日刊イオ

月刊イオがおくる日刊編集後記

太陽節が過ぎてから

2012-04-30 09:29:53 | (里)のブログ
 

 先週から平壌のあちらこちらでは、花が咲きはじめ、サクラに似たサルグ(あんず)やケナリ(れんぎょう)が街を明るく彩っています。
 平壌の春の景色をカメラで撮りたいと思っていたのですが、週末にかけて冷たい雨が降ったせいでかないませんでした。
 こっちの人は「こりゃぁ、もう花は全部散っちゃうね」と話していました。その言葉の通り、今週には花はかなり散ってしまい、木々が芽吹いていました。それでも先日、モランボンに上って風景写真を何枚か撮りました。

 水曜日にはウナス(銀河水)管弦楽団の音楽会に行くことができました。朝鮮人民軍創建80年を記念して行われたこの音楽会は、とても見ごたえがありました。この日に際して管弦楽団は軍服を着用していました。ハイレベルなソリストたちによる歌のパフォーマンスを生で見ながら鳥肌が立つほどでした。ウナスのレベルは本当に別格だな、と素人ながら感じました。

 23日、朝鮮人民軍最高司令部が南に対し、「特別行動」を開始するという通告を出しました。それから2日後の緊張感の中で行われた音楽会ということで、いろいろと感じさせられるものがありました。例えば、「수령이시여 명령만 내리시라(スリョンイシヨ ミョンリョンマン ネリシラ)」(首領よ、命令だけ下してください)の合唱の際、客席から大きな手拍子が起こり、劇場が一体感に包まれた気がしたのですが、これはやはり今の朝鮮の世間の雰囲気、志向を端的にあらわしているんだろうなと思いました。一緒に観たとある女性が、自分の子どもが今年から入隊することもあって、若き兵士たちの熱い思いを歌った歌が一番良かった、と話していました。私のような者が音楽会を観て感じるものとは別の、奥深い感想だなと感じました。
 朝鮮の「先軍政治」はこうした一人ひとりの生身の人間たちの存在と想いがなければ成立しえないと思いました。日本ではこういった観点で朝鮮の姿を捉えること自体がなかなか難しいですが、こっちに来ていろんな人と接する過程で人々が何を大切にしていて何を志向しているのかが少しだけわかった気がします。その一つが、もちろん誰も戦争を望んではいないけれども、人間としての真の尊厳を守るためにはたたかいも辞さないということだと思います。

 音楽会が行われたのは新しくできた人民劇場という場所です。新たに高層マンションなどが建設された万寿台地区の中心部にあります。円形のガラス張りの外観、そして内装もすばらしかったです。

 

 あと個人的に、音楽会のパンフレットとチケットが気に入りました。チケットはハガキ大ほどのものでライトアップされた人民劇場がカラーで紹介されているもので、パンフレットも厚手の上質な紙でできた立派なもので、各俳優や指揮者がカラーで紹介されていました。(里)

日本人バス運転手さんの話し

2012-04-29 09:00:00 | (愛)のブログ
私が通っていた朝鮮学校は地理的に県が大きく、
他地域からひとつの学校に生徒が通うため、保護者が通学バスをだしたり、
電車で通ったりと、いろんな地域から学校に来る生徒がたくさんいました。
私も幼稚園年長組から中学3年生までの期間、1時間バスに揺られ、ひとつの山を越え、毎日まいにち通っていました。

バスの運転手さんは私が学生時代は二回ほど変わりましたが、どの方も日本人の運転手さんでした。
はじめの運転手さんは、ちょっとこわいけれど、実は優しい方。
通い始めのころは慣れないバス通学で何度も気持ちが悪くなり、
吐いてしまうこともしばしばでした。
その度、可能な限り小休止をとって降ろさせてもらい、新鮮な山の空気を吸いながら、学校に通っていました。
幼稚園、低学年のころは、早く授業が終わるものの、
高学年や中学のオンニ、オッパたちと皆で帰るため、部活が終わるまで学校で待たなくてはなりませんでした。
そんな時は一緒に遊具で遊んだりもしてくれました。

2回目のおじさんは背がひょろっとしていて、とっても優しいおじさんで、
一緒に遊んでくれたり、
本当にときどきでしたが、帰り際にラーメン屋に寄って、ラーメンをごちそうしたりもしてくれました。
そのラーメンのおいしいこと!おなかペコペコの私たちにとっては何よりのごちそうでした。
あるときは帰り道ちょっと遠回りして、山奥にあるお城みたいな場所まで連れていってくれたり。まるで冒険をしているようで楽しかったです。私たち子どもを楽しませるため、色々としてくれたんだと思います。

そのおじさんたちも残念ながらいまはもう亡くなってしまいました。
思えば、私たちの学校生活は教師以外にも本当にたくさんの支えがあり、
無事に巣立つことができたのだと思います。
春夏秋冬と、毎日まいにちバスで通った峠道。
冬も雪が積もるなか、安全に送り迎えしてくれたバス運転手のおじさんたち。
いまはもう伝えることはできないけれど、本当に本当に心の底から感謝しています。

時は流れ、現在は私のチョッカたちがバスで朝鮮学校に通っています。
現在は何代目かの日本人バス運転手さんです。
今年、地元の「朝・日友好親善新年会」の時、バスの運転手のおじさんも出席してくれて、
その席で毎日安全に送り迎えしてくれる感謝を込めて生徒たちから花束を贈っていました。
最初は緊張ぎみでバスの中で眠れなかった甥っ子も、今は爆睡しているみたいです。
朝早いけれど、安全な送り迎えのおかげで爆睡して休むこともできる、
本当に支えがあってこそのことだと実感します。感謝してもしきれない、朝鮮学校の裏方さんたち、
イオ6月号の特集は陰で支えているそんな方たちをたくさん紹介します!(愛)

