日刊イオ

月刊イオがおくる日刊編集後記

女子サッカー、南北選手たちの抱擁

2013-07-31 09:00:00 | (K)のブログ


 7月20日から27日まで韓国で開催されていたEAFF女子東アジアカップ2013決勝大会で、朝鮮民主主義人民共和国が見事に初優勝しました。
 最終日の27日、朝鮮は中国を破って2勝1引き分け、優勝の行方は、朝鮮対中国の試合後に行われる韓国対日本の試合の結果に持ち込まれました。日本にも優勝の可能性があったのですが、結果は2―1で韓国の勝ち。その瞬間、朝鮮の優勝が決まったわけです。

 朝鮮の優勝自体もうれしいことなのですが、感動的だったのが、その後の南北の選手たちの喜びを分かち合い抱擁しあう姿でした。韓国の聯合ニュースも伝えています。写真を見るだけでも目頭が熱くなってきます。
http://www.yonhapnews.co.kr/bulletin/2013/07/27/0200000000AKR20130727066000007.HTML?input=sns
 7月27日は、ご存知の通り朝鮮戦争停戦からちょうど60年に当たる日です。その日に朝鮮のチームが韓国での大会で、韓国が勝ったことにより優勝を決めるという、そして、両選手たちが抱き合いながら喜びを爆発させるという、何か出来過ぎの展開で、驚いてしまいました。

 韓国には分断の悲劇が生み出した「国家保安法」という悪法があります。この法律のためにどれだけの人々が牢獄へ連れて行かれ、ひどい拷問を受け、亡くなったでしょうか。EAFF女子東アジアカップは国際大会なので、朝鮮の試合には朝鮮の国旗が掲げられ朝鮮の国家が流れます。南北の選手が心から喜ぶ姿といい、「国家保安法」がどれだけ馬鹿げたものであるのかがわかります。

 朝鮮の女子サッカー代表が韓国で試合をするのは8年ぶり、2005年の東アジアサッカー選手権以来です。東アジアサッカー選手権の直後には、ソウルで祖国解放60周年を記念する「自主、平和、統一のための8.15民族大祝典」が盛大に開かれて、行事の一環として南北のサッカー親善試合が行われました。
 幸い、わたしもソウルで直接大祝典を取材することができました。大祝典開催中、北と南が分断に終止符を打ち統一を実現させるのだと世界に高らかに訴え続けられました。開会式や閉会式、親善試合が行われたスタジアムには、文益煥牧師の「統一は成された」の文字が掲げられていました(写真上)。親善試合の時には、双方の「国旗」は持ち込み禁止で、人々は白地に青い朝鮮半島が描かれた統一旗を手に応援していました。今からたった8年前の出来事です。
 あの時、せめて「国家保安法」を無くしていればと思います。逆に、数年でまた、あの頃のような南北の関係に戻せるのだとも言えるでしょう。今回のEAFF女子東アジアカップで繰り広げられた光景が、その大切な第一歩となるような予感がします。

 最後に、8年前の大祝典の写真を何枚か紹介し、今日のブログを終わりたいと思います。(k)


 民族大祝典の開会式、空には統一旗が描かれた気球が揚がりました。「One Corea!」の文字が



 開会式、男子サッカーの会場に出現した人文字による統一旗


 試合前には巨大な統一旗が


 男子の試合終了後、両選手が統一旗をもってスタジアムを一周し、観客に統一をアピール


 閉会式の日に行われた女子の試合、両選手が手をつなぎながら入場してきました

アイロンがけが面白い

2013-07-30 09:00:00 | (麗)のブログ
一人暮らしをするようになってから、身の回りのものは全て自分でするという習慣もすでに五年目を迎えました。

一人暮らしの準備をする前は特に扇風機も掃除機もアイロンもいらないと言っていたのですが、母に「掃除をしない気か」と怒られ、結局全部買いそろえたのを覚えています。

最近はアイロンがけが意外と面白いということがわかり、シャツなどシワが目立つものは必ずアイロンをかけることを心掛けています。
しわくちゃのシャツをまっすぐに伸ばしていく作業が気持ちいいのです。
いつもこうやって、毎日通う制服を丁寧にアイロンがけしてくれた母を思い出し、感謝しながらシワを伸ばしています。

面倒くさいことも、意外にやってみると面白いということも発見出来るのが一人暮らしの良い所でもあります。
今はちょっと掃除を怠っていますが(笑)
いつか掃除、整理整頓の面白さや奥深さがわかれば、もう少し綺麗な部屋になるのかなと思います。

事務所のデスクは人が見るところなのでなるべく私物も控えてすっきり見えるように心掛けています。
締切が近付くといつもそれどころではなくなりますが…。

身の回りを整理整頓するには、まず「綺麗にしよう」という意識からなのでしょう…。(麗)

キャンプ!

