日刊イオ

月刊イオがおくる日刊編集後記

新年、池上本門寺へ

2019-01-11 10:00:39 | (相)のブログ
 新年、明けましておめでとうございます。
 새해, 복많이 받으세요.
 
 ということで、新年1回目のブログ更新となりました。
 2019年最初の取材で池上本門寺へ行ってきました。

 

 

 日蓮宗の大本山として名高い池上本門寺の住所は東京都大田区池上1-1-1。まさに地域の1丁目1番地です。
 本門寺の名前自体は知っていたものの、訪れるのは今回が初めて。お寺そのものに対する取材という意味合いは薄かったのですが、せっかくの機会ということで、今回の取材をコーディネートしていただいた某氏の案内で各所を見て回ることにしました。
 印象深かったのが、日本や朝鮮の近現代史の表裏を彩った人々の墓や碑石が数多くあったこと。
 まずはプロレスラー・力道山の墓所。これ以上なにか言う必要がないほど有名な方なので説明は省略します。
 
 

 

 岡本柳之助の墓もありました。岡本は1895年、当時の日本公使の三浦梧楼が主導して朝鮮王朝の王妃だった明成皇后(閔妃)を景福宮で殺害した「乙未事変」の実行部隊の一員だった人物です。
 ほかに、児玉誉士夫、町井久之といった裏社会系の大物たち、自民党の大物政治家・大野伴睦などなど。限られた時間の中で見て回ったので、当然ながらほかにもっと多くあります。

 

 「シンガポール チャンギー殉難者慰霊碑」にも足を運びました。第二次世界大戦後、連合軍によってBC級戦争犯罪人とされた日本の軍人軍属の裁判がシンガポールのチャンギーで行われ、日本人として戦争に動員された多くの朝鮮人も死刑や長期の有期刑に処せられました。石碑の裏面に刑死した人物の名前が刻まれていて、朝鮮半島出身者の名前も見つけることができます。

 昨年、NHK大河ドラマ「西郷どん」が話題となりましたが、本門寺は西郷隆盛が率いる倒幕軍が江戸城総攻撃に向けて本営を置いた場所としても知られています。1868年4月、西郷隆盛と勝海舟が江戸城明け渡しのための会見を行った場所も残っています。

 小一時間の歴史探訪だったのですが、今度、あらためて時間を取ってゆっくり見て回るのもいいかもしれないと思いました。(相)
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2018年映画ベスト10

2018-12-26 10:00:00 | (相)のブログ
 2018年も残すところあと6日。
 今回でブログ「日刊イオ」の私の今年の更新も最後だ。
 1年を振り返る文章を書こうと思ったが、なかなか筆が進まない。
 昨日、イオ編集部の忘年会が都内某所で行われたが、そこで今年観た映画の話で盛り上がった。帰り道や帰宅後にスマホ内のデータを見ながら今年自分がどんな映画を観て本を読んだのか振り返ってみた。
 ということで、2018年に観た映画ベスト10を発表して今年最後のエントリを締めくくろうと思う。今年、日本で劇場公開された映画の中から順不同で選んだ(DVDで観賞したものも含む)。

 タクシー運転手 約束は海を越えて
 1987 ある闘いの真実
 アベンジャーズ インフィニティウォー
 ブラックパンサー
 カメラを止めるな!
 スリービルボード
 シェイプ・オブ・ウォーター
 グレイテスト・ショーマン
 私はあなたのニグロではない
 デトロイト

 作品ごとの短評は省略。そもそも、観た絶対的な作品数が少ないというのもあって、意外性のない平凡なセレクトになってしまったかもしれない。

 来年もよろしくお願いします。(相)
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イオ2019年1月号が完成しました

2018-12-17 10:00:00 | (相)のブログ
 

 イオ2019年1月号が完成しました。
 特集は、「ソウルに平壌が来た!」です。すでに本ブログでも報じたとおり、南のインターネットメディア・民プラス、朝鮮民主主義人民共和国の朝鮮6.15 編集社、日本の朝鮮新報社による共同写真展「평양이 온다(平壌が来る)」(主催=同写真展推進委員会、6・15共同宣言実践南側委員会)が12月3日から5日までソウル市内で開催されました。南・北・海外の同胞メディアが共催する写真展は朝鮮半島分断以来、初めてのことです。イオ編集部からも編集部員2人が訪韓し、同写真展を取材しました。写真展以外にも現地でさまざまな個人、団体をたずねて取材したのですが、本特集ではその取材成果をまとめました。写真展で展示された写真の一部も紹介します。
 韓国現地取材の内容は2月号にも掲載予定です。

 特集のほかにも、全国高等学校ラグビーフットボール大会に4年ぶり10度目の出場を決めた大阪朝高ラグビー部、全国高校サッカー選手権大会東京都予選の準決勝で惜しくも敗れた東京朝鮮高級学校サッカー部のたたかいを追った記事、愛知朝鮮中高級学校創立70周年記念祝典、各国オリンピック委員会連合(ANOC)総会に参加するため11月下旬に日本を訪れた朝鮮民主主義人民共和国の金日国体育相へのインタビュー、2017~18年にかけて連載した「日本の中の外国人学校」を締めくくる担当記者座談会など盛りだくさんの内容となっています。
 そして、1月号から「グラビア KOREA」「よってって!トンポトンネ」「2世と作る朝鮮料理」「となりのトンポたち」「お助け とんぽライフ」「最高の失敗」「ジャーナリストの視点」「名文で読むウリマル」「私のアボジ」など新しい連載もスタートしました。こちらのほうもぜひご注目ください。(相)
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『スパイネーション 自白』と『조국이 버린 사람들』

