日刊イオ

月刊イオがおくる日刊編集後記

祖国と母国とフットボール

2011-01-31 09:33:56 | (里)のブログ
先週の土曜日、サッカーアジア杯の最終予選が行なわれ、
李忠成選手の見事な決勝ゴールで日本が勝利しました。
李選手は日本で生まれ、日本の国籍を取得。そうして日本の国家代表選手として活躍する道へと進みました。
彼は私と同じ歳で、朝鮮学校にも通ったことがあるそうです。
私は同じ「在日」として李選手のことを見て、考えます。

実は2007年、李選手が日本国籍を取得したというニュースをめぐって、
周りではいろいろな物議がかもされていました。
日本代表として活躍することに関しても、在日同胞として複雑な思いを抱く方もいらっしゃると思います。
しかし、名前を残すことにこだわったこと、自分のことを「チュンソン」と呼んでもらうことを望むという話などを聞くと、
いろいろと、単純に決め付けられないところがあると思います。

いろいろと考えさせられる中で、スポーツライターである慎武宏さん著の
「祖国と母国とフットボール ~ザイニチ・サッカー・アイデンティティ~」を
読んでみたいと思いました(以前イオでも紹介しました)。
韓国籍でありながら朝鮮代表として戦う鄭大世選手などをはじめ、
日本を母国とする彼らにとって、祖国とは何なのか、など、
掘り下げた内容となっています。  

「在日」のサッカー選手はとりわけ、さまざまなものを背負っている、
ある意味、背負わされていると思います。
先の李選手の中にある「祖国と母国」について知れば、
彼の見方もまた違ったものになると思います。(里)
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ラガーマン同士の友情マッチ

2011-01-28 10:12:30 | (相)のブログ
 先週末から今週水曜まで関西地方に出張してきました。姫路、神戸、大阪、京都などを回ったのですが、今回の地方取材で最も印象深かったのが、22日に行われた大阪朝高と日本の高校選抜チームとの親善試合でした。
 日本のメディアでも大きく報じられたのでご存知の方も多いと思いますが、今年の第90回「全国」高校ラグビー選手権大会の2回戦で頭部を強打、脳震とうと診断され、次戦以降のゲームに出場することができなかった大阪朝高3年の権裕人選手のために組まれたものです。大阪朝高の呉英吉監督が権選手の最後の花道を飾ってあげたいと、日本の各校に呼びかけて実現しました。
 選手権大会出場校を中心に、優勝した桐蔭学園の竹中選手やベスト8の東海大仰星の小原選手など強豪7校の16人が参加。当初は東福岡の水上選手や桐蔭学園の松島選手も出場する予定でしたが、諸般の事情で実現しませんでした。しかし、高校ラグビー界を代表するビッグネームが趣旨に賛同し、はるばる日本各地から駆けつけたことは権選手の人柄によるところが大きいでしょう。そして、ラグビーの「ノーサイドの精神」の素晴らしさをこれ以上ない形で見せてくれたと思います。掛け値なしに、心が温まるいい話です。両チームの選手はみないい表情をしていました。観戦に訪れた同胞や日本の人々も笑顔でした。
 チーム内だけではなく、ライバルや他校の選手を仲間として思いやる気持ち、一緒にプレーしたいと思う気持ちが今回の試合を実現させたのではないでしょうか。スポーツの素晴らしさを改めて感じるエピソードだと思います。
 付け加えるなら、権選手を含めた大阪朝高ラグビー部が持つ魅力が今回のような場を準備したように思います。桐蔭の竹中選手は、「ラガーマンの見本のようなチーム。実力もそうだけど、常に相手を尊重するチーム。だから僕たちも彼らを尊重したくなる」と大阪朝高の印象を語っていました。竹中選手の発言からも、大阪朝高ラグビー部のラグビーに対する真摯な取り組みの一端を垣間見た気がしました。実力もそうですが、人間性においても秀でたチーム。それはウリハッキョの民族教育を通じて育まれてきた部分が大きいのではないでしょうか。
 「スポーツが世界を変える」と無邪気に言うことはできませんが、少なくともスポーツはさまざまな政治的しがらみを超えて、人々を結びつける力を持っている。そしてそれが現状に一石を投じ、変革の小さな一歩にもなりうるということを感じさせてくれた光景でした。