2013-07-29 09:00:00 | (理)のブログ
 先日、栃木朝鮮初中級学校のキャンプに同行取材してきました。朝鮮学校では初級部4年生から高級部に上がるまでの子どもたちが毎年夏休みの直前にキャンプに出かけます。ウリハッキョのキャンプに行ったことがない私は、同級生たちの思い出話をいつも聞いていました。「カレー作りのときにお前がああして…」「肝試しのときはあのトンムと…」。そうして爆笑する同級生たちを内心羨ましく思ったものです。

 今回、そんなウリハッキョのキャンプに初参加するとなって、数日前から1人で盛り上がっていました。集合場所への電車の時間や持ち物を何度も確認して準備万端。前日はもちろん早めの就寝です。

 当日は電車に揺られること約1時間半。東京から意外と近い栃木に着くと、栃木初中級のソンセンニムと25人の子どもたちが迎えてくれました。みんなでバスに乗り込んでいよいよ出発。

 2泊3日のキャンプでは、ハイキング、川遊び、花火、肝試し、キャンプファイヤーと、まさに憧れだったことを全部味わうことができました(仕事もちゃんとしました)。川遊びでは1人の男性ソンセンニムが自ら川に入って、子どもたちとどちらが先に倒れるか勝負。向かってくる子どもたちを片手で次々となぎ倒していく姿は、本当にゴジラのようでした。
 
 撮影中、川に落ちたり(カメラは無事です!!)虫に刺された左手の小指が不気味に腫れたりとハプニングも色々ありましたが、写真を撮りながらも笑いが絶えない取材で、本当にいい思い出になりました。

 子どもたちには、大人よりももっと広くて大きい世界が見えているんだろうなと思います。それは単純に身体が小さいからというのもありますが、初めて見るものがたくさんあるから。そういう時期にみんなで一緒にひとつの思い出が作れるというのはすごく羨ましいことです。25人で助け合って、25人で駆け回って、25人で笑う子どもたちの姿を見ながらそんなことを感じました。高校の頃、同級生がしつこいくらいにキャンプの思い出を話していたのもうなずけます。私もいつかまた栃木朝鮮学校のトンムたちに会えたら思い出話に加えてくれるでしょうか。楽しみです。(理)

朝鮮のお土産ベスト5

2013-07-28 09:00:00 | (愛)のブログ
私が最後に朝鮮を訪れたのが2001年。かれこれ12年も前だ。
一般的な会社よりは行きやすい環境にいると思うが、なかなか機会に恵まれなかった。

それまでの間、朝鮮からのお土産には様々なものをもらった。
そこで今日は朝鮮からのお土産で重宝してるものベスト5を紹介。
(あくまでも個人的趣味による私的ベスト5です)

まず、あると便利な携帯用キーホルダー式爪切り。
これは後輩からもらったのだが、ポーチに常備してあって、
爪はもちろん、タグなども切りたいなーとふと思った時にとっても便利。
朝鮮の国旗柄になっているので知人にさっと貸すときもインパクト大である。

次に女性へのお土産に絶大な人気のお土産、ポムヒャンギの化粧品セット。
美白化粧品と美白クリームだ。

これは母が知人からお土産でもらったものが戸棚で眠ってたのを発見したのが出会い。
使ってみてびっくり! 肌がみるみるうちにみずみずしくなってきて、
日本で売っている化粧品よりも断然素晴らしい効果を感じた。

もうひとつ化粧品の定番といえば、ポムヒャンギのリップグロス。

女性記者からもらったもので、
少しつければプルプルの唇を演出できる。
私が12年も前に朝鮮を訪れたときは土産店に売っていなかったので、
初めてみたときは感動した。
日本に売っているものと何ら遜色なかったからだ。

そしてお次は夏に大活躍の衣類!
朝鮮のセットンショートパンツである。

これは最後に行った朝鮮で同級生とともに一目惚れして買ったもの。
かわいくってピダンなので肌触りもよく、通気性もいいので部屋着に抜群だ!
いま流行りのユニクロの衣類にも全然負けてない。

最後に、とってもお気に入りの品。
とある人からもらった朝鮮で作られた金のウリナラ地図を型どったネックレストップ。

これはなかなか売っていないというレアものらしい。と、いうのもその人が作ったのだそう。
詳しくは教えてくれなかったので、どこでそういうものが作れるのかもわからない。
さりげないウサギのかたちがなんともかわいらしい。
これは、友達にみせるとかわいい~というか、とさりげなく引かれたか、両極端だった。
私的にはかわいいと思うので、時々さりげなく首元につけている。

以上が私的朝鮮のお土産ベスト5だが、
(里)さんが以前ブログで書いたように朝鮮からのお土産品が没収されるという事態になっているので
http://blog.goo.ne.jp/gekkan-io/e/2a3cf6938270f73cc33d5f97b5c433f2
お土産をもらえないでいる。
当分朝鮮にも行けないので(個人的な事情で)、ほんとうに残念だ。
でも、この12年の間、日本でも生活の役にたつ品などが朝鮮で増えているという事実は、
日本の経済制裁なんて本当に意味のないものだということを物語っているのではないだろうか。(愛)