2018-12-07 10:00:00 | (相)のブログ
 

 公開中の韓国映画『共犯者たち』(2017年)と『スパイネーション 自白』(2016年)が話題だ。
 ともにジャーナリスト・崔承浩さんが監督したドキュメンタリー。『共犯者たち』は2008年からの李明博、朴槿恵両政権の約9年間にわたる言論弾圧の実態を告発した作品で、『スパイネーション 自白』は韓国・国家情報院による「北朝鮮スパイ」捏造事件の真相を暴いた作品。両作品とも2012年に公営放送局MBCを不当解雇された崔監督(現在はMBC社長)と、同じく放送局を解雇された記者らと立ち上げた非営利独立メディア「ニュース打破」取材班による調査報道が基になっている。
 今年6月になかのZEROで行われた上映会で『共犯者たち』を鑑賞済みだったので、今回は未見の『スパイネーション 自白』を観た。本作品も『共犯者たち』と同様、良質なドキュメンタリーで、一見の価値ありと勧められる。
 作品の白眉は、1960~80年代(とくに70年代)にかけて起こった「在日韓国人留学生スパイ事件」を取り上げた箇所だろう。これまでの取材でお会いしたことのある被害者の方々も何人か登場している。
 本作品を鑑賞するためには、事件に対する理解が不可欠だが、代表的な参考書籍として『조국이 버린 사람들 재일동포유학생간첩사건의 기록』(김효순 지음, 서해문집, 2015)がある。著者の金孝淳は「ハンギョレ新聞」の初代東京特派員。事件の全貌と歴史的背景に迫ったルポルタージュ、反共軍事独裁政権下で犯されたおぞましい人権弾圧の証言集となっている。
 本書を出版当時に読んだが、映画の公開を前に再読してみた。11月に日本語版、『祖国が棄てた人びと─在日韓国人留学生スパイ事件の記録』(金孝淳著、石坂浩一監訳)が明石書店から出版されている。(相)



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朝鮮と出会う旅・石川編④

2018-11-29 10:00:00 | (相)のブログ
 イオ2018年12月号特集に掲載された『朝鮮と出会う旅』の拡大版をブログで3回にわたって続けてきたが、4回目の今回が最後になる。

 金沢から羽咋→福浦港→能登金剛→七尾→能登島ときて3日目の晩に金沢へ戻ってきた。

 

 金沢は紅葉の直前の時期だった。

 4日目は、金沢市内の野田山墓地へ朝鮮の独立運動家・尹奉吉(1908-32)の暗葬跡地を訪ねた。

 

 尹は、日本の植民地支配に抵抗し、1932年4月29日、中国・上海での日本陸軍の式典で爆弾を投げ、日本軍将校らを死傷させた人物。上海新公園(虹口公園)で爆弾を投げた尹奉吉は直ぐに逮捕され、上海派遣軍軍法会議で死刑の判決を受け、日本に移送されると大阪陸軍衛戍刑務所に収監された。その後、金沢に移送され、12月19日に第九師団三小牛作業所で銃殺された。遺体は野田山陸軍墓地と一般墓地との間にある、一般人が往来する通路に「暗葬」された。金沢に連れてこられたのは、上海派遣軍の主力部隊だった第9師団が金沢に駐屯していたからだ。
 1945年8月15日、朝鮮が解放されると、尹の遺体は在日本朝鮮人連盟(朝連)所属の同胞らの手によって翌46年3月、処刑後13年ぶりに発掘され、祖国へ帰った。
 その後、1992年に故・朴仁祚さんら有志によって暗葬の跡地が整備され、尹奉吉義士殉国祈念碑も建てられた。
 現在は尹奉吉義士暗葬地保存会の朴賢沢さん(74)が跡地の保存・管理を行っている。朴賢沢さんは故・朴仁祚さんの親族だ。この日、雨の降りしきる中、貴重な史料を駆使した詳細な解説つきで跡地と祈念碑一帯を案内してくれた。

 

 恥ずかしながら、尹奉吉が金沢の地に眠っていることを今回初めて知った次第だ。

 そして、石川への旅の締めくくりとして玉泉園を訪れた。
 玉泉園は、日本三大庭園(日本三名園)にも挙げられるかの有名な兼六園のすぐ隣にある。なぜここを旅の最後の目的地として選んだのかというと、玉泉園を造った脇田直賢(1586-1660)という人物が、今から420年前に朝鮮半島から連れてこられ、加賀藩で金沢町奉行にまで上り詰めた数奇な運命の持ち主だということを地元新聞の記事で知ったからだった。

 

 脇田直賢の幼名は金如鉄という。現在の韓国・ソウル市に生まれた。7歳のころ、「壬辰倭乱」(豊臣秀吉の朝鮮侵略)で父親が戦死。如鉄は秀吉の家臣・宇喜多秀家によって岡山に連れてこられ、その後、金沢の前田利家のもとへ移ってきた。前田家に育てられた如鉄はやがて前田家の二代目藩主・利長の家来に。それから家臣の脇田家に婿入りし、直賢を名乗るようになったという。
 当時、秀吉の朝鮮侵略の際に捕虜として日本へ連れてこられた朝鮮半島の人々は少なくなかった。陶工の話は聞いたことがあったが、脇田直賢については今回初めて知った。
 玉泉園には立派でひときわ目を引く朝鮮五葉松がある。これは、故郷をしのぶため、直賢父子が朝鮮半島から苗木を取り寄せて植えたものだと伝えられている。
 直賢は晩年、名前を如鉄に戻したという。海を越えた異郷・金沢での暮らし。直賢の胸にはどのような感情が去来したのだろうか―。直賢が植えた朝鮮五葉松を見上げながら400年前に思いをはせてみた。

