日刊イオ

月刊イオがおくる日刊編集後記

「補助金不支給、悔しい」ー神奈川朝高・高3、1811筆の署名、提出 

2018-02-28 09:46:19 | (瑛)のブログ




 

神奈川朝鮮中高級学校を3月4日に卒業する高3生徒32人が2月26日、横浜市の県庁を訪ね、昨年11月から10回にかけて街頭で集めてきた署名1811筆を、黒岩祐治・神奈川県知事宛てに提出し、学費補助の支給再開を訴えた。

応対した私学振興課の副課長は、「神奈川朝鮮学園が教科書内容を改訂するまでには支給しない」の一点ばり。学費補助の目的(別項参照)に基づいた説明はなく、朝鮮学校側に責任があるといわんばかりの対応に生徒たちの胸には失望が広がった。



生徒代表は、「3年間訴えてきたが、学費補助が再開されず、悔しく思っている。後輩たちに一日も早く補助が適用されるよう、知事にも伝えてほしい」と署名を手渡した。

この訴えに対し、私学振興課の副課長は、「朝鮮学校の補助金を巡っては賛否両方の意見が寄せられている。議会では学園側が改訂を実現するまでは支給しないというのが大多数の意見。教科書改訂については日本学校では4年に一度、改訂する。15年間も改訂しないことは日本の学校にはないこと」「県としては、差別していると思っていない。皆さんの後輩たちのためにも、できるだけ早く教科書を改訂していただきたい。改訂すれば支給する」と不支給の責任を学園側に転嫁した。

神奈川県では、14年度に外国人学校への財政支援が「学校への経常費補助」から「保護者への補助」に替わり14、15年度には朝鮮学校保護者にも支給された。

しかし外国人学校保護者に平等に支給されるはずの学費補助が、朝鮮学校に関しては、拉致問題を教えることや「教科書改訂」を条件に、16年度から打ち切りとなった。

そもそも各学校の教育内容は当事者が決めることであり、各種学校認可を受けている外国人学校の場合、監督権限を持つ都道府県にすら、教育内容の変更を促す権限はない。

さらに言えば、神奈川朝鮮学園に教科書改訂の権限はない。学園に改訂を求めること自体が理不尽なのだ。

最後列に座っていたソク・スウォンさん(高3)は質問した。

「基本的人権の中には教育を受ける権利もある。お金が工面できず転校した生徒もいた。お金を持っていなければ教育を受けることができない人たちがいて、格差が生まれている。これは差別。県庁の皆さんは、実質的に弱者になっている僕たちについて、弱者という認識はありますか?」

生徒たちが提出した署名は「朝鮮学校に通う子どもたちへの『学費補助』を求める県民会議」が集めた1万8449筆の署名に含め、提出された。

同席した県民会議の高梨晃嘉さん(70)は、「行政は権力。権力行使は公平公正でなければならない。高校の教科書を巡って、それがなぜ小中学校の保護者への補助を止めるまでに波及するのかと聞いているが、県から返事はない」と理不尽な現状を訴えた。

今年1月17日には、県下の朝鮮学校保護者ら118人が、憲法や教育基本法、国際人権諸条約が禁じる差別によって民族教育を受ける権利が侵害されているとして、神奈川県弁護士会に人権救済申し立てを行った。(瑛)

 

※2014年から始まった外国人学校生徒等支援事業の目的は以下の通り(神奈川県県民局次世代育成部私学振興課)

①外国籍県民の多くが学ぶ外国人学校は、学校教育法第134条に基づく認可を受け、各種学校のひとつとしてその存立を認められている。そこでは、母国・民族の文化、言語、歴史などの教育が実施されている。

②しかし、国際情勢・政治情勢の不安定さが、母国・民族との関連を想起させ、子ども達の教育の機会に影響を与えかねない。外国人学校に通う子ども達であっても、こうした不安定さの影響を受けることなく、安定的に教育を受ける機会を確保する必要がある。

③そこで、外国人学校に通う子ども達が安心して学ぶことができるよう、外国籍県民がくらしやすい環境づくり、多文化共生社会の実現の観点から、経常費補助にかえ、所得区分ごとに学費負担の軽減を図ることを目的とした、子ども達に着目した新たな補助制度を創設する。

 

 


難民たちの言葉①

2018-02-27 10:00:00 | (理)のブログ

 少し前に日刊イオで、東京入管に収容されているメルバンさんのことについて書きました。幼い頃に渡日して以降ずっと日本で育ったクルド人のメルバンさんという女性が、なんの理由もなしにとつぜん東京入管に収容されてしまったという事件です。
(日刊イオ2月10日付「メルバンさんを助けたい」→http://blog.goo.ne.jp/gekkan-io/e/eb20dd64820cb7a78e93a893d5be65b6
 メルバンさんは収容所から出るために仮放免のための書類を準備し、長らく審査待ちをしていました。しかし先々週の金曜日にそれが却下されたとのことで、かのじょの友人である織田朝日さんと一緒に面会に行ってきました(上の写真は、織田さんが所属しているSYIー収容者友人有志一同という団体が作成した資料を引用)。
 前回に続き2度目の東京入管。今回はメルバンさんだけでなく他の友人たち(収容者)とも面会を予定していたそうで、そこに同席させてもらうことに。

 2月21日、午前10時。織田さんと一緒に現れたのは雑誌『DAYS JAPAN』の記者さん。かれもネットを通してこの問題を知り、自身が所属する媒体で発信するために取材をしているとのことでした。

 職員に呼ばれて面会室へ。前回とは違う部屋でした。座ってすぐに、ガラスに大きく刻まれた英語の文字が目に入りました。こちら側からナイフかなにかで刻まれたもののようです。「名前かな?」と織田さん。「壁にも黒いマジックでなぐり書きとかされていますよ。ペンキで何度も上塗りしているけど」。書いたのは収容者の家族でしょうか。友人か、恋人でしょうか。部屋全体に怒りが充満しているようでした。
 「ヨーロッパは(難民が入る施設でも)外出できますからね。携帯電話も持てる。“保護する”という立場だから」。日本を基準で考えると、信じられない差があります。 

【一人目:メルバンさん】
 少し経ってメルバンさんがやってきました。前に見た時よりも明らかにやつれて、泣きはらした目をしていました。座っての第一声は「仮放免、ダメでした」。決まったことはとりあえず仕方がないとでもいうように、明るい声を出そうとしていて胸が痛みました。
 「私より状況わるい人もっといるんで。そこまで悪いわけじゃないでしょ、と自分で(励まして)。アフリカの女の子で、1年以上ここから出さなかったくせに乳がんだって知ったら仮放免が出た子がいるよ。死ぬという診断書があればここから出すの?」
 「昨日、夫に電話で仮放免だめになったって聞いた。職員に『なにがしたいんですか? 頭おかしくさせたいんですか?』と聞いたら『国があなたを認めないから』と言われた。他の人にも『そんなに甘いと思ってたの?』って言われたから『ご飯食べないデモするよ』と言って、まだ食べてない」

 面会の前に織田さんは「(話を聞くのは)本当にしんどいですよ。いつも帰る頃には頭がガンガンする」と言っていましたが、怒り、もどかしさ、やるせなさ、悔しさといった様々な思いで頭がぐちゃぐちゃになりそうでした。「協力してくれて、気持ちはじゅうぶん私に伝わってるんで、元気出たんでありがとうございます」。メルバンさんの寂しい笑顔を見て、なんの言葉も返せませんでした。書類を準備して、もう一度、仮放免の申請をするそうです。

 メルバンさんが退室したあとしばらく沈黙していると、他の部屋から男性の激しい泣き声が聞こえてきました。どれだけの人が苦しめられているんだろう。織田さんは先ほどのアフリカ人女性が気になるとのことで、午後に改めて申請してみようと言っていました。 

【二人目:Bさん】
 次に面会室に現れたのはクルド人の男性、Bさん。かれは日本人女性と結婚して8ヵ月で収容され、2月で1年になったそうです。難民申請をしていたが認められず、収容されました。
 ここで新しく知ったのは、難民申請をするとまず入管の審査員によるインタビューがあり、そこで許可が下りなかった場合、港区・お台場にある法務省の建物でさらにインタビューを受けるということ。しかし、審査員は寝ていたり、うつむいていたり、明らかに気合いのない態度でそこに座っているといいます。
 Bさんはお台場でインタビューを受けましたが許可が下りず、その直後に収容を通告されました。通常は、ここで再び申請をしていいことになっています。にも関わらず、Bさんと妻の声は聞き入れてもらえませんでした。東京入管に呼ばれ収容を言い渡されたBさんは、すぐ妻に電話しようとしました。しかし職員が「不審な動き」をしたと捉えて、数人がかりでBさんを床に叩きつけ制圧したそうです。その時に顔に大きなアザができ、妻が面会時にショックを受けたそうです。織田さんも見たらしく、あれはひどいよ、と憤っていました。