ソウル高等法院が新日鉄に賠償判決

2013-07-27 09:00:00 | (淑)のブログ
 去る7月10日、韓国ソウル高等法院は植民地時代に強制労働をさせられた被害者に対する旧新日本製鉄(現・新日鉄住金)の損害賠償の責任を認め、一人当たり1億ウォンの支払いを命じる原告勝訴の判決を言い渡した。
 この訴訟は昨年5月24日の大法院(日本における最高裁に相当)判決を受けた差し戻し審であり、大法院判決に基づき「日本の支配下での強制動員を不法と見る韓国憲法の核心の価値と衝突し、侵略戦争を認めない世界の文明国家の共通価値や日本国憲法にも反する」と指摘し、新日鉄の主張をすべて斥けた。

 報道によると、新日鉄は「徴用者等の問題を完全かつ最終的に解決した日韓請求権協定、すなわち国家間の正式の合意を否定する不当な判決であり、誠に遺憾」とし、上告するとしており、日本政府も10日の記者会見で、同様に日韓請求権協定で解決済みとの見解をあらためて表明した。

 請求権をめぐる問題について、判決では次のようにのべている。

 …日本の国家権力が関与した反人道的不法行為や植民地支配に直結した不法行為に因る損害賠償請求権が、請求権協定の適用対象に含まれたと見るのは難しい点等に照らしてみれば、上の原告らの損害賠償請求権に対しては、請求権協定で個人請求権が消滅しなかったのは勿論であり、大韓民国の外交保護権も放棄されなかったとみるのが相当である。

 戦後補償問題で韓国の裁判所が日本企業に賠償を命じたのは初。韓国では同様の訴訟がほかに4件あり、この度の判決は他の訴訟にも少なくない影響を与えるといえる。7月30日には釜山高等法院でも三菱重工事件の判決が言い渡される。
 また、植民地支配からの解放後、韓国においては軍事独裁政権下で長きにわたって不問にされてきた日本の植民地支配責任を問い直すものとしても、この度の判決は画期的といえる。
 植民地支配したアジアの被害国はもとより、米議会が安部政権に代表される歴史修正主義に懸念を示すなど、昨今国際的な批判はますます高まっている。被害者らの年齢が優に80、90歳を過ぎている今、日本による植民地支配のすべての被害者らの被害回復が一刻も早く実現されるよう、このたびの判決が足がかりとなることを期待したい。(淑)

朝鮮戦争の停戦から60年を迎えて

2013-07-26 09:00:00 | (相)のブログ
 朝鮮戦争の停戦協定締結(1953年7月27日)からまもなく60年という節目を迎えようとしている。
 朝鮮民主主義人民共和国では連日、首都・平壌を中心に各種の記念行事が催されている。27日には市内中心部に位置する金日成広場で大規模な軍事パレードが予定されている。
 戦争のもう一方の当事国・米国と韓国も公式の記念式典やパレードなどさまざまな行事を準備中だ。韓国・聯合ニュースの報道によると、27日にワシントン市内で開かれる式典にオバマ大統領が出席して演説する。現職の大統領としては初となる参加だ。米政府高官や上下両院議員、軍高官に加え韓国側からも関係者が多数出席する予定で、過去最大の規模になる見通しだという。

 軍人・民間人合わせて犠牲者数百万人という凄惨な戦いは半島全土が戦場となった。戦争による離散家族は1000万人に達する。同族相食む戦争とそれに続く冷戦下での北南対決が人々の心に刻みつけた傷跡はあまりにも深い。
 停戦60周年に際して、この戦争は国際法上はまだ「終わっていない」という事実をあらためて思い起こすべきだろう。
 そして、朝鮮半島の分断に責任を負うべき旧宗主国・日本は現行憲法施行のわずか3年後に米軍の出撃基地、補給基地として機能し、旧軍人をはじめ少なくない人員が輸送や機雷除去に動員されるなど、戦争に積極的に加担した事実も指摘しておきたい。「朝鮮特需」は敗戦で荒廃した日本経済が息を吹きかえす決定的な契機となった。にもかかわらず、日本でこのような事実は周知されておらず、この戦争が自国の戦後史の中でどのような意味を持つのかを考え、地域情勢の緊張緩和に貢献しようとする動きも鈍いといわざるをえない。
 東アジアにおける冷戦体制を激化させ、分断を決定的なものにした朝鮮戦争は決して過去の歴史ではない。それはいまだ決着がついていないばかりか、いまだ冷戦体制から抜け出せていない東アジアのあり方を現在においても規定している。そして、分断の固定化と北南対立は在日朝鮮人社会にも暗い影を落とし続けている。
 朝鮮はかねてから協定の当事国である米国に向けて、停戦協定にかわる平和協定を締結し、戦争を完全に終わらせるべきだと重ねて主張してきた。60周年という節目を機に、長きにわたる朝米間の対立に終止符を打ち、平和協定の締結に向けた対話が進むことを願うのは筆者だけではあるまい。
 
 イオ来月号の特集では、その朝鮮戦争を米国との関係を切り口に取り上げる予定だ。この問題を正面から取り扱うのは初めてということもあって試行錯誤の連続だが、乞うご期待を。(相)