 

 ちなみに、玉泉園は現在、脇田家の手を離れて売却され、西田家の手に渡っている。

 今回をもって、「朝鮮と出会う旅・石川編」のブログ連載を終えたい。お付き合いいただきありがとうございました。(相)
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朝鮮と出会う旅・石川編③

2018-11-27 10:00:00 | (相)のブログ
 「朝鮮と出会う旅」をテーマにした石川・能登半島紀行の報告も今回で3回目。
 福浦港・能登金剛、神社巡りに続く3日目は、七尾湾内に浮かぶ能登島に朝鮮半島式の古墳を訪ねた。
 石川県内では朝鮮半島と関係のある古墳がいくつか発見されているが、能登島の南に位置する須曽蝦夷穴(すそえぞあな)古墳もそのうちの一つ。
 前日、神社巡りをした後(前回のエントリを参照)、和倉温泉駅近くの古びたビジネスホテルで一泊(温泉街の中の高級旅館ではない)し、翌日は古墳へ向けて午前中の早い時間から動くことにした。
 古墳のある能登島へは能登島大橋を渡ってから行く。能登島大橋は全長1050m、石川県でもっとも長い橋だという。
 移動手段としてはレンタカーがもっとも適しているのだろうが、ペーパードライバーになって久しい筆者は車を断念。かわりに、地元の観光協会のレンタルサイクルを利用することに。たいした道のりではないだろうと勝手に想像し、前方に荷物かごがあるギア付き自転車(いわゆる、ママチャリ)をチョイス、職員にその旨を告げた。目的地を聞かれたので「能登島まで」と答えると職員の表情が一変、「アップダウンきついですよ」と言外に電動アシスト自転車を勧めてきたが、なぜかそのままママチャリを選択し、いざ出発。
 
 

 しかし出発して10数分、橋の入り口に立った瞬間、自らの決断を後悔することになった。橋上からの景色はすばらしかったが、橋の傾斜は自転車で進むにはかなりきつい。

 

 能登島に入ってからもアップダウンはさらに続いた。仮に電動アシスト自転車であっても結構きつかっただろう。全身の筋肉をプルプルと震わせながら周囲長およそ72kmの島中を進む。

 
 自転車で橋を爆走し、山道を登ること約1時間。標高80メートル、七尾湾を見下ろす丘陵に国史跡・須曽蝦夷穴古墳はあった。

 

 

 古墳の前にたてられた解説板には次のような説明が書かれていた。

 須曽蝦夷穴古墳は古墳時代の終わり頃(7世紀中頃)に築かれた有力者の墳墓である。
 墳丘は、東西約18.7m、南北約17.1mの方墳で、正面の墳裾に低い石積みを巡らした典型的な終末期古墳の様式をもつ。
 一方、墳丘内部には付近の海岸から運んだ安山岩板石で一対の墓室(横穴式石室)が造られ、横幅の広い奥室(玄室)やドーム形に持ち送る天井など、朝鮮半島の墳墓に通じる特色を備えている。
 このような石室をもつ終末期古墳は他に例を見ず、日本の対外交流史を考えるうえでもきわめて重要な古墳である。


 説明板にある「朝鮮半島の墳墓に通じる特色」というのは、日本の古墳には例が少ない高句麗式の構造を備えているということらしい。墓の内部からは銀象嵌装飾の刀装具をもつ大刀や、朝鮮半島で例の多い特殊な鉄斧(ほぞ孔鉄斧)などの副葬品が出土したという。

 

 古墳のある丘から七尾湾を見渡す。眺望の説明板にはこう記されていた。

 古墳の前方には、石室に使われた安山岩の露頭がある一本木鼻岬が見え、正面には波静かな七尾南湾、その向こうには七尾市街や背後に横たわる石動山系の山々が臨まれる。
 蝦夷穴古墳が造られた頃、湾岸で暮らす人々は稲作とともに漁や塩つくりを生業とし、七尾湾を活発に往来していた。また、当時七尾付近には鹿嶋津と呼ばれる港が営まれ、北方へ向かう海上交通の拠点でもあった。東北支配をねらう大和政権の意図により、湾岸の人々は時として水軍の一員に加えられ、北の海に向かったものと思われる。こうした能登の海人たちを統括していたのが、須曽蝦夷穴古墳に葬られた人物であろう。


 ちなみに、墓が構築されたのは古墳がほとんど作られなくなった7世紀中頃とされ、被葬者はわかっていない。
 一体どんな人がここに埋葬されたのだろうか。そして、昔の人々はこの丘からの風景をどのような思いでながめたのだろうか―。
 周囲に観光客は誰もいない。時おり吹く風の音しか聞こえない静寂の中、しばし時がたつのを忘れてそのようなことをつらつらと考えた。
 これまで3回にわたって続けてきた石川紀行も次回のエントリでラストになる。(相)
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朝鮮と出会う旅・石川編②

2018-11-12 10:00:00 | (相)のブログ
 前回からはじめた「朝鮮と出会う旅・石川編」。今回の更新は②となる。
 石川紀行の初日目は、金沢から羽咋を経由して、渤海使節の足跡が刻まれた福浦港、そして港をさらに北上して能登金剛まで足を延ばした。
2日目は、朝鮮半島とゆかりのある神社をめぐった。
 JR金沢駅から七尾線で羽咋を経由して、能登の代表的な観光地である和倉温泉へ向かう。そこからのと鉄道に乗って3駅目、能登中島駅で降りる。

 

 