 ちょうどその時、面会室の向こう側の通路を一人の職員が通りました。とっさに織田さんが「Iくん!」と声をかけてびっくり。以前、茨城県にある牛久入管にいた職員だそうです。
 「なんか収容者と事件があってこっちに移ってきたらしいです。収容されてたのはフィリピン人なんだけど、じゃれている時にたまたまケガをさせられてしまって、入管側が裁判を起こしたんです。でもそれもひどい話で、Iくんはそのフィリピン人ともともと仲がよかったのに、裁判では『向こうは友達だと思っていたけど自分は迷惑だった』と言ったんです。上に言わされたのかもしれないけど。フィリピン人はショック受けてたよ」
 その話自体にも腹が立ちましたが、Bさんはもっと怒っていました。「こっちがケガさせたらすぐ裁判なのに、こっちがケガさせられるとなにもない。トルコにいたらいじめられる、徴用される。トルコの問題分かっているのになんで? 自分はただここに入れてほしくないだけ。毎日、頭痛がひどい。血圧を測ったら170もあった。熱も上がっていつもしんどい」。またため息が出ました。

 ここで午前の面会時間が終わり、お昼ご飯を食べることにしました。2人目でこの疲労感(あと6人分も続けて書いていいでしょうか)…。
 東京入管内にあるコンビニで軽食を買って面会申請スペースに戻ると、赤ちゃんをあやしている若い男性が。「お母さんが入ってるの?」と織田さんが聞くと、そうだと返事がありました。フィリピン人の親子でした。

 午後の面会時間になったので、面会室が並ぶ7階へ戻ります。部屋の割り振りを待っていると、職員の一人が先ほどのフィリピン人親子に話しかけているのが見えました。
 「お父さんそっくりですね~!」と父親に笑みを向ける女性職員。(母親を収容する側にいながらよくそんなことが言えるな!)とカッとして織田さんに伝えると、「そんなつもりがないとしても疑問に思わないとダメですよね。それ言っちゃダメでしょ」と静かに同意してくれて、少しクールダウンできました。

【三人目:Gさん】
 次は、クルド人男性のGさんです。かれも日本人女性と結婚しています。今年で8年。収容は3度目だといいます。
 「ビザがないだけ。でも難民申請はしてる。何度も入管に行って、いろんな階で言ったのに。1回アルバイトして収容された。でも泥棒もしてない、人だましてない、殺してない。日本のやり方100%悪い。保険もない。わたし死んじゃって関係ない? 一匹の犬、一匹の猫も『かわいい』って言うのに、(自分を指して)人間? 関係ない。わたし『ガイジン』、悪い人だって見られる。わたし人間だよ」
 確かに、仕事をする資格がない外国人が働くと不法就労になります。しかし前回も書いたように、日本は1981年に難民を受け入れる国際条約に加入しています。難民は保護を期待して日本に来ています。日本国内で、こんな差別的な処遇が横行しているとは思ってもみなかったはずです。
 私たちが想像もできないような激しい弾圧をすり抜けて命からがら来た人もいるのでしょう。難民は財産も少なく、働かなければ生活が立ち行かないと少し考えたら分かるはず。日本は、どうして在日外国人を支援する工夫や枠組みを作らず、排除・管理する方向に進むのでしょうか。

 頭に腫瘍があるGさんは、本来なら今すぐにでも手術をしなければいけません。また、適切な薬を飲まないといけないのにそれすら許されていません。
 「一番安い、一番悪い薬。全然治ってない。変わらない。ずっと気持ち悪い、元気ない。夜は寝れない。暗くなっちゃうと本も読めないから、自分で考える、考える、考える…」。重大な病気を抱えながら、信頼できる人と離され、劣悪な環境の中で過ごさなければならない不安感はどれだけのものでしょうか。話しながらどんどん目が潤んでいき、しまいには泣き出してしまいました。いま向かい合って話しているのに、なにもできない無力感。面会の終了時間が来て、Gさんは肩を落とし「ごめんね、ありがとうございます」と言って部屋を出て行きました。くしくも、2日後はGさんの誕生日。56歳になるといいます。 

【四人目:Sさん】
 クルド人男性のSさんは日本に来て5年。トルコでは政府による少数民族クルド人への弾圧に対抗する活動をしていたため、国に帰ると捕まる可能性が非常に高いのだといいます。結婚しており、子どもは日本の公立学校に通っています。
 「10月31日に収容された。なにもやってない。全部の問題ない。トルコに帰ったら危ないしビザが出てもいいのにずっとダメ。なんで? 知らない。『なんで?』全部の話はこれ。なんで捕まえる? トルコに問題あるって分かってるのに」
 そして、「入管は………」と言ったきり言葉が続かず、顔にはただ落胆の色が浮かんでいました。 

【五人目:Jさん】
 冒頭でメルバンさんが話していた「アフリカの女の子」は、カメルーン出身のJさんでした。日本に来たのは2004年7月、27歳の時。収容されたのは2度目です。難民申請をし、お台場でのインタビューで却下されたあとに収容されたのが最初。次が1年半ほど前、引っ越しをする際に「転出届」を出すのが遅れたことで収容されたそうです。
 「前に難民の弁護士から聞いたことがあって、確かに転出届を出さないと収容されるケースがあった。でもその人も、そういう理由で収容される人を見て初めて、それでつかまるんだと知ったそうです。なにをしたら収容されるのか、ビザがない人のルールは明確に定められているものがなくて分からない」と織田さんが解説してくれました。
 在日外国人に日本語が不自由な人が多いのは当たり前。果たして日本で暮らすための親切なガイダンスが外国人たちの生活の周りで整えられているのでしょうか。「知らなかった人が悪い」というには、政府や行政は無責任すぎると感じました。しかもとつぜん収容するというような、日常生活をすべて奪う権利なんてないはずです。

 「で、Jさんは仮放免が出たって聞いたんですけど」、織田さんが少しずつ話を聞き始めます。
 「1年半前くらいにつかまって、ずっと胸が痛いって言ってたのに、病院に連れて行ってくれなかった。2月6日に初めて外の病院に行った。マンモグラフしたら乳がんだった。明日か明後日、お兄さんが迎えにくる」
 Jさんは、持参した小さめのノートをパラパラとめくりながら悲しそうに話しました。ちらっとその手元を見ると、ノートには「WOMAN」と2回書かれていて、その下に小さな丸をたくさん重ねた絵のようなものもありました。花か、ザクロの実のようにも見えました。乳がんと聞かされた思いとその言葉が無関係ではないように感じられて、とても悲痛でした。同時に、ここは非情で、腐り切っていて、許すことのできない場所だと改めて怒りが込み上げました。

 面会終了間近、Jさんが私に向かって「韓国の人なんですか?」と聞きました。私は「リエ」と名乗った程度で、言葉も日本語ネイティブなのに…驚きました。「なんで分かったんですか? 在日朝鮮人といって、日本で生まれて育ったコリアンのことなんですけど、そうです」と返すと、「目とか顔の形で分かるよ」。
 私は今まで、どちらかというと「在日っぽくない顔だね」「日本人みたいな顔立ちだね」と言われる方が多かったので、当ててもらったことがなんだか嬉しかったです。でも、せっかくこんな交流ができたからこそ、このような場で会ったことがやるせなくて仕方ありませんでした。
 かのじょはこれからどうなるのか。外に出たら出たで、医療費をはじめとする生活は一体…。「入管の中で死んでほしくないから。死ぬ病気だから外に出す」とメルバンさんは言っていましたが、本当に死んでしまうのでしょうか。だとしたら、どうしてこんなに重大な話が社会で大きく問題視されないのでしょうか。誰だか分かりませんが、収容や仮放免を決めるどこぞの人間はなにを見てなにを考えているのでしょうか。

 Jさんは部屋をあとにする際、織田さんには「ありがとうございました」と、私には「カムサハムニダ」と言ってくれました。

***

 やはり長くなってしまったので、残る3人の話は次回の私の更新日にまた書きます。詳細はまだ不明ですが、3月2日には織田さんが収容者の家族と一緒に東京入管の問題を社会に訴えるための記者会見を開く予定とのことで、できればこのことも合わせて書けないかと考えています。また、イオでも5月号か6月号くらいから短期連載で東京入管と難民について紹介したいと思っています。(理)


●SYI(収容者友人有志一同)→https://pinkydra.exblog.jp/
SYIは現在、メルバンさんを早急に解放するようFAXや電話で入管に訴える運動を地道に行っています。
東京入管:FAX(03-5796-7125)、電話(03-5796-7111)


襲撃事件の日の金曜行動~もう一度、声を聞く

2018-02-26 09:54:38 | (瑛)のブログ



東京・千代田区の朝鮮総聯中央本部に銃弾が撃ち込まれた2月23は金曜日だった。

この日も例にもれず、文部科学省前では朝鮮高校生、保護者、日本市民による金曜行動が行われ、3月4日に卒業を控えた高3はじめ、約400人の東京朝高生たちが訴えを続けた。

「私たちの訴えを聞き流さないで…」。高校生たちの訴えはいつも現状を鋭くえぐり、最後は必ず、決意で結ばれる。文科省の差別に怒り、胸を痛めながらも、最後は希望ある未来を作ると心を大きく開くのだ。

かれらは、15歳、16歳、17歳、18歳…。まだまだ親や大人に守られるべき子どもだ。

その子どもたちが寒空の中で訴え続ける姿は、何度見ても胸が押しつぶれそうになる。高校生たちは、この国で「絶対的な権力」を握っている官僚や大臣に訴えを続けている。いつまで、こんなことをさせなくてはならないのだろうか。


日本各地の5ヵ所で行われている高校無償化裁判で国側は、総聯と朝鮮学校、朝鮮民主主義人民共和国と朝鮮学校の関係を過剰に問題視し、ありとあらゆる資料を積み上げている。裁判の場でも国は、朝鮮学校叩き、朝鮮憎しの世論を増幅させ、子どもたちを朝鮮制裁の具としてさらし続けているのだ。

