をお運び下さい。日程、会場、チケット問い合わせ先などの詳細は以下の特設ページにて。(理)

●特設ページ→http://kyc.gr.jp/kyc20th/


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五輪エンブレム騒動に思うこと

2015-09-04 09:00:00 | (愛)のブログ
2020年東京オリンピックの公式エンブレムデザインが、白紙撤回された。
一連の騒動を見ていて、報道のあまりの過熱ぶりと一部ネットユーザーのあれもこれもパクリなのではないかという疑いの眼差しに、
何も関係のない私でさえもうんざりした。

私個人として思うことは、五輪エンブレムは本当にパクリではなかったと思う。
五輪エンブレムの製作過程や、パラリンピックのロゴデザインとの展開等を知れば知るほど、
よく考えられていて素晴らしいデザインだなと素直に思った。

シンプルな図形ほど似てしまうことは、よくある。
だって、世界中にデザイナーはごまんといて、
シンプルな図形やローマ字は世界共通なのだから偶然似てしまうことはよくあり、
しょうがないと思うのだ。

ただ、彼の場合はその後にでてきた事務所スタッフの不手際などが問題になった。
脇が甘かった。
それにネットユーザーが乗っかって、報道も乗っかった。
ネットでは佐野氏を弁護したデザイナーの作品までも持ち出して、
(え!?これもパクリになるの?これは明らかにインスパイアというものじゃないの!?)と思うものまでパクリとネットではまとめられていてビックリ。
まるで社会的ないじめをしているように私の目には映った。
実際、今回デザインをした佐野氏のコメントでは、様々な被害の状況が語られていた。

今回の騒動は、デザインをする者としては襟を正されるような思いを感じながらも、
あまりの騒動の過熱ぶりに、社会の怖さを感じ、報道の怖さを感じた。
これで、当の本人がもしうつ病になり命でも絶ったら、誰が責任をとるのだろう。
そんな想像までめぐらせてしまった。

朝鮮の悪宣伝をこれでもか!と流した時とどこか重なった。
報道の仕方、ネットでのマナー、そんなものたちをもっと議論すべきではないだろうか。(愛)



Mayの新作「メラニズム・サラマンダー」

2015-09-03 09:00:00 | (S)のブログ


先日、劇団「May」の新作「メラニズム・サラマンダー」を観てきた。過去、東京・新宿のタイニイアリスで上映をしてきたが、今年4月に閉館。今回、激団リジョロと提携しながら、10周年を迎える東京・阿佐ヶ谷のシアターシャインで初めて作品を上映した。

作品はMayのこれまでのものとは一味違うSF作品だ。舞台は「部屋」というたった一つの空間。登場人物から次々に飛び出す言葉が複雑に絡み合い、人間の根本に迫る内容だった。

紛争を逃れ、とある部屋に身を寄せた人々は、外の様子を伺いながら様々な会話を行き交わせる。中には在日朝鮮人もおり、アイデンティティを巡った葛藤も描かれる。物語が急展開するきっかけは、犯人不明の殺人事件だ。人が人を疑い始め、そこには「根拠」というものも必要とされない。

一つの大きな焦点となるのが主人公「ぼく」。2人の「ぼく」は、互いに同じ人物を見て自分の「父さん」だと言うが、「父さん」の記憶はそれぞれに正反対に刻まれている。途中、こんな台詞がある。「一本道だけに導かれて隣を並行する世界を認めない。…すべてはひとつの空間なんだ」。

本作品を手掛けた金哲義さんはこう話す。「習ってきたこと、経験したこと、信じてきたことが、時に正反対だったりする。歴史も同じ。『やっぱりそうだった』と思う時もあれば予想とまったく違ったものを突きつけられる時もある。2人の『ぼく』は、異なる現実が同時に存在していることを体現している」。

正義を主張する思想同士の戦い、見るに耐えない数々のぶつかり合い。実際に社会で起こっている現実と重なり、自分と違うものに対し想像力を働かせられない人間の弱さを、作品は繰り返し訴えているように思えた。

台詞が多く難解なイメージも受けるが、あえて疑問を抱かせることで観客を引き付けていた。(S)