雑感-映画「KOREA」について

2012-04-28 09:00:00 | (淑)のブログ
 映画「KOREA」について。
 詳しい内容は(k)さんが書いてくれたので、私は観て思ったことを少し書きたいと思う。
 私の周辺界隈では今回の特別試写会、結構話題になっていて期待の声も高かったのだが、感想は、一言で「残念」だった。
 私は21年前の大会の試合経過やチーム構成など、具体的なことは何も知らずに映画を観たのだが、物語が進むにつれてどんどん頭の中が疑問符で埋まっていった。
 正直序盤は感動的に観ていた。北と南の選手が初めて歩み寄る場面は、2000年6・15共同宣言以降始まった統一への歩みと重ねて胸が熱くなった。
 だがその後のストーリーの展開や北と南の描き方は、脚色というレベルではなかった。試合経過を知らなくても、(これは事実なのか?)と疑心を抱くほどだったのだから。
 単なる「娯楽映画」なのだとしたら、これを題材にしないでほしかった。南北朝鮮問題を題材にしたほかの韓国映画と比べれば、相対的には「まし」? 韓国映画でここまで統一を語れたら評価すべき? 私はどうしてもそう思えなかった。あの出来事は、朝鮮半島の分断史上もっとも輝かしい「統一史」の一つなのは言うまでもないが、21年前の千葉で、直接あの感動を分かち合った在日同胞にとって、異国で分断の痛みを味わってきた在日同胞にとっては、また特別な意味を持つと思うからだ。
 私も現地で家族と一緒に観戦した。幼かったのでぼんやりとしか覚えていないが、場内の熱気だけは今でも覚えている。ものすごい同胞の数だった。当時のことを母に聞くと、史上初の統一チーム見たさに日本全国から同胞が押し寄せたと言う。中には入場券を持っていない人も大勢いたそうだ。母は、「あのときの会場の一体感はどう表現したらいいかわからないほど強烈だった」と話していた。
 きっとあの出来事は、今でも多くの在日同胞に鮮やかな感動を呼び起こすだろうし、そしてその記憶は、統一への想いをつなげる希望なのだと思うからこそ、映画の出来が残念でならなかった。
 題材が題材だけに、映画を観た多くの人が感動を覚えるだろう。しかし映画の内容を事実と受け取って、偏った視点で感動してしまうのかと思うと腹立たしい。また、日本での映画の公開は未定だそうだが、現在の朝鮮半島の分断状況と日本が決して無関係ではなく、日本の植民地支配と大いに関係しているという責任意識のない日本社会で、感動ドラマとして享受されるのだけは勘弁願いたい。
 そういった意味でも、あのときの記憶をすべての朝鮮民族が分かち合えるような映画が、直接体験した人―在日同胞の視点からつくられることを願う。
 鑑賞中、何よりも胸が痛く、情けなかったのは、現在の分断状況を思ってだった。鑑賞後、半世紀の分断史の反省を踏まえ、私たち朝鮮民族の一人ひとりが考え、行動し、新たな統一史を創造していかなければいけないと思った。(淑)

済州島4・3事件64周年

2012-04-27 09:00:00 | (相)のブログ
 
 

 さる23日、東京都内で行われた済州島4・3事件64周年追悼集会に足を運びました。
 第1部では「済州島4・3事件と朝鮮半島を取り巻く現在」と題したパネルディスカッションが、一橋大学教授の鵜飼哲さん、朝日新聞記者の桜井泉さん、立命館大学教授の文京洙さん出演で行われました。第2部では歌手の趙博さんによるライブが行われました。

 

 以下、「4・3事件」についての簡単な説明を。
 4・3事件は、「朝鮮現代史における民族最大の悲劇の一つ」と呼ばれています。1948年、38度線以南での単独選挙が朝鮮半島北南分断の固定化につながると反発し4月3日に済州島で武装蜂起した左派勢力を米軍政下の軍や警察が武力で鎮圧し、その過程で3万人を超える島民が殺された事件です。弾圧は李承晩政権下で54年まで続きました。
 事件そのものの凄惨さもさることながら、その後の半世紀以上にわたる問題解決への道のりも苦難に満ちたものでした。韓国の歴代政権が事件を闇の中に封じ込める一方で、沈黙の圧力の中でも韓国や日本の双方で作家や知識人たちが事件の真実を問い続ける動きもありました。事件についての議論が本格的に起こり、真相究明運動が始まるのは87年の民主化運動以降。日本でも同年に「済州島四・三事件を考える会」が結成されました。98年には金大中政権下で真相究明に着手、2000年には「4・3特別法」が制定され、03年に盧武鉉大統領が国の責任を認め遺族に謝罪するなど、解決に向けて大きな進展がありました。
 しかし08年の李明博政権発足後、保守右派勢力からのバックラッシュがあり、行政レベルでも関連施設の整備や犠牲者の遺骨発掘調査などの予算が相次いで削減されるなどの事態が起こりました。4・3事件に対する歴史的評価は今日にいたってもなお韓国での政治的な対抗関係、北南関係にも連動する重要な論点であり続けています。今回のパネルディスカッションでも、韓国における民主主義の成熟度は4・3事件をどのように評価するかにかかっている、という指摘がありました。
 在日の済州島出身者の中には、事件前後の混乱とテロを避け、日本に渡航してきた人びとが少なくありません。これらの人びとの多くが言いえぬ悲しみを抱えたまま長い間、沈黙を守ってきました。文京洙教授は、「事件の歴史的評価の定立や、犠牲者の認定から除かれた人たちの問題、在日の被害者の実態など、いまだ未解決の論点が多くある」と指摘していました。そのような意味で、4・3事件は私たち在日朝鮮人にとっても現在進行形のイシューであり、この事件について知ることには重要な意義があると思います。