 試合終了後、東大阪市内にある焼肉店で選手、保護者参加の食事会が開かれました。私もバスで選手らと一緒に店に向かうつもりだったのですが、試合会場での取材が長びいてしまい、乗り遅れてしまいました。詳しい場所を聞いていなかったので、どうしたものかと思案していると、その直前まで取材していた権選手のアボジが「便利なところまで送ってあげるから、車に乗っていきなさい」と一言。
 おかげで車中、いろいろな話を聞くことができました。花園にかける権選手と家族の思い、脳震とうと診断された日のこと、出場への道が絶たれた無念さなど。聞けば、ご本人も学生時代ラグビーをやっていたとのこと。ウリハッキョのラグビー部がさまざまに困難な条件の中で2年連続ベスト4入りしたことの意義、そしてこの日のような友情マッチを可能にしたラグビーというスポーツの魅力を懇々と語ってくれた姿が印象に残りました。
 権選手自身もこの日、さまざまな場面で「感謝」という言葉を繰り返し口にしていました。そして「試合に出られなかったあの時の悔しい思いは決して忘れない。それをバネに大学ラグビーで暴れたい」とも話していました。
 この日出場した選手たちの多くはラグビー強豪大学への進学が決まっています。ライバルとして、チームメイトとして大学ラグビーの舞台でもお互い切磋琢磨していくのでしょう。彼らの今後のさらなる活躍を期待したいと思います。(相)
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撮影会in川越~vol.2

2011-01-27 09:38:21 | (愛)のブログ

今週もまた、先週に引き続き「もうひとつの旅2011」の取材で訪れた川越で撮った写真たちを紹介したいと思います。

 「菓子屋横丁」をでるとイオの誌面にも紹介されたカメレオンのオブジェに出会いました。
カメレオンの首には「金もないのにまよいこんだカメレオン」という文字が書かれた紙が。なんともシュール…
その下にはうじゃうじゃと鯉。じっくりみると気持ちが悪いですが、ついつい見とれてしまいます。

そのまま歩いていくと何やら雰囲気のあるお店がありました。看板も昔仕様でしゃれています。
アトムの人形が置いているお店もプライベートで来ていたらついつい寄り道して衝動買いしてしまいそうです。


やうやく着いた昔の町並みが並ぶ「蔵造り通り」には観光客がたくさんいました。



富士屋のじまん焼き、私の地元にもあるのですが、
寒い中で食べるとあんこがホクホクしていて、とてもおいしいんですよね。おすすめです!
食べ歩きにもよさそうなせんべいのいい匂いも漂ってきました。
会社の同僚に教わったのですが、ここの名物はサツマイモらしいですね。紅イモアイスなんてものもあるんだとか。
食べればよかったです・・・その土地の名物を調べていくのは必須ですね。

「蔵造り通り」で私が一番気に入ったのが、この床屋!!
この微妙な和と洋のバランスが何ともいえないくらい素敵でした。

「蔵造り通り」を抜けて歩くと、変わったお店がありました。
願いを叶える犬との撮影会でした。
かわいいけど、本当に願いを叶えてくれるのでしょうか???

最後に向かった喜多院
夏にはホタルが見られるそうです。ぜひ夏にいってみてもいいですね。

編集部3人でいった川越の撮影会。あまりこういう取材には同行したことがなかったのですが、初めていく町並みを写すというのは、楽しいですね。
川越、半日でしたがとても楽しめました。
日本の町並みに、もうひとつの朝鮮をみつける旅に皆さんもぜひ行かれてみてはどうでしょうか。
イオを片手に。(愛)


 

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入国管理局と「ジュピター」

2011-01-26 09:54:14 | (K)のブログ


 1月中旬以降、東京の品川にある入国管理局(写真)へと何回か足を運んだ。特別永住をもっている在日朝鮮人の場合、入国管理局に行くのは日本から離れる時に必要な再入国許可をもらうためだけであろう。

 品川の入国管理局と、長崎県の大村、大阪府の茨木、茨城県の牛久の3箇所にある入国管理センターに、現在、合わせて1000人ほどの外国人が収容され、ひどい扱いを受け、日々強制退去の恐怖におびえている。わたしもこの問題について、これまで無関心で実態をほとんどわかっていなかった。

 詳しい内容については、月刊イオの誌面で報告したいと思っている。また、収容されている外国人たちを支援している日本人の会もありホームページで情報を発信しているので、ぜひ見てもらいたいと思う。

牛久入管収容所問題を考える会

SYI (収容者友人有志一同) Blog

 上に紹介したSYIでは、現在、入国管理局に不当に逮捕されたパキスタン人難民とその家族への救援カンパを行っている。幸い、逮捕された父親は無事に警察署から釈放されたそうだが、一家がこれから日本で暮らしていくためには多くの困難がある。ぜひご協力をおねがいします。
 詳しくはこちら→http://pinkydra.exblog.jp/13981797/

 この家族の一件だけを見ても、日本の入国管理行政がいかに醜いものかがよくわかる。


 品川の入国管理局に入ると、「ジュピター」(ホルスト作曲)という曲が流れている。延々と繰り返し流れている。曲が月ごとに変わるのかどうかわからないが、少なくとも1月にわたしが行った際には常に「ジュピター」が流れていた。
 けっこう好きな曲だったのだが、もう聴きたくないと思ってしまった。(k)
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今年も始まりました。