 向かったのは、能登半島の中間地点に位置する七尾市中島町にある久麻加夫都阿良加志比古神社。長い名前だが、「くまかぶとあらかしひこ」神社と読む。駅からタクシーで約15分の距離にある。徒歩だと40分程度の距離だ。
 久麻加夫都阿良加志比古神社は熊甲(くまかぶと)神社とも呼ばれ、祭神は阿良加志比古神という渡来系(朝鮮半島)の人格神とされている。地元の人々には「おくまかぶと」の名称が有名。この神社で毎年9月20日に行われている「お熊甲祭」は国の指定重要無形民俗文化財になっている、能登を代表する奇祭だ。

 

 

 神社を訪れたのは土曜日の午後だったが、境内に人はおらず、ひっそりと静まり返っていた。
 
 久麻加夫都阿良加志比古神社の次に向かったのは白比古神社(七尾市白浜町)。笠師保駅と田鶴浜駅の中間地点にある。この神社の祭神もまた、新羅・加羅系の渡来神だといわれている。
 能登中島駅から和倉温泉方面に1駅、笠師保駅で降りて徒歩で目的地へ向かう。久麻加夫都阿良加志比古神社がある中島町、白比古神社がある白浜町ともに七尾湾に面した町だ。七尾湾は牡蠣の養殖場として有名で、この日も道を歩いていると牡蠣の養殖場や直売店、食堂などがそこらじゅうにある。おいしそうなにおいに誘われて、つい店ののれんをくぐってしまいそうになるが、取材スケジュールがつまっていたので断腸の思いで店先を通り過ぎた。

 

 そして、笠師保駅から歩くこと25分、日が沈む寸前で白比古神社に到着。大急ぎで写真を撮っていると、ややあって辺り一面真っ暗に。この日も日没タイムアップ。電車で和倉温泉駅まで戻り、石川紀行2日目の取材を終えた。(相)


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朝鮮と出会う旅・石川編(1)

2018-11-02 10:00:00 | (相)のブログ
 2018年の最終号となる12月号の特集は「朝鮮と出会う旅」。
 日本各地の朝鮮半島とゆかりのある土地を旅するという企画だ。私は石川県を訪れた。
 朝鮮東海(日本海)に突き出した能登半島は古くから交通の要所として栄え、歴史的に朝鮮半島との交流も盛んだった。
 自身3度目の石川行だが、仕事で訪れるのは初めて。今回の石川紀行は11月中旬発行の本誌12月号で紹介するが、本ブログでも数回に分けて掲載したい。

 

 東京から北陸新幹線で石川県の県庁所在地である金沢まで2時間半。週末を控えた金曜日の金沢駅前は内外からの大勢の観光客でごったがえしていた。
 最初の目的地は、かつて渤海(698-926)の使節団が来着した福浦港(羽咋郡志賀町)。
 金沢駅からJR特急で羽咋駅まで32分。駅がある羽咋市は能登半島の西の付根に位置する、いわば半島への入り口的な場所だ

 

 羽咋駅から1時間に1本のバスで港を目指す。バスに揺られること30分、それからタクシーに乗り換えて20分ほど走る。やっと港へ到着した。
 目の前に昔ながらの漁港の風景が広がる。

 

 福浦港(かつては福良津と呼ばれていた)の歴史は古い。上でものべたが、698年から926年まで(日本でいえば奈良時代から平安時代にかけて)朝鮮半島北部から中国東北部にかけて栄えた渤海からの使節団が来着する寄港地として定められていた。江戸時代には北前船(大阪と北海道を日本海回りで往復していた船)の寄港地としてにぎわったという。
 渤海使は728年から922年まで約200年の間に36回(回数は諸説ある)、日本から渤海への使節は728年から811年まで14回往来したといわれている。現在のロシア沿海地方のポシェット湾から船が出発し、北陸の福良津(現福浦港)、三国湊(現福井港)、大野湊(現敦賀港)などに着いた。
 ここ福浦港の周辺には渤海からの使節団のための宿舎(能登客院)や船の修理施設がつくられたといわれているが、その跡地は見つかっていない。

 

 港を望む高台には渤海使節来航の碑が建てられている。その近くには、現存する日本最古の木造灯台である旧福良灯台がある。約390年前にたかれたかがり火が始まりと言われ、現在の灯台は1876年に建設されたものだ。1952年に新灯台が出来るまで76年間も現役だったという。

 

 

 高台に立ち、眼前に広がる海をながめる。渤海使は日本へ毛皮やハチミツ、薬用人参、仏典、陶器、工芸品などを持ち込み、日本からは絹、綿、黄金、水銀、扇などが渤海にもたらされたという。海の向こうの朝鮮半島に思いをはせながら、朝鮮半島と日本との交流の歴史が織りなすロマンに胸躍らせた。

 福浦港に別れを告げて、山道をさらに北上する。道の左側には能登金剛と言われる海岸線が続く。能登金剛は日本海の荒波によって浸食された奇岩、断崖が約30kmにわたって連続する海岸で、能登半島の代表的な景観の一つ。能登金剛という名前は、朝鮮半島の景勝地・金剛山(所在地は朝鮮民主主義人民共和国の江原道)にちなんでいる。

 

 

 初めに見えてきたのは、鷹の巣岩。そして次に、能登金剛の代表的な観光スポットである巌門。海に突き出た岩盤にぽっかりとあいた洞門がインパクト大だ。
 夕陽をバックにした写真を撮れるかと期待していたが、あいにくの曇り空で夕陽など影も形もない。
 時刻は日没直前。とりあえず巌門周辺の写真をあわただしく撮り終える。さらに先のほうまで足を伸ばせるかと思ったが、日が沈み、あたり一面真っ暗に。無念のタイムアップ。この日の取材はここで終了となった。(相)
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講演会『北と南、海外の歴史研究交流の経験と展望について』