 一方で、現代日本社会にとって4・3事件はいかなる意味を持つのか、日本人の立場から事件について考える意義は何なのか、といった問いも立てることができるのではないでしょうか。
 鵜飼教授は、「朝鮮半島に引かれてしまった38度線という根本的な不正は解消されずに今に至っている、平和な日本というものは、そんな不条理な歴史的条件の下に享受されてきた、この状況を当たり前のように考えてしまう平和主義は脆弱である」とのべていました。そして、「4・3事件が今のような形で語られなかった時代を生きてきた人たちが身につけた言葉と文化、沈黙をこの機会に思い出すべきだ」とも。
 4・3事件の悲劇の背景にある日本の植民地支配の残滓。民衆を弾圧した勢力の中に多くの「親日派」がいたこと、日本の植民地統治機構の多くが解放後も米軍政に引き継がれたこと。そして、日本政府は韓国の歴代軍事独裁政権を支えることによって、事件の真実を明らかにする取り組みを間接的ながらも阻んできました。その結果として日本は、自らが利益を得てきた冷戦体制が実はアジアの民衆を抑圧し、旧植民地諸国の正常な発展を阻害する装置として機能してきたということへの想像力を欠いているのではないでしょうか。戦後補償問題を今日に至るまで曖昧にやり過ごしてきたのも、このような歴史的想像力の欠如と決して無関係ではないはずです。4・3事件について知ることは、現在に至るまで東アジア情勢を規定してきた冷戦構造に対する認識を改め、戦後の日本が歩んできた道のりがどのようなものだったのかを省察するうえでも意味のある作業になるのと思います。(相)

ハッキョを支える、裏方さんたち

2012-04-26 09:00:00 | (瑛)のブログ
小さな朝鮮学校の保護者になった初めての夏、4人の子どもをこの学校に通わせた先輩に呼び止められた。「毎年、ハッキョの夜会で運動場いっぱいに飾るちょうちんを毎年コツコツと担当している同胞がいる、どうしてイオはこのような人を取材しないんだ!」と。

朝鮮学校はブラジル学校やインド学校などの外国人学校と同様、日本の国から正式な学校として認められていないので、国からの補助は一切なく、地方自治体が支給する補助金も微々たるものだ。お金がないので、学校運営は常に緊縮財政。実情は結構厳しいものがあるが、人が集まり、各々がアイデアを搾り出しながら学校運営を維持している。

もちろんいろいろんな形で節約はしているが、しわ寄せが来るのは人件費。当然教員や職員を多く雇えないし、授業料だけでは先生方の給料をまかなえないので、学校ごとに様々な対策を立てている。老朽化した設備や備品を揃えようと、オモニ会やアボジ会が休日をなげうって惜しみなく労働奉仕する姿は、どのハッキョにも見られる光景だ。

季節ごとのイベントも地域の同胞なしにはこなせない。正月の餅つき大会の時には、もち米をどっさり持ってきてくれるハラボジがいるし、地域の子どもが集まるイベントの日には幼稚園児の祖母にあたる女性たちが率先して絵本の読み聞かせをしてくれる。物語の世界に吸い込まれる子どもたちを見ながら思った。子どもたちは先生以外の人が何かしてくれるだけでも新鮮な気持ちになる、子どもはマンネリの日常ではない、非日常が好きなんだ!と。

各地のハッキョを取材に訪れると、通学バスの運転手さんや教育会の職員さん、校長先生ですらも、子どもの遊び道具を修繕されている姿を見かけるが、ある学校では、一般の同胞が電気工事を担当していらした。

また、あるハッキョでは歯医者さん、看護師さんが課外授業を受け持ってくれたり、助産師さんが命について講演をしたハッキョもある。自分の専門知識をもって子どもの視野を広げてくれるありがたい存在だ。

運動会や学芸会の日も父母や親戚、祖父母たちが総出でイベントを盛り上げてくれるのだが、運動会の帰り道、知人の高齢者が「ハッキョのOB,OGたちが月1回でも集まってゴミ拾いでもすればいいのにね」と言ってくれた。おそらく、ハッキョに足を踏み入れて子どもの顔を見ると、みんな何かをしてあげたくなるのだと思う。

今、朝鮮学校に一番必要なものはなんだろう。
もちろんお金は必要だし、大事。
だけど、ハッキョに集まる「人」こそが財産だと感じる。

学校に集まる「人」とは、漢字一文字で表せられないほど背景はさまざまだし、子どもににそそぐまなざしもひとつのものではない。

なかには20数年前に卒業して母校が大好き、という人もいるし、孫が通っているという祖父母世代もいる。また子どもや孫は日本の学校に通っているけれど、地域のコミュニティとしてのハッキョを大切に思っている人であったり…。

ウリハッキョの支え方は、100人いれば100通りあると思う。

6月号の特集は「ウリハッキョを支える人」

あなたの街の、あなたのハッキョではどんな人がハッキョを支えていますか?(瑛)