2011-01-25 10:31:48 | (麗)のブログ
新しいシステム環境にも慣れ、ちょっとだけ使いこなせている風の(麗)です。


いま、3月号の制作期間ですが、この時期は新報の方で掲載中の
「コッソンイ」のイラストを描く時期でもあります。
今年は昨年に比べてイラストを描く作品数も増えてますが、ゆっくりペースで制作していきます。


今年から、美術科の後輩がセセデの連載のイラストを担当することになったのですが、
そんな彼に会ったとき、「締切ってこわいですね」とぽつり。
「そうやな~^^;」と二人でしみじみしながらも、「お互い頑張ろう」と一言。


まだまだイラストは残っていますが、受賞した学生たちの作品をじっくり読んで、
私なりの表現で描かせていただきます!(麗)
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「高校無償化」とは、生徒たちのためのもの!

2011-01-24 09:12:18 | (里)のブログ
先週のブログで、朝鮮学校に通う生徒たちへの「高校無償化」適用をめぐるタイムリミットが迫っていることを書きましたが、
ついに先週21日、東京都内の朝鮮学校の運営法人(学校法人東京朝鮮学園)が文科省に対して法的な争訟手続を行ないました。
朝鮮半島のヨンピョン島で起こった「砲撃事件」を受け、日本政府が朝鮮学校への「無償化」適用の審査手続きを停止していることについて、
「就学支援金の支給対象校に指定しないのは行政の不作為に当たる」として、行政不服審査法に基づく異議申し立てをしたのです(17日付で異議申し立て書を提出)。
「不作為」とは、行政庁が法令に基づく申請に対して期間内に応答しないことを指します。

これを受け、高木文科大臣は同日の会見で、「法令に従って対応してまいりたい(申し立て後20日以内に手続きを再開するか、審査手続きを停止している理由を書面で説明する)」と述べたうえで、
「いま、総理の指示によって審査手続きを停止している状況だが、私どもとしてはできれば年度内に何とかしたいというこれまでの考え方は念頭にある。いつ頃までにかということも含めて、こういう事実(異議申し立て)も出ているので、改めて対処の方針を考えてまいりたい」と、あくまでも文科省としては従来通りの姿勢に変わりないことを表明していました。
※会見のようすは文科省のHPで見ることができます。↓
http://www.youtube.com/mextchannel


17日に自由人権協会が発表した声明の中でも、
「朝鮮高校はすでに申請を済ませ、申請が文部科学省に到達している以上、行政手続法7条の規定にしたがって、同省は遅滞なく審査を開始し、その諾否についての処分を行なわなければならない。文部科学省が、迅速に審査を行うことが出来るにもかかわらず、これを怠っていることは行政手続法7条に違反する」と指摘されています。


しかし、一方でいまだ朝鮮学校と外交問題をくっつけようとする動きは止まりません。
先週土曜の産経新聞で、「朝鮮学校へ補助金交付 神奈川県はまった術中」という記事が。↓
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110122-00000120-san-soci
神奈川県が朝鮮学校への補助金交付を決めた事に対し、政府の拉致問題対策本部が県側に事情説明を求めていたそうです。

また、肝心の朝鮮学校への手続きが停止されたままなのにも関わらず、朝鮮学校への適用を判断するために作られた審査規定に沿って申請を行なった別のインターナショナルスクールの手続きが進められていることも明らかになりました。
(朝日新聞/朝鮮学校凍結でも… 高校無償化、他の国際学校は審査)http://www.asahi.com/special/08001/TKY201101200239.html


以前、ご指摘のコメントをいただきましたが、
「高校無償化」の対象は「学校」ではなくその学校に通う「生徒」一人ひとり。
少し話は変わるかもしれませんが、認可を受けていない外国人学校への適用をめぐっても、「無償化の対象は生徒であり、一種の奨学金のようなもの。(認可の有無よりも)高校相当の教育内容を受けているかどうかを優先的に考慮すべき」と判断基準の見直しが必要との声があがっています。
(東京新聞/「高校相当」の7割、無償化対象外 ブラジル系突出)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2011010702000033.html


「無償化」が学校で学ぶ生徒たちのためのものである以上、
朝鮮学校に通う生徒たちへの「無償化」適用をめぐって「拉致問題」や朝鮮半島情勢、外交問題をからませることは、
とんだ筋違いな論理だし、つくづくおかしな話です。
以前「朝鮮学校の生徒が『砲撃』したのですか?何の関係があるというのですか?」と訴える日本の方がいらっしゃいましたが、本当にそうです。
何よりも無償化制度に関して民主党政権は「朝鮮学校と外交は絡めない」との立場をとってきました。
これ以上の矛盾はないのではないでしょうか。
高校相当の教育を実施していることが認められた(都道府県から各種学校の認可を受けた)外国人学校は
日本全国に41校。
そのうちの31校にはすでに「無償化」は適用されており、10校だけが除外されている状況です。
その10校とは、ほかでもない朝鮮学校です。(里)
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「アメコミ」