2018-10-25 10:00:00 | (相)のブログ
 

 さる9月22日に『関東大震災時の朝鮮人大虐殺と植民地支配責任』をテーマにシンポジウムを開催した朝鮮大学校朝鮮問題研究センター(KUCKS)が、きたる11月1日に同大学校記念館講堂で講演会を開催する。
 テーマは『北と南、海外の歴史研究交流の経験と展望について』。
 講演会では韓国から鄭泰憲・高麗大学文科大学学長が招かれ、「南北歴史学会における研究交流の経験と展望について―南北歴史学者協議会の活動経験から―」と題した講演を行う。鄭氏は韓国近現代史専攻で、韓国史研究会会長、歴史問題研究所所長、南北歴史学者協議会副委員長、国際高麗学会ソウル支会会長を歴任した。
 そして、主催者である朝鮮問題研究センターの康成銀センター長が「統一的な歴史認識を共有するために海外同胞が果たせる役割について」をテーマに講演する。

 今年に入って北南関係が劇的に進展する中、両者の間の協力・交流事業がさまざまな分野で動き出している。経済協力、離散家族再会などの人道問題、芸術・スポーツ交流などが注目を浴びているが、個人的に注目しているのは学術交流だ。その中でも歴史研究(とくに近現代史)は学術交流にとどまらない非常に大きな意義を持つ分野だと個人的に思っている。70年にわたる分断状態の中で歴史認識の共有はいかにして可能なのか―。この問題は、北南関係がさらに進展し、将来の統一国家建設へと向かうプロセスの中で必ずクリアされるべき重要な課題として提起されるはずだと考えている。
 今回開催される講演会は、上記のような問題意識にさまざまな示唆を与えてくれる場になるのではないかと期待している。(相)

日時:2018年11月1日(木)
午後3:00~6:00 (午後2:30 開場)
場所:朝鮮大学校記念館講堂(4階)
参加費:1,000円(学生、大学院生無料/事前申込要)
使用言語:朝鮮語 ※通訳あり
申込方法:①住所 ②氏名 ③所属を必ず記載のうえ、メールかFAXで申し込み。(10月27日必着)
件名または宛先に「講演会参加」と記入。定員を超えた場合のみ返信。
問い合わせ:朝鮮問題研究センター(KUCKS)
〒187-8560 東京都小平市小川町1-700
TEL:(042)346-0414  FAX:(042)346-0405
E-mail:kucks@korea-u.ac.jp



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映画『沈黙-立ち上がる慰安婦』の上映に応援を

2018-10-17 10:00:00 | (相)のブログ
 10月16日に神奈川県茅ヶ崎市の市民文化会館で行われた映画『沈黙-立ち上がる慰安婦』の上映会に対して、後援した茅ヶ崎市や市教育委員会へ映画の上映中止を求めるクレームが殺到しているという。
 本作は、在日朝鮮人2世の朴壽南監督によるドキュメンタリー映画(2017年公開)。日本政府による謝罪と国家補償を求めてたたかってきた元日本軍「慰安婦」たちの姿を記録した作品だ。
 この作品を攻撃し、映画の上映を中止させようとする電話が市や市教育委員会に多く寄せられたのだが、主なクレーム元は、日本軍による性奴隷制被害を否定する歴史修正主義の極右団体だという。ネット上では、団体の関係者やそこにつながる右派人脈が市への「抗議」を呼びかけているようすが確認できる。上映前日の15日には自民党の市議団が上映に対する抗議の申し入れを行っている。
 SNSなどで確認する限り、昨日の上映会はとくに大きなトラブルもなく行われたようだが、今後も各地での映画上映に対する不当な攻撃が続くことが予想される。史実を直視せず、それを隠したり修正したりしようとする動きは内外の批判をまぬがれないだろう。私たちにできることは、映画の上映を企画したり後援したりしている団体がこれらの卑劣な圧力に負けないよう激励すること、そして一人でも多くの人々がこの作品を観ることだろう。
 未見の方々の参考に、本誌2017年11月号に執筆した映画評を再掲する(文中の年齢、肩書などは執筆当時のもの)。

 半世紀の沈黙を破る被害者の闘いの記録

 『沈黙-立ち上がる慰安婦』

 本作は、2014年、韓国・忠清北道で暮らす元日本軍「慰安婦」の李玉先さん(90)のもとを監督の朴壽南さん(82)が訪ねる場面から始まる。17歳で満州に連行された李さんは、半世紀の沈黙を破り、1994年5月、日本政府の公式の謝罪と国家補償を求めて「被害者の会」の仲間とともに来日。首相に直訴しようと、国会前に座り込んだ。李さんらはその後も、95年に発足した「女性のためのアジア平和国民基金」に反対し、再三にわたって来日する。在日朝鮮人2世の朴監督は、孤立無援の中で出発したハルモニたちのたたかいに寄り添い、彼女たちの恨(ハン)を映像として記録していく―。
 本作は、『もうひとつのヒロシマ-アリランのうた』(86年)をはじめとする一連の作品で日本の植民地支配による朝鮮人犠牲者に光を当て続けてきた朴監督が、30年近い歳月をかけて追ってきた日本軍「慰安婦」被害者たちの名誉と尊厳の回復を求めるたたかいをまとめたもの。80年代末~90年代初めの沖縄、95年前後の日本、そして2014年の韓国―作品の中で3つの時間軸と空間が重なり合う。
沖縄のパートでは、朝鮮女性として初めて日本軍「慰安婦」としての被害を明かした裵奉奇さんのインタビュー映像も映し出される。作中では、韓国で日本軍「慰安婦」被害者たちが相次いで名乗り出て問題がクローズアップされる90年代の政治、社会状況とハルモニたちのたたかいの背景が提示される。また、加害者側の元軍人や日本人市民、高校生とハルモニたちとの交流、そして支援団体との衝突や被害者の会内部での葛藤、苦悩も描かれる。
本作に登場した日本軍「慰安婦」被害者たちの多くはこの世を去った。2015年12月28日、日韓両政府は日本軍「慰安婦」問題の決着に合意したが、当事者不在の合意として批判を浴びている。
ハルモニたちの名誉と尊厳の回復とは何か、今を生きる私たちに何が問われているのか―。被害者の証言に耳を傾け、歴史を直視することからしか本当の解決は生まれない。彼女たちのたたかいの記録がそのことを伝えている。
(相)
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排外主義あおるフジテレビの入管PR番組