映画「KOREA」を観て

2012-04-25 09:00:00 | (K)のブログ

 20日に千葉で行われた映画「KOREA」の記者会見と試写会に行ってきました。「KOREA」は、1991年の千葉世界卓球選手権大会で実現した北と南の統一チームの活躍を描いた映画です。下が記者会見での写真です。監督はじめ、主役を演じたハ・ジウォンさんとペ・ドゥナさん、そして当時のチームのエースだったヒョン・ジョンファさんらが来日しあいさつしました。



 映画は非常に期待していたのですが、結論から言うと個人的にすごくがっかりしました。この先は、ネタばれになることを書くので、内容を知りたくないという方は読まないでください。

 まず、描かれている内容が事実と違う部分があまりにも多かった。統一チームを結成した、千葉で大会があった、女子団体戦で中国を破り優勝した―大げさに言えば、事実と合っていたのはこの3つだけだったと言えるほどです。統一チームを題材にしたまったくのフィクション作品。もっと言えば歴史を歪曲していました。

 いくつか例を挙げてみましょう。当時、大会期間、ずっと現地で取材した一人として指摘したいと思います。

 1、映画では、団体戦のダブルスのペアを最初はリ・ブニとユ・スンボクが組むことになっていますが、事実は最初からリ・ブニとヒョン・ジョンファがペアを組んでいます。
 2、映画では団体戦で途中1回負けますが、事実は1回も負けずに決勝まで進みます。
 3、団体戦の試合の進め方が、シングルス戦を4回戦って最後にダブルス戦が行われるように描かれていますが、事実はダブルス戦は3回目に行われます。
 4、北と南の選手が乱闘騒ぎを起こし新聞で報じられるという場面がありますが、そんなことはありませんでした。
 5、リ・ブニが倒れてヒョン・ジョンファが病院に連れて行きますが、そんなことはありません。また、外国人選手二人だけで病院に行き誰にも知られず治療を受けて帰ってくるというのはあまりにも現実離れしています。
 6、団体戦が行われている期間に選手たちが休みをもらって遊園地に遊びに行きますが、実際は毎日試合があり休みなど取れる日はありませんでした。
 7、決勝戦で優勝を決めたのはリ・ブニ、ヒョン・ジョンファペアではなく、シングルスのユ・スンボクでしたし、ユ・スンボクが最初緊張していて実力が出せなかったように描かれていますが、まったくそんなことはありませんでした。
 8、大会終了後、上の指示によって北の選手たちがそそくさとバスに乗って帰るように描かれていますが、事実は最後の宴会までちゃんと参加してチームは円満に解散したし、バスに乗っていたのが南の選手でそれを見送ったのが北の選手でした。

 最大の歪曲は、準決勝を前に北側がいちゃもんをつけて選手を引き上げさせ試合に出させないというくだりです。まったくのでたらめです。北の人たちの描き方もステレオタイプでいやらしくフェアではありません。ついでに言うと、中国選手の描き方も気分が良くありませんでした。
 映画では、決勝戦の朝、ヒョン・ジョンファら南の選手たちが雨の中に座り込み必死に訴えて、それに心を動かされた北の監督が党の監視役を振り切って試合に出るというストーリーになっています。作者の陳腐な「統一観」を見るようでした。

 劇映画だから多少の脚色はありえます。最初は心が離れていた南北の選手たちが最後には心をひとつにするという部分をオーバーに描いたり、恋愛的なものを挿入するのも良いでしょう。でも、根本的なところを変えてはいけません。後で、若い人たちに話を聞くと、「本当だと思って見ていた」と話していましたが、当時を知らない人たちが観ると、映画で描かれていたことが本当だと思ってしまい、歴史が間違って伝わってしまいます。あの時一緒に戦った北の選手や役員の人たちが観たら怒るはずです。このような映画を作るのなら、最低限、完全なフィクションだとことわって、選手名も変えて作るべきでしょう。

 統一チームが結成された期間は、在日同胞をはじめすべての同胞たちにとって、夢のような素晴らしい日々でした。無敵と言われた中国女子チームを破ったときは、統一がいかに民族にとって大切で素敵なことなのかが現実のものとして目の前に示されたのでした。表彰式で、「アリラン」が流れるなか統一旗がゆっくりと上がる姿、そのときの会場の興奮、涙する応援団、そのような光景は21年たった今も忘れることができません。

 事実を歪曲しないでも、いや、事実にそって描いてこそ、感動的な作品になったし、真に統一を訴える映画となったのではないでしょうか。
 このような作品になってしまったのは、作り手の考え方や技術の反映なのでしょうが、根本的には、分断の現実がこのような作品を作らせたと言えるでしょう。(k)


二つの展示会のお知らせ

2012-04-24 09:00:00 | (麗)のブログ
来週はゴールデンウィークですね。私も久しぶりに地元に帰ります。
さて、展示会のお知らせです。

まずひとつ。
朝鮮大学校美術科のメンバーと、武蔵野美術大学による合同展示会「袴田クラス&朝鮮大学校美術科 合同展示会」が
4月23日(月)~4月28日(土)、武蔵野美術大学 課外センターにて行われています。
朝鮮大学校美術科からは、学生2名と研究生4名が出展しています。

以前、私と(k)さんが朝鮮大学校美術科2班による卒業制作展を紹介しました。
同大学美術科の学生たちはツイッターを通じて展示会を広くアピールし、
武蔵野美術大学の教授と学生たちを招き、作品について話し合うなど、交流を深めてきました。