2011-01-21 12:24:46 | (相)のブログ
 つい先日、生まれて初めて「アメコミ」(アメリカンコミック)を買った。アメコミといえば、スーパーマンやスパイダーマン、バットマンなどの「スーパーヒーロー物」が有名。独特のタッチの絵やマンネリのストーリーといった印象が強くて、今まで本はもちろん映画も観るのを避けてきたが、どうしても読みたい作品があり、禁断の領域に手を出した。
 作品のタイトルは『Watchmen(ウォッチメン)』。コミックでありながらSF界で最も権威のある「ヒューゴー賞」を受賞、アメコミの金字塔と言われている作品だ。2年前に公開された映画をDVDで観て、ぜひ原作を読みたいと思い、今回購入した。価格は税込3570円。漫画1冊にこれだけの金額をつぎ込んでいいのかという逡巡もあったが、ア○ゾン君をすぐさまチェック。そして、めでたく中古版をゲットした(新品と金額的に数百円の違いしかなかったが)。
 まだ3分の1ほどしか読めていないが、非常に面白い(映画を観て内容は知っているにもかかわらず)。もはや漫画のレベルを超えている。

 作品のテーマは、「ヒーローとは何物なのか?」 映画やコミックの世界にだけ存在するヒーローを現実世界にぶち込んだらどうなるかという大変刺激的な設定だ。
 舞台は1985年の米国。米ソ間の冷戦状態が最高潮に達し、核戦争秒読みという状況下で物語は展開する。描かれるのは「悪とたたかうスーパーヒーロー」が存在する世界。40年代から活躍してきたヒーローたちは、70年代後半に作られた政府の条例によって自警活動を禁止された。そして、今にも核戦争が勃発しそうな状況の中、元ヒーローが何者かに殺され、その裏で大きな陰謀が進んでいた――。
 この作品がすごいのは、ヒーロー物なのに容赦のないアンチヒーロー論を展開しているところ。登場人物は、爽快に悪者を退治するという人々の願望を豪快に裏切るような「危ないキャラ」ばかり。彼らは空を飛んだり、超能力を使ったりする超人ではなく、ちょっとばかり腕っぷしが強いだけの人間で、コスプレしながらギャングや街の小悪党をぶん殴るのが関の山(一部の登場人物を除く)。そんなヒーローたちだが、後には政府に雇われてベトナム戦争、ケネディ大統領暗殺などの重大事件に深く関与することになる。米国はベトナム戦争に勝利し、ウォーターゲート事件はもみ消され、ニクソンが大統領を5期目務めているというパラレルワールドの設定だ。
 戦争や暗殺に手を貸した結果、国家と民衆の両方から恐れられ、行き場を失ったヒーローたちの姿が、「世界の警察」を気取って暴走していった米国の振る舞いと重なる。冷戦時代を舞台としているが、テーマは今日にも通じる。
 米国は「ヒーローの国」だ。悪を倒し、正義を執行するヒーローこそが米国の「美しき理想」。だが、世界を救うためにヒーローが執行する正義は是認されるべきことなのか? そもそも、その正義とは何で、その正義を誰が定義するのか。そして一番の問題は、この作品に掲げられている警句、「Who watches the watchmen?」(「誰が見張りを見張るのか?」)ということ。「正義の味方」としてのwatchmenを一体誰が監視するのか。

 この作品、漫画にもかかわらず、せりふも含めて情報量が桁外れに多い。表現方法も独特で、日本のマンガに慣れていると読みにくい。例えば、せりふを言う登場人物の後ろにある壁の落書きが世論の声を代弁し、風に吹かれて飛んでいく新聞には当時の社会情勢が記されているといった具合。各章の終わりに挿入される架空の出版物、インタビュー、書簡などが物語の背景を補完していく。小説にすれば10ページ近い内容を、絵と台詞で1ページに凝縮している感じだろうか。ストーリーもかなり複雑なので、ページを前後しながら二度三度と読み返すこともたびたび。しかしその分、大部の長編小説なみに読み応えはある。
 B5変サイズで464ページ、中辞典並みの重さのこの本。本来であれば、カバンの中に入れて通退勤時の電車の中で読み進めたいのだが、このサイズの全面カラー漫画を持ち歩いて電車の中で広げるチャレンジ精神は私にない・・・さらに、明日から関西地方に4泊5日の日程で出張なので、読み終えるのはしばらく先になりそうだ。(相)
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撮影会in川越~vol.1

2011-01-20 09:25:56 | (愛)のブログ

月刊イオ2月号が昨日、無事納品されました。
今月の表紙、任香淑先生が作ってくれたのはチョゴリのペーパークラフトです。
しおりなどで本にはさんでおいてもかわいいですね。