2018-10-09 10:00:00 | (相)のブログ
 先週土曜日(10月6日)にフジテレビで放映されたある番組が物議をかもしている。
 『タイキョの瞬間! 密着24時~出ていってもらいます!~』。番組公式サイトによると、「強制退去を捉えた緊迫のリアルドキュメント」で、外国人の強制退去を担う入国警備官に「密着取材」した番組だという。「不法滞在者や、不法占拠など、違法行為や迷惑行為を許さないプロフェッショナルたちの姿」を描いたというこの番組には「入管行政の人権侵害を隠蔽している」といった批判がネット上を中心に多く寄せられている。
 番組放送前日からSNSで話題にのぼっていたので、私も録画視聴した。
 一言で、ひどい内容だった。
 まずタイトルからして、排外主義をあおるようなつけ方ではないか。以前から入管行政に対しては、長期収容や死亡者(自殺者含む)が出るような収容環境の劣悪さなどが問題視されているにもかかわらず、このような問題点を指摘しないまま取り締まる側の正義をクローズアップするのは「入管行政のプロパガンダ」と批判されても仕方ないだろう。
 また番組では、外国人技能実習生として来日して実習先から失踪した人が取り上げられていた。すでにさまざまに報じられていることだが、この技能実習生制度は、単純労働に従事させられ、人権侵害も相次ぐなどその劣悪な労働環境がたびたび問題視されている。国連人権理事会などからも批判を受けている。実習生の失踪には背景にさまざまな問題が絡んでいるにもかかわらず、単に不法滞在した犯罪者として扱うのは問題の所在を覆い隠す役割しか果たさない。

 本誌イオでも入管の問題はたびたび取り上げている。今年に限っても、5月号から7月号まで3号連続で『入管の収容問題を追って』と題した緊急ルポを連載した。編集部の(理)さんが取材・執筆を担当した骨太のルポだ。
 マスメディア、とくにテレビの影響は非常に大きい。なぜオーバーステイなど不安定な状態で日本に留まる外国人がいるのか、技能実習生として来日した外国人がなぜ実習先から逃げ出したのか、その理由や背景を十分に説明しないまま権力側の視点に乗っかって制作した番組が広く公共の電波に乗るのは恐ろしいことだと思う。(相)
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大阪無償化裁判控訴審判決の日に接した言葉たち

2018-10-01 10:03:49 | (相)のブログ
 

 すでに先週金曜日から土曜日にかけて本ブログでもお伝えしたように、大阪朝鮮学校高校無償化裁判の控訴審で原告・朝鮮学園側に逆転敗訴の判決が下った。
 当日は判決の言い渡しを法廷で傍聴し、その後の報告集会も取材した。この日に聞いた印象的な言葉の一部を紹介したい。

 判決後の記者会見。原告側弁護団の丹羽雅雄弁護団長は、「朝鮮学校で学ぶ子どもの人権にかかる裁判であるにもかかわらず、裁判長はそのような視点を全く持っていなかった。著しく不当な判決だ」とのべた。
 大阪朝鮮高級学校を2011年3月に卒業し、現在は東京大学大学院で学ぶ申泰革さんは、「朝鮮」に対する否定的なイメージが蔓延し、同胞の子どもたちが自身のルーツに否定的になりがちな日本社会の中で、朝鮮学校は「私たちが堂々と胸を張ることができる場所」だとその重要性を訴えた。
「地獄の底に突き落とされた気持ち。いくら国家権力が強大でも、当たり前の権利が認められるまで地面をはいつくばってでもたたかう」。大阪朝高生徒保護者である高己蓮さんの発言だ。

 同日夕方に市内の会場で行われた報告集会。
 大阪朝高の女子生徒が壇上に立ち、高裁判決に接しての思いを吐露した。
 「私は今日の判決を聞いて深い憤りと悔しい気持ちでいっぱいになりました。12年間通ってきたウリハッキョが、民族教育が、在日朝鮮人という自分の存在が否定されたような気がしました。裁判を傍聴しながら、自分のことなのに何もできなかった無力さを感じました。これからも、いつ終わりが来るのかわからないたたかいが続くと思う。それでも私は勝利するその日まで決してあきらめません」
 弁護団や学校関係者、支援者の大人たちに向けて、「私たちにごめんね、と謝らないでください」と言葉をかける彼女のその気遣いに心を打たれるとともに、生徒にそのようなことを言わせてしまった大人の一人として胸が痛くなった。(相)
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大阪朝鮮学園逆転敗訴の不当判決―大阪無償化裁判控訴審

