日刊イオ

月刊イオがおくる日刊編集後記

健康的な暑さ

2009-07-31 09:05:28 | (茂)のブログ
 先日、地元の仲間たちと1泊2日でキャンプに出かけた。
 出発前の天気予報では「雨」だったが、晴れ男がいたのか、2日間ともに夏を感じさせるカラっとした晴天に恵まれた。
 「暑い暑い」とみんなもしきりにタオルで汗を拭いていた。
 川にダイブしたり、夜にはビール片手に料理を作り、花火で盛り上がり、と日常とは違った自然の中で、気持ちも体もリフレッシュした。

 キャンプ場を後にして、温泉で汗を流し、車に分乗して帰路に着いたのだが、パーキングエリアで一休みしようと車を降りて、めまいがした。
 
 尋常ではない暑さなのである。
 気温が高いのは言うまでもないが、アスファルトからの照り返しが、ものすごい。
 自然の中での暑さは、心地よい暑さとでも言おうか、健康的な感じがする。
 でもこのアスファルト地獄では、どんよりとした粘りつくような「不健康な暑さ」だった。
 数時間前まで大自然のなかで過ごしただけに(たったの2日ですが)、このギャップに驚いた。
 
 たまには自然の中で、虫に刺されながら、汗を拭き、不健康な日常から解放されるのもいいなと思いながら、「来年もキャンプに出かけよう」と決心した。(茂)

祖国滞在最後の夜(祖国訪問記28)

2009-07-31 09:05:00 | (K)のブログ
 いよいよ祖国を離れる時が来た。40日間の滞在であった。日本に帰ると書くと、「帰る」という表現にひじょうに違和感を覚える。ましてや「日本に帰国する」のではない。日本に生活の根拠があるから日本に戻るわけだが、「日本に戻る」という言い方にも少しひっかかりがある。しかし、在日同胞の全員が筆者と同じ感覚ではない。「日本に帰国する」という表現がしっくりとくる人も少なくないだろう。あれこれ考えていると、在日同胞のおかれた複雑な状況に思いをめぐらせてしまう。

 滞在期間中、広島、神戸、京都、大阪、東京の朝鮮高級学校の生徒たちが修学旅行に訪れていた。女生徒たちはチマ・チョゴリの制服を着ている。まったく恐怖を感じることなくチマ・チョゴリ姿で歩いていることだろう。民族衣装を着ただけで攻撃を受ける日本社会の異常さが、祖国にいるとよくわかる。朝鮮に来もせず何もわかっていないのに、あれこれと解説する日本の「朝鮮問題専門家」は、今もテレビでウソをしゃべり続けているのだろうか。最初からマイナスイメージを植えつけようという姿勢の日本のマスコミ報道が、どれだけ罪深いことか。

 朝高生たちは祖国滞在最後の夜に、ホテルの食堂でちょっとした宴会を開く。食堂の従業員と朝高生がお互いに準備した歌などを披露する。広島朝高の宴会に参加させてもらった。最後に、朝高生が祖国での感想を発表するのだが、祖国での思い出が、お世話になった人々の顔が思い出されるのか、途中から全員が涙を流して声にならない。その姿を見て祖国の人々も目を赤くする。朝高生たちにも、けっして「日本に帰る」と思ってほしくない。

 1998年に駐在記者として祖国で取材活動を行った。滞在期間に、光明星1号が発射された。そのときの祖国の人々の誇りに満ちた顔を今も思い出す。光明星1号の発射を契機に、祖国はもっとも困難な状況から脱し、上昇気流に乗ったと言える。今回、祖国訪問の前に光明星2号が発射された。現在祖国では、強盛大国の大門を開く2012年に向けた「革命的大高揚」の真っ只中にある。その現実を、平壌だけでなく、多くの地方都市で目にすることができたのは、ひじょうに幸運だった。

 次回、光明星3号が打ち上げられたとき、また祖国で取材活動を行いたいと思う。(k)

20年前の作文

2009-07-30 09:15:46 | (蒼)のブログ
 先日、自分の部屋を掃除していたら、小学生のときに書いた作文がいくつかでてきた。
 まったく書いた記憶がないから不思議な感じもしつつ、当時の写真を見ながら読んでいった。 

 タイトルが「自分の夢」と書かれた作文は、文字通り将来の夢について書いてあった。それによると、当時の夢は、「お菓子のホームパイを100個食べること」らしい。確かに今もホームパイは好きだが、それを100個食べることを夢に描いていたとは。われながら、がっかりしてしまった。