 2011年度から始まった連載、「もうひとつの旅2011」2月号は川越です。
先月、編集長と(R)さんと私とで川越に行き、ミニ撮影会のごとく川越を撮影してきました。
今日のブログでは、誌面で掲載しきれなかった写真たちを紹介しようと思います。

川越初めて行ったのですが、雰囲気がとてもいい感じでした。
菓子屋横丁へと向かう道にあったのがかわいい車と一体になったガーデンカフェ。
残念ながらこの時間(朝10時くらい)にはまだOPENしていなかったです。

おいしい匂いが何やら漂ってくる!と思い横を向くと、
ここもカフェなのでしょうか。おいしそうなパンの焼ける匂いが漂っていました。

本当にうまそうなパンの匂いでした。今度来たら立ち寄ってみようと思います。

おいしそうなパンの誘惑を振り切り、着いたのが菓子屋横丁。
様々な駄菓子が売られていて、つい童心に戻って買ってしまいそうでした。


おっきなふ菓子にラムネに甘酒、いるだけでワクワクしました。

菓子屋横丁にはおもしろいオブジェもいっぱいありました。
このチンパンヂーの横に座って写真を撮るのだそうです。

少し写真が多くなってしまったので、次回にまたこの続きを紹介しようと思います。
イオ2月号と合わせてまた見てくださればうれしいです。(愛)

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阪神・淡路大震災と朝鮮学校の避難所

2011-01-19 09:39:50 | (K)のブログ
 16年まえの1月17日、阪神・淡路大震災が起こった。
 その日、朝起きてテレビをつけると、火と煙がたちのぼる長田の姿を伝えるヘリコプターからの映像が流れていた。大変なことが起こったと思ったが、その時点ではまったく、どれだけ大変なことなのかわかっていなかった。
 その後、ぺしゃんこになった家屋やバタバタと倒れるビル、高速道路が横倒しになり駅がつぶれる映像がだんだんと映し出されるようになり、死者の数がどんどんと増えていくにつれ、どえらいことが起こったのだとわかってきた。

 当時はすでに東京にいて、雑誌の編集に携わっていたのだが、神戸出身の同僚と一緒に神戸の街に入ったのは、震災から2日後の19日の夜だったと思う。陸路の交通機関が寸断されていたことと、同僚の実家が伊丹にあったので、飛行機で伊丹空港へ。同僚の実家で1泊し、翌朝バイクで東神戸朝鮮初中級学校(現在の神戸朝鮮初中級学校)へと向かった。
 電車などの交通機関はもちろんすべて止まっているし、道路も避難する車で大渋滞だった。歩いて避難する人も多かった。神戸中心地へと向かう車線はまだましだったが、それでも自動車が溢れ、バイクや自転車がもっとも移動手段としては適していた。幸いこちらはつてがあり移動手段を確保できたが、目的地に到着すること自体が困難な状態だった。


 兵庫県内の各地にある朝鮮学校も避難所となっていた。朝鮮学校には日本全国から救援物資が届けられており、他の避難所よりも「モノ」は豊富にあったようだ。私が集中的にいた、東神戸初中と西神戸初級学校は同胞の被災者が多かったが、周辺の日本人も朝鮮学校に避難していた。もちろん、日本学校などの避難所にも同胞が多くいて避難生活を送っていた。朝鮮人も日本人も、地震により家を失い命からがら近くの避難所に逃げ、共に助け合いながら大地震直後の困難な生活を乗り越えていたのである。
 避難所となった朝鮮学校には、さまざまな人々が集まってきた。近隣の朝鮮高校の生徒が一人、自転車に乗って夜遅く来たこともあった。リュックに支援物資をいっぱい詰め込んで何十キロも自転車をこいできたと言っていた。東北の方から知り合いの同胞の安否を尋ねてきた人もいた。まったく手がかりがないので、とりあえず朝鮮学校に来れば何か情報が得られるのではないかということだった。寿司屋が来て寿司を振る舞い、散髪屋がボランティアで罹災者の髪の毛を切っていた。
 震災の中で朝鮮学校が朝鮮人はもちろん、日本人にとってもその地域の重要なコミュニティ空間であることが浮き彫りになっていたと思う。

 ありきたりなことを言うようだが、1923年の関東大震災の時は多くの朝鮮人が虐殺されたけれど、それから72年後の阪神・淡路大震災ではまったく逆に、朝鮮人と日本人が助け合い困難を乗り越えていた。
 もしいま、同じような大震災が起こっても、朝鮮学校や日本学校が避難所となり、どちらにも、朝鮮人も日本人も関係なく避難することであろう。


 震災2日目から現地に入り1週間ほど取材したが、まだ余震が何度もあった。家は燃えていた。たえず消防車や救急車のサイレンが聞こえているが、家はそのまま燃え続けていた。空にはヘリコプターが飛び交っていた。地元の同胞青年と同胞たちの家を回ったが、何度も道を間違えなかなか到着できない。地元の人たちが迷うほど街の姿が変わっていた。
 私はただ通りすがりの取材者として短期間だけ震災後の街に身を置いただけだが、30年近い記者生活のなかで阪神・淡路大震災の取材はもっとも忘れられないものとなった。(k)
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さようなら…Mac!