2018-09-28 16:36:51 | (相)のブログ
 

 大阪朝鮮高級学校を高校授業料無償化・就学支援金支給制度の対象としないのは違法だとして、同校を運営する大阪朝鮮学園が国を相手に不指定処分の取り消しおよび指定の義務づけを求めた訴訟の控訴審判決が9月27日、大阪高裁で言い渡された。
 結果は、昨日速報で伝えたように、原告である朝鮮学園側の逆転敗訴。大阪高裁は、原告全面勝訴となった昨年7月28日の地裁判決を取り消し、原告の訴えを退けた。

 判決の主文の内容は、
 ①原判決を取り消す
 ②本件訴えのうち、規定ハに基づく指定の義務付けを求める部分を却下する
 ③被控訴人(朝鮮学園側)のその余の請求(不指定処分の取り消し)は棄却する
 ④訴訟費用は第1、2審とも被控訴人の負担とする、というもの。
 高橋譲裁判長は、大阪朝鮮高級学校は在日本朝鮮人総聯合会(総聯)から「教育の自主性をゆがめる不当な支配を受けている疑いがある」として、国の不指定処分を違法として同校を就学支援金支給の対象に指定するよう命じた1審判決を取り消した。判決は、▼総聯傘下の出版社が発行する教科書が使われている、▼総聯が学校に財政的支援をしている、▼幹部レベルでの人事交流がある、ことなどを挙げて、「教育の目的を達するために必要な限度を超えて朝鮮総連の介入を受けている」と指摘。朝鮮学校で就学支援金の管理が適正になされない恐れがあることにも言及した。
 また、就学支援金支給の対象に指定するかどうかは「教育行政に精通する文科大臣の裁量」だとし、教育基本法が禁じる「不当な支配」を受けている疑いがある以上、朝鮮学校を対象から除外した国の判断は不合理ではなく、裁量権の逸脱・乱用もないと結論づけた。
 1審判決が「教育の機会均等とは無関係な政治的判断に基づくもので、違法・無効」と断じた規定ハ削除については判断を回避した。

 判決が言い渡された202号法廷では、判決の主文を読み上げて退出しようとする裁判官に、傍聴席に陣取っていた朝鮮学校の保護者や支援者らから悲鳴にも似た抗議の声が投げつけられた。裁判所の外でも、朝鮮学園側の逆転敗訴の報が伝えられると、生徒や保護者、教職員、支援者から憤りの声が上がった。

 

 日本全国の5つの地裁(東京、愛知、大阪、広島、福岡)で起こされた朝鮮高級学校無償化裁判で控訴審判決が出たのは今回の大阪が初。これまで東京、愛知、広島では1審で原告敗訴、福岡(九州)では1審が継続中だ。ここまで唯一、朝鮮学校側が勝訴した大阪の1審判決がこれで覆された。
 判決後の記者会見で原告の朝鮮学園側は、高裁判決について「著しく不当」として上告する意向を表明した。

 と、ここまでは各種報道ですでに伝えられている通りだ。
 昨日の控訴審判決について詳細に検討することは現時点で難しいが、本エントリでは、昨夕の報告集会であった弁護団からの説明も参考に、今回の判決の概要を記して本判決の不当性を理解するうえでの一助としたい。
 まずは、昨年7月28日の1審判決を振り返る。
 本件訴訟における請求の趣旨は、
 ①文科大臣が原告に対して2013年2月20日付でなした本件規則第1条第1項第2号ハ(規定ハ)に基づく指定をしない旨の処分を取り消す(取り消し訴訟)
 ②文科大臣は原告に対して、大阪朝鮮高級学校について規定ハに基づく指定をせよ(義務付け訴訟)
 ③訴訟費用は被告の負担とする、の3つ。
 昨年7月28日の一審判決では、この3つがすべて認められ、原告・朝鮮学園側の全面勝訴が言い渡された。国を相手取った行政訴訟で原告側の全面勝訴判決が出るのは異例のことだ。
 主な争点は、①不指定処分の違法性(朝鮮高校を就学支援金の支給対象に指定する根拠規定であるハを削除したことの違法性)、②指定の要件を満たすか(規程13条適合性)の2つ。争点①に関して判決は、文科大臣は高校無償化法の趣旨である「後期中等教育段階の教育の機会均等」とは無関係な外交的、政治的判断に基づいて規定ハを削除した、これは法による委任の趣旨を逸脱するものとして違法、無効であると判断した。
 争点②は、朝鮮高校が「法令に基づく適正な学校運営」について定めた「本件規程13条に適合すると認めるに至らなかった」とする国側の主張が妥当かどうかというもの。これについても判決は、大阪朝鮮学園は▼私立学校法に基づいて財産目録、財務諸表が作成されている、▼理事会も開催されている、▼大阪朝高は大阪府の立ち入り検査でも法令違反の処分はなし、という3点をもって13条適合性は立証されているので、ほかに「疑念を生じさせる特段の事情がない限り、13条適合性が認められる」とした。そして、「特段の事情」に関する国側の主張を退け、朝高は規程13条の要件を満たしていると認めた。
 その後、昨年12月から始まった控訴審において、国側は、教育基本法の抽象的規定を数多く持ち出して行政裁量(行政が自由に判断できる余地)を広げつつ、朝鮮学校に影響力を行使する総聯が反社会的な活動を行っているかのような印象を与える主張・立証をしてきた。一方の朝鮮学園側は、国側の主張に反論しながら、高校無償化法や教育関係法令を指摘し、これらの法は文部科学大臣に学校選別における裁量を与えていないので、団体との関係を理由にした本件不指定処分は違法であり、原判決を維持すべきと主張してきた。