 タイトルが「運動会」と書かれた作文は、2行で終わっていた。「一週間前に運動会がありました。最初は暑かったけど、だんだん寒くなってきました」。これはさすがに笑えた。笑った後、当時の自分に幻滅した。


 取材で学校に訪れると、教室には児童や生徒が書いた作文が貼られてある。
 それを読んでいると、ときどき、羨ましいと思ってしまうような感性豊かな文がある。
 以前に、こんな文章を見かけた。
 「ぼくは電車が好きです。地図も好きです。電車の時刻表を見ながら地図を見ていると、ドキドキします」
 たしか初級部低学年くらいで、読んだ直後、この子は天才か、と思ってしまった。


 一通り作文を読み終えたあと、試験の答案用紙も一緒にでてきた。
 小学2年生のときの試験用紙だ。
 これを見ながら、さらに自分に幻滅した。

 なぜなら、「1、次の問いに答えなさい」の下に答えを書いていたのだから。(蒼)

お土産(祖国訪問記27)

2009-07-30 09:05:00 | (K)のブログ
 祖国訪問もいよいよ終わりに近づいてきた。時間をみつけて商店をまわり、お土産を買った。まわったのは、テソン百貨店、三日浦商店、大使館商店の三つ。平壌には大小さまざまな百貨店、商店があり、基本的には何でもそろう。中国製が多いが、祖国のお土産となると、やはり「Made in DPRK」を選ばねばなるまい。

 まず、連れあいへのお土産だが、これが難しい。長く祖国にいるオ記者が初めて見るという化粧品があったので、買うことにした。いろいろ見て回ったが喜びそうなものがなく、朝鮮人参の歯磨き粉やインスタントラーメンなど、筆者が面白いと思ったものを購入してしまう。

 万景峰92号が運行していれば、たくさんお土産を買っても運ぶことができるのだが、飛行機だとそうはいかない。筆者が祖国のお土産で一番いいと思うのは、青磁の食器類である。これも飛行機だと割れる心配があるのでちょっと買いにくい。何の意味もない「制裁」を日本政府は1日も早くやめるべきだ。

 筆者がいない間、がんばってイオの編集にあたったメンバーにもお土産を買う。筆者がほしいと思うものと一般人がほしいと思うものとが、少しズレがあるようで、旅行に行くといつもお土産を選ぶのに苦労する。そんなわけで、とりあえず、あまり期待しないほうがいいと思う。

 息子には、白頭山で警備員のユンさんがくれた石と天池でくんできた水、使い切れなかった祖国の紙幣をお土産にすることにした。内容がひじょうに充実していながらも、お金がほとんどかかっていないという素晴らしいお土産である。(k)

朝鮮グルメ(祖国訪問記26)

2009-07-29 10:20:47 | (K)のブログ
 祖国での生活も残り少なくなり、祖国のグルメを楽しもうとラストスパートをかけている。これまでに祖国で食べた美味しいもの、印象に残ったものを挙げてみたい。

 冷麺はたぶん18杯くらい食べた。本場の玉流館では普通の冷麺とチェンバンをダブルで注文するということもした。これまでチェンバンが美味しいと感じていたが、今回は普通の冷麺の方が美味しく感じた。しかし、玉流館が他の店よりも特別に美味しいかと言うと、そうでもなく、全般的に祖国で食べた冷麺は美味だった。食事の際にキャベツの水キムチが出るのだが、その汁を冷麺に入れて食べると味が格段によくなった。

 7月24日のチュンボク(中伏)の日には、犬料理のフルコースを食べた。犬料理も祖国での食事には欠かせない。日本で言う「土用の丑の日」のような夏の暑さを代表する三伏(初伏、中伏、末伏)の日に犬料理を食べるのが慣わしだ。三池淵の宿所では毎食ジャガイモのスープが出たが、出発する前の朝食は、犬のスープが出た。朝から犬のスープというのもどうかと思ったが、格別な味で1滴も残さずたいらげた。

 七宝山、白頭山への長期出張の際、行きと帰りに元山の松涛園食堂で昼食をとった。在日同胞に人気のある食堂だ。出してくれたのが、アヒル、貝、イカの焼肉、そして松茸の焼肉を山盛り。20年分くらいの松茸を一気に食べてしまった。運転手のオさんが注文したタイのスープ(写真)はタイが半分以上入った豪華なもので、今度訪ねたときはぜひ食べてみたい。