もういいかげん、国民を代表する国家が、ヘイトスピーチを撒き散らすような、下劣な真似を、やめてほしい。

23日の銃撃事件は、在日朝鮮人をねらったヘイトクライムだった。

私は安倍首相はじめ、国とトップに「許されない差別」と立場表明してほしかった。

それだけでも、どんなに心が休まっただろうか。

生まれ育った川崎桜本が人種差別主義者たちに襲撃されたとき、「私の心は死にました」と言ったチェ・カンイジャさんの言葉を思いだす。

私たちは、「いつ殺されてもおかしくない存在」に貶められてしまった。こんなことが許されていいはずがない。

金曜行動では、襲撃事件に胸を痛める高校生の訴えもあった。3月4日に卒業を迎える朝高生や後輩たちの声を、心にとどめる思いで、発言を整理した。(瑛)




●男子生徒「文科省の皆さん、理解できますか?」

去年の9月13日、こみ上げる期待を胸に高校無償化裁判に挑みました。しかしあなた方日本政府の10秒も満たない発言は、われわれに不当判決を言い渡しました。その時の私たちの怒りや絶望、悲しみの心情がどれだけ大きかったか、あなたたちには、理解できますか?
あなた方の不当な差別によって、私たちの生活はますます苦しくなっています。ですが私たちは決してあきらめません。こんな差別で在日同胞はつぶれたりなんかしません。ぼくたち高校3年生は卒業した後も権利を勝ちとるまで叫び続けます。正義がある限り、勝利のために私たちは何度でも立ちあがり続けます。

●男子生徒「後輩たちのために、来ました」

文科省のみなさん、僕は朝鮮学校に通う高校3年生です。ぼくたちは一週間でこの学校を卒業します。そんななかでも声をあげているのは、他でもない後輩たちのため、そして一人の人間として、未だに朝鮮学校が全員、無償化から外されていることがあまりにも理不尽で間違っていると思うからです。
規定から外されているからとか、そういう理屈ではなく、あなたたちは一人の人間として、朝鮮学校だけが対象にならないのが、おかしいと思わないのでしょうか。そう思わないのなら、平等とはいったい何でしょうか。この国では差別はなくならないのでしょうか。僕たちは、ただ安心して生まれ育ったこの国で勉学に励みたいだけ。何の心配もなく学校に通いたいだけです。
(敗訴)判決が出たからと言って、あきらめるぼくらではありません。どんなに厳しい状況でも屈せず、この金曜行動を続けていくでしょう。

これ以上、僕らの声を聞き流さないでください。
これ以上、見てみぬふりをしないでください。
これ以上、ぼくたちの学ぶ権利を奪わないでください。

日本に住む外国人は、日本人にならなくては、権利を与えてもらえないのですか。自分の国の歴史を学ぶことは朝鮮人の子どもたちだけ、許されないのでしょうか?僕たちは権利を勝ちとるその日まで叫び続けます。高校無償化を即時適用せよ。

●女子生徒「朝鮮学校を目の前で取り壊された祖父」

文科省の皆さん、私たちはなぜ金曜日にここで叫ぶのでしょうか。

私の祖父は目の前で朝鮮学校を取り壊されました。その後、祖父は自力で朝鮮語を学び朝鮮大学校の教授として外国語を教えながら、二度と差別が起きることないよう、本や資料を書き国際社会人として活躍しています。そんな祖父の後ろ姿を見て育った私が闘いを続けています。

国際化が進み、たくさんの人々が住む日本、2020年に平和の祭典であるオリンピックが開催される日本は、今どんな状況でしょうか。見た目ではなく、内面を見た時、ある特定の民族に当たり前の権利を認めない、こんな国なのではないでしょうか。


私たちはなぜここで叫ぶのでしょうか。

それは新しい権利が欲しいのではなく、あたり前の権利を得るためです。日本政府は朝鮮学校に高校無償化を適用せよ。



●女子生徒「私たちの存在を認めてほしいだけ」


文科省の皆さん、高校2年生です。ひとつ質問があります。2017年9月13日、私たちが思いもしない不当判決に涙を流し、心を震わせ、それでも闘うと奮い立ち、誓ったその日、あなたたちは判決をどう受け止めましたか? 当たり前の判決だと思っていますか? 司法に感謝していますか? 

私はあの日、ものの数秒で終わった判決を聞き、悲しみよりも、怒りが湧きました。この闘いは在日朝鮮人だけのものではない。そこには数多くの日本の方々の支援がある。あなた方は、自身の国民さえも否定していることになるのですよ。


適当な資料提出から見える裁判に対するやる気のなさ…。裁判に全力で挑んだ私たちではなく、国側についた裁判所、もとい司法はどれだけ腐りきっているのですか。法律を覆す国を誰も咎めない状況に何も感じていない…。


もう一度、あなたたちがおかした過ちを考えてください。あなたたちの行動ひとつひとつがどれだけ影響を与えているのかを。

私たちはお金が欲しいのではない。私たちの存在を認めてほしいだけ。私たちはあなたたちと同じ人間です。毎週金曜日、この地に足を運ぶことが、学生がすべき日常ではなく非日常ということを忘れないでください。
数年後、教科書には不当判決という判決が載るでしょう。私たちはこの事実を逆転させてみせます。高校無償化を即時適用せよ!

●金栄愛・東京中高オモニ会会長「文部官僚の方々、子どもたちのために、汗流して」

文科省のみなさん、忘れもしません。9月13日の不当判決。本来なら勝利をおさめ、歓喜の集会になるはずが、決起集会になった。あなたたちはどう思いましたか?

私は10秒足らずの判決を聞いて、立ちあがることができなかった。原告のアボジ、オモニたちがどんな思いで原告に立ってくれたのか。それを思うと、力が抜けてしまいました。しかし、裁判所の外の熱気と怒号と、「また頑張ろう」という同胞たちの声を聞き、もう一度自身を振るいたたせました。

今、平和の祭典のオリンピックが開かれています。北と南が手と手をとりあって仲よくしようとしている。歴史の真実を日本の子どもたちに教えてあげてください。

お互いを認め、尊重しあう、手と手をとりあう…。


文部官僚の方々、子どもたちのために汗を流してください。今日は3月4日に朝高を卒業してしまう学生たちも駆け付けました。


子どもたちに明るい未来を!


全国の朝鮮学校が無償化の対象になるよう、ともに立ち上がりましょう。


銃を向けられた在日朝鮮人

2018-02-24 09:57:25 | (理)のブログ

 昨日2月23日の午前3時50分頃、在日本朝鮮人総聯合会(総聯)の中央本部が所在する朝鮮会館が銃撃されるという事件が発生。私は同日の出勤中にネットニュースを見て知ったのですが、(あ、恐ろしいな)と感じ、とっさにスマホから顔を上げて周囲を見渡してしまいました。とりあえず続報を待つことに。
 その後、ネットを通して分かったのは、実行犯の一人(現行犯で二人が逮捕された)桂田智司という人物が、過去に何度も排外デモなどを行っている筋金入りの排外主義者だったということ。

 夕方に総聯中央が記者会見を開くとのことで取材に行ってきました。



 記者会見では、総聨中央常任委員会の南昇祐副議長が談話を発表。全文は朝鮮新報ネット版に掲載されています。→http://chosonsinbo.com/jp/2018/02/il-1348/

 談話文が読まれたあと質疑応答の時間が設けられ、朝日新聞、読売新聞、フジテレビ、時事通信、聯合ニュースほか、日本と韓国のメディアから質問がありました。そのうちのいくつかを紹介します。

Q.談話を読む前に(副議長が)、「事件後、心配の電話が各地から寄せられている」と話していたが、どのような声が届いているのか?
A.日本各地の同胞たちと日本の方々から電話などを頂いている。同胞たちは「これは全く許すことのできないテロ行為だ」といったような激憤に堪えかねるという声、そして日本の方々は、まずは「人的被害がなかったか」、そして「これは一部の右翼が起こしたことではあるが、今の社会や政治状況がそうさせているもので、大変忌々しき問題。大変だが頑張ってほしい」と激励の声が届いている。

Q.事件の前に脅迫の電話や犯行声明のようなものがあったか?
A.直接、事件に関連することにおいてはない。しかし、毎週のように相当数の右翼宣伝車が近くまできて妨害活動をしたり、数人から20人程が朝鮮会館の前で騒ぎ立てるなどということは日常茶飯事だった。そういったものとの関連性がどこにあるか分からない。

Q.二人とも拳銃を所持していたのか?
A.警察の報告によると、暴力団出身とされる川村能教という男が銃撃犯だったと思われる。暴力団がピストルで加害を加えるという行為とは質が違う。個人の判断ではないはず。誰が何のために雇ったのか、警察はかなり厳しく背後関係を追及すべきだと思っている。

Q.総聯の地方組織も含めて、これまでこのようなテロ被害に遭った前例はあるか?
A.1983年11月18日に、同じように銃で襲撃された事件があった。この建物ではなく、総聯中央の旧会館があった時だ。突然、銃弾によって1階の窓ガラスが撃ち抜かれた。 

Q.その時から35年以来となる今回の事件。やはり衝撃が大きいと思うが?
A.それもそうだが、35年が経ったいま現在でも同じような事件が起きていることに、大変な驚きを禁じえない。在日同胞の権利を擁護するための団体が敵視され、政治の的になっている。こういう事実を冷静にきちんと見つめていく各方面の努力が必要だと思う。今回の事件も、社会的にどう扱われていくか―。そこに総聯への、日本社会の見方が表れると思う。