最後に、日本国内で行われる関連イベントの告知です。

①朝鮮戦争停戦60周年記念学術シンポジウム「朝鮮戦争-戦争・停戦・平和」
日時:7月27日(土)、18時~20時30分
場所:国際文化会館講堂(都営大江戸線「麻布十番」駅徒歩5分)
報告=「朝鮮戦争の本質と停戦過程の特徴」(和田春樹・東京大学名誉教授)、「朝鮮戦争を終わらせる平和体制の考察」(文正仁・延世大学教授)、討論者=小此木政夫・九州大学特任教授、李鍾元・早稲田大学教授、司会=木宮正史・東京大学教授
問い合わせ=日朝国交促進国民協会(TEL&FAX 03-3922-1219)

②朝鮮戦争停戦60周年 ソウル-平壌-東京リレー国際シンポジウム
日時:8月1日(木)、17時~20時
場所:学士会館210号室(地下鉄「神保町」駅徒歩1分)
基調報告=ラムゼイ・クラーク米元司法長官、ミシェル・チョスドフスキー・オタワ大学名誉教授、コーディネーター=康宗憲・韓国問題研究所所長(早稲田大学客員教授)、パネリスト=ブライアン・ベッカー・反戦反人種差別行動事務総長、鄭己烈・清華大学客員教授、浅井基文・元外務省地域政策課長、金英子・朝鮮大学校教授ほか
問い合わせ:実行委員会(TEL 080-5465-0914、FAX 03-3814-4154
Email onekorea.hana@gmail.com)

28日は校舎お別れ夜会

2013-07-25 09:00:00 | (瑛)のブログ


来たる28日の日曜日、私の地元、東京・大田の東京朝鮮第6初級学校で校舎お別れ夜会が開かれます。

毎年恒例の夜会ですが、今年は「1000人を集めよう!」という大きな目標を掲げ、地域が一丸となって準備が進められています。

目玉は、フィナーレを飾るマンプンニョン(万豊年)!!! 夜8時ごろを予定してます。

私も先日歌の練習に行ってきましたが、オモニ、アボジたちに、第6学校を卒業した中学生や若者たち、オモニ会OGが一生懸命に踊りの練習をしていました。

マンプンニョンの踊りは男女のアンサンブルも見ものですが、なんと女子中学生とアボジのペア、同級生(41歳!)のペアもあり、見るだけでほのぼのします。中には娘と親子で出演するオンマも。彼女は、「中学の時に舞踊の先生がいなくて断念した朝鮮舞踊をいつかやりたかった」と話していました。

マンプンニョンの出演者を見ても、この学校でウリ文化を身に付けた人材が世代を重ねて育ってきたことを実感します。

現在の校舎が建ったのは1961年。今の校舎には52年もの間、お世話になりました。

この時代に新しい校舎は建てるとは、本当に大変なことです。

しかし、地域の同胞たちは、2011年3月の東日本大震災を機に、校舎の耐震について議論に議論を重ね、子どもたちの安全のため、急いで新校舎を建設しようという決断を下しました。いよいよ、来秋に向けて校舎の取り壊しが始まりました。

この7月もアボジたちや地域の同胞たちが休み返上で、終日、引っ越し作業に取り組みました。

今の校舎が好き―。第6ハッキョに通う幼い子がつぶやいていた言葉です。一人ひとりのたくさんの思いが詰まった校舎。52年もの間に刻まれた思い出は数限りないことでしょう。

新しい学校を作り上げようという今、たくさんの人たちのハッキョへの思いを実感しています。
オープニングの学生公演は17時から!マンプンニョンは20時前後を予定しています。
みなさん、ぜひお立ち寄りください!(瑛)

ネットでの買い物

2013-07-24 09:00:00 | (K)のブログ
 ネットが普及しだして十数年。人々の生活に大きな変化をもたらしたが、そのひとつがネットを通してのモノの売買である。大手から中小零細企業、個人もネットでモノを売り、多くの人々が利用する。ネットオークションも盛んだ。

 しかし、私個人はネットでモノを買うということが、どうも苦手というか、気が進まない。そもそもカードでモノを買うこと自体も好きではない。たぶん、根本のところで信用していないのであろう。実際に、ネット上の売買による詐欺事件やトラブルも多いと聞く。
 利用しないので詳しいことはわからないが、お金が振り込まれたのが確認されてから商品が発送されるというのが一般的なのだろう。私は買うほうの立場なので、先にお金を振り込んで商品が来なかったらどうしようと考えたら不安で仕方がない。

 最近、Amazonを続けて利用した。利用したのは今回を含め3回目。買ったものは2つとも書籍だ。絶版になっている本なので、昔なら出版元に連絡して在庫があれば取り寄せられるが、在庫がなければ古本屋をこまめに回るしかなかった。それがクイックするだけで郵送されるのだから、驚くほど便利だ。支払い方法もいくつか選べるようになっていたし、注文、入金などの際にこまめに確認のメールも送られてくる。