 清津のホテルの支配人は帰国した同胞で、われわれをひじょうに歓待してくれた。巨大な甘エビ(直径が日本のものの2倍以上あった)をお腹いっぱい食べた。イカの刺身、寿司、トンカツや酢豚も出たが、日本のものとまったく遜色がなかった。海七宝で食べた獲れたてのウニも忘れられない。

 平壌ホテルの1階、玄関から入って左奥のレストランはよく利用した。このレストランがなかなかあなどれないパフォーマンスの高さを見せてくれた。冷麺も美味いし、豆腐ステーキや豚足などもある。特にコムタンスープは肉がごろごろとたくさん入っており絶品だった。こうやって書いているうちにも唾が出てきたので、今日の夜に食べに行きたいと思う。

 スッポン料理も食べた。日本でも食べたこともなく、生まれて初めてのスッポンが祖国のスッポンである。食べてみると、こんなに美味いものを何十年も知らずに生きてきたのかと、涙が出そうになった。日本に帰ったら食べてみて、味を比べてみたい。

 各地のホテルの食事は、どちらかというと肉料理が少なく、野菜や山菜が多い。素材が新鮮で汚染されていないうえ、化学調味料を使わないのでひじょうに健康的だ。日本ではよく腹痛に悩まされたが、祖国訪問中、快食快便の日々を送ることができた。(k)

夏、蝉。

2009-07-29 09:00:00 | (愛)のブログ
暑さもきびしくなってきたころ、先日仕事場の仲間たちと海に行った。
ひとしきり楽しく泳いだあと、皆で露天風呂に入り一息ついた。

露天風呂から空を仰ぐと
真っ青な空に入道雲がかかり、
緑の木には蝉が張り付き、しつこいくらいに鳴いている。

昔、私がまだ学生だった時期、
夏休みに入り特に何もすることもなく、
こうして蝉の声を聞きながら、ひとり空を見上げていたことがあった。
自分は何年か後にちゃんとした大人になっているのだろうかと、
まだ先の見えない将来に不安を感じていた。
やりたい仕事ができているだろうか、とか、
周りに誰もいなくなっていたらどうしよう、とか。

それでも、
いまはあの時よりは少しいい大人になれている、と
露天風呂に浸かって楽しく話しをしている仲間たちをみて思った。(愛)


プエブロ号(祖国訪問記25)

2009-07-28 09:05:00 | (K)のブログ
 今回の祖国訪問でぜひ行きたいと思っていたところのひとつがプエブロ号である(行きたいところが多かった)。プエブロ号は米国の武装スパイ船で、1968年1月、元山沖、朝鮮の領海に侵入しスパイ活動を行っていたところを、朝鮮人民軍に拿捕された。

 プエブロ号は現在、大同江に展示されている。その場所は、1866年9月に米国の侵略船、シャーマン号を人々が撃沈したところである。同じところにプエブロ号を展示するという粋なところがいい。朝鮮戦争に勝利した記念日の7月27日が間近にせまっていることもあり、プエブロ号には本当に多くの人が見学に訪れていた。当時、拿捕に直接参加した人が講師として人々に当時のリアルな話を披露していた。

 船内の食堂だったところで、プエブロ号事件とはどのような事件だったのかをまとめたビデオを見る。プエブロ号には83人の米兵が乗っていたこと、それに対し人民軍はたったの7人だったこと、拿捕された米兵が朝鮮で外国人記者の前で記者会見を行ったことなど、これまで知らなかったことを知ることができた。元山に停泊していたプエブロ号をどうやって大同江まで運んできたのかも聞いた。

 米国はプエブロ号を取り戻そうと武力的な圧力をかけたが、朝鮮は、武力には武力で、全面戦争には全面戦争で対応すると毅然とした態度を貫き通した。結局、米国は全面的に謝罪するしかなかった。後でプエブロ号事件のことを知ったとき、祖国のことを格好いいなと思ったものである。祖国のその毅然とした態度は40年がたった今も変わっていない。

 船内には当時の銃撃戦の跡も残っている。スパイ活動のための機器がたくさん置かれている場所もあった。自分の目で実物を見るとやはり違う。プエブロ号の前には、これまた米国がスパイ活動を行った無人潜水艇が展示されていた。(k)