そして今回の武蔵野美術大学での合同展示。朝鮮大学校美術科史上、初の試みです…!  
4月の時点で展示会を行う学生たちのアグレッシブな活動と、その姿勢に感心しっぱなしです。

残念ながら初日は行けませんでしたが、時間があるときにでも見に行こうと思います。
展示会の詳しい情報はこちらから→朝鮮大学校 研究院 美術科専攻


そしてもうひとつ。
大阪朝鮮高級学校美術部卒業生による展示会「2-19-19(にのじゅうくのじゅうく)」が
5月1日(火)~5月6日(日)、大阪市生野区鶴橋にある「民家」にて行われます。
本展のタイトル「2-19-19(にのじゅうくのじゅうく)」は、実際に在日コリアンの方が住んでいた家の住所。
そこを展示会場にし、15人の在日コリアンアーティストたちが作品を展示します。
当日はどのような作品たちが待っているのでしょうか。楽しみです♪
展示会のコンセプト、詳しい情報などはこちらから→2-19-19 大阪朝鮮高級学校美術部卒業生展


先輩、後輩たちの積極的なアート活動が、こういった展示会を通して垣間見れるのがとても嬉しいです。
4年間、美術に携わっていた身としては見逃せません…! 
(k)さんから写真を撮ってこいとの指令も出ているので、後にブログでアップしたいと思います。
どちらの展示会も「あ、ここ近所じゃん!」という方は、是非、足を運んでみてはいかがでしょうか。(麗)



閲兵式と祝砲夜会

2012-04-23 09:10:31 | (里)のブログ
 この間、平壌で金日成主席生誕100年を祝う朝鮮の国家行事にいくつも参加し、取材をしてきました。
 とくに4月15日は、閲兵式に祝砲夜会と大きな行事が続きました。
 閲兵式では私を含めた参加者全員が、金正恩最高司令官の演説を聞きました。
 ―今から金正恩最高司令官が演説をする、そのことを知った瞬間、私は思わず横に立っていた人と目を合わせて「?!」と言わんばかりの表情を交わしました。
 春の陽ざしとやわらかい風が吹く静けさの中で、最高司令官の声だけが響きわたっていました。
 約20分間の演説でした。明快な言葉の中に核となる内容が詰まっていて、心の奥深くに響くものがありました。
 演説の中で、わが党と共和国政府にとって、平和はこの上なく大事である、しかしわれわれには民族の尊厳と国の自主権がより大事である、という内容がありました。
 私はこの内容に深く共感しながら、民族の一員としての敬意をもって閲兵式を見ました。
 今から100年前の朝鮮の姿は、自国を守るすべを持たず列強の植民地と化した悲しいものでした。しかし、こんにちにおいては強い国防力を持った国へと発展を遂げました。
 その事実が、閲兵式全般を通じて伝わってきたと思います。

 

 夜は祝砲夜会がありました。始まる1時間半ほど前に到着したのですが、すでに河辺には人がいっぱいでした。
 事前に「この位置から写真を撮ろう」と目をつけていた撮影ポイントがあったのですが、もう人で埋め尽くされていて立つ場所もなかったので、急きょ撮影場所を探すことになりました。
 「ミヤナムニダ(すいません)」と言いながら座っている人々の間をかきわけ、大同江畔の船着場のすぐ近くの少し出っ張ったコンクリートの上で撮影することに決めました。
 待ち時間が1時間ほどありましたが、ずっと立っていた私たちを見て、若い男性が「疲れるだろうからこれに座って待ちなさい」と自分が座っていた大きめの石を貸してくれました。
 そうこうしているうちに辺りが暗くなり、ドーンという音とともにチュチェ思想搭の上空に花火があがりました。

 
 
 花火があがった瞬間、人々から「わー!」と歓声が起こりました。「ほら、あそこの花火を撮らないと!」と、私にアドバイスをくれる人もいました。
 カメラ越しにのぞいた人々の表情はとても明るく、こちらまで笑顔になりました。

 余談ですが、行事の取材の際には朝鮮のメディアの記者たちともよく会います。顔なじみになると、立ち話をしたりもします。みな本当に優しく、写真を撮る時にハシゴを譲ってくれたり、いろいろと世話をやいてくれます。(里)

4月15日

2012-04-22 09:00:00 | (愛)のブログ
さて、同胞たちにささやかれている噂にこんなものがあります。
「4月15日は雨が降らない!きっと晴れる!!
今年も青空がまぶしいほどの晴天でしたね。

記念すべき「金日成主席生誕100周年」を迎えてちょうど1週間が過ぎました。
朝鮮新報社からも今回、記者として活動するため祖国入りした同僚も多く、そして、式典にあわせて朝鮮を訪問し、日本に戻ってきた友人もちらほら。
友人からは「最高の訪問だった!」という感想も聞こえ、
歴史的瞬間を現地で立ち会えていいな~と本気でうらやましい限りです。
現地取材もした(里)さんの報告が待ち遠しいです。

そんななか、私の最近の頭のなかには自然にウリノレ(朝鮮の歌)が流れます。
祖父が好きだった「조국을 노래하네」(チョググルノレハネ)や、「세상에 부럼없어라」(セサンヘプロムオプソラ)など。
(you tubeなどで聞けるので、どうぞ→
http://www.youtube.com/watch?v=fJmiA65iL5A&feature=related