2011-01-18 09:32:12 | (麗)のブログ
私が入社当初から使っていたイオのMac。


フリーズしない日はなかったくらい、毎日、突然機嫌が悪くなります。
大事な時にそのようなことが度々起きていたせいで、ハラハラしっぱなしでした。



しかし、今日をもってこのパソコンともお別れです。
いよいよ新システム導入…
古いながら長年頑張ってきてくれたことに感謝です。



今日でこの姿を見るのも最後なので、記念に撮っておこうと思います。^^


今までお疲れ様でした!(麗)

 
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タイムリミット迫る

2011-01-17 09:27:59 | (里)のブログ
先週12日、「高校無償化」からの朝鮮学校排除に反対する連絡会のメンバーらが内閣府と文科省に対し、朝鮮学校への「高校無償化」即時適用を求める要請を行いました。
気温10℃を下回る寒空の下、首相官邸前や文科省の前でリレートーク、ビラ配りなども行われ、
文科省記者クラブで記者会見も行われました(写真)。

ご周知の通り、昨年ヨンピョン島で起きた「砲撃事件」を理由に、
朝鮮高校の「無償化」に向けた手続は停止させられたままとなっています。
「高校無償化」法は公立学校だけではなく、私立や外国人学校にも適用されるというのが当初の趣旨だったはず。
「高校相当」とみなされる各種学校である朝鮮学校は、もちろん適用対象となるのが筋です。
しかし、日和見主義というか、政府の態度が一貫していないがために、
今まで朝鮮学校への「無償化」は先延ばしにされ続け、
遂には年を越してしまいました。
審査~「就学支援金」支給までは約2ヵ月はかかるとされており、
このままでは今の高3生徒たちが卒業するまで間に合わない恐れが出てきました。


連絡会メンバーの日本の方たちはじめ、この日は茨城初中高の崔校長と、東京中高高3オモニ会代表の李さんなどが当事者として参加されました。
私も最近知ったのですが、茨城初中高はいまや寄宿舎を完備するウリハッキョの中で、
寄宿舎生がダントツ多い学校。
東北朝高が休校となり、東北各県から生徒を受け入れている同校は、
高級部生のうちの70%が寄宿舎生だといいます。
それだけ、「(保護者の)金銭的負担があまりにも大きい」と崔校長はもらしていました。


たくさんの人たちが、「生徒たちの深いところに傷を残すのか」「これこそ『反日教育』ではないか」と訴えていました。
生徒の身になれば本当にそうです。
高3オモニ会代表の李さんは「この間、子どもたちに日本での差別をはっきりと認識させてしまった」と話していました。
この1年間、日本各地の朝高生は、一緒に連帯してくれる多くの日本人と出会えたことも事実ですが、
それ以上に、日本社会の自分たちへの風当たりの強さというものを嫌と言うほど感じてしまったのではないでしょうか。
その責任は本当に重いと思います。

年末年始に行われた全国高校ラグビー大会でも、
大阪朝高が2年連続ベスト4の成績をおさめ、
朝鮮学校の存在を堂々と示してくれました。
同じグラウンドで同じスポーツをしているというのに、
一方は「排除」されていたというのもまた悲しい事実です。

「無償化」をめぐったタイムリミットはもうすぐそこに来てしまっています。
高木文科相は1月中旬までには手続を再開したいと言っていました。
誠意だけではなく、すぐさま行動に移してもらいたいです。
このままでは高3生徒たちは卒業してしまい、
その子たちへの差別は残されたままになってしまいます。(里)
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写真は死んでいくのか、それとも?