たまり場

2009-07-28 07:04:44 | (瑛)のブログ
毎日横切る公園は、都心の公園にしては比較的広く、森のように木が生い茂り小川も流れる。営業に疲れたサラリーマンが休息をとっているのをよくみかける。地元の子どもやペットたちにも人気のスポットで、夕時になると地元中学生のたまり場だ。

その中学生たちは、自分たちが食べた菓子や空き缶をバットにあてて遊んだりタバコの吸い殻を散らかし放題にするので、「そうじもしないで!」「こういう場所で堂々と吸われると腹が立つ」と私にグチを吐き捨てながら、交番に直行する住民もいる。私も当初は他に楽しみがないんだろうかとあまり感心していなかったのだが、中には子どもに気づかってくれる子もいたりして、あまり色眼鏡で見るのはよくないと思えてきた。

話は飛んで、毎週金曜の夜はお子さんお待ちかねの「ドラえもん」がテレビ放映される日。小学校時代に毎月母が2冊ずつ買い与えてくれた思い出があるだけに、いじめっこのジャイアンがいざという時には体を張ってのび太を助ける場面には、「友だちはいいなぁ」と静かに感動している。かたや背景に広がる大きな一軒家や広い空き地は昔なつかし。今の都会のようにイタズラにこうじる空き地が減り続ければ、子どもたちがなんとなく集まって友達とだべったり、遊ぶ場所はなくなってしまう。彼らの旺盛な好奇心といたずらを満たすには都会の住空間は狭すぎる。

中学生のタバコには感心しないけど、公園から彼らがいなくなるのはもっと悲しいことに思えてきた。(瑛)

2009在日朝鮮人歴史・人権週間

2009-07-27 11:36:28 | (里)のブログ
「2009在日朝鮮人歴史・人権週間」が7月17日から日本各地で開幕しました。
日本人と在日朝鮮人がともに在日朝鮮人の過去の歴史を知り、現在の人権状況を考えることを目的に始まった「在日朝鮮人歴史・人権週間」も今年で3年目を迎えました。
東日本集会が先々週末、神奈川県・横須賀で行われ、私もはじめて参加してきました。
横須賀は、かつて日帝の軍の中枢として重要な施設が多かったため、あらゆる山に地下壕がはりめぐらされていたといいます。
そこで過酷な労働を強いられていた人たちの中には、強制連行されてきた朝鮮人たちも多くいました。とくに日本の戦局がきびしさを増して、労働力不足が深刻になるにつれて、より多くの朝鮮人たちが地下壕の建設に狩り出されました。

その日の集会では、当時強制労働をさせられていた、朴四甲さん(83)が登壇されて、経験を語ってくださいました。
半ば騙される形で連れてこられ、重労働をさせられた朴さん。
しかし何よりも辛かったのは、ひもじい思いをすることだったといいます。
雑穀、キムチ、おつゆ(塩水のことだそうです)だけの粗末な食事で、過半数の労働者たちは、栄養失調の初期にまで達していたそうです。
そして玉音放送を聴きながら迎えた終戦、解放。
5歳の時日本に渡り、日本の軍国少年として育った朴さんでしたが、朝鮮人が朝鮮の国旗をつくって「朝鮮独立万歳!」とわきあがる姿を目にしながら、
「俺も朝鮮人なんだ」という喜びをかみしめたそうです。

集会の合間に朴さんとお話をさせていただいたのですが、
「水が飲みたい」と言いながら差し出されたジュースを飲み、
「あー。世の中にこんなにおいしいものがあるんだねー!」と一息つかれていました。
暗闇の中での作業、そして食べるものも食べられずに極限の体験をされた朴さんの一言ゆえに、余計においしそうに見えました。
朴さんのような方たちの体験や思いを、私のような在日3世、4世たちの心の中にも、
しっかりと、大切に保存していかなければならないと思います。(里)

海水浴場(祖国訪問記24)

2009-07-27 09:05:00 | (K)のブログ
 山にばかり行くのも芸がないので、旅の最後の日、咸興にある有名な麻田海水浴場に行くことにした。咸興の中心部から東南に25キロほどである。約2キロに渡って砂浜が広がっている。水も砂浜も比較的きれいだ。トンボがたくさん飛んでいた。浜辺のすぐ横には麻田観光休養所という大きな宿泊施設があり、外国人観光客も泊まれるようになっている。海は遠浅で50メートルほど進んでも足がつくという。祖国でも有数の海水浴場だというのがうなづける。