 南昇祐副議長は引き続き、事件を受けての思いを述べました。
 「日本は長らく朝鮮民主主義人民共和国を敵視し、経済制裁をはじめとする政治的圧力を加えてきた。その一直線上で私たち在日朝鮮人を扱っている。“政治的”という言葉はプロパガンダの意味で言っているわけではない。例えば私を含め、総聯中央の幹部は日本政府の制裁によって本国へ渡航することができない。ある幹部は、朝鮮にいる兄が亡くなったにも関わらず会いに行くことすらできなかった。出国すると二度と日本に入ってこられない。このような非人道的なことが、具体的な政治的処置としてあるのです」
 「総聯の活動は基本的に、在日同胞の生活と権利を守り、日本市民との交流を進め、民族の文化を教え、朝鮮半島の平和のために寄与すること。これだけなのに、不法団体・犯罪団体のように扱われている。こういった姿を映し出そうとしているのは日本の支配層。そんな中で、右翼による信じがたい犯罪行為も“許されている”現状がある」

 私は話を聞きながら、「もしかすると差別している側も、自分が一体なにに向かって差別しているのか、きちんと理解していないのではないだろうか」と思いました。先日、横浜で行われた朝鮮学校ツアーの際に佐野通夫先生が仰っていた「日本社会に蔓延している在日朝鮮人への差別意識は観念的なもの」という言葉が頭に浮かびました。
 日本社会で盛んに聞かれる「北朝鮮」という言葉も、それを憎悪の感情で使う人たちは、しかし全く具体的なイメージを持っていないのだと思います。権力に迎合するメディアに煽られるだけ煽られて、知った気になって色々と混同して、「朝鮮」と名のつく身近な対象にその矛先を向けてしまう。朝鮮総聯しかり、朝鮮学校しかり、在日朝鮮人しかり。

 だから怖いのです。今日、総聯に向けられた銃は、明日は朝鮮学校に向けられるかもしれない。在日朝鮮人に向けられるかもしれない。改めて、今回の事件が重大なヘイトクライムだったことに気づかされました。

 実はちょうど、記者会見の取材に出る前に知り合いの雑誌記者さんから一通のメールが届いていました。
 『今朝の朝鮮総連へのヘイトクライムに心を痛めています。朝鮮ルーツの方々がどれだけの恐怖と絶望を感じているか、考えただけでも胸が苦しいです。一部の右翼や実行犯が問題なのではなく、日本社会全体の差別の問題として考えないといけないのですが、そういう意見は完全に少数になってしまっているし、日本のメディアに関わる者として責任を感じます。ヘイトクライムを絶対に許さないことを表明し、実行犯を生み出した差別的な社会を変えるために一層努力します。』

 まだ情報も少ない中、事件の重大さと差別性を敏感にキャッチしてこのようなメッセージを送って下さっていたのです。記者会見が終わったあと、実感を持ってもう一度このメールを読んだとき、遅ればせながらとても励まされました。
 私も、もっと深い目を持って、日本社会に訴えていける言葉を獲得していきたいと思います。 

 来週28日の夕方からは、今回の総聯への犯罪行為に対する怒りを込めて緊急集会も開かれる予定です。(理)


高裁での逆転勝利へ!/東京無償化裁判再決起集会

2018-02-23 10:00:00 | (瑛)のブログ

 東京無償化裁判での「逆転勝訴」を目指す再決起集会(主催=東京朝鮮高校生の裁判を支援する会)が2月18日、東京都内で行われ、朝鮮高校や日本人支援者ら380人が集まった。2017年9月13日に敗訴判決が下された東京では、3月20日から控訴審が始まる。

 集会では、東京地裁判決の不当性と控訴審の展望について3人の弁護士が発言した。原告弁護団によると、171218に提出した控訴理由書では、「一審判決の間違い」に絞った主張を行ったという。



 李春熙弁護士は、「国がしていることは法律違反だ。国が朝鮮高校を排除した真の理由は、ハの削除で、これは明らかに政治的外交的な理由だ。しかし、東京地裁判決は国が規程ハを削除したことを無視した。一審では『規定ハ削除の違法性』をまったく議論していないので、控訴審で本格的に議論したい。裁判所が社会的な雰囲気に負けず、判断するようしっかり準備していく」と意気込みを語った。



 続いて発言した金舜植弁護士は、「裁きを受けるべきは文科省。最高裁まで見据えて、控訴審では緻密な理論を積み重ねていくことが大切だ。また、朝鮮学校が法令(私立学校法)に基づき、学校運営をしていることを補充していく」と語った。

 師岡康子弁護士は、「朝鮮学校における教育内容や生活を知らせていく。これらの最低限の事実を知ったうえで、裁判所には法律に基づいて判断してほしい。事実を見てもらったうえで、子どもたちを見てなお教育の機会を奪うのか、差別をしていいのかを問いたい」と訴えた。

  冒頭、韓国のドキュ創作所が制作した動画「海を越え、ウリハッキョを紹介します」が流されたが、とても好感を持てる内容で、読者の方々にもぜひ見ていただきたい。日本語、朝鮮語、英語版がそれぞれある。
  https://www.youtube.com/watch?v=Vfvf_AMwBPE

  前回の判決から約5ヵ月。この間も無償化差別を解消すべく、国際社会や日本社会への訴えが続けられてきた。



  国連に働きかけてきた在日本朝鮮人人権協会の朴金優綺さんは、第3回UPR日本審査で各国から差別是正を求める勧告が出されたことで、「日本政府による朝鮮学校の『高校無償化』制度除外が、国際人権基準に照らして是正されるべき人権侵害行為であることが改めて示された」とその意義を強調した。今年8月の人種差別撤廃委員会による第4回日本審査、9~10月の「子どもの権利委員会による第4回日本審査」の場でも国際世論を喚起していくという。



 長谷川和男・「東京朝鮮高校生の裁判を支援する会」共同代表からは、「朝鮮学校の子どもたちに笑顔を! 全国行脚」の報告があり、各地の子どもや保護者たちと出会う中で感じた思いを伝えていた。


 
 無償化を求める闘いは4月で9年目に突入する。

 東京朝鮮高級学校からは高2の2人が発言した。男子生徒は、「敗訴判決を聞き、怒りと悲しみが一気にこみ上げた。しかし、悲しんでばかりはいられない。どんなに踏みにじられても、パワーに変えた闘いの歴史がある。絶対に勝つという信念をもって、共に泣き、抱き合うその日までがんばり続けましょう」と訴えた。

 
  同日、「東京朝鮮高校生の裁判を支援する会」の2018総会が行われ、スンリ基金100万円が東京朝鮮中高級学校の愼吉雄校長に手渡された。

 最後、司会を担当した柏崎正憲さんが、「文科省は、不当な差別に子どもたちを巻き込んでいる。歴史を振り返らず、居直り、生徒たちを貶め続けているなかで、いくら平和や繁栄をうたっても、その平和に価値はない。いろんな場で訴えていこう」と呼びかけ、来場者のみんなで「声よ集まれ 歌となれ」を合唱した。 

 4年にわたる裁判を支えてきた「支援する会」は、「逆転勝利を目指して、これまで以上の取り組みを準備する」として、運動のウィングを大胆に広げることを課題に定めている。

  朝鮮学校や裁判への関心を喚起するため、今後も通信発行、学習会の開催、他の集会でのアピールなどを進めていく。無償化差別を知らせるパンフレットも新しく作られた。



 今日は金曜行動の日。東京朝高生も多数集まるという。現役の高校生を差別し続ける文科省は高校生の訴えに何を思うのだろうか。何かが響くと信じ、私も久しぶりに足を運びたい。(瑛)


日本軍性奴隷問題のイベント

2018-02-22 10:00:00 | (K)のブログ

 今日はイベントの紹介をしたいと思います。

 在日本朝鮮人人権協会 性差別撤廃部会が主催する「20184.23アクション いま、日本軍性奴隷問題と向き合う~被害者の声×アート~」です。
 性差別撤廃部会では、毎年423日に合わせて、いろいろな取り組みを行ってきました。今年のイベントの案内文を紹介します。

 「423日は、沖縄で日本軍の「慰安婦」=性奴隷を強いられ、朝鮮の解放/日本の敗戦後、朝鮮女性として初めて自らの被害を明かされた裵奉奇さん(1991年、沖縄にて逝去)の証言が『朝鮮新報』に掲載された日です(1977)
 私たち性差別撤廃部会は、昭和天皇の謝罪と朝鮮半島の統一を願った裵奉奇さんの存在を記憶していくために、423日を記念して、日本軍性奴隷問題について考えるためのアクションを毎年行ってきました。
 日本軍性奴隷問題が「解決される」として2015年に安倍・朴両政権下で発表された「合意」は、被害者を無視してなされた、国際人権基準に背く談合であったことが明らかになっています。被害者たちは今も、日本政府による事実の認定、真相の究明、公式の謝罪、法的な賠償、責任者の処罰、歴史の教育・記憶などを強く求めています。
 私たちはこのたび、真実と正義を実現しようとする被害者たちの声を伝え、今こそ日本軍性奴隷問題と向き合うために、この問題をテーマとした様々な催し物を行います。」