 たまには季節はずれの野菜や果物を食べたり遠く離れたところで獲れたものを口にするのも悪くないだろうが、人間は自分の住んでいる地方のものを食べたり使ったりして生きていくのが本来の姿なのではないかと思ったりしている。例えば、東京に住んでいる人間なら、関東一円で生産されたもので基本的に生活するのが良いのではないか。そのような生活に戻して、その上で今の発達した様々な技術を利用する。実際に、先進国と呼ばれる国以外では、そういう生活をしているはずだ。
 これからも手に入りにくい本をネットで注文することはあるだろうが、あまり何でもかんでもネットで購入したいとは思っていない。あまり根拠はないが、ネットの発展も含め今の社会が進んでいる方向が良い方向だとも思えない。

 ちなみに、Amazonを通して買った本は、登場人物がこれからどうしようもない不幸な道へと転がり落ちていくことを知っているので、心が重く、なかなか前に読み進めないでいる。(k)

朝ドラで元気に

2013-07-23 09:00:00 | (麗)のブログ
先日、久々に休日に出掛け、ストレス発散とばかりに無心で買い物をしました。
くたくたになって帰ってきて、窓を開けて空気の循環をしていると、ついに夏の風物詩、蝉が鳴きだしました。
いよいよ本格的な夏、到来!ですね。

最近、暑くてへばっていますが、お酒を飲むことで夏の暑さへの怒りをぶつけています。笑

さて、前の記事でハマっている俳優がいると書きましたが、その俳優はいま大人気の朝の連続テレビ小説「あまちゃん」にも出演しています。

あまちゃんは彼が東京編に出てきてから見始めたのですが、脚本が宮藤官九郎さんなだけあって、面白い!!

朝ドラは私の母が毎回欠かさず見ていたので、自然と私も何回か見てはいました。
あまちゃんは、いつもの朝ドラの王道を貫きながらも、細かくちりばめられたギャグが視聴者の笑いを誘います。
私が見たなかでは「今までの朝ドラにはない面白さ」だと思いました。
よく見ると、あまちゃんには宮藤官九郎さんの作品によく登場する俳優さんばかり出演していて、まさに「俺得」なドラマです。

(愛)さんも毎朝欠かさず見ているそうで、いつも二人であまちゃん話で盛り上がっています。

そして、あまちゃんを毎朝ご覧になられている方、ご存知でしょうか?
いま、ネットやツイッター上であまちゃんの登場人物「ミズタク」ブームがひっそり来ていることを…。笑

ここではあまり言及しませんが、その登場人物が私が好きな俳優なのです。

毎日、「あまちゃん」から元気を貰っています。(麗)

書く

2013-07-22 09:00:00 | (理)のブログ
 物心ついたときから書くことが好きでした。もともと作文はきらいではなかったし、小学校高学年くらいから、その日思ったことや感じたことを挿し絵と一緒に大学ノートに書いていました。日によっては書きたいことが色々と浮かんできて、何ページもびっしり書いたこともありました。今考えると何をそんなに書いていたのかと不思議ですが。

 中学に上がってからは、図書カード欲しさに地元新聞の読者投稿欄にせっせと葉書きを送りました。1回掲載されると2000円分(!)。お小遣い稼ぎにはなかなかの金額です。初めて掲載されたときは嬉しくて、「新聞にね、文章載ったんだよ~」と両親に記事を見せてあげました。送ったことを黙っていたのでとても驚きながらも、アボジは早速100均でバインダーを買ってきて丁寧にスクラップ。コピーまでして数人に自慢していました。そんな姿を見て「やめてよ~」と思いつつ、図書カードをもらうことよりも自分の文章を他の人が読んで喜んでくれることの方が嬉しいんだ、と新鮮な気持ちになったのを覚えています。

 私の小さい頃の夢は、女の子がよく挙げる「お花屋さん」とか「ケーキ屋さん」といった可愛らしいものではなく、「楽して儲かる仕事」でした。「仕事」が入っているだけまだえらいと言いたいところですが、なかなか夢のない子どもです。そんな私が初めてそれなりに真剣に、具体的に「書く仕事」がしたいと思ったのは上に書いたような経験があったからだと思います。

 一度は作家になりたいという夢も持ちましたが、当時流行した「13歳のハローワーク」で「作家は人に残された最後の職業」で、「もう残された生き方は作家しかない、そう思ったときに、作家になればいい」と書かれているのを見て潔く諦めました(胸弾ませて「作家」のページを開いた子どもたちにそんなことを…! と軽い衝撃も受けました)。イオ編集部で働きたいと思ったのはその少し後のことです。

 昔はただ自分が書きたいから書いていました。今はそこに色々な思いを込めるようになったと思います。それは「この記事で少しでも喜んでくれる人がいたらいいな」とか「このことに対する認識が広まればいいな」といったものです。しかし、先輩方を見ていると言動や企画書の内容からもっと強い意志が感じられて、そういう部分に触れると気持ちが引き締まります。私もそろそろ「書きたいこと」だけではなく「書くべきこと」を書けるようにならなきゃいけないのかな、と思います。そのためには、知識や経験はもちろんのこと、もっと根本的な考え方とか視点の軸になるものをしっかり持てるようにしようなどと漠然と考えたりしています。