 目の前に広がる海は朝鮮東海。日本海ではない。祖国で海を眺めるのは本当に久しぶりだ。最初は海を眺めるだけにしようと思っていた。しかし、最初に運転手のオさんが服を脱いでパンツ1枚になり泳ぎ出した。海の下にムール貝がいるようで、拾ってはこちらに投げてくる。オさんの泳ぐ姿を見て、案内のリさんも服を脱いで泳ぎ出した。二人の姿を見て、非常に悩んだ結果、靴と靴下を脱ぎズボンのすそを上げて足だけ水につけることにした。後々のことを考えて妥協してしまうところが、祖国の人々と比べて根性がない。

 訪れた記念に、浜辺に自分の足跡を残しておいた。



 咸興から元山に行く間、安仏寺(金野郡)と梁泉寺(高原郡)の2つのお寺を見学する。なかなか立派なお寺で、隠れた名所だと言えるかもしれない。安仏寺の後ろには樹齢2020年以上の巨大なイチョウの木が立っている。天然記念物でなかなかの見物だった。

 元山を経由して一路、平壌へと帰る。今回の旅では、平壌、黄海北道、江原道、咸鏡南道、咸鏡北道、両江道と進み、帰りは両江道の恵山から咸鏡南道の北青へと戻ってきた。山奥や田園地帯などさまざまな場所を通ったが、農業に励み、山羊を育て、ダムを作り、鉄道や道路を補修し、子どもを育てる祖国の人々の姿があった。工場の煙突からは煙が立ち上っていた。国全体が150日戦闘にまい進していることを実感できた。

 当初、10泊11日の予定で出発したが、祖国の人々の気迫に感化され、2日間短縮して旅の計画を100パーセント遂行した。(k)

天池(祖国訪問記23)

2009-07-26 09:05:00 | (K)のブログ
 朝5時に白頭山に登ったあと、一旦宿舎に戻り朝食をとって、10時ごろふたたび白頭山へ行った。どうしても白頭山の上にある天池に行きたかったからである。白頭山は過去2度訪れているが、天池に下りたことはなかった。

 天気はいつのまにか快晴になり、天池がくっきりと見える。その姿の厳かなこと。天池の標高は2190メートル。天池まで階段が設置されている。前回登場した警備のユンさんによると、下りるのに30分、登るのに1時間かかると言う。段数を数えるのが馬鹿げたことに思えるほど長い階段だ。高低差は400メートルくらいだろうか。躊躇せずに下っていった。

 約25分で天池に到着。天池から見上げる白頭山の峰々がまた絶景である。対岸は中国になる。靴と靴下を脱いで天池のなかに入る。なんという冷たさか。10秒もすると冷たさで足が痛くなってくる。少し口に含んで飲んでみた。じゃっかん甘い。案内のリさんが記念写真を撮ってあげると言ってくれる。天池に入っている姿を撮ることに。リさんは写真に造詣が深い。非常に構図にこだわる。ポーズをとって40秒が過ぎたころ、冷たさに我慢ができなくなり「はやく撮ってください」とお願いした。

 そろそろ戻ろうというときに、持ってきていたミネラルウォーターのペットボトルの中身を棄てて、天池の水をいっぱいに入れた。「息子の土産にする」と言うと、リさんは笑っていた。



 登りは思ったよりも辛かった。階段を登りきるのに50分。へとへとになり、その後、4日くらい筋肉痛に悩まされた。しかし、今度いつ来ることができるかわからない。ハラボジになってからでは到底登れそうもない。天候が抜群のときに天池とめぐりあえたことに感謝した。

 将軍峰は朝登ったので、もういいかと思っていたが、リさんが「せっかく天気が良いのだから」と言うので、一緒に登る。中国東北部の広野が遠くまで視界に入ってくる。360度に広がる景色は何時間でも見ていたい気にさせる。妙香山、七宝山とそれぞれ素晴らしい山であるが、革命の聖山、白頭山はそれらとはまったく次元が違う。心と身体の奥底から民族の矜持がこみあげてくるのである。(k)

将軍峰(祖国訪問記22)