  今年は422日から23日にかけて、多彩な催しが行われます。

  まずはパネル展示「今こそ知ろう!日本軍性奴隷制」展。「日本軍『慰安婦』制度とは?」「慰安所は、誰が、どのような目的で作ったのですか?」など、日本軍性奴隷問題のキホンのキからわかるパネルを展示します。
 次にアート展示「日本軍性奴隷問題とわたし」展。朝鮮高校美術部の生徒や、日本の美術界で活躍する在日朝鮮人アーティストたちが作成した、日本軍性奴隷問題をテーマとしたアート作品を展示します。
 トークは 「日本軍性奴隷問題の現在~宋神道さん支援運動の中で見えてきたもの~」。日本軍性奴隷問題解決のために長年奔走されてきた梁澄子さんの話です。22() 15:0016:30
 歌とピアノの小公演も行われます(歌:Gisaeng(己生)、ピアノ:金成樹)。23() 19:0019:15

 私が最も期待している催しが2人芝居「キャラメル」。
 月刊イオ2月号の演劇特集に登場していただいたきむきがんさん(劇団トル)と洪美玉さん(東京演劇アンサンブル)による日本軍性奴隷問題を扱った二人芝居です。脚本はきむきがんさん(日時:①22() 17:0018:30、②23() 19:3021:00)。
 「在日バイタルチェック」でおなじみのきがんさんが、この問題をどのような脚本に仕上げるのか、二人がどのような舞台を見せるのか、興味はつきません。満席になるのは必至で、早く予約しようと思っています。


4.23アクションの詳細は性差別撤廃部会のフェイスブックページをご覧ください。https://www.facebook.com/HURAK.SCCP/
 行われる場所は西武武蔵関駅徒歩6分のところにあるブレヒトの芝居小屋(東京演劇アンサンブルの本拠地)です。ぜひご参加を。(k)


漫画全巻「大人買い」

2018-02-21 10:00:00 | (麗)のブログ

最近、久しぶりに漫画を「大人買い」した。
以前も20巻以上もある漫画をネットで注文し、夜中まで読みふけた。
以前買ったのは「GIANT KILLING(ジャイアントキリング)」というサッカー漫画。
サッカーが特段好きとか、漫画で知識を得たいとかそういう理由で買ったわけではなく、ただのミーハー心で買ったら見事にハマった。
(読んだとてサッカーが詳しくなるとかそういう事にはならなかったが)
かなり面白いのでご興味ある方は是非…!

今回買いたかった漫画は既刊が12巻ということもあり、この巻数だとすぐ読めるなという理由で全巻セットの購入ボタンをポチッと押した。
ちなみに、買ったのはいま話題の漫画「ゴールデンカムイ」。

毎日ゲラゲラ笑いながら読み進めている。4月にはアニメ放送も開始する(また私のオタク心が火を噴く…!)。

最近は漫画を買うこともゆっくり読む時間もなかったので、とても楽しい。
すべての音を消して漫画だけに集中する時間は自分にとって至福そのもの。

以前にも、このブログで何度か漫画の紹介をしたことがあるで、また再開したいな~とぼんやり考えている。(麗)

 


平昌オリンピック開会式をテレビ越しで見て

2018-02-20 10:00:00 | (愛)のブログ
平昌オリンピックが9日より開幕しました!
9日の開会式は珍しく夜に行われるということで、
リアルタイムで見られる絶好の機会ということで、
録画をしながらもテレビの前で早々に待機していました。
 
夜と言うことと屋根がない利点を活かした演出は本当に見事で、テレビの前で感動しっぱなし。
そして、
選手団の最後の行進で統一旗をはばたかせて、
北南選手合同入場行進を見たときの込み上げてくるあの熱い気持ちは、
何とも形容し難い位、感動的でした。
 
先日、NHKのあさイチという番組で平昌オリンピック前の韓国を二人のリポーターが訪ねるという企画をしていました。
録画をしておいて後でじっくり観たのですが、
朝鮮民主主義人民共和国が参加するという報道を受けどう思うのか、街行く人にインタビューする場面がありました。
その際、韓国の若者たちから「統一」という言葉がでてきたのが、
意外で、うれしく、同時に胸が熱くなりました。
 
この感動の根元は、
祖国分断という悲しさを、
身内から肌で感じてきた在日だからなのかも知れません。
 
日本の報道は相変わらず、上っ面だけのものが多くひどいものですが、
歴史的な流れの中での
この平昌オリンピックの平和と融和をテーマした全ては、
本当に貴重で感動的なものだと思いました。
 
イオの誌面でも詳しく4月号にて紹介する予定です!(愛)
※写真は開会式に参加した方からのお土産でもらったもの。
 
 
 

3月号、スタイリッシュな表紙に注目! 

2018-02-19 10:00:00 | (理)のブログ

 
 イオ3月号が完成しました! パッと目を引く表紙です。今月号のモデルは作編曲家の孫東勲さん。先月末に行われた「埼玉やきとり物語」では、音楽総合プロデュースと本番での指揮を担当しました。

 今年の表紙は、人物の印象的なポートレイトとその人を象徴するキャッチコピーという、これまでになかった表現方法を使ってデザインしています。毎号、どうやったらその人ごとの魅力を引き出せるか、編集部で意見を交わして撮影に臨みます。
 孫さんの場合は、「端正な顔立ちをしているからスタイリッシュなイメージに挑戦してみてもいいよね」という案が出たので、(麗)さんがそれに沿っていくつか構成を考えてくれました。

 撮影当日は、写真日和(http://shashinbiyori.com/)という、イオ編集部が常々お世話になっているスタジオにも協力してもらって色々なパターンにチャレンジ。
 最終候補にはスタジオで撮ったものと屋外(代々木公園近くの歩道橋の上)で撮ったもの、これまた全く印象の違う2枚が残りましたが、これまでにないドラマチックな構図がいい、とのことで冒頭の写真に決まりました。色味などのニュアンスは許相浩さんが綺麗に加工して下さいました。

 せっかくなので、もう一枚の写真も紹介します。


 

 さて、表紙以外にも3月号は見どころがいっぱい!

 特集は「みんなの子育て」。初めての子育ては、きっと手探りで不安いっぱいの日々だと思います。ほかの家庭がどのような子育てをしているか知ることで、共感や安心感、新たなヒントがあるかもしれません。今回は0~6歳の乳幼児とその親を対象に、産後に気をつけないといけないことや様々な悩みの対処法を紹介しています。特集の最後には、クスッと笑える育児マンガも載せました。

 特別企画は、「動き出した朝鮮半島」。平昌オリンピックを通じて、再び統一への一歩を踏み出そうとしている北南朝鮮。今回の対話で何が話され、なにが生まれようとしているのか―。また、これまでに北南朝鮮が歩んできた分断と対話の道のりはどのようなものだったか。朝鮮新報社の政治部記者が、厚みのある記事を執筆してくれました。

 他にも、▼阪神淡路大震災から23年目を迎えた今年、神戸市が主催する追悼行事で在日コリアンとして初めて遺族代表のあいさつを務めた崔敏夫さんの記事、▼日本全国67ヵ所にある朝鮮学校を行脚し、児童・生徒、保護者や同胞たちに大きな力を与えた長谷川和男さんの手記、▼250回分の「火曜日行動」(朝鮮学校への高校無償化適用と補助金支給を求めて大阪府庁前で毎週火曜日に行われているアクション)の図表を作った許玉汝さんのエッセイ、▼同胞歌劇「埼玉やきとり物語」の本番の日を追ったルポ、▼神奈川県の川崎・桜本にある小学校で、同校と川崎朝鮮初級学校の児童、ハルモニたちがキムチ作りを通じて交流した内容も掲載しています。

 連載も読みごたえがあります。今月号のイオもお楽しみください!(理)


結審先送り/大阪無償化裁判控訴審 第2回口頭弁論

2018-02-15 10:00:00 | (S)のブログ

 高校無償化裁判の一審で勝訴判決を勝ち取った大阪で、昨日、控訴審の第2回口頭弁論が行われた。

 同胞や日本市民、大阪朝鮮高校生徒など135人が傍聴席を求め列をなし、81の傍聴席が埋まった。

 

 前回の期日後、控訴人(国側)からは第1準備書面が提出された。内容は、高校無償化法などの具体的な法律よりも、主に“我々日本国民は~”ではじまる教育基本法の抽象的な理念を持ち出したもので、これに朝鮮学校は沿っていないため審査基準には適合しないと結論付けるようなものだった。

 

 弁護団はこれに対し、一部誤解されてはいけない主張などについてまとめた8ページほどの準備書面を提出し、引き続き結審を求めた。

 書面では、国側が、教育基本法が外国人学校にも全面的に適用されることを前提に主張を展開していることについて、「我々日本国民は」「国家をさらに発展させるため」「わが国の未来を切り開く教育の基本を確立するため」といったことが書かれた前文からすでに分かるように、教育基本法が「日本国民の日本国家を発展させるための法律」であり、そもそも外国人児童や生徒が通う外国人学校に全面的に適用されることを想定したものではないとした。

 また、教育基本法では「学問の自由の尊重」が強調されており、学校現場で教師の教育活動を縛ることができると解釈することはできないとした。

 教育基本法を持ち出し抽象的な論理を立てる国のおかしな主張に反論し、中には明らかに間違いに基づいた主張もあったためそれも指摘をした。

 さらにもう一点、雑誌『法学セミナー』に掲載された、2人の研究者による論文についても言及した。

 高校無償化制度からの朝鮮高校除外問題について、各地裁判決などを分析した論文で、2つとも大阪の一審判決が最も説得力があり妥当であること、高裁でもしっかりとした判断をすべきだという方向で書かれた論文だ。広島や東京での一審判決が妥当だという論文はどこにもないことにも触れながら、学園側は大阪での一審判決が控訴審で維持されるべきだと主張した。