自然にくちずさんでしまいます。
朝鮮の歌にはメロディも歌詞もいいものがとても多く(名曲が本当に多いのです)、
「세상에 부럼없어라」は大学時代、美術科の講習で朝鮮に朝鮮画などを習いに行った際、
まるで美術科33期の朝鮮で歌うテーマ曲みたいになっていて、
宴会などの度に、朝鮮の人たちと手をつなぎ、輪になりながら時には涙を流し、何度も何度も歌いました。
最近はyou tubeなどでも気軽に聞けるようになり、聞くたびとても心地がいいです。

主席生誕100周年、という節目。
その100年の間に在日朝鮮人として生まれてこれた自分。
私も新たな気持ちで、公的にも私的にも、
これからたくさんのものを身につけられるよう、がんばっていこうと思います。(愛)

贈り物に絵本

2012-04-21 09:00:00 | (淑)のブログ
 20代も半ばを過ぎて後半に差し掛かると、周囲では結婚して子どもを持つ同級生や先輩後輩が増えてきます。
 自ずとここ数年で、出産祝いのプレゼントを買うことが増えました。巷にはさまざまな赤ちゃん用品、肌着や寝具、雑貨など、デザイン性も高くて機能的なグッズがあふれていて、何を買うか迷ってしまいます。特にベビー服は思わず買いたくなるほど(出産予定はありません。笑)、大人顔負けのかわいい商品がたくさんあります。

 さまざま選べる出産祝いですが、私の定番は、もっぱら絵本。そのわけは、赤ちゃんのときから一つでも多くの物語に触れることで、人生における永い友と出会ってほしいと願うからです。

 ですが一括りに絵本といってもこれまたさまざま。世界の名作を選べばすでにもらっている可能性があるし、それらはいつでも手に取れるので、私はあえて私が読んでもらいたいと思う絵本、朝鮮語で書かれたものや、朝鮮民族にまつわる物語を選んでプレゼントしています。幸いイオ編集部がある朝鮮出版会館1階のコリアブックセンターには、朝鮮半島関連の書籍を取り揃えており、ほしいときにすぐ手に入るので重宝しています。
 ※皆さんも白山にお越しの際はぜひコリアブックセンターにお立ち寄りください(ちゃっかり宣伝。笑)。

 月刊イオでは2012年1月から、文化欄の書評ページで毎月1冊ずつ絵本を紹介しています。
 川崎朝鮮初級学校の絵本の読み聞かせ教室に紹介してもらった、朝鮮半島・日本・世界各国の絵本をアトランダムに取り上げているのですが、この書評が中々難しい。
 絵本は普通の本と比べて圧倒的に情報量が少ないので、その分感受性を求められます。小さな子どもならどんなことを感じるか、どこに気を取られるか、どのフレーズが気に入るか…、子どもの気持ちになって読もうと努めますが、いい大人なのでそうもいきません(汗)。なので文章と同じくらい絵に注目して、一つひとつの絵がどんな意味を持っているのか探ります。色使いや筆致、手触りなど、それらは時に言葉以上に多くを伝えてくれます。物語の世界に入り込んでしまった時は、最後のページを読むのが惜しくて、本を閉じると(もうおしまい?)と、なんともいえない淋しさを感じます。子どもが「もう一回!」とねだる気持ちもなんとなくわかるような気がします。

 他愛のないことをだらだらと書いてしまいましたが、書評欄では数ある絵本の中から良作を紹介しているので絵本を選ぶ際にぜひ役立ててもらいたいです。大切なわが子に、友人へのお祝いに、そしてたまには自分へのプレゼントとして。

 こんなところで本日はお開き、皆さん良い週末を。(淑)

「北朝鮮問題」をめぐる思考停止

2012-04-20 12:03:09 | (相)のブログ
 世間の耳目を集めた朝鮮民主主義人民共和国の人工衛星打ち上げが今月13日に行われた。結果は、周知の通り、失敗に終わった。
 衛星打ち上げを巡る一連の動きも一段落がついたように見える。個人的に思うことはいろいろとあるのだが、それをこのブログの場を借りて書いてみたい。多分1回では終わらないだろう。

 まずは、2年前の再来ともいうべき「弾道ミサイル騒動」について。相も変わらずというか、もはや「お約束」と化している感があるが、3月16日に朝鮮の宇宙空間技術委員会が自前の実用衛星を打ち上げると発表してから約1ヵ月の間、日本では政治家やメディアをはじめ官民挙げての大騒ぎが起こった。
 衛星打ち上げを非難する彼らの論調は「人工衛星の打ち上げであってもその技術は弾道ミサイルと同じだから許せない」というもの。これを鬼の首を取ったように「ドヤ顔」で主張するのだが、そのロジックはもういい加減に聞き飽きた。
 当たり前すぎて改めて話すのも気が引けるが、今一度指摘しておきたい。ロケットは軍事目的にも平和目的にも使えるという「汎用的性格」を持つ。ゆえに、人工衛星の打ち上げに成功するということは同時に、弾道ミサイルの能力拡大も意味する。そして、今回の実用衛星打ち上げに込められた朝鮮側の目的も一つではないのかもしれないが、問題は、さまざまな意図が込められた国家的プロジェクトとしての人工衛星打ち上げを「弾道ミサイル発射実験」という一点にのみ還元し、他のさまざまな要素をバッサリと切り捨て頭ごなしに否定するのが正しい対応なのか、ということだ。
 米国や日本などは、今回の打ち上げが09年6月の安保理決議第1874号違反だとしているが、同決議が果たして国際法に基づいたものなのかを問う姿勢もない。宇宙空間の探査・利用はすべての国、全人類が自由に行うことができると定めた国際条約としての宇宙条約の精神は無視してかまわないというのだろうか。
 朝鮮は今回の打ち上げのプロセスに関して、これ以上はないというほどの透明性を確保した(ただ、打ち上げ当日にこっそり発射ボタンを押したことはいただけない)。しかし、偏見に凝り固まった人びとにとっては、「批判をかわすためのカモフラージュに過ぎない」ということなのだろう。
 「開発者たちは失敗の責任を取らされ、強制収容所に送られる」といった話にいたっては苦笑してしまう。人工衛星問題に限らないが、「北朝鮮は存在そのものが悪なのだから、何を差し置いてもまずは叩くべき。検証などは2の次だ!」といわんばかりの思考停止ぶりが目立つ。「北朝鮮とはこういう国」だと勝手に作り上げたイメージ(それは多くの場合、現実に即さない誤ったイメージ)を基に叩く一種の「藁人形論法」。