 なんだか長々と書いてしまいましたが、2013年度下半期とこれからの自分の仕事に対するささやかな目標でした。(理)

絵本紹介、レオ・レオーニの「いろいろ1ねん」

2013-07-21 09:00:00 | (愛)のブログ
今日はまたまた絵本の紹介をしたいと思います。
最近のお気に入りの絵本、レオ・レオーニの「いろいろ1ねん」です。

レオ・レオーニ(1910-1999)はオランダ生まれのイラストレーター、グラフィックデザイナーで
絵本も多数だしている作家さんです。
ユダヤ人である彼は14歳の時にイタリアに移住したものの第2次世界大戦の影響でアメリカに亡命し、
そこでグラフィックデザイナーとして活躍し、彫刻や画家としても活動の幅をひろげ、
絵本「あおくんときいろちゃん」という絵本で作家としてデビューしました。

絵本「あおくんときいろちゃん」は結構有名なので、
読んだ方も多数いるのじゃないでしょうか?
私もむかーし幼いころに読んだ記憶があります。
なぜかすごく印象的で覚えてるんですね~。

レオ・レオーニは主人公たちが自分らしく生きることをテーマにした温かいストーリーの絵本を数多く制作したそうです。
そしてその絵本に合った製作スタイルをその都度変えて描くため、
絵の技法もさまざまです。コラージュであったり、水彩であったり。
この「いろいろ1ねん」という絵本はコラージュや色鉛筆で描かれており、
ひとつひとつの絵をみるだけでも、楽しめます。
絵本の内容はというと、こちらもほっこりとした内容で、
ねずみのウィリーとウィニーがウッディという木とお友達になるところからお話がスタートします。
1月から12月まで、その題名のとおり、ページを開くごとにひと月のお話があり、
いろいろな1ねんがくりひろげられます。

その過程は友情の物語、という感じでしょうか。
それでいて、月ごとの季節も感じられて、読み終えると、
さあまた次の1年もがんばろう~!と明るい温かい気持ちにさせてくれます。
読めばよむほど、じんわりと心に染みいる絵本です。
彼の絵本をこれからもっと読みたくなりました。

現在渋谷のBUNKAMURAザ・ミュージアムで「レオ・レオニ絵本の仕事」という展覧会をしているそうです。
http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/13_lionni/exhibition.html
せっかくの日曜日、私もぜひ行ってみたいのですが、夏の日に渋谷まで子連れで行くには遠く、
でも悶々と行きたい欲望とたたかっています。
8月4日までやっているそうです。
時間のある方は行かれてみてもいいですね♪(愛)

在日同胞にとってのコヒャンとは

2013-07-20 09:00:00 | (淑)のブログ
 これまで出会った南の友人らから、「コヒャン(故郷)はどこ?」と問われることが何度かありました。
 私のコヒャンは全羅北道の北東に位置する茂朱なのですが、そう伝えると同世代の友人らは決まって「짱!(サイコー!)」と答えてくれます。
 なんでも茂朱は「韓国のアルペン」と呼ばれるほど豊かな自然があふれ、ホタルの生息地として有名なんだそう。そう話しながら目を輝かせる友人らの表情から、どんなに美しい場所なのだろう、とまだ見ぬふるさとの景色を想像してみます。

 茂朱ではありませんが、全羅北道中部の全州には一度だけ訪れました。2002年、高校3年生のころです。6・15以降に開かれた新しい歴史の流れの中で実現した在日同胞学生のソウル・全州公演でした。
 その経験は、私の30年にも満たない人生の中で最も大切にしている財産の一つであり、その分言葉にするのも難しいのですが、これについては機会があればきちんと整理して書ければと思っています。
 ただ、当時在日同胞学生の代表として南を訪問すると聞かされたとき先立ったのは、喜び以上に「申し訳なさ」の感情でした。
 南北分断の状況下で総聯系の同胞らの故郷訪問が困難な中、当時、私の家族や親戚の中にも誰一人として南を訪れた人はいませんでしたし、何より故郷を見ずに他界した外祖父や外祖母、ひいては多くの1世同胞たちを差し置いて3、4世の自分たちが行くことの意味に、高校生ながら責任の重さを感じたのをよく覚えています…。

 8月号の特集では、8人の、2~4世の在日同胞たちにコヒャンに関するミニエッセイを綴ってもらいました。
 8人のコヒャンに対する思いはそれぞれですが、共通して感じ取れるのはコヒャンというものが1世の記憶の中にあるということです。さらにそこからは、コヒャンを自分自身の記憶として手繰り寄せようとする営み、努力が感じられます。
 異国で生まれ育った在日同胞にとってコヒャンとは、過去が記憶されている限定された「場所」ではなく、記憶を継承し未来につなげていく「こと」なのではないかと感じています。イオ8月号を手に、ぜひみなさんもコヒャンについて考えてみてください。(淑)

8月号完成しました!