2011-01-14 10:31:49 | (相)のブログ
 先日の朝日新聞に興味深い記事が載っていた。タイトルは、「写真は死んでいくのか」。「GLOBE」という同紙の企画ページの特集で、写真という表現形態の未来について考えたものだ。デジタル技術の急速な発展によって、「写真」は単なる「画像」になりつつある。写真はかつてのような輝きを取り戻せるのか―。このようなテーマの下、内外で活躍する写真家11人がそれぞれ自らの写真観や写真の可能性などについて論じている。
 この特集では、かつて精密な光学機器だったカメラが家電に変わり、プロとアマの違いは見分けにくくなっていること、写真を発表する主な舞台だった新聞、雑誌、写真集などの紙媒体の発行部数低下による写真の影響力低下とともに、デジタル技術の進歩とインターネットの普及という時代の波によって、写真そのものが変わりつつあるという点が強調されていた。
 デジカメは技術面で行き着くところまできた感がある。カメラ本体のみならず、パソコンのソフトによるデジタル編集・加工技術の発展も著しい。カメラメーカー側はこのような編集、加工技術の革新にカメラ進化の糸口を見出しつつあるという。記事の中でその代表例として挙げられていたのが、ハイダイナミックレンジ(HDR)合成と呼ばれる技術。カメラが捉えられる明暗差には限界があり、明るい空を捉えようとすると手前の人物が暗くなり、人物をはっきりと写そうとすると逆に空が真っ白になる。しかし、HDR合成を使うと、空と人物それぞれの対象に露出を合わせた写真を別々に撮影して、カメラ内部で自動的に1枚に合成できる。
 これは、存在しないはずの写真を「作っている」ことにならないか。どこまでが写真で、どこからが作られた画像なのか、その線引きはますますあいまいになりつつある。
 このような時代にプロのカメラマンとしての存在意義はどこにあるのか―。特集に登場したカメラマンの多くは決して悲観的ではない。「写真はこれまで以上に力強いものになる」「人のありようを写す写真は永久に残る」「写真に親しむ層が増えれば、プロとアマの差は先鋭化する」といった言葉に、「写真の力」を信じる彼らの思いが表れていた。
 
 上に記事の内容を書き連ねたのは、雑誌編集に携わる記者としていろいろと考えさせられたからだ。私は「プロのカメラマン」ではないが、取材現場では当然写真を撮る。雑誌の性格上、文章より写真に重きが置かれる場合も往々にしてある。他人が撮ったものを取捨選択するのも仕事だ。カメラに関してはデジタル世代まっしぐらで、仕事でフィルムカメラを使った経験は多くない。写真に関して半人前以下の人間がそれを論じるおこがましさは十分に承知しているが、それを仕事にしている以上、何をどのように撮るのか、写真を撮るという表現行為の意味は何かということは常に考える必要があると思っている。

 写真つながりでもう一つ。ジェイムズ・ナクトウェイというカメラマンについて。
 「ロバート・キャパの魂を受け継ぐ男」と言われ、優れた報道カメラマンに与えられる数々の賞を受賞してきた米国出身のカメラマン。世界を股にかけて戦争や内紛、貧困など、社会が抱える矛盾をテーマに写真を撮り続けている。
 私がナクトウェイを知ったのは、2003年に日本で公開されたドキュメンタリー映画「戦場のフォトグラファー」を通じて。公開当時、劇場に観に行って、「こんな人がいるのか!」と衝撃を受けた記憶がある。このナクトウェイ、寡黙でおよそ「戦場カメラマン」に似つかわしくない風貌なのだ。たたずまいは哲学者か修行僧のよう。それでいて危険な現場でも一切動じずに人々に深く感銘を与える写真を撮るからすごい。
 もちろんドキュメンタリーとしても面白い。この作品のすごいところは、「戦場カメラマンはいったい現場で何を考え、どんな気持ちで行動しているのか」という疑問に答えるため、ナクトウェイのスチールカメラの上に超小型ビデオカメラ取り付け、彼の視点に迫っていること。
 私が凡百の言葉を書き連ねて説明するより、映像を見てください。興味がある人はTSUT○YAにGO!(相)
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低コスト・高性能の時代

2011-01-13 10:14:53 | (愛)のブログ

イオ2月号工程も無事終わり、後は刷り上がるのを待つばかりです。
月刊イオ2月号は1月19日に出来上がる予定ですので、いましばらくお待ちください。

さて、いまはもう2011年ですが、2010年年末に自宅の私用パソコンがついに壊れました。
約7年もの間使っていた私の「相棒」。
ある日ノートン君(ノートンインターネットセキュリティ)の最新版を入れたと思ったら、画面が乱れ、真っ黒に。あれ?モニタが壊れたかな?と思ったら、本体が壊れていました。
パソコンに詳しい知人に聞くと、ノートン君は性能があまりにも良すぎるため、騙し騙しで使っていた不安定な部分も暴いてしまうということでした。。。

そんなこんなで、ついに新しいパソコンを買わなくてはいけない事態に陥ったのですが、
調べてみてびっくりしたのが、本当にいつの間にか時代は、低コスト・高性能の時代になったということ!
約7年前に買った私の「相棒」君は、映像編集もできるようにと、高いスペックのもので結構したのですが、
いまは10万以内で同じような高スペックのものが買えるんですね。
これからも時代は進化し続けて、より高性能なものが安価に買えるようになると考えたら、
無理して高いものを買うのがなんだか馬鹿らしく思えてきました。
ということで、新しいパソコンは初期想定の出費よりも安く買うことができ、大満足。

デジタルカメラに関しても同じように感じる出来事がありました。
私が一番最初に買ったデジカメはキャノンのパワーショット。電器屋に何度も足を運び、ようやく決心して買ったもので、500万画素で8万円台。
今年のお正月に電器屋さんにいくと、ちょうどタイムセールをやっていて、1400万画素のものが7000円!
それも様々な機能がついている。
時代はつくづく変わったな~と思う私の手には購入したそのデジカメが。これまた大満足でした。