 なぜ朝鮮は人工衛星を打ち上げようとしているのか、このような問題が持ち上がるたびに地域情勢が緊張するのはなぜなのか。朝鮮半島問題を歴史的に考察したうえでこのたびの問題を分析する視点を、メディアの報道や政治家の発言からはほとんど見出すことができなかったように思う。
 起こっているさまざまな変化を見出せず、旧態依然とした認識にしがみついていては状況は何も好転しない。「こうあってほしいと望む北朝鮮」ではなく、「あるがままの北朝鮮」を見るべきではないだろうか。このような視点は「好き、嫌い」や「擁護する、しない」云々とは別のレベルで十分に可能なことだと思う。(相)

読者ハガキ

2012-04-19 09:00:00 | (瑛)のブログ

昨日のブログで(k)さんが5月号が出来あがったことを伝えましたが、イオを発送して気になってくるのが、読者から届けられるハガキです。本誌を購読されている方はご存知だと思いますが、毎号イオに挟まれているハガキは、蒸し豚やチョゴリなどのプレゼントを応募しつつ、裏面は誌面に関する意見を書き込めるようになっています。

質問は4つ。

①今月の特集・連載・その他記事のご感想をお聞かせください。
②良かった記事を3つ挙げてください。
③良くなかった記事を3つ挙げてください。
④イオに対するご意見、日々の生活での思いや疑問などをお書きください。

良かった記事に自分が担当した記事が綴られていると嬉しく、逆に③に書き込まれていると「どこがダメだったのかなぁ」「書いた人はどんな人かなぁ」なんてことを考えます。「良かった」「良くなかった」の両方に言及がない時は結構がっかりします。

例えば4月号には、今では山口県にひとつしかないウリハッキョとなった山口朝鮮初中級学校の学芸会の記事について反響がありました。卒業生の方でしょうか、「後輩たちの輝く姿を見られて嬉しかった」とのこと。山口では最近まで1972年に創立された山口朝高をはじめ、宇部初中、徳山初中など朝鮮学校が4校がありましたが、今は下関の山口初中だけが運営されています。このような書き込みを見ると、同胞がどんな情報を欲しているか、どういう人の表情を見たがっているのかを、感じ取ることができます。

また、都市部や過疎地を含め日本の各地に同胞の暮らしがあり、イオが届けられている。ハガキに刻み込まれた同胞の筆致は各々の暮らしの現場を想像させてくれます。家族と離れて一人暮らしを始めてからイオを購読するようになった、という方もいらっしゃいます。

④の書き込みの欄には、知り合いの○○さんを紹介してほしい、○○に取材に来てほしい!などのメッセージも。情報提供は、とてもありがたい。

それでもハガキを送ってくれる方は読者の100分の1にも満たないので、私は親しい友人や辛口の先輩、後輩にイオを時々配り、ざっくばらんな意見を聞くようにしています。ときに耳の痛い意見もあります。

読者なしには雑誌は存在できず、かといって読者に引きずられることなく、雑誌の自立した形をどう作り上げていくか。毎日編集部に読者カードを読みながら、次号についてアイデアを膨らませているのであります。(瑛)

ウリマル(朝鮮語)について

2012-04-18 08:54:00 | (K)のブログ


 月刊イオ5月号が完成しました。特集は「ブラッシュアップ 朝鮮語」。朝鮮語を学ぶ同胞や日本人の朝鮮語への思いに迫るとともに、朝鮮語学習のために役立つ情報を載せています。


 われわれ在日同胞は朝鮮語を「ウリマル」と呼びます。直訳すれば「私たちの言葉」。「ウリナラ」「ウリノレ」「ウリクル」…と、「ウリ」がつく言葉はすべて好きですが、特に「ウリマル」という言葉の響きがたいへん好きです。
 10代の後半、一生懸命にウリマルを勉強した時期がありました。自ら進んで喜びを感じながら何かを学んだというのはその時が初めてだったのではないでしょうか。英語は中高と何年も勉強したのにまったくものにならなかったのに、ウリマルはそれなりに、書き、喋り、聞けるようになったのは、「自分の言葉を取り戻したい」という内からあふれる情熱があったからでしょう。

 ウリマル学習は最初、日本語と言葉の順序が同じだったり「てにをは」のようなものが共通していたり漢字語があったりして、学びやすかったのも確かです。しかし、ある程度の水準を過ぎると、なかなか思うようにウリマルが上達しなくなりました。それはやはり、ひとつの言語にはその言語を生んだ歴史や文化があり、それらを壁を越えて完全に習得するというのは、そう簡単ではないということなのでしょう。
 しかし、振り返ってみると、ウリマルの上達がある程度で頭打ちしたのは、いつの間にか最初の情熱が冷めていき、熱心に勉強することがなくなったことに尽きると言えます。
 5月号の特集を編集するなかで、ウリマル学習をサボってきた日々を振り返り、心が痛くなりました。そして、あらためてウリマルを勉強しなおそうと決意を新たにしたのでした。がんばります(さいわい、特集の編集作業の過程で朝鮮語学習の教材が現在、イオ編集部にあふれてます)。