2009-07-25 09:05:00 | (K)のブログ
 なぜだかわからないが、白頭山の上で日の出を拝もうということになる。朝4時前に起きて宿舎を出発。5時に白頭山に到着した。しかし、白頭山から太陽が昇る姿を見るためには、白頭山はもちろん、そこから東海まですべてが晴れていなければならない。1年のうちに奇麗な日の出を拝めるのは10日もないという。いくら悪運が強いとはいえ、やはりこの日も霧が立ちこめ太陽が昇るところを見ることはできなかった。

 しかし、違った意味でいい経験ができた。7月中旬だというのに、めちゃくちゃ寒いのだ。警備にあたっているユンさんが、気温は5度だと教えてくれる。下着の上に長袖を2枚、さらにその上から統一通り市場で買った上下のスポーツウェアを重ねて着る。案内のリさんもしきりに寒がる。下着と人民服の2枚しか着ていないので当然だ。

 しばらくすると霧が薄くなり天池が姿を現した。ここぞと写真を撮りまくる。そしてまた霧のなかに。警備のユンさんが「将軍峰に登りませんか」と言うので登ることにした。車を止めたところから1000メートルの距離だ。歩きながら話をする。ユンさんはまだ21歳だが18歳から3年間も白頭山の上で勤務をしていると言う。真冬にはマイナス30度以下にもなるとのこと。白頭山は中国との国境にもあたるため、ユンさんのように常時、警備する人が何人もいるのだ。

 白頭山の最高峰、将軍峰に到着。標高2750メートルの高さだ。しかし、霧のため視界は10メートルほどしかない。厳密に言うと将軍峰の手前まで来たが本当の頂上までは5メートルほど距離がある。しかし、頂上まで行くには幅50センチほどのくびれたところを通らなければならない。しかも岩がでこぼこで足の踏み場はきわめて限られている。両側は断崖絶壁で足を踏み外すと天池まで落ちてしまう。「頂上まで行きますか?」と平気な顔で訊くユンさん。そんな恐ろしいことをよく言うなと、心のなかで苦笑してしまった。

 最初に見たときは厳しい顔をしていて、30歳くらいに見えたユンさんだが、話をするうちにいつのまにか21歳の幼さい表情に変わっていた。下りるときに「白頭山の特有の軽石です。水に浮きますよ」と石を拾って筆者に手渡してくれた。(k)

夏になると思い出す。

2009-07-25 09:00:00 | (麗)のブログ
 梅雨もなんとなく明け、夜は寝苦しくなり、蝉が鳴き始め、知らぬ間に腕が焼けていた。
 そう、気付いたときにはいつもまにか夏になっている。
 「夏だねー」「暑いねー」という会話がいよいよ解禁です。

 いまはクーラーがある環境にいるため、なんとか快適な夏ライフをすごしているが、朝大のころを考えると本当によく耐えたなと思う。
 いまでこそ大学は冷房設備が整ってきているが、ほんの数年前までそんなものはなかった。
 とくに美術科の授業は暑さとの闘い。美術棟がプレハブなので、真夏は熱がこもって室内温度30度以上の毎日の中、扇風機数台だけで絵を描いていた。
 そのあまりの暑さに、油絵の具が溶けたり、北生まれの同級生が滝のような汗をかき、ついにはダウン。
 そして美術科には夏になるとでてくる『室内温度が36度を超えると授業がなくなるらしい』という噂がある。

 36度ですか?と先輩に笑いながら返していたのだが、入学一年目の夏の授業、暑さに悶え苦しみながらだれもが限界をむかえようとしていた。
 その瞬間、ソンセンニンが現れ「よし、終わろう!」と一言。みんな筆を放り投げ「うわ~!!!」と歓喜したのはいまでも記憶に新しい。入学一年目にして噂は「マジ」になった。

 そんな苦難を2年間体験し研究生になった年に、美術科にもやっと「冷房」がやってきた。
 なんで自分たちの年にやってくれないんだ…と妬みながらも、毎日涼みに行っては「いいよね~君たちはクーラーがあって。私達の年はなかったんだぞ!節約しろ!」と嫌みをたっぷり言いに。
 しかし、こんな最高の環境のなかダウンする子もいて、自分たちは相当強い子だったんだなと思ったこともあった。
 
 夏になるとこの事をよく思い出し、最近は窓をあけ扇風機だけですごしているが、果たしていつまでもつことやら。(R)
 