 この日の法廷では、提出書面などの確認が行われ、特に陳述などは行われなかったが、裁判官から学園側と国側の双方に、一審でも議論してきた文科大臣の判断の「裁量権」についてそれぞれ補充して主張する点があるかと質問する場面があった。国側はこれに関する書面の提出を希望、学園側は議論はし尽くしたとして審議の終結を希望した。

 合議を行うため裁判官らが一時退室。7~8分後に戻り、国側の意向に配慮し次回もう一度期日を取ることが伝えられた。

 

 閉廷後の報告会でははじめに、金英哲弁護士がこの間の書面のやりとりについて説明した。期日が延びたことについては、「裁判官に判決を書くための準備がまだできてないのではないか。期日がまだ行われるため、こちらもその間に一審で主張した中心的な内容をもう一度主張していく」と話した。

 

 続いて丹羽弁護団長が発言し、文部科学大臣に「裁量はない」と言った全うな一審判決を、高裁がどう書くかが注目されていると説明した。

 「裁量権が無いと書くか、あっても限定的だとするか、もしくは広島や東京の判決のように広範な裁量権を認めてしまうか、今攻防戦をしています。一審での主張を整理し、一審判決も踏まえ、高裁で裁判官がこの判決に従うよう主張していく。仮に『裁量はない』とまで言わなくても、広範な裁量というのはありえない」。

 論理的な主張はもちろん、教育への介入である「広範な裁量」を容認することがいかに危険なことなのかということをアピールしていきたいとした。

 

 バレンタインデーの日に行われたこの日の裁判。報告会では大阪朝高オモニ会から弁護団へチョコレートがプレゼントされ、突然のサプライズに会場の雰囲気が和んだ。

 弁護団や学園理事長から次回後の裁判への決意が語られ、報告会が終了した。

 

 次回、控訴審の第3回口頭弁論は4月27日(金)15時から。おそらくこれが結審となる見通しだ。(S)


韓国社会と朝鮮学校~モンダンヨンピル通信

2018-02-14 09:57:01 | (瑛)のブログ



 平昌オリンピックが盛りあがるなか、ソウルから素敵な雑誌が届きました。

「몽당연필로 쓴 하나~조선학교와 함께하는 사람들(モンダンヨンピルで書いたハナ~朝鮮学校とともにする人たち )」の2号。

 朝鮮学校を支援するために生まれた韓国の市民団体「モンダンヨンピル」が結成されたのは2011年。北海道の朝鮮学校に密着した映画「ウリハッキョ」の金明俊監督や、俳優の権海孝さんらが中心となり、東日本大震災で被災した朝鮮学校の支援を始めました。現在もコンサートや学習会、グッズ販売に取り組みながら理解を広げています。







 2号目の特集は「抵抗」と銘打たれていました。「朝鮮学校高校無償化裁判」の現場ルポ、4月24日に70周年を迎える「4・24教育闘争」、大阪の民族学級の現状などで構成されています。4・24の目撃者・ペヨンエさんのインタビューや、大阪の民族学級が直面する課題がドシンと胸に響きます。



 朝鮮学校を知るための入門編の位置づけでしょうか。「在日同胞を深く知る」と題して、韓国で研究生活を送る学者のインタビューや、「ウリハッキョ学生たちの恋愛」、「食べ物で知る在日同胞の言葉」などのコラムもおもしろかったです。

 16年間、朝鮮学校で育った自分としては、「空気」のように感じていたことが、何も知らない人にはこう伝えるんだという新しい発見がありました。

 今、平昌には長らく入国を拒否されていた朝鮮籍の同胞たちが多数、応援にかけつけていますが、なぜ故郷に自由に入れないのか―。この疑問を解くべく「朝鮮籍同胞の入国拒否問題」もやさしく解説しています。京都の高麗美術館、金松伊さん作の絵本「なっちゃんがいく」や映画「60万回のトライ」など、文化情報も独自の視点が光っていました。

 今日、14日の15時から、大阪では無償化裁判の控訴審が行われます。

 「私たちを取り巻く環境はまだまだ厳しい。不安定な情勢と年々厳しくなるウリハッキョ…。しかしモンダンヨンピルの始まりのように、ウリハッキョの子どもたちのように、笑いながら明日を準備します」―権海孝さんは巻頭の発刊辞でこう綴っています。

 雑誌を読み終えたあと、「子どもたちに民族教育を―」という私たちの素朴な願いが海を越えて広がっていることに小さな希望を感じました。

 この雑誌が韓国の市民社会で読まれていくと思うと、イオの仕事が色んな人に届いていくようで、嬉しいです。(瑛)

横浜で朝鮮学校ツアー開催!

2018-02-13 10:00:00 | (理)のブログ

 2月10日(土)、神奈川朝鮮中高級学校と横浜朝鮮初級学校(ともに横浜市神奈川区)を一般開放して「かながわの朝鮮学校ツアー マンナミョ ペウミョ トブロ in YOKOHAMA」が行われ、近隣住民や一般市民など約230人が参加しました。



 同ツアーは、マンナミョ ペウミョ トブロ(만나며 배우며 더불어)=「出会う、学ぶ、ともに」を合言葉に、去年初めて開催されたイベントです。第1回目の会場は南武朝鮮初級学校(川崎市高津区)でした。

 当日10時。神奈川中高を訪れると、すでにたくさんの人が受付を済ませて授業参観をしていました。国語、日本語、算数、理科、音楽、社会、英語…。参加者は自由に校内を行き来しながら、児童・生徒たちが学ぶようすを楽しそうに眺めていました。



 中級部1年生の日本語の授業にお邪魔すると、生徒たちがなにやら発表していました。6つのグループに分かれて、神奈川中高の学校案内パンフレット作りをしたそうです。それぞれ、「学校の歴史」「学校生活」「授業の内容」「クラブ活動」「学校行事」「差別問題と日本市民との交流」をテーマに調査とまとめをし、特色あるパンフレットを作っていました。

 

 

 

 発表の準備を通して、自分たちが通う学校をよりよく知り、大切に思う気持ちを持つことができたという中1の生徒たち。同時に、初めて同校を訪れたツアー参加者にとっても素敵なアピールになりました。

 授業が終わって、参加者たちは体育館へ。ツアーのメインプログラムが始まりました。
 まず共同代表の関田寛雄さんと神奈川中高の金燦旭校長があいさつし、続いて佐野通夫さんが講演を行いました。



 講演に先立って佐野さんが取り出したのは、「兄弟国 朝鮮」という手づくりの紙芝居。朝鮮と日本の関係を、戦前・戦後の歴史を解説しながら分かりやすく伝える作品でした。これは岐阜県の小坂小学校で教員をしていた二村さんという方が1975年に作ったものだそう。
 佐野さんが紙芝居を入手したきっかけは、旺文社が主催する全国学芸コンクールで賞をもらった一編の詩でした。




 素朴な言葉だけで紡がれた詩。作者の純粋な気持ちが伝わってきます。佐野さんはこの詩に感動して、「よろこびの声」に名前が出ていた二村先生宛てに手紙を書いたそうです。するとお返事の手紙と一緒に送られてきたのが先ほどの紙芝居。とても素敵な先生だったのだなと察します。
 紙芝居の紹介のあと、佐野さんは植民地の歴史から始まり、今に連なる在日朝鮮人の歴史を易しく説明されていました。

 講演が終わると、高校生によるリレートーク「私たちが私らしく生きるために」が始まりました。朝鮮学校の高級部生と日本の高校生が2人ずつ登壇し、司会の質問に答えながら自身の経験を交えながら意見をのべていました。

 「小さい頃から朝鮮学校のことを知っていたので悪いイメージはなかったが、友達と話していて、多くの人は悪い印象を持っていることに驚いた。なんで日本で生まれ育っているのに朝鮮人というだけで差別を受けるのか。文化の違い、他者との違いを理解しようとする姿勢が重要だと思った」(日本の高校1年生)

 「生活の中で自分が直接他人から差別を受けたことはあまりなくて、悪い意味で差別慣れしていた。和光高校と1年間の交流をしてみて、『最初は、朝鮮学校と聞いただけで嫌な気持ちになった』という人もいて、初めて悲しい気持ちになった。日本社会の中で自分の学校名を明かすことが言いづらくなったこともあったが、理解を広めるためにも今後はアピールしていきたい」(神奈川中高2年生)

 「私の高校には制服がなく、服装も髪の色も自由だが、見た目だけで批判的なことを言われたりすることがある。差別というのは相手を知らないから起きるものだと思う。勝手なイメージや、身の回りの他の物とは違うという意識から生まれるものではないか。そこに日本人の集団意識も絡んでいる。相手を知ろうとすること、そして自分のことを知ってもらおうとする行動が大切だと思う」(日本の高校3年生)

 「高校無償化からの排除や補助金の停止といった国からの差別を受けて、実践的に外に出て活動することが増えた。署名運動や『金曜行動』(高校無償化適用のため、毎週金曜日に文科省前で行われているアピール)に参加している。自分たちが自分らしく生きていくためには、まず自分が一生懸命動くことが大切だと思う」(神奈川中高2年生)