 5月号では特集のほかに、特別企画として「今を読み解くブックガイド」を企画しています。混沌として前が見えない今の状況の中で、どのような本を読めばいいのか、国際情勢、経済、社会、在日朝鮮人の4つの分野にわけて本を紹介しています。
 その他、第5回強制動員真相究明全国研究集会の模様、朝鮮に帰国した高五生オモニについてのエッセイ、作家・柳美里さんに朝鮮訪問の日々を綴った本「ピョンヤンの夏休み」について聞いたインタビューなど、今月号も盛りだくさんな内容になっています。ご愛読ください。(k)

3回目の桜の木の下で…

2012-04-17 09:00:00 | (麗)のブログ
先週、(相)さんが書いていた通り、金曜日はイオ編集部でお花見をした日でした。
私個人としては2年ぶり、3回目となる「桜の木の下でのお花見」です。

1回目は入社間もない頃にイオ編集部の面々と。
まだ緊張が解けない私に「昨日の晩はなに作って食べたの?」と、とある先輩が聞いてきたので、「ししゃもを焼いて食べました」とぼそっと答えました。
さすがにもうちょっと可愛らしいものを言えばよかったと思う。

2回目は、新報社の社員たちと。
この時は新入社員を迎えた年でもあり、2年目に入った年でもありました。
咲き乱れる桜が美しく、絶好の花見日和なのとは対照的に、ただ黙々と食べて飲んでいたような…。

そして、先週が3回目。
当日は各自、持ち物を担当することになり、私は(酒好きということで)おつまみ担当になりました。
中でも、(瑛)さんと(淑)さんが持って来てくれた手作りのおにぎりとキムパッがとても美味しかったです。
どうして外で食べるおにぎりはこんなに美味しいのでしょう? 子ども頃に遠足や運動会のお昼で食べたおにぎり。あれは格別に美味しかった。その感覚と似ています。

お花見はいいですね! 嫌なことも全部桜の花びらと一緒にどこかへ飛んでいってしまうのですから。
舞い散る桜の下、風情漂う中で非日常的な時間をのんびり楽しむ。嗚呼、最高です。

私が子どもの頃は、チャンゴやケンガリ、朝鮮の民謡が鳴り響くなか、焼肉を食べたり朝鮮舞踊を見たり歌を歌ったりして大勢の同胞たちで賑わっていたお花見…。
当時は食べるだけ食べて近くの公園へ友達と遊びに行ったりと、これっぽっちも桜など観賞してませんでしたが、
大人になるとちゃんと桜を眺めながら「綺麗だな」と思ったり、センチメンタルな気持ちにもなったりして、また違った形で楽しめるものなのだと実感しています。

もうだいぶ桜も散ってきていますが、今年は編集部でお花見が出来てよかったです。
また来年も、こうしてお花見に行きたいものです。(麗)

沖縄米軍基地と「北の脅威」

2012-04-14 09:00:00 | (淑)のブログ
 先日、公開中の映画、「誰も知らない基地のこと」(原題:standing army)を観た。
 イタリアの若手監督が2007年、在イタリア米軍基地拡大への反対運動の高まりをきっかけに、世界各国に配置されている米軍基地を取材し、米軍基地の実情に迫ったドキュメンタリー映画だ。主な取材地はコソボ、イタリア北東部の都市ヴェチェンツァ、インド洋に浮かぶディエゴ・ガルシア島(英領)、そして沖縄の普天間飛行場周辺地区、嘉手納飛行場周辺地区、辺野古、高江。米軍基地の存在に苦しむ世界各地の住民をはじめ、平和活動家、退役軍人などの軍関係者への取材に、チョムスキーはじめ国際政治学などの識者らの分析が加わり、アメリカの世界戦略と軍産複合体というシステムを解明している。
 現在、世界の約40カ国に700箇所以上の米軍基地が存在しているが、その中でもドイツ・イタリア・日本には60年以上も米軍が駐留している。その典型が沖縄だ。沖縄返還から40年を迎える今も、38基の基地と3万5000の兵士が住む。上空を飛行機が頻々と飛び、基地周辺の施設では騒音やトラブルなど苦悩がつづく。映画には普天間飛行場から300メートルしか離れていない幼稚園で騒音に苦しむ園児たちや基地建設で土地を追われた人びとが登場し、基地問題の切実さを訴えている。映画である平和活動家が「沖縄にとって基地はガン細胞のようなものだ」と言っていたが、ガン細胞がなぜなくならないのか、その一端が映画を通して見えてくる。
 既報の通り日本政府は朝鮮の人工衛星打ち上げに伴って、沖縄に迎撃ミサイルPAC3を配備。メディアは沖縄住民の怒りや不安の声、ある高校で修学旅行の行き先を沖縄から北海道に変更した件など、しきりに朝鮮の人工衛星打ち上げの危険性を煽っていた。だが在日米軍基地の74%を抱え、戦後も米軍による事件・事故(通算5269件)により人命を奪われ、生活を脅かされてきた沖縄の住民たちは、果たして「北朝鮮の脅威」にどれほどリアリティを感じていたのだろう?と、映画を観ながらバカバカしく思った。(淑)