対朝鮮輸出禁止措置

2009-07-24 11:05:21 | (茂)のブログ
 「北朝鮮を仕向地とする貨物」の輸出禁止措置が、6月18日から講じられていることを知っていますか?
 それにともなった被害が日本各地で相次いでいます。
 ひどい例では、輸送の末端窓口である郵便局で、「制裁中です」と受付を拒否されたこともあるようです。

 この措置には、一応、「人道目的」に該当する荷物は例外的に認めるとうたわれていますが、食料品、衣類だけの荷物が断られたケースもあり、何が「人道目的」で何が「非人道目的」なのか、その判断はあいまいです。

 知人が、経済産業省に問い合わせたところ、同省が認める「人道目的」に該当し輸出が可能な荷物は、「一家族が暮らすために必要な1ヵ月分の生活用品」だそうですが、いかなる荷物でも、宛名が団体(平壌ホテルなどの渡航後の滞在先も含む)である場合は、送れないようです。

 この措置が講じられた直後は、どんな荷物も輸出させないという傾向が強くありましたが、各地からの問い合わせや抗議を受け、経済産業省も輸出できる貨物の幅を広げています。ということはつまり、そもそもこの措置に問題が多いということの表れです。

 この「非人道的」な措置自体を許すことができないのは言うまでもありませんが、私が怖いと思ったのは、郵便局での受付拒否です。
 巷の郵便局としては、「上」からのお達しを適用したと言うかもしれませんが(そもそも郵便局に、受付を拒否する裁量はありません)、「北朝鮮」ということで、何の疑いも持たずに、一般の人たちの郵便物を拒否する、拒否できることに、今の日本社会全般の対朝鮮感覚が表れている気がします。

 「北朝鮮に対しては何でもあり」的な風潮に、怒りを通り越して、あきれるばかり。日本社会を覆う異常さに気づく人たちはいないのでしょうか?(茂)

七宝山(祖国訪問記21)

2009-07-24 09:05:00 | (K)のブログ
 まずは問題から。上の写真の岩は何の姿に見えるだろうか。

 祖国は現在、梅雨の季節である。七宝山には3日間いたのだが、その間快晴の天気が続いた。ラッキーと言うしかない。七宝山は咸鏡北道の明川から東へ25キロほどのところにある。大きく内七宝、外七宝、海七宝の3つの地域にわけられる。1日目に内七宝、2日目に外七宝を見学した。ほとんどのコースを車で回れるので楽ちんである。

 妙香山は瀑布が見どころだが、七宝山は峰や岩が見どころだ。一番最初、内七宝の昇仙台という展望台に登ったときに見た景色があまりにも絶景だったので息を呑んでしまった。ある日本人観光客が七宝山をアメリカのグランドキャニオンに例えたという話を事前に聞いていて、「また、オーバーな」と思っていたが、充分うなずける表現だと思った。しかし、結局、最大の見どころを一番最初に見てしまった感じで、後は、峰、峰、峰、岩、岩、岩の連続に感覚が麻痺してしまう。

 ガイドを務めてくれたのは七宝山名勝地管理所の学術研究士を務めるキム・カプソン先生(63歳)。金正日総書記が訪れた際にもガイドを務めた有名な方で、その点でも贅沢であった。代表的な峰や岩には名前がついており、名前の由来やそれにまつわるいろんな話をしてくださった。

 男女が寄り添っているように見える岩には「夫婦岩」という名前がつけられていたり、あとは亀岩、虎岩など動物の名前がつけられている場合が多い。なるほど似ている、と思うネーミングもあれば、「私にはそうは見えません」という場合もある。昔からつけられている名前もあるし、最近になってつけた名前もあり、学術研究士が集まって協議したうえで名前をつけるそうだ。

 2日目、外七宝の降仙門区域を見学したときに、キム先生がある岩を指差して、「あれはウサギ岩です。在日同胞の女性がウサギに似ていると言ったのでそういう名前になりました」と説明してくれた。(あまり似ていないな)と思いながら、「私も岩に名前をつけてもいいですか?」と冗談で尋ねると、キム先生はあっさりと「いいですよ」と言う。これはチャンスだと周りを見まわし、それらしき岩を探した。しかし、すぐにやめることにした。変な名前をつけて後世に恥をさらすのも嫌だし、何よりそんな大それたことをしてはいけないと思ったからだ。

 最初の問題の答は「サル岩」。確かにサルが横を向いている姿に見える。(k)