 気持ちが明るくなるような、希望を感じられる内容でした。「他者を知る、相手を知る、知らなかったことを知っていく、一歩でもいいから行動することの大切さを学んだような気がします。ここにいる子どもたちや在日朝鮮人だけではなく、私たちみなが問われていることだと思います」という司会の呼びかけに、会場からは拍手が送られました。
 また、佐野通夫さんは「先ほど朴勇大さんが『まず自分(在日朝鮮人)が行動しないと』と言ったが、日本人がもっと真っ当になればやらなくてもいいことを在日の人たちがやっているということをもっと考えるべき。現代の朝鮮人に対する差別は非常に観念的。マスコミが植えつけていることを聞くだけで知ったような気になって、実際に会ってもいないのに嫌悪感を持つ。すごく怖いこと。もっとたくさんの人が朝鮮学校とそこで学ぶ子どもたちに出会ってほしい」と、さらに力強く語りました。
 「今の日本社会に蔓延している在日朝鮮人への差別意識は観念的なもの」という言葉にはハッとさせられ、同時に深く頷きました。



 昼食の時間は、学校のオモニ会がスープを作って参加者にふるまいました。他にも教科書の展示や朝鮮の民族打楽器体験など、朝鮮学校や朝鮮民族の文化を紹介するブースも設けられ、参加者は興味津々なようすでした。



 

 児童・生徒による歓迎公演もあり、客席からは「わぁ」「きれいだねえ」と、感動の声が漏れていました。

 



 最後に、参加者らがグループごとに輪になり、この日のツアーを通して感じたことを共有する懇談会が開かれました。

 

 

 朝鮮学校の教員や学校をよく知る支援者、朝鮮学校の生徒、日本の高校生、そして一般市民たちもごちゃ混ぜになり、自然とさまざまなテーマで話し合いが広がっていきました。差別のこと、在日朝鮮人のこと、朝鮮学校のこと、ヘイトスピーチのこと、日本社会のこと、韓国に留学したことのある日本人が自身の経験を話したり、初めて朝鮮学校に来た人が率直な感想を話したり…。

 「今まで『朝鮮』という言葉になぜか分からないけれど抵抗感があった。韓国という言葉にはそんなことないのに。なんでだろう、その理由を知りたくて、勉強しようと思ってここに来た。実際に来てみて、朝鮮高校生たちが修学旅行で行った平壌の写真なども見ることができて、『平壌に入れるの!?』っていう質問もしたり、とても面白かった。今では朝鮮への抵抗も全然なくなった。今までは遠かったのかな、でも今は近づいたのかな、もっと知りたいと思った」

 「この前、朝鮮学校の美術部展に行くことがあったんですが、生徒たちが常に作品の横にいてプレゼンしてくれるのがすごく良かった。作品を通して真実を語っていて、どうしてこうも自分をしっかりと表現できるのかな?と感動した。子どもがあんなに自主的になれるなんて。どういう教育をしたらこんな子たちが育つんだろうと感じました」

 「人と出会って、そこで自分が感じたもの以上に疑いようのないものはない。来年、ここに自分だけじゃなく他の人も連れてきて、出会いを広げていくことが大事だ」

 「自分が高校生の頃にこういう交流があればいいのに、と羨ましくなった」

 ―老若男女問わずみなが目線を合わせてお互いのことを話す、とても柔らかい空間でした。

 神奈川中高の金燦旭校長は、このツアーを実施する目的について「朝鮮学校について知ってもらうというのはもちろん、なによりも楽しんでほしいという気持ちがあった。朝鮮学校の楽しい日常を味わって帰ってほしい。そうすればもっと知りたいと思うだろうし、実際に人と出会うことで、テレビで朝鮮に対する一面的なニュースをやっていても、ちょっと違った視点で見ることができるはず。なにかの行動につながるかもしれない」と話していました。

 市民たちが出会う場、それもゆっくりと言葉を交わせる場というのは今まであまり無かったのではないでしょうか。いろいろな可能性が芽生えそうな、素敵な試みだと思いました。ツアーは今年で2回目を迎えましたが、来年以降も続けて、県内の全ての朝鮮学校をまわる予定とのこと。きっと、もっと多くの人が参加してくれることでしょう。

 今回のツアーの内容はイオ4月号でも紹介します。(理)

メルバンさんを助けたい

2018-02-10 09:00:00 | (理)のブログ

 本来、土曜日は日刊イオを更新する日ではありませんが、きのう見聞きしたことをどこかで発信したかったので、とりあえずはここで書いてみることにしました。

 昨日、東京入国管理局(品川)へ行きました。下の記事をネットで見つけてショックを受けたからです。

●新婚女性を拘束、吐血・痙攣しても薬を与えず、口封じの脅迫―東京入管の難民虐待が酷すぎる
https://news.yahoo.co.jp/byline/shivarei/20180207-00081337/

 この記事を読んでもらうのが一番早いと思うので、できれば多くの人に直接読んで知ってもらいたいのですが、念のために内容を書くと、幼い頃に渡日して以降、ずっと日本で育ったクルド人のメルバンさんという女性が、なんの理由もなしに突然、東京入管に収容されてしまったという事件です。収容されたのは去年の11月27日。現在22歳のかのじょは新婚で、結婚から半年も経たないうちに夫と引き離されてしまいました。
 あまりにも信じられないような記事の内容にいても立ってもいられなくなり、また、この記事を知るきっかけとなったツイート文の「入管はメディアからのプレッシャーに弱いのです」という言葉に引っ張られ(https://twitter.com/reishiva/status/961409454464892928)、メディアに関わる人間として、なにかしないといけない、なにかできるのではと思い立ちました。
 まずは記事を書いた志葉玲さんという方に連絡をしてみました。聞くと、だれでも面会が可能だといいます。

 急でしたが編集長に行きたい旨を伝えると、「在留管理制度は在日朝鮮人とも関係の深い内容だからね。自分も2011年に難民問題を取材して、4回にわたって連載したよ」とのこと。さっそく探して読んでみて、日本国内でこんなに深刻な人権蹂躙が横行しているのに、私はなにも知らなかった、いや知ろうともしなかったな…と打ちのめされました。
 編集長は、志葉さんの記事でツイートを引用されていた支援者の織田朝日さんという方とも取材を通して面識があり、連絡先を教えてくれました。7年前の番号だから通じるかな…と思いつつ、駅に向かいながら電話をしてみると出たのはご本人。なにかアドバイスをもらいたく、「志葉さんの記事を読んでとても気になったからメルバンさんと面会したい」と伝えると、まさにいま自分も入管へ向かっているとお返事が! 一緒に面会できることになりました。物事が一気に進み、ありがたく感じました。
 前置きが長くなりました。

 面会の申請を済ませて順番を待っている間に、織田さんが色々なことをかいつまんで教えてくれました。
 まず収容所に入れられている外国人について。現在、東京入管には約600人の外国人が収容されているそうです。いわゆる難民が大勢収容されているわけですが、日本は1981年に難民を受け入れる国際条約に加入しています。
 「収容されるのかどうか、仮放免になるのかどうか、特別在留許可がおりるのかどうか…など、すべてにおいて基準がなく、入管側の恣意的な判断で決まる。そして理由を明かさない。そのことも難民たちを非常に不安にさせている」(イオ2011年4月号「ルポ・抑圧され排除される難民たち②」より)とあるように、難民たちは常に不安を抱きながら生活しています。
 そもそもの問題として、「難民」とは、さまざまな理由で迫害を受け(それも政治や宗教という自分たちには原因のないことがほとんど)、それまで暮らしていた国から逃げてきた人たち。ただでさえ苛酷な状況に置かれた社会的弱者を、なぜ「収容」するのでしょうか。
※難民については、こちらに詳しく書いてあります→「難民にまつわる8つのよくある質問」(https://www.refugee.or.jp/jar/report/2016/04/15-0000.shtml

 また、収容所内での処遇にもやはり大変な問題があると聞きました。メルバンさんは女性なので直接的な暴力はないらしいですが(しかし上の記事にもあるように、パニック障害を緩和させるためにいつも服用している薬ですら与えられず、身体が痙攣しても血を吐いても放置されている)、男性の場合はちょっとしたことで普通に職員から暴行されるといいます。
 実際に織田さんも、収容されている知人男性と面会した時に、顔にひどい痣があるのを目撃したと話していました。「その人は顔から床に叩きつけられて、数人がかりで腕をねじり上げられ、『息ができない』と言ってもしばらくやめてもらえなかったみたいです。職員が制圧しにくる時って、手袋をきゅっとはめ始めるみたいで、それを見ると『来る』と思うんだそうです」―。言葉が出ませんでした。「ちょっとしたこと」というのも、朝の点呼を拒否するという程度の、本当にちょっとしたことなのだそうです。
 「朝の点呼というのは、地べたに座らせられるみたいなんですね。それで全員の点呼が終わるまでじっとしていないといけない。感情を無にして、なにも考えないようにすればどうってことないんでしょうが、悪いことをしていないのに刑務所のような処遇を受けて、屈辱的に感じる人ももちろんいますよね。『納得いかない、こんなのおかしい』と思い始めると気持ちが狂っちゃう。それでちょっと逆らったくらいのものですよ」。拷問と一緒だな、と思いました。
 「刑務所に5年入っていた日系の外国人が入管に来て自殺した。刑務所よりもひどい。『ここは日本だよ。日本のやり方でやる。国に帰らせる』といつも職員が脅迫する。気の弱い人には大きなストレスになる。そして自殺する」(イオ2011年3月号「ルポ・抑圧され排除される難民たち①」より)ともあります。