 そして今回の控訴審判決。1審判決を覆すために動員された理屈は、やはりというべきか、国側が不指定の理由としてこじつけで持ち出してきた「規程13条適合性」(「不当な支配」)の問題だった。
 1審判決では争点①(規定ハ削除の違法性)から順に判決理由がのべられたが、控訴審判決では争点②(規程13条適合性)→争点①の順番で理由がのべられている。規程13条適合性から理由が書かれているというのは、広島裁判や愛知裁判での判決とも共通する点だ。
 控訴審判決は、規程13条適合性の判断にあたっては教育内容が教育基本法の理念に沿ったものであるかどうかも考慮すべきと判断した。また、地裁判決の争点②にあった「『特段の事情』のない限り、規程13条適合性が認められる」という部分について、「特段の事情」という高度な立証責任を国に課すべきではなく、「相当な根拠」で足りるとした。
 規程13条適合性の判断における文科大臣の裁量についても、「不当な支配」に該当するか否かの判断を文科大臣が下してもいい(ただし、広大な裁量はない)とした。一審判決は、不当な支配をする可能性のある文科大臣にはこのような裁量はないと言っている。
 総聯と朝鮮学校との関係については、教育内容や人事面で「不当な支配」があったと判断。その理由としてのべられているのは、▼総聯が組織的に朝鮮学校を指導するという関係が成立している、▼総連と学校との間で幹部レベルの人事交流があり、人事面における関係性が強い、▼朝鮮学校の教員や生徒が総聯の傘下団体に加盟している、▼傘下の事業体が発行する、朝鮮の指導者を賛美する教科書を使用させるなど総聯が学校の教育内容に対しても強い影響力を行使している、▼学校に対して財政的な支援をしてきている、などだ。
 控訴審判決は、上記の事情に照らして考えれば、大阪朝高は総聯から「教育の目的を達するための必要性、合理性の限度を超えて介入を受け、教育の自主性をゆがめるような支配を受けている合理的な疑いがあるというべきである」と結論づけた。「学校に対して総聯の一定の関与は認められるが、それは協力関係ともいうべきものであり、学校は運営の自主性を失っていない」と歴史的経緯も含めて判断した1審判決とは対照的な判断が下された形になった。
 そのうえで判決は、大阪朝高が総聯から「不当な支配」を受けていること、財政面で就学支援金の管理が適正に行われないことを疑わせるに足りる相当な根拠があったものと認められるので、法令に基づく適正な学校運営という観点からして規程13条適合性があるということはできない→大阪朝高が規程13条に適合すると認めるに至らないことを理由とした不指定処分が不合理なものということはできず、これについて文科大臣の裁量権の逸脱・濫用があるということもできない、本件不指定処分は違法とは言えない、とした。
 今回の訴訟の最大の争点といえる①(規定ハ削除の違法性)は、広島や東京、愛知での判決と同じように、争点②の妥当性が認められたので判断をする必要がないという理由で判断が回避されてしまった。
 報告集会で弁護団の金英哲弁護士が指摘したように、今回の判決は「行政訴訟において国を勝たせる典型的な結論ありきの判決」といえるだろう。(相)
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大阪無償化裁判控訴審、大阪朝鮮学園側の逆転敗訴

2018-09-27 16:30:30 | (相)のブログ


 大阪朝鮮高級学校を高校授業料無償化・就学支援金支給制度の対象としないのは違法だとして、同校を運営する大阪朝鮮学園が国を相手に不指定処分の取り消しおよび無償化の義務づけを求めた訴訟の控訴審判決が9月27日、大阪高裁で言い渡された。
 結果は、原告全面勝訴となった昨年7月28日の大阪地裁判決を取り消し、原告の訴えを退けるという朝鮮学園側の敗訴判決。朝鮮学園側の逆転敗訴となった判決が伝えられると、生徒や保護者、教職員、支援者から憤りの声が上がった。

 現在、弁護団、学園関係者、支援者が出席しての記者会見が行われている。夕方からは大阪市内で報告集会が行われる。

 判決の詳細は明日以降、あらためて伝えたい。(相)
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イオ10月号が完成しました

2018-09-18 10:00:00 | (相)のブログ
 

 イオ10月号が完成しました。
 今月号の特集は「30代を探して」。
 今年で創刊から22年になるイオですが、30代、40代の在日同胞の方々にとくに読んでいただきたいと考えています。そこで10月号では「30代を探して」と題して、雑誌のメインターゲット世代でもある30代の在日同胞にスポットをあてました。仕事や家庭、子育ての悩み、将来への不安、そしてアイデンティティ…。かれ、かのじょたちの等身大の姿に迫りました。
 
 特別企画は、「大人なひととき~ほろ酔いBAR巡り~」です。王道のオーセンティックバーからカジュアルバー、ジャンルに特化した変わり種のバーまで、一言でバーといってもさまざま。今月号では東京、横浜、前橋、大阪、京都5ヵ所でステキなお店を紹介します。同胞バーテンダーにバーでのマナーやバーの楽しみ方についても聞きました。
 
 これ以外にも、8月から9月にかけてあったさまざまなニュースをフォローしています。
 8月20日から26日にかけて金剛山で行われた北南離散家族の面会を現地発の臨場感あふれる記事と写真で伝えます。北と南の統一チームが金メダルを獲得したことでも話題となったインドネシア・ジャカルタでの第18回アジア競技大会や、8月にスイス・ジュネーブで行われた国連人種差別撤廃委員会の日本審査についても詳報しています。
 また、朝鮮新報社と韓国のメディア「民プラス」などが共催した8.15解放73周年共同討論会「4.27板門店宣言時代と私たちの役割」、日本列島を襲った台風21号と北海道胆振地方での地震の被害についても伝えます。
 表紙は、サッカー・J3のFC琉球で監督を務める金鍾成さんです。(相)
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