2013-07-19 09:00:00 | (相)のブログ


 イオ8月号が昨日刷り上りました!
 このブログでも何度か告知がありましたが、今月号の特集は「私たちと故郷」です。在日コリアンにとって「故郷(コヒャン)」とは一般的な「故郷」とは違う意味を持つ特別な言葉だと思います。同時に、「故郷(コヒャン)」という言葉が持つ響きは世代ごとに違う(あるいは、重なりながらもズレている)のでしょう。本特集では、在日コリアンにとって「故郷(コヒャン)」とは何なのかをイオなりに考えてみました。
 そして、特別企画は「世界の戦跡・平和博物館」。アジア、欧州を中心に、20世紀の戦争、侵略、ジェノサイドの姿を伝える各地の戦跡・平和博物館20ヵ所を写真、データつきで紹介しています。日本とドイツという第2次世界大戦の2つの敗戦国の加害責任への向き合い方を比較した佐藤健生・拓殖大学教授の一文も読み応えありです。
 今年5月号から始まった「緊急連載 朝鮮学校と日本社会」の第4回目は法政大学の田中優子教授に寄稿していただきました。

 個人的に今月号のイチオシを挙げるとすれば、リニューアルされた朝鮮学校の教科書を紹介する「変わったよ ウリハッキョ教科書」でしょうか。今年4月から初級部の算数と理科、日本語、中級部の家庭の教科書が改訂、改編されました。この記事では、リニューアル作業に携わった朝鮮学校の教員たちが新教科書の魅力について教科ごとに解説してくれています。

 最後に、表紙についての説明を。今月号は結婚式を迎えたカップルのツーショット写真です。表紙と連動している巻頭のグラビア企画「Eyes to Korean」も在日コリアンの結婚式を扱っています。
 結婚式前の幸せあふれる二人。バラのアーチの前で少々はにかみながらポーズをとる姿が初々しい。新郎が後ろから新婦を抱きしめているショットが二人のアツアツ(あっ、死語ですね、すみません)ぶりを物語っているようですね。このような写真を使った表紙はイオの歴史の中でも(たぶん)初めてではないでしょうか。
 ちなみに、表紙に関しては、編集部員全員が話し合って、いくつかの候補の中から選んで決める流れになっています。全員一致で即決のときもあれば、意見が分かれてなかなか決まらないときもあります。今回はわりとすんなり決まったほうだと思います。えーっと、私が選んだ写真は自分以外に支持者がおらず、初期段階で却下されました。センスないですねぇ。

 というわけで、読者のみなさん、今月号もご愛読よろしくお願いいたします。(相)

いつか故郷に

2013-07-18 09:00:00 | (瑛)のブログ
 「朝鮮半島は飛行機で2時間もあれば着く」ことを初めて実感できたのは2002年9月、取材で訪れたソウルの旅でした。新幹線で名古屋に行くほどの「近さ」なことに驚きを覚えながら、「今さらそのことに気づく?」との思いが交差。それもそのはず、朝鮮半島の北半部には船旅でしか行ったこともなかったし、朝鮮半島への飛行機での旅はその時が初めてだったからです。総聯メディアの韓国への取材も2000年の6・15共同宣言後、初めて開かれたようなものでした。

ウリハッキョでは初級部3年から「社会」「理科」の二つの科目を新たに習いだしますが、「社会」には、1世がなぜ日本に渡ってきたのか、を学ぶ単元があります。
 つい最近、学校から「どうしてチュンジョハラボジ(曽祖父)やハルモニは日本に渡ってきたのか」を調べる宿題が出されていました。私は自分が知る限りのことを伝えましたが、3年生の息子は「宿題をこなす」程度しか、興味がないようでした。1世を間近で見てきた者として、一抹の寂しさはありましたが、いつか「聞きたい、もっと知りたい」と思えるように、こちらもきちんとまとめておこうと、気持ちを切り替えました。

 20代の頃、横浜市・鶴見に暮らす日系ブラジル人の子どもの取材をしたとき、興味深い話を聞きました。彼らの多くは植民地支配時にブラジルへ移住し、沖縄出身者が多かったと言います。その子孫である子どもたちは3代目。ブラジルで育った彼らだけに、日本語が不自由で学校に馴染めない子もいる。そのような子どもたちを見ながら、ある日本人教員が企画したのが、祖父母が来た道をたどる「沖縄への船旅」でした。在日同胞の中にも、祖父母が渡ってきた道を実感したいと、と船旅を選ばれる方もいますね。

 今日、刷り上がったイオ8月号の特集は「私たちの故郷」。

 在日同胞の異郷暮らしは4代、5代を重ねていますが、いつか自分のルーツを辿る旅をして、「故郷」を感じてみたい、と自由のきかない今だからこそ、感じます。そして、いつか子どもたちを連れて、朝鮮半島の北にも南にも行き、本来の母語であった朝鮮語で自由に話してみたい。
 そもそも、北、南と分けて考える必要のない時代を引き寄せていきたい。特集に登場した人たちにも同様の思いが流れている気がします。(瑛)

丸木美術館と朝鮮人被爆者を描いた「からす」、そして27年前の記事

2013-07-17 09:00:00 | (K)のブログ
 月刊イオ8月号が明日、完成します。
 8月号の特別企画は、「世界の戦跡・平和博物館」。世界には戦争の事実を伝えたり平和を訴える博物館が数多くありますが、それらを紹介したものです。月刊イオの誌面なので、やはり朝鮮半島の北と南、日本にある博物館が多く紹介されています。

 日本からは・北海道の朱鞠内・笹の墓標展示館、沖縄県平和祈念資料館、埼玉県の「原爆の図 丸木美術館」の3つを紹介しました。私が担当したこともあり、今回、「原爆の図 丸木美術館」を訪ね写真を撮影してきました。



 丸木美術館は、画家の丸木位里・丸木俊夫妻が1967年に開館させた美術館で、名前にあるように「原爆の図」が展示されていることで有名です。丸木さん夫妻が共同制作として原爆の図第1部《幽霊》(発表時は《八月六日》)を完成させたのは1950年です。原爆の図は15部まであるのですが、15部の《長崎》が完成したのが1982年で、30年以上にわたり描いてきたことになります。現在、美術館には第1部から第14部までがあります。

 今回、わざわざ写真を撮りに足を運んだのは、原爆の図第14部《からす》が被爆した朝鮮人のことを描いた作品で、ぜひ《からす》を撮影して誌面に載せたかったからです。《からす》は、被爆し亡くなった朝鮮人の死骸が片付けられずに放置され、その死骸をカラスがむしばんでいる姿を描いています。
 丸木夫妻が原爆の図を描いた理由や絵に対する思い、《からす》をはじめ原爆の図についての説明と写真、その他丸木美術館の情報はホームページをごらんいただきたいと思います。http://www.aya.or.jp/~marukimsn/index.htm


 また、丸木美術館を訪ねたかったもう一つの理由は、30年ほど前に一度訪ねたことがあり、今の美術館の様子が知りたかったからです。後で調べてみると、1986年の7月、ちょうど27年前に訪問していました。
 その時も取材で、某月刊誌に掲載する丸木俊さんのインタビューのためでした。今回、某月刊誌のインタビュー記事を家の本棚から引っ張り出してみると、ずいぶんと思い違いをしていたことに気づかされました。まず、27年前も一人で訪ね私自身がインタビューしたと思っていたのに、記事を見てみると、某雑誌の女性編集者(同僚)と一緒に取材しており、インタビューをして記事をまとめたのも女性編集者でした。私は丸木さんの写真を撮影しただけでした。



 某月刊誌のインタビュー記事の中から、丸木俊さんの言葉を少し抜粋して紹介したいと思います。

 「でも初めは、アメリカはひどいと怒っていただけだったんですよ。しかし、一九七〇年にアメリカで原爆の絵の展覧会がようやく開かれたときに、ある人から、もし中国の絵描きが南京大虐殺の絵をかいて日本にもっていったらどうしますかって聞かれて、びっくりしたんです。私の思想というのかな、そういうものの中に、やはり被害者意識にこりかたまっている考え方があったわけですね。名前をつければ民族主義的排外思想ということになるんでしょう。原爆反対とかいっているのに、そういうものが自分の底流の中にあったということに気がついて、本当にびっくりしたんですよ。
 それからです。米兵捕虜の死を絵にかいたり、朝鮮人被爆者をテーマにした『からす』という絵をかいたり……。『からす』、まだ一枚ですし、お手やわらかな絵ですよね。もっともっとひどい状況だったんですから。」

 「日本の中にはやはり、“大和魂”みたいなものがあるんです。金明植さんの『日本刀』という詩に“日本刀は錆びることがないのです 日本刀は人々を殺し最後に自分自身を殺します 日本刀は錆びずに四〇年ぐらい待つの平気です”という内容のくだりがあるんです。今ちょうど戦後四〇年でしょ。日本は豊かになったといわれますが、この四〇年間、なにかがじっと潜んでいて、すきをうかがってきたんじゃないかと思います」

 丸木さんが言う、「潜んできたなにか」は、いま日本社会で大手を振って堂々と正体を現していることがわかります。身を隠す必要がないほど「国民の理解」を得ています。日本刀は40年どころか70年近く錆びずにいます。待ったかいがあったと喜んでいるのではないでしょうか。このような状況のなかで、「未来志向」というような言葉が過去を覆い隠すために使われるのなら許されることではありません。

 今回、丸木美術館を訪ねた時は、14枚の原爆の図のうち6枚が貸し出されていて、8枚が展示されていました。撮影などあわただしく、ゆっくり見る時間がなかったので、また改めて訪ねたいと思っています。丸木美術館には、関東大震災のときに虐殺された朝鮮人犠牲者のための「痛恨の碑」も建てられています。
 ぜひ、日刊イオの読者のみなさんも一度、丸木美術館に足を運んでください。(k)