 他にも理不尽な話をたくさん聞きました。ある男性が、収容されている妻に生花を差し入れてあげたくても許可されず、仕方なく折り紙を差し入れたことがありました。妻はその折り紙で立体的な花を作って夫に渡そうとしたのですが、これも職員によって却下されました。理由を聞いても答えない、ただただ「ダメ」だと言うのです。そのような小さいことはいくらでもあると織田さんは教えてくれました。
 「なんでそんないじめのようなことをするんですか?」と織田さんに聞くと、「どうしてだろうと私も思うけど、昔からそうだったから。中には楽しんでやっている人もいますよ。外から見えないから、いくらでも好きなことができるし」と悲しくなる言葉が返ってきました。
 入管で働いている人たちがなにを考えているのか知りたくて、織田さんはよく職員個人に話しかけるそうです。「色々話してみて思うのは、考えることをしない人が多い感じはします。『これはおかしいんじゃないか』と疑問に思わない。『仕事なので、ルールなので、法律なので』の一点張り。ルールってなんのルールですか?と聞き返すとなにも答えられないんですよね」。そんな人たちが、しかし人間を管理する立場にいる。聞けば聞くほど、もどかしく思います。

 織田さんが難民の支援に携わるようになったきっかけを聞いていると、面会の順番が回ってきました。私たちの前にメルバンさんと話していたのは、面会ボランティアの佐藤さん。「面会ボランティア」という存在も初めて知りました。
 佐藤さんにあいさつし面会室へ向かうと、ガラスの向こうにメルバンさんが現れました。目の下には深いクマがあり、かのじょが安眠できていないことを物語っていました。メルバンさんは織田さんに収容所内での近況を報告したあと、私にも色々と話をしてくれました。
 「私も前は友達の面会で、今あなたが座っている方に来ていました。その時も友達が心配だったけど、自分が収容されてみて、この辛さは中に入ってみないと分からないと感じました。本当に、中に入れば分かる。特に夜中が本当に辛い。家族は大丈夫かな、私はどうなるんだろうといつも心配になる。弟も大きくなってきていて、20歳になったら私のように収容されるのかもと不安でたまらない。弟は日本で生まれ育って、ずっと日本の学校に通って、悪いこともしていないのに、ビザがないからどうなるか分からない」
 20歳になる前は収容されない、日本で生まれ育ってもビザがもらえない、私はあまりにも知識不足で、メルバンさんの話をどうにか追うのに必死でした。
 「それでも今、ISSJ()の人が私を出してくれようとしている。私が勉強して通訳の仕事ができるようになったらビザもおりると言ってくれた。だから私は今、それを実現させようと決心している。トルコ語とクルド語と日本語を使って通訳の仕事がしたい。ビザもほしいけど、困っている人たちを助けたいから。日本にいるクルド人は、トルコ語も日本語も分からない人が多い。クルド語の通訳ができたら、助けられる人がたくさんいると思う。もし私がここを出られたら、次に入管に来る時は困っている人たちを助けにきます。日本で生まれたけどビザのない子どもたちのために、なんの罪もないんです、そんな子たちを助けるために頑張りたい」

 面会時間の30分はあっという間に過ぎました。私は言いたいことがたくさんありましたが、「また来ます、私の周りで伝えられる人に、できるだけたくさん伝えます」と約束して部屋を出ました(織田さんは子どものお迎えがあるため先に退室していました)。そうして今、この記事を書いています。

 織田さんは、難民支援を始めた2004年当初から、「なにも変わらないんだろうな」という絶望感を抱いていたといいます。「実際どうですか? 変わらないどころか、その時よりもっと悪くなってる」。
 イオの該当記事にも、「イラン人のジャマルさん(42)は、『私は91年に日本に来たが、その間、日本の入管行政はまったく改善されていない。収容所で人が死んでも、仮放免者が生活できなくて苦しんでいても、まったく責任を取ろうとせず、そんな状態を放置したままだ。闘わなければ何も変わらず、自分自身を守ることはできない』と訴える」とあります。そして、これが掲載されたのは2011年のこと。現状の変わらなさに気が遠くなります。
 しかし、織田さんは「でもそろそろなにかしないとね」と気を引き締めるように言っていました。なにをしても効果がないのではないかという絶望感を味わいながらも、14年間、支援をやめずに続けていることは本当にすごいことだと思います。

 「いろんな家族がこの中(収容所)にいて、いろんな問題があるので、問題がありすぎて混乱しちゃうので、志葉さんも今、メルバンさんに絞って発信しているのだと思います。メルバンさんよりひどい処遇を受けている人もたくさんいます」と、織田さんは話していました。
 そう、可視化されていない問題、声を上げられない人が、まだまだ大勢いるのだと思うと眩暈がします。ただひたすらにこの問題を拡散して、世論を喚起しないといけないのだと感じました。
 「入管に変化をもたらしたのは、間違いなく当事者である外国人とその支援者たちの闘いの結果である」(イオ2011年6月号「ルポ・抑圧され排除される難民たち④」より)と、わずかではありますが処遇が改善された例もあります。
 織田さんが所属しているSYI(収容者友人有志一同)という団体は、メルバンさんを早急に解放するよう、FAXや電話で入管に訴える運動を地道に行っています。私も以下に番号を載せますが、一人でも多くの行動につながれば幸いです。

東京入管:FAX(03-5796-7125)、電話(03-5796-7111)

 ただ一つ問題は、この文章がとんでもなく長くなってしまったこと。伝えたいことはたくさんありますが、内容が長すぎて逆に面倒くさく感じられてしまったら…と心配にもなります。
 問題意識を持てるか持てないかの違いは、どこまで自分と引き寄せて考えられるかというところにあるんじゃないかなと思います。私は去年、愛知県にあるフィリピン人学校を取材したことが大きかったです。屈託のない笑顔を向けてくれた子どもたちの中にも、日本での立場が不安定な子がいます。今回の事件は、あの子どもたちの身にも起こりうることなのかなと考えると、とても恐ろしくて我慢できませんでした。
 個人的にこのフィリピン人学校の取材も、学ぶこと、考えさせられることが本当に多くて、取材後、人生が変わるような出会いをしたなと思ったものです(その学校のことも日刊イオで書きました→http://blog.goo.ne.jp/gekkan-io/e/c80ffca2df6d563c2c673f25276fbd7b)。
 「人生が変わるような」というのは自分でもちょっと大げさな表現かなと思い直したりもしたのですが、この取材をしていなかったら、もしかしたら今回のこの難民のニュースにも関心が向かなかったかもしれないと思うと、やっぱりとても大切な経験だったなと。
 これを機に、難民について少しずつ勉強して、行動・発信を続けられる人になりたいと思いました。(理)

平昌五輪、いよいよ今日!

2018-02-09 10:00:00 | (麗)のブログ
昨日、イオ3月号の締切を無事終えました。
そして、(K)さんも昨日書かれていた通り、いよいよ今日の夜に平昌五輪の開幕式が行われます。

いま何かとテレビで話題となっていますが、朝鮮選手団もその内のひとつ。
日々盛り上がりを見せている様子を目にし、私の中の期待値は静かに上がっています。

北と南の選手たちが統一旗を掲げ入場する今回の開幕式。これほど喜ばしいことはないです。

2000年シドニー夏季五輪の合同入場も、ニュースや誌面で見たことはありますが、
当時リアルタイムで見ていたのかは正直、記憶は曖昧です。

その歴史的瞬間を見られると思うと、とても感慨深いです。
締切も終わり、清々しい気持ちでしっかり見届けたいです!(麗)

平昌五輪と釜山アジア大会の思い出

2018-02-08 09:44:04 | (K)のブログ


 平昌五輪の開会式が明日の夜に行われます。昨年まではほとんど関心のなかった五輪でしたが、がぜん注目しています。個人的には特に、統一チームが実現した女子アイスホッケーの活躍に期待しています。
 競技だけでなく、北からの芸術団、応援団などの活動と南の人たちとの交流、総聯応援団の動向など、見所が多すぎです。特に、これまでで最もレベルの高い人物、最高人民会議常任委員会の金永南委員長が朝鮮の高位級代表団の団長として南を訪問します(文大統領との会談があるのか)。

 北の芸術団は6日、万景峰92号に乗って韓国の江原道東海市墨湖港に入りました。大会期間中、船がホテル代わりとなります。万景峰92号が韓国に入るのは、2002年9月の釜山アジア大会以来のこととなります。南のハンギョレ新聞は、「5611日ぶりに入港」と伝えています。もう16年も経ったのですね。

 釜山アジア大会は、当時、現地で取材しました。万景峰92号が釜山に入港・出航した時もその場にいました。その時は「美女応援団」として有名になった北の応援団が船で来て生活したのでした。
 釜山市民をはじめとする南の人たちの歓迎ぶりはすさまじく、帰るときには北の応援団も涙を見せていました。取材するこちらも胸が熱くなったものです。当時の写真を何枚か紹介したいと思います。
 まずは入港時。





 次に出航時の写真です。






 2000年の6.15共同宣言から2年、北南の交流がどんどん進んでいる夢のような時代でした。

 今回の平昌五輪での北南の和解と交流が、これからどんどんと進んで行き、当時のような時代がまた来ることを願っています。五輪での選手たちの活躍や応援団、芸術団などの活動については、月刊イオ4月号でお伝えします。(k)