10年後にはもっともっと進化して、どんな時代が訪れているのか、楽しみですね。(愛)

※写真は通勤途中で撮ったものです。
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大阪朝高ラグビー部・記念グッズプレゼント

2011-01-12 09:00:00 | (K)のブログ

 第90回全国高校ラグビー大会は、東福岡と桐蔭学園の両校優勝で幕を閉じました。出場していた大阪朝鮮高級学校ラグビー部は、その実力を発揮し、2大会連続でベスト4(3位)という見事な成績をおさめました。民族教育の歴史に残る快挙だと言えるでしょう。

 日本の強豪校は、日本全国から優秀な選手が集まるという場合が多いようですが、大阪朝高はそうではありません。和歌山朝鮮初中級学校出身の金時裕くんひとりを除いてみんな東大阪朝鮮中級学校の出身です。
 また、大会の公式パンフレットの大阪朝高の紹介ページを見ると、中学時代の所属クラブが書いてあるのですが、25人のうち、バレーボール部が2人、柔道部が1人、サッカー部が3人となっています。

 先生たちは、「ラグビーだけをやっているわけではない。選手たちはみんな勉強をはじめ学校生活すべてを頑張っている」と口をそろえて言います。

 まあでも、そんなことは大きな問題ではないと、私自身は思っています。それでも、選手たちが在日朝鮮人運動や民族教育の歴史を背負い、在日同胞の熱い思いを背負っているのは確かなことで(これはラグビー部員だけではないでしょうが)、選手たちもそのことを充分自覚して戦っていたことを、取材をしていてわかりました。
 とりあえず、選手たちにはご苦労様でしたと、ねぎらいの言葉を送りたいと思います。

 花園で大阪朝高の試合を取材するのは今回で4回目になります。5回の出場のうち1回目だけ取材できませんでした。
 大きな新聞社などは、写真を撮る人もグラウンドと観客席、文章を書く人も試合全体のことを書く人、客席のコメントをとる人と分業体制を作っています。しかし、こちらはそういうわけにはいきません。グラウンドに下りて写真を撮ったあと、急いで控え室に行き監督や選手のコメントをとります。

 それはいいのですが、悲しいのは写真を撮るとき。大手は400ミリのレンズでバシバシ撮っているのに、こちらは200ミリのレンズ(200ミリのレンズで撮影しているのは総聯関連の出版社だけでした)。400ミリだと遠くでプレーしていてもアップで写真が撮れるのですが、200ミリだと迫力のある写真を撮るためには大阪朝高が敵陣深くに攻め込んでくれなければいけません。そういう意味で、今大会は多くのシャッターチャンスがありました。
 その他、正月休みがなくなるなど苦労が多いのですが、できれば来年も、花園で取材できればと願っています。


 試合前に花園ラグビー場の売店をのぞいていると、出場校別にいろんな記念グッズが売られていました。いくつか買ってきたので、日刊イオの読者の皆さんにプレゼントしたいと思います。朝鮮の「強盛大国Tシャツ」以来のプレゼントです。

 写真のキーホルダー(左)と携帯ストラップ(右)のいずれかを合計5名の皆さんにプレゼントいたします。ご希望の方は、氏名、住所、電話番号、キーホルダーかストラップかを明記のうえ、「io@io-web.net」(@を小文字に変えてください)までメールを送ってください。締め切りは今月末までとします。当選発表は発送をもってかえさせていただきます。(k)

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2週間ぶりの日刊イオ

2011-01-11 10:40:55 | (麗)のブログ

 

あけましておめでとうございます! 

2週間ぶりの日刊イオ、2011年最初の記事になります。

   

 

1230日~13日まで、大阪朝高ラグビー部の試合を見に行きました。 

5日は東京でハラハラしながら試合を見ていました。 

負けてしまったのは残念で、悔しいですが、それでも2年連続ベスト4!! 輝かしい成績です。 

 

  

  

思えば年末年始は、ほぼ毎日出かけていました。

高校のころのバスケ部の新年会に参加するため、年ぶりに難波の戎橋(ひっかけ橋)にも行きました。

相変わらず人が多かった

 

久しぶりに会う同級生たちと、当時の思い出をみんなで朝まで語り合ったりと、いい時間が過ごせたと思います。

でもさすがに朝までコースは身体に応えました

 

 

社会人になると休みの日も限れているので、その分、予定を入れまくって会いたい人に会っていました。

が、実家の晩ご飯を一度も食べないまま東京に帰ってきました。(笑)

オモニには申し訳ないと思いつつも、 おかげで充実した年末年始を過ごせました^^

 

 

 

 

2011年もどうぞよろしくお願いいたします。(麗)

 

写真は、大阪・難波の戎橋から見えるグリコの